#4 俺はキミの味方だから
階段をかけ登ってくる音がする。ドアを開けた母は、部屋を見るなり目を丸くした。
「何があったの? ミイくん、はるくん!」
深樹はそしらぬ顔でどら焼をもぐもぐしている。青いカーテンの前でモデルのように立っていた兄に、母は摑みかかった。
「はるくん?! ケガはなあい? 悲鳴がきこえたけど、大丈夫なの」
「ああ、ママ。けがはないよ……」
その足元をみて、さらに叫ぶ。
「まあまあ、窓が割れちゃったの! ふみつけたら大変。ほら、また寒いのに裸足で。靴下とスリッパを。はいはい、ちょっとどいて。お母さんがお掃除してあげます」
強引にカーテンをめくらんとする母に、兄は両目を見開き、弟はどら焼でむせ返りそうになった。
「ママママママ、おおおおおちついて。俺もうすぐ高二だから。一人でできるから」
落ち着くべきはあんただよ、とは、誰もつっこまない。
どら焼をのみ下した深樹も応援にかけつけた。
「ここは、見なくていいよっ」
弟が割り込み、母の体をくるりと一八〇度反転させた。
「でも、ガラスが落ちてるじゃない」
「俺のほうでなんとかなる! 心配御無用!」
兄も母の背中を押してゆく。
「そう? おかたづけが終ったら、冬休みの宿題、はじめるのよ」
はるくんは黙り込み、目を泳がせて。
「……なんとかなるよ」
深樹がドアを閉める。しばらくすると、数秒の間のあと、足音が階段を降りていった。
「はあ。危ねーあぶねー」
芝居っぽく、はるくんは額を腕でぬぐった。
「もう行っちゃったよ。出てきていいよ」
深樹が呼びかける。シャッと奥のカーテンが開いて、深華が飛びおりた。
はるくんが小首をかしげる。
「ん、キミのお姉さんは?」
「お姉ちゃんならうしろに……あれっ」
深華が振りむくも、姿は無い。
「もう、お姉ちゃん! ほら」
窓をのぞき込み、つかまえる。連れ出そうとするけれど、陽華は窓際にとどまって、かたくなに部屋を出ようとしない。
「ぼくたちのこと、嫌いなのかな」
深樹がしょんぼりとする。深華が申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。私のお姉ちゃん、他人がニガテで……」
深樹は仰天した。
「ええっ! ミイちゃんのお姉ちゃん、人間じゃないの!?」
「違う、そうじゃない」
深華が首を振った。
はるくんが控えめに窓をのぞき、言った。
「キミに怖い思いをさせたなら、ごめんなさい。妙なことばかり起って、困っちゃったよね。でも心配しないで。俺はキミの味方だから」
落ちついたまなざしが、横顔にうったえる。
「俺も、キミと一緒なんだ。ねえ、知ってたら教えてよ。この窓際で、一体なにがあったのか。キミが誰なのか。その部屋の先が、どこへつづいているのか」
はるくんは、それで言葉を切った。
くりくりとした丸い目が、窓に見え隠れした。
「うぅ……」
おそるおそるではあるけれど、陽華は彼の部屋に降り立った。
兄と姉が向き合って立つ。それをみて、深樹と深華が同時に息をのんだ。だって、二人の姿は、服装や髪形のちがいこそあれ、家族にも見分がつかないほどに瓜二つだったからだ。
「すごい……鏡みたい」と、放心状態の深樹。
「ここ、どこなんですか……ミイくん?と、ミイくんのお兄ちゃんは、ここの人ですか」
正坐になって、深華は訊ねた。
「ここは俺の部屋だよ。俺と、深樹の家。知ってると思うけど、これが深樹ね」
兄があぐらをかき、当人を抱き寄せる。弟は照れながら名乗った。
「ミキです。井上深樹、来年から五年生」
深華がわあっと笑った。
「わたしと同い年だよ。あっ、ミカです。井上深華」
兄弟は耳打し合った。
「深樹、向こうも『イノウエ』だってさ」
「みたいだね、お兄ちゃん」
「……じゃあ、キミも高校生なの? 深華ちゃんのお姉さん」
はるくんが向き直って、陽華に問う。
「あ……えっと……」
戸惑う姉。かわりに深華が返した。
「ですです。ヒガシコー?だったっけ、お姉ちゃん」
陽華は、うつむきがちに頷いた。はるくんが「ほう」と相槌を打つ。
「俺も東高だよ。七姫東高校……合ってる?」
陽華は眉をひそめている。
「あれっ、別のヒガシコーなのかな……七姫市の東の端っこにあるんだけど」
深樹がこくこくと頷く。深華は首をかしげた。
「ななひめし……って、どこにあるんですか」
「どこもなにも、ここが東京都七姫市だよ」
「えっ、どういうこと? お姉ちゃん」
妹に助けを求められて、沈黙を守っていた陽華が、ぽつりぽつりと答える。
「東京に、そんな市は、ないよ」
「ええ~!!」
兄弟は、マンガのように大きくのけ反った。