#29 お別れはいつ?
陽華は机に向かい、何やら真剣そうに計算をしていた。深樹と深華も、その様子をじっと見ていた。
そこに陽樹がやってくた。
「陽華、具合はもう良いの?」
「うん。すっかり元気みたい」
答えたのは深樹だ。陽華は目にも止まらぬ速さでペンを走らせている。
陽華の世界と陽樹の世界の途切れる日時を、計算で求めようとしているのだ。
「……終った」
ペンを置き、陽華は息を吐いた。
「お姉ちゃん、どうだったの?」
深華が尋ねた。陽華は「待ってて、今説明するから」と言って、ひとつ咳払いをした。
三人は固唾をのんで見守っている。
「計算結果を発表する前に、まず『何をもって橋が途切れたとするか』について話しておくね。橋が長くなってる――つまり、窓と窓がどんどん遠ざかってることは、みんなも見て知ってるでしょう? でも、橋が無限に長くなることはありえないの。お餅をびよーんって伸ばしたら、真ん中がどんどん細長くなって、最後はお餅がちぎれちゃう。それと同じで、黒い橋もどんどん細長くなってる。細くなって、細くなって、橋が限界まで細長くなったとき。つまり、『橋の幅がゼロになった時』が、橋の途切れる瞬間なの」
深樹が「わかった」と言った。陽華は彼を見て頷いた。
「この考えをもとに、私たちは六月の下旬から、二つの世界の距離と、出入口の大きさを計測してきました」
記者会見でもするかのように陽華は言った。椅子にかけたまま、机を背にし、ノートを広げて見せる。三人はそれを覗き込んだ。
「六月以前の数値については、残念だけどほとんどわかってません。でも、みんなの記憶を頼りに、ある程度は推測できます」
ページには格子が組まれ、数字がびっしりと書き込んであった。
「私たちが出逢ったのは、去年のクリスマスイブでしょ。ミイくんに訊いてみたら、時刻は『クリスマス特番が始まってすぐ』だったって教えてくれたの。当日の番組表を引っ張り出してきたら、それは、午後九時からの番組でした。だから、二つの世界がつながったのは、去年の十二月二十四日午後九時五分頃と推定できます」
陽樹が相槌を打つ。
「それから、深華が『指先がすっぽり入った』って言ってるから、当時の橋の長さは約一・五センチメートル。もっとも、あの時は橋だなんて認識はなくて、黒くなった窓枠くらいの印象だったけど」
陽華は続けた。
「あとは、橋の幅なんだけど……出入口の直径が、窓より若干大きかったってこと、みんな憶えてる? 一月の末くらいだったかな。割れた窓を外そうとしたけど、部屋の中からは全然窓が見えなかった」
「憶えてるよ」と、深華が言った。
「陽樹お兄ちゃんがお姉ちゃんを助けようとして、屋根から滑り落ちて外の植込に突っ込んじゃった!」
深樹がくすくすと笑う。陽樹は苦い顔をした。
「そう、その日のこと」と陽華は首肯した。
「あのあと屋根に登って、結局は外から窓を外したけど……あれはそもそも、出入口が窓より大きくて、部屋の中から見ると、窓が完全に隠れちゃってたから。でも、今は」
四人は窓際に行った。
「あっ! 銀色のところが見えてる!」
深樹が指差した。窓の桟のあたりに、銀色の外枠が覗いていたのだ。
「でも、クリスマスイブのときの出入口の直径なんて、わかりっ子ないじゃないか」
陽樹が腕を組む。
「それが、わかりっ子あるんです」
「これを見て」と、陽華が窓の下の白い壁を指差した。深樹が顔を近づける。細い引っかき傷のようなものが数本残っていた。
「何これ」と、深樹がこぼす。
「……ドラちゃんだ」
深華が言った。兄弟は彼女を見た。
「ドラちゃんが、陽樹お兄ちゃんを見つけて、窓の向こうに飛び込んじゃった!」
「ああ、あの時の!」
深樹も言った。陽樹だけは思い当らず、首をひねっている。
「ほら、お兄ちゃんがカーテンをめくってすぐ! ニャンコが飛び込んできて、お兄ちゃんの顔がもふもふになったでしょ?」
深樹に説明されて、陽樹も「ああ!」と手のひらを打った。
「ドラが窓をくぐるとき、壁に登った爪痕だ!」
「大正解」
陽華はたのしそうに拍手した。
「さあ、これで日にちが求められるよ」
ふたたびページを捲った。ノートには二つのグラフが並んでいた。
「左が、この九ヶ月間の橋の長さの変化。右が、橋の幅の変化。窓と窓がどんどん遠ざかる一方で、出入口の直径はどんどん小さくなってるのがわかるでしょ。二つの値は負の相関関係にあるの。右のグラフを元に式を立てて、橋の幅wに0を代入すれば、時間t――お別れがいつなのか、割り出せるというわけです」
一座はしんみりとした。陽樹が言った。
「でも、それは橋が完全に消えてなくなる時刻でしょ? その前に、橋の幅が俺の肩幅より狭くなる。その時点で、もう行き来はできなくなるんじゃない?」
陽華は「鋭いね」と言って、解説した。
「橋の幅が急激に狭くなるのは、橋が途切れる直前のことなの。それまでは、ゆっくりゆっくり狭くなってく。現に、橋が細くなってるだなんて、計測を始めるまで、みんな気づかなかったでしょう? それに、この窓はそこそこ大きいから、出入口が三分の一の大きさになっても、大人はすんなり通れる」
「それで、お別れはいつになるの?」
深華が訊ねた。陽華は計算結果を見返した。
「完全に途切れる……つまり、橋の幅がゼロになっちゃうのは、今年の九月六日午後一時一分〇秒。橋の幅が窓の三分の一になるのは、同日午後一時〇分五十秒」
「九月六日って……あと一週間しかないよ!」
深樹が頭を抱える。陽樹は天井を見上げた。
「九月六日……」
ポケットから生徒手帳を取り出す。そして、九月の予定表を三人に見せた。陽華が「あっ」と声を洩らした。
陽樹は言った。
「来月六日は、文化祭だ」




