#3 突撃ニャンコ
窓の向こうからモフモフしたものが飛び込んできて、はるくんの視界はモフモフになった。
「わっ! 何、何これ、深樹!」
「にゃ、ニャンコだよ。お兄ちゃん」
兄の顔面には青毛の猫がへばりついていた。
「ニャンコ?!」
「お兄ちゃんはジッとしてて。今とってあげるから」
ぬき足さし足、近づく深樹。あわあわと手を震わせ、足元もおぼつかないはるくん。
「捕まえた!」
兄の上半身に深樹が飛びつく。
「ちがう! それ俺の頭! 髪の毛!」
「ああん、ニャンコが逃げる」
そのとき、はるくんがガラスを踏んづけた。
「痛たっ」
ドンガラガッシャーンと派手な音を立てて、兄は転び、弟は床に落ちてしまった。
「いったた……深樹、ケガは?」
「ぼくは平気だよ。お兄ちゃんは?」
「どら焼……あれっ、俺のどら焼は?」
深樹が顔を上げ、息をつまらせる。
「あ、見つけた見……」
どら焼を愛おしそうに抱きしめた、はるくんの言葉が途切れた。口をあんぐりと開けて静止している。
青いカーテンの前に、二人の少女が突っ立っていた。
兄弟の脇を、青毛の猫が駆け抜けてゆく。猫は兄弟を見て、少女を見て、最終的には少女たちの足もとにすり寄った。
「そ、その顔は……」
はるくんが何かに気づいたように、一歩踏み出す。それに合せて、髪の長い少女が一歩後ずさった。
もう一人の女の子が、顔を真っ青にする。
あたり一帯に、四人の悲鳴が響きわたった。
*
深樹がカーテンをめくったとき、ドラは窓の向こうから、その様子をじっと観察していた。
カーテンが閉じて、青い布のふりこになる。まもなくカーテンが開く。ドラはその向こうに「陽華」を見つけた。
ドラは、陽華を見つけるとすぐさま飛びつく習性がある。
さいわい、深華はおはなし中だ。誰かに止められることもなく、ドラは窓の向こうに飛び込んでいった。
「陽華」の顔面に、ドラは着地した。
飛び出していったドラを追いかけ、陽華が窓をのぞき込む。
その先を見て、深華は目が点になってしまった。
「……部屋?」
窓の向こうには、部屋があった。陽華の部屋とは別に、窓の反対側に、同じような部屋がつづいていたのだ。
深華が身を乗り出し、目を見張る。窓がなかった。ガラスが落ちただけではない。サッシどころか外枠も見当たらないのだ。窓がまるごと消滅したらしい。
かわりに、窓の嵌っていた部分が、ぐるりと一周黒くなっている。指でなぞろうとすると、手がめり込んだ。壁のなかに、深くて真っ暗な空間が生じている。
二つの部屋は、色も大きさもそっくり同じだ。どちらも青白い蛍光燈がともっていて、どちらも小さくて散らかっている。片方で深樹とはるくんが騒いでいて、片方から深華と陽華が、その一部始終を眺める。
「ちょっと深華、やめなさいよ」
深華が窓から身を乗り出し、向こうの部屋に降り立った。心配性の陽華は、本当はとどまりたかった。でも、妹をひとりで行かせる方がもっと怖かった。
「捕まえた!」
深樹が叫ぶ。彼の服と自分の寝巻とを、深華は交互に見た。
「それは俺の頭だよ、深樹!」
はるくんがさけぶ。その少年の顔には、何かモフモフしたものがへばりついている。
ドラだ。
妹が二歩ほど進み、姉が引き止めた。
「なにしてんの、深華」
「ドラちゃんをつれ戻さなきゃ」
不意に、兄弟が倒れ込んだ。深華がさわぎにまぎれて、手招きする。
「おいで」
床に降り立ったドラが、顔を上げた。
「あ、見つけた見……」
兄と姉の視線がぶつかったのは、その時だった。陽華は身動きがとれなくなった。ドラが深華のもとに駆けつける。
「そ、その顔は……」
はるくんが言いかけた。陽華は驚いて自分の口を隠した。
二つの部屋に、四人の悲鳴が響き渡る。
陽華があたふたと窓にかけ込む。立てつづけに変なことが起って、パニックに落ち入ったのだ。
はるくんが目を丸くして、追いかける。
「ねえ、待ってよ!」
自分の部屋に舞いもどっても、陽華は取り乱したままだった。
「どこかに……かくれなくちゃ」
いろんなことが頭のなかをうずまいて、自分が何をしたいのかわからない。ドアノブに手をかけて、机の引出しをあけて、窓の外に出る。
陽華の火照った頰を冷たい夜風がなでた。黒髪が闇になびく。部屋のあかりが鈍く映った。
頭を冷やして、体も冷えて、今さら気づいた。
「ああっ! 私、寒いの超ニガテだった!」
くしゅん。
自分のくしゃみでバランスをくずした陽華は、傾斜の屋根を滑り落ちた。公道は真下、目と鼻の先。今まさに、トラックがさしかかろうとしていた。やばい。死ぬ。死にたくない。
腰をねじり屋根にへばりつこうとする。上にのばしたその腕を、捕まえたものがあった。
足もとでトラックが過ぎ去った。
「ほら、早く。両手でつかまって」
他人に触られているとわかった途端、陽華は腕を振りほどこうとしたけれど。
「何してんの! 死にたくないんでしょ」
その顔を見たとたん、陽華はわかってしまった。彼なら信用できる。彼なら、きっと━━。
陽華は言われたとおり、はるくんに体重をまかせた。でも、支える腕は妙にたよりなくて。
「わっ」
「きゃっ」
二人もろとも、屋根の上をずり落ちる。ずり落ちても、すぐに止まった。誰かがはるくんの足を摑んだのだ。
「お姉ちゃん、大丈夫!?」
声が降ってきた。青白い窓を背景に、二つの黒い影がある。
「み、深華! と、それから……」
「深樹! 助けてくれてありがとう!」
深樹は一瞬、深華と顔を見合せてから。
「お兄ちゃん! 早くしないとママが来ちゃうよ!」
「わっ、それはやばい」
姉と兄とを、二人が部屋に揚げる。その最中も、冬の夜空のしたで、窓際の二人は何度も顔を見合せていた。