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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第8話 青空と文化祭
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#38 陽華の成長

 音楽室に拍手が沸き起った。お辞儀をする室内楽部員。陽華が手を振った。バイオリンを持った秋卯が手を振り返した。


 裏口から出てきた秋卯に、陽華は昂奮気味に伝えた。


「秋卯、キレイな音だったよ!」


「ありがとう」


 秋卯は誇らしげに笑った。


「さあ次は何を見ようかな」


 陽樹がパンフレットを片手に、早くも次の行先を考えている。


 夏海が横から覗き込み、ページを指差した。


「ダンス部の公演はどう? もうすぐ始まるよ」


「おっ、いいんじゃない?」


 歩いてゆく二人の背中を夏漣が眺めている。


 秋卯が振り返った。


「私はアッキーと一緒に行くね」


「あっ、秋卯」


 陽華が手を伸ばすが、もう遅い。四人の姿は人混みに紛れ、見えなくなってしまった。


 人々の行き交う廊下で、陽華と夏漣だけが取り残されてしまう。


 陽華はどうしたらよいかわからず、おろおろしていた。夏漣も夏漣で、彼女が自分との会話を苦手としていることは既知である。手探りで接してみるしかない。


「……ひとまず、校舎内を巡ってみるか」


 夏漣が提案し、陽華はコクコクと頷いた。


 人の流れに従って歩く。


 お手製の看板を持った生徒が、笑顔を振りまきながら宣伝して歩く。その背後で、たびたび会釈しチラシを配る眼鏡の男子生徒。


「どうぞ」


「どうも」


 彼の差し出したチラシを夏漣が受け取った。読んでみても、彼らが何をするのか、いまいちピンと来なかった。ただ、場所だけはハッキリと書いてある。「屋上」とあった。


 陽華はそれぞれの教室を覗いてみた。


 壁越しに聴こえてくるのは、演劇の台詞だろうか。入口は黒いカーテンで隠されていて、中は見えない。


 美術部の展示教室はよく凝っていた。入口や壁いっぱいに、可愛らしい装飾が施されている。


 こちらからは、おいしそうな卵の匂いが漂ってくる。食場パーラーでオムライスを出しているのだ。外には待合用の椅子も用意されている。その先に、廊下を埋めつくすほどの行列が続いていた。女子大生が扇子をあおいでいる。


 とにかく、人が多い。


 歩いている内に、だんだんと陽華の体調が悪化した。呼吸に浅くなる。気分が悪い。


 この程度なら大丈夫、と思ったのか、陽華はしばらく何もせず、夏漣について歩いた。でも、人混みが収まることはなかった。容態も悪くなるばかりである。


 パンフレットをぱらぱら見ていた夏漣は、陽華が口を押さえて崩れ落ちるのを目撃した。後ろを歩いていた生徒が、それを横目に避けてゆく。


「大丈夫か」


 夏漣がひざまづき、尋ねた。陽華は壁にもたれて、顔を真っ赤にしている。


「どこか具合が悪いのか」


 口走る夏漣。陽華は彼を見上げ、ぎこちなく頷いた。


「僕に何かできるだろうか」


 陽華は逃げ出すどころか、一人で立ち上がることもできなかった。夏漣に頼るしかなかった。


『そとにでたい』


 口を動かす。声は出ない。夏漣は唇の動きを読み、翻訳を試みた。


「お……『おもちたべたい』か?」


 陽華はふるふると首を横に振った。


『そとにでたいの。きもちわるい』


「『おもちたべたいの。きなこがいい』……?」


 陽華は泣きたくなった。


「どうしたんですか」と、女の人が心配して夏漣に尋ねた。陽華の意識が遠のいてゆく。ロングスカートと細い脚が見えた。


 陽華は目をつむり、口を動かした。それに夏漣が着目する。女性も耳を澄ました。


「外の空気を、吸いたい……です。広いところで」


 二人は顔を見合せ、頷いた。



 陽華は屋上で目を覚ました。青い空が広がっている。


 起き上がると、おでこから濡れたタオルが滑り落ちた。冷たいペットボトルを持っている。スポーツドリンクだった。


「起きたか」


 夏漣が言った。陽華は何かを言おうとして、やめた。そっぽを向いて訊ねる。


「これは、夏漣くんが?」


 彼は首を横に振った。


「通りかかった人が買ってきてくれたのさ」


「お礼を言ってくる」


 陽華は立ち上がり、扉を目指した。でも、よろめいてしまう。それを夏漣が支えた。


「まだ恢復していないだろう」


「立ちくらみだよ」


 陽華は自立して、握っていたペットボトルを見た。結露して表面が濡れている。あれから随分時間が経っているらしかった。


「いたぞ」


 秋兎の声がして、扉が開く。四人がぞろぞろとやって来た。


「二人とも、置いてけぼりにしちゃってごめんね」


 夏海が言った。陽華は「ううん」と笑って否定した。


「ああ、歩いたからお腹空いちゃったよ」


 陽樹が言った。夏漣が訊ねる。


「まだ、誰も昼は食べていないのか?」


 みんなは黙ってしまった。


「この時間、近所のお店は混んでるから」


 秋卯が言った。


「パーラーはどこも行列だし、調理部のは券を買わないといけないしな……」


 秋兎が腕を組む。


 陽樹は夏漣を見た。みんなの視線も集まった。


「はいどうぞ、どうぞ」


 正門の外で、夏漣の母が笑顔で和菓子を配る。


 いつもはシンプルな門が、今日は思い思いに飾られていた。骨組をつくってベニヤ板を据え付け、ペンキで絵が描いてあった。「第39回 榛樹祭」と、文化祭の名前も書いてあった。


「ありがとうございました!」


 お礼を言って、その場を去る。


 陽華はどら焼を抱えて階段を登った。三階で、見覚えのあるロングスカートを見かける。


「あのっ」


 声をかけると、女性が振り返った。逆光で顔はよく見えない。


 陽華はありったけの声で言った。


「さっきは助けてくださって、ありがとうございました!」


 女性が手をひらひらと振った。陽華は嬉しそうに笑って頭を下げた。逃げるように階段を駆け登ってゆく。


 一方、陽樹は屋上で財布を構えていた。


 夏漣がポイントカードにスタンプを押してゆく。秋兎たちは後ろで和菓子を食べていた。


「ポイントは使いますか」


 夏漣が言った。陽樹は訊き返した。


「はい?」


「カードのポイント。欄がすべて埋まった」


 タメ口に戻る夏漣。覗き込んでみると、確かに全部の枠に判子が押されている。


「使います、使います」


 陽樹はこくこくと頷いた。夏漣が点数を数える。


「一ポイント一円換算ですから……全部使いきれますね。引いて零円です」


「れいえん?」


 陽樹は首をかしげた。


「タダです。お金は要りません」


「わーい」


 陽樹は財布を放り投げた。そしてすぐに拾った。


 戻ってきた陽華と一緒にどら焼を食べる。陽華はスポーツドリンクを一口含み、カードを眺めた。


「何かおかしかった?」


 陽樹が訊ねる。陽華は首をかしげながら指差した。


「これ、計算が間違ってるみたい。判子の数が多いよ」


 陽樹は夏漣の元に戻った。


「夏漣くん、ポイントのことなんだけど。これ、スタンプが一つばかり余計なんじゃないかな」


 夏漣は水筒を置いて、とぼけた。


「気のせいだろう」


 夏漣はひょいと立ち上がり、歩き出した。陽樹はそれを追った。行き着いた先では、夏海と秋卯が談話していた。


「夏海さん。例のものだけど」


 夏海は、夏漣から青色のファイルを受け取った。彼女は礼を言った。


「ありがとう、夏漣くん」


 陽樹は夏海に訊ねた。


「それは何?」


「レシピ」


 陽樹は空の雲を見て「ええっと」と脳内辞書を引いた。


「つまり……お菓子の作り方だね!」


 頷く夏海。


「私が教わる前に、みんな燃えちゃったから。これを引き継いで、いつか自分のお店を構えられたらいいな」


 陽樹が言った。


「すてきな夢だね」


 夏海はファイルを抱きしめて、陽樹に笑いかけた。


「富士山が見えるよ!」


 誰かが指差した。


「本当だ。富士山だ」


 陽華、夏漣、陽樹が眺める。三人は体育祭で屋上に登ったが、当時は気づかなかったらしい。


「私、富士山って初めて見た」


 秋卯が言った。一同は驚いた。


「ウッソだろ」


 夏漣が珍しいものでも見たように言う。


 一方、秋兎は腕を組んで頷いた。


「確かに、近くの山とか建物に邪魔されて、普段は見えないからな」


「私たち、随分視野が広がったね」


 陽華が言った。


 その時、クラクションが鳴った。


 南側から見下ろす。陽華の父が車の窓から手を振っていた。


 陽樹が言った。


「もう行かなくちゃ」

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