#5 はじめの一歩
「深樹、これどういうこと? 市名がちがう?」
「もしかして、もう一つの東京とか!」
「えっ、別の東京があるの? その向こうに」
兄弟は、ワイワイがやがや。
「東京が、二つもあるの……?」
深華が身を乗り出した。深樹はつづける。
「あのね。そういうお話、ぼく読んだことあるよ。東京だけじゃなくて、きっと日本も、地球も……ううん。よく似てる二つの宇宙が、もともと別々にあったんだ。それが、今年のクリスマスイブに、急にくっついちゃったんだよ! この窓際で」
陽華が目をまん丸にした。はるくんはこめかみを押さえている。
「ちょっと待って深樹、俺をおいてけぼりにしないでくれ」
「お兄ちゃん。これってきっと、パラレルワールド」
「ぱら……なんだって?」
「パラレルワールド」
陽華が言った。三人の視線が集まった。
「へ、並行世界とか、並行宇宙……とも、言うよ。同じ時間軸上に、複数の宇宙が並行して存在していて……ようするに、世界はひとつではなかったの。たくさんの世界が、隣あって浮かんでた。そのうちの二つの世界が、一枚の窓でつながっちゃったのだと思う……ミイくんが言いたかったのは、そういうことでしょう?」
ミイくんは、スカスカと首を縦に振った。
「ごめん。俺にはむつかしいけど……この窓は、どこでもドア的な感じになってるの?」
はるくんが言った。陽華が返す。
「ゆきさきは、私の部屋で、固定だけど」
深華がハキハキとたずねる。
「じゃあじゃあ、わたしたちの世界とミイくんたちの世界は、女子と男子があべこべの世界、ってこと?」
「ぼくとミイちゃんは、ちがう世界に住んでるドウイツジンブツなんだよ」
「同一……人物」
深樹のことばを、陽華が復唱した。
見つめ合う、兄と姉。
二人のあいだを、青毛の猫が歩いてくる。
「あっ、それ、俺のどら焼」
小袋をくわえたドラが、はるくんに飛びつく。構ってほしいのだろうか。
「ドラちゃん!」
呼びかけに、ドラが振り向いた。
「……私はこっち」
はるくんと陽華とを見比べて、最終的に、陽華に寄り添う。「これは食べちゃダメ。おなか壊しちゃうから」と、小袋を引っぺがされた。
「はい。これ。ごめんなさい」
陽華が差し出す。
「いや。いいよ。ありがとう」
くしゃくしゃになった小袋を、はるくんが受け取った。
袋をうにうにっと動かす。どら焼が顔を覗かせた。はるくんがパックンもぐもぐ。その一部始終を、陽華がじいっと見つめている。
頰を緩めていたはるくんが、視線に気づく。
「ん……もしかして、キミもどら焼が好きなの?」
陽華は力づよく頷いた。
「うん、どら焼だいすきだよ。とくに漉餡」
はるくんが笑った。
「俺も、すき。漉餡だいすき。舌ざわりがいいよね……ふわふわした生地となめらかな餡が絡みあって、舌の上でやさしく溶けてく。この瞬間がもう、最高」
陽華の目が、キラキラと輝いた。
「そう、それそれ! わかってる~」
はるくんも身を乗り出した。
「だよな!」
「あのね、私どら焼食べるときね、いっつも食べ方決まってるの。ひとつのどら焼でもね、部位によってちがって……」
はるくんが手をたたいた。
「わかった! 真ん中ってあんこばっかりだから、たまにフチの生地を食べて、バランスとるんでしょ。俺もやってる!」
陽華は感極まってしまった。
「ど、どら焼、最高だよね。おいしいよね」
「おう、最高だよ。どら焼は人生さ。この世でいちばんの存在だよ」
陽華の顔が、茹ダコのように真っ赤に染まりあがった。赤らんだ手をはるくんに差出し、言った。
「おともだちに、なりましょう」
突然のことに、彼はびっくりした。でもすぐ笑顔にもどって、彼女の手をとった。
「モチのロンだよ」
二人は握手を交した。深華がそれを見てほほえむ。
「私の近所に、オススメの和菓子屋さんがあるの。今度行ってみない?」
陽華の提案に、はるくんが乗った。
「俺も行きたい! それってどんなところ?」
「お、お兄ちゃん! ちょっと待って」
盛り上がる二人を、深樹が引き止めた。
「窓の向こうへ行くの? 近所って、お家の外……ですよね。知らない人が自分の家から出てきて、ミイちゃんのママはびっくりしない?」
陽華が「あっ」と声をもらした。
「それなら大丈夫だよ」
深華が口をはさんだ。
「わたしのパパとママ、優しいから。最初はびっくりするかもだけど、ちゃんと説明すれば受け入れてくれるよ」
三人は頷いた。陽華が言う。
「そういうことなら、今すぐにでも。私たちの家族を紹介するよ」
「うちのママにも、あとで紹介しなくちゃね」
深樹が言い、兄弟は笑い合った。
深華がドラを抱き上げて、窓をくぐる。はるくんはそれについて行き、気づいた。
二つの窓のあいだに、真っ暗な隙間があいていたのだ。
「うわ。なんだこれ。中、すごく広いぞ。どこまで広がってるんだろ……」
深樹が追い抜きざまに言った。
「お兄ちゃん、これは――」
でもその声は、陽華の声に搔き消された。
「ま、待って! ミイくんのお兄さん……名前!」
呼び止められたのは、はるくんだった。
「名前? ……あ、そっか。まだ名乗ってなかったっけ」
今さらながら、思い出してよかった。
「はるかです。太陽の陽に華麗の華で、井上陽華」
陽華の手をとって、少年が答える。
「はるきです。太陽の陽に樹木の樹で、井上陽樹」
右足、つづいて左足、陽華がふわりと着地する。二人は顔を見合せた。陽樹が言った。
「よく似てるね」
陽華も言った。
「ほんと。そっくりね」
「さあさ、どうぞわたしたちの井上家へ」
深華がドアを開けた。階段から深樹が手招きしている。二人はくすくす笑って、はじめの一歩を踏み出した。