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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第6話 夏休み
28/41

#28 夏祭事件

 夕焼空の下、住宅街を陽樹と陽華が歩いていた。


「安月夜が先に行ってるなんて」


 陽樹が言った。陽華は困ったように笑った。


「だって、陽樹がなかなかお風呂から出てこないんだもの」


「ごめんごめん」


 彼は笑って謝った。


「今日は暑かったから、シャワーが気持よくて」


 しばらく歩いてゆくと、前方から親子連れが歩いてきた。青い甚平を着た男の子と、ベビーカーに乗った赤ちゃん。それから、彼らの両親らしき二人。


 髪を綺麗に結わえた女性が、陽華と陽樹に気づき、会釈をした。二人は慌てて頭を下げた。


 彼女は男の子と手をつないでいた。小学校にも上がっていないような幼い男の子だ。水ヨーヨーを弾ませている。


 そのまた隣で、ひょろっと背の高い男性がベビーカーを押していた。男の子が水ヨーヨーで遊ぶのをやめ、ベビーカーをのぞき込む。赤ちゃんと男の子の目と目が合った。


 すれ違っていった家族を、陽樹は最後までこっそり眺めていた。


 太鼓の音が聞こえてきた。それも、だんだんと大きくなる。


 見上げると、空が少し暗くなっていた。路の両脇に赤い提灯が連なっていた。提灯にはそれぞれ、この周辺にある店の名前が書いてあった。


「見て見て。『あづき屋』っていうのがあるよ」


 陽華が指差した。陽樹も「ほんとだほんとだ! 夏漣かれんくんじゃん!」と指を差す。


 その時、「チリンチリン」と自転車のベルが鳴った。陽華はそちらを見た。


 自転車に乗った中学生たちが、かごにかき氷やらお菓子やらを入れて、キャッキャ言いながら通りかかる。その後ろを二人の少女が歩いてきた。


 一人は眼鏡をかけていた。身振り手振りを交えながら楽しそうに語っている。もう一人は長い髪を揺らして、彼女の話に相槌を打っていた。微笑みを浮かべた、大人しそうな少女だった。


 彼女たちが通り過ぎるのを、陽華は黙って眺めていた。


 二人は鳥居の前に立っていた。


「人、わりと多いね」


 陽樹が言った。陽華は「うん」と頷いた。


 祭は大勢の人で賑っていた。太鼓の音や「じゅう」という鉄板の焼ける音、人々の話声など、いろんな音で溢れかえっている。


 陽華は心配するように陽樹を見た。陽樹は気軽に言った。


「春の甲州街道に比べたら、大したことないよ」


 二人そろって鳥居をくぐる。みちの端っこを歩く。


 陽華はおずおずと話した。


「前にね、夏祭で過呼吸になったことがあるの」


 陽樹は彼女を見た。甘い匂いや、芳しい香りや、煙臭さが一度にやってきた。


「神社に来て、すぐには平気だった。でも、どんどん人が増えてきて、息苦しくなっちゃったの。熱も出て、境内で倒れて……あとは憶えてない」


 おしまいまで聞き終えて、陽樹は笑い飛ばした。


「またまたあ、陽華は大袈裟なんだから。それって小さい頃の話でしょ? もう大丈夫だよ。何とかなるって」


 陽華は「そうかなあ」と言って、不安気に辺りを見回した。そして見つけた。


「陽樹、そこに」


 陽華の言葉に、彼は前方を見た。


「なになに、どら焼が歩いてたって?」


「ちがうよ。夏海さんが」


 陽樹は目を凝らした。でも、見つけられない。


「どこに」


「目の前だって」


「遅かったじゃない」


 そう言って、夏海が歩いてきた。陽華は口を閉ざした。


 陽樹は彼女の声を聞いて、はじめて夏海を認識することができた。視界には入っていたのだが、彼のよく知る夏海の姿とはだいぶ違っていたのだった。


 高校での夏海の恰好といえば、スラックスの制服か、学校指定のジャージかの二通りだった。肌の弱い彼女は、スカートや半袖など、肌の露出する服装を避けていたのである。


 対して、今の夏海がまとってあるのは涼しげな青い浴衣だ。小豆色の帯を合せ、黄色い髪飾りを付けている。


「こんなに遅く来るなら、日傘なんていらなかったのに」と、夏海は愚痴をこぼした。


 陽樹は顔をほんのり赤らめて、言葉を失っている。


「で、何するの」


 夏海に言われて、陽樹は我に返った。


「……ごめん、考えてなかった」


 夏海は彼を睨んだ。


 夏海は陽華を見た。陽華はビクッとして一歩退いた。夏海はまつ毛を伏せて、ぷいっとそっぽを向いた。一人で歩いてゆく。


 陽華はぼうっとその背中を眺めていたが、一人小さく頷いて、彼女について行った。


 陽樹が二人を追いかける。


「ねえ、待ってよ!」


 三人は縦一列になって歩いた。先頭は夏海である。それに、陽華、陽樹が続いた。陽華は左右の人通りにおどおどしている。


 途中、夏海は宇治抹茶味のかき氷を買った。


 屋台の人に小銭を手渡す彼女を、陽樹が珍しそうに眺めている。夏海が視線に気づき、また財布を探った。


「あと二つ下さい」


 陽樹と陽華に、無言でかき氷を手渡す。陽華はうつむき勝ちにお辞儀をして、緑色の氷をまじまじと見た。


 石の階段に坐っても、陽樹はなかなか食べ出さなかった。食べるのを中断して、夏海が訊ねた。


「……嫌いだった?」


 陽樹はぶんぶんと首を振り、がっつきはじめた。


 かき氷を食べ終え、また歩き始める。空には夏の夜空が広がっていた。


 ふと、陽樹が立ち止まった。前を歩いていた陽華と夏海は、彼に気づかずそのまま行ってしまった。


「……小豆の匂いがする」


 陽樹は人混みを躱しながら匂いを辿った。そして、ひとつの屋台に目を奪われた。


「おお、陽樹くん」


 屋台の下で少年が手を振った。それが誰なのか理解するまで、陽樹は時間がかかってしまった。


「夏漣くん! どうしてここに?」


「毎年ここで出店しているんですよ。『出張・あづき屋』ってね」


 隣から夏漣の母が言った。奥には彼の父の姿もあった。陽樹は「へ~」と言いながら、夏漣の焼いている生地や、焼き上った品々を眺めていた。


「あれっ?」


 陽華が振り向いた。陽樹の姿がない。


「……置いてきちゃったのかしら」


 夏海が言った。陽華は彼女を見て、口をぱくぱく動かした。


 二人は会話をしたことがない。陽華は声が出せないのだ。


 夏海は察した。そして、そっぽを向いてしまう。


 陽華は意味がわからず、ぼうっとした。


 夏海は顔を背けたまま、言った。


「目をみるから緊張しちゃう。相手の目を見なければ、大丈夫」


「そんなこと、言われても」


「ほらね」


 陽華は「あっ」と声を洩らして、自分の喉を触った。普通に話せた。


「あんた、いつもそんな感じなの?」


 夏海が訊ねた。陽華は戸惑うようにきょろきょろしていたが、「答えてよ」と夏海に言われて、「う、うん」と精一杯返答した。


「やりにくいでしょ。私もわかる」


 夏海が言った。陽華は目をそらし、訊ねた。


「な、夏海ちゃんも、そうなの?」


 吊り下げられた電球を眺めながら、ほうと息をはいた。


「昔ね。でも、お母さんに教えてもらった。他には『面と向かって話さなきゃいけない時は、相手の眉間を見るといい』とか」


「その方法、とってもいいね」


 たどたどしくも、会話は進んだ。


「夏海ちゃんは、陽樹とは幼なじみなんだっけ」


 陽華が何気なく言った。予想外の話題だったのか、夏海は口を閉じた。数秒経ってから、答えた。


「別に仲良くはないし。むしろキライ。頼りないし、子供っぽいし、ばかだし」


「……そう」


 陽華が言った。夏海は何も言わなかった。


 時間が経つにつれ、人が多くなってきた。


 陽華は辛そうに顔をしかめている。首筋には汗が吹き出していた。


 顔を背けて歩いている夏海は、それに気づかない。


 でも、陽華の足元はふらふらと不安定だった。


 頭はぐらぐらと動いていた。


 お目目がぐるぐると回り出す。


 夏海の背後で、バタン、と音がした。周囲で悲鳴が上がった。振り返ると、陽華がうつ伏せで倒れている。


 夏海は目を丸くした。


「どうしたの?!」


 陽華を助け起こす。彼女の顔は茹ダコのように真っ赤だった。おでこを触り、夏海は反射で手を離した。


「あっつ」


 僅かではあるが、陽華の頭から湯気が立っている。


 そこへ陽樹が帰ってきた。どら焼の入ったたくさんの袋を両手にぶら下げていた。


 目に飛び込んできた人だかり。微かに聞こえる、夏海の声。野次馬をかき分け、陽樹は驚愕した。


「陽華!」


 夏海が陽華を抱き起し、懸命に声をかけている。


「陽華ちゃん? 陽華ちゃん? しっかり!」


「陽華! こんなところで死ぬな! 誰か救急車を。一一九番!」


 救急車のサイレンが近づいてきて、止まった。


 陽華は担架に乗せられた。彼女は目をつむり、浅い息を繰り返している。


 付添の陽樹が車内から夏海を見下ろした。


「安月夜、ごめんね」


 ハッチが閉まった。


 大勢の人々が救急車を見送る。遠のいてゆくサイレンの音を、夏海は茫然と聞いていた。

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