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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第6話 夏休み
30/41

#30 ばらばらばら

 午前授業のおわりを告げるチャイムが鳴った。


 二年七組の教室で、秋兎は頰杖ほおづえをついて紙袋の中身を覗いていた。高級そうな紫色の袋で、金色の和柄が描いてある。


 彼は顔をあげて、遠くの席の陽樹を眺めた。


「井上」


 夏海が陽樹に声をかけた。テストの結果に見入っていた陽樹は、慌てたように答案を机に伏せた。


「どうしたの? 安月夜」


 引きつった笑顔でその場を立つ。夏海は陽樹について教室を出た。小声で心配そうに訊ねる。


「陽華ちゃん、大丈夫だったの?」


 彼は廊下を歩きながら、ああ、と思い出したように頷いた。


「うん。ピンピンしてたよ」


 夏海はホッとしたように溜息をついた。陽樹が「あっ」と声をあげ、立ち止まる。


「そう、陽華たちのことなんだけどね」


 夏海は彼の顔を見て、首をかしげた。


 中庭のベンチで、二人は隣合って昼食をとった。


 夏海は箸を置き、言った。


「そっか……じゃあ、夏漣くんとも会えなくなるんだ」


 調理実習室のほうを見る夏海。俯いていた陽樹が、決心したように顔を上げた。


「でも、当日だって正午までは行来できるでしょ。実は今朝、『陽華の文化祭へ遊びに行こう』って、秋兎と約束したんだ」


 夏海は陽樹を見た。彼はどら焼の袋を握りしめ、言った。


「もしよかったら、安月夜も、どうかな」


 彼女はウンウンと頷いた。


「いいんじゃない? みんなで行ったら楽しそう」


「えっと、あの、そういう意味で言ったんじゃなくて」


 陽樹があたふたしながら立ち上がる。


「俺が言いたかったのは、その、二人で廻りたかったんだ。文化祭を、キミと」


 言葉はしりすぼみに小さくなった。彼は顔を赤らめて、自分の唇をなめた。


 きょとんとしていた夏海は、聞き終わって、手を差し出した。


「いいよ。一緒に廻る」


 夏海の口角が上がった。陽樹はびっくりしたような、嬉しいような表情を見せた。二人は手をつないで歩きだした。


 廊下を歩く二人。


 生徒が三、四人、二年七組の教室からぞろぞろと出てきた。


「それ、マジ?」


 夏海の脇を男子生徒が歩き去る。


「ほんとほんと。新学期セールとかで、購買の品物が値引だって」


 陽樹の耳に、女子生徒のそんな声が入る。


「和菓子なんて全品半額だってさ」


 行こう行こう、と駆け抜けてゆく皆。


 教室に夏海が踏み込む。でも、陽樹は皆の背中に釘付けだった。


「購買で、どら焼が……半額?!」


 陽樹がパッと夏海の手を離し、引き返してゆく。


 夏海が「あっ」と声を漏らす。陽樹の姿はすでに見えなかった。


 彼女は手を握りしめ、目を吊り上げた。


 教室では、秋兎が友人の帰りを待っていた。陽樹の机から、ひらひらと答案が舞い落ちる。彼はそれを「よっ」と空中でキャッチした。


 ふと、赤い丸印に目が留まった。答案をよくよく見て、秋兎は絶句した。


 陽樹がニコニコしながら戻ってきた。どら焼を沢山胸に抱えている。


 一方、秋兎は腕組をして陽樹を睨んでいた。


「秋兎。どうしたの? そんな怖い顔して」


 陽樹が笑いながら訊ねる。


「どうしたもこうしたもねえ。こんな高いもん買って損したわ」


 秋兎は紙袋を突き渡した。袋は陽樹の胸に当って、床に落ちた。中身が飛び出る。陽樹はそれを拾おうとして、気づいた。銘菓のどら焼だった。


「陽樹が『頑張る』というから、応援したのに。結果が出たら、祝ってやろうと思ったのに。こんな裏切はないだろう」


 秋兎の手には陽樹の答案があった。赤いペンで丸が書いてある。でもそれは、正答を意味する「(まる)」ではない。零点の「(ゼロ)」だった。


「『何とかなる、何とかなる』って、全然なんとかなってないじゃないか」


 陽樹の世界から音が消えた。



 陽樹は自分の部屋で体育坐りをしていた。顔を自分の膝に押し当てたまま、一言も発しない。


 陽華は彼の隣に坐っていた。彼女は訊ねた。


「つまり、秋兎くんに叱られたの?」


 陽樹は頷いた。そして言った。


「陽華にしばらく、また入れ替わってほしい」


 陽華は小さく息を吐いた。


「叱られて、凹んで、それで『会いたくない』って……まるで赤ちゃんだよ。陽樹らしくないよ」


 陽樹は返事をせず、指示した。


「陽華の制服と鞄を、俺のベッドに置いといて。俺のやつは、もうそっちに置いてある」


「ちゃんと会って、謝らなくちゃ」


 陽華が彼の手を取る。陽樹はその手を振りはらった。陽華は動きを止めた。


 彼は言った。


「陽華には、俺の気持なんてわからないよ」


 彼女は立ち上がり、目に涙を浮かべた。


「もう知らない」


 陽華が窓の向こうに消える。部屋はしんとした。学校の鞄と女子用の制服が、ベッドの上に無造作に置かれていた。


 陽樹は下を向いたまま、紫色の紙袋に手を伸ばした。中に入っていた箱を開けると、どら焼が目についた。詰合せだった。みな、落ち着いた白色の紙に包まれている。


 陽樹はその中から一つ手に取って、包装を外した。びりびりと乱暴に破いた。


 小さな口でひとはみする。咀嚼する。


「全然おいしくない……甘ったるい」


 餡子のかおりが充満して、残暑の熱気と混ざった。日めくりカレンダーは九月三日だった。


 部屋の外から、深樹がそれをこっそり見守っていた。なんと声をかければいいのか、弟の彼にはわからなかった。


 一方、陽華は和風カフェにいた。


「そう。そんなことが」


 秋卯が陽華の頭を撫でる。長い髪がはらりとこぼれた。


 夏漣がお盆を持って畳に坐っている。彼は半分、諦めたように俯いた。

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