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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第6話 夏休み
27/41

#27 木蔭と休憩

 夏休みの或る日。


 夏海なつみは段ボール箱を抱えて階段を登っていた。二箱を重ねており、視界が遮られる。一段上がるたびに、中から「カタン」とか「ちゃぷん」という音がした。


 彼女は一段々々ゆっくりと登っていた。


「持つよ」


 そんな声とともに、脇から腕が伸びてきた。夏海の手元がヒョイと軽くなる。視界も開ける。誰かが二箱をいっぺんに奪ったのだ。


 彼女は拍子抜けたように隣を見た。陽樹はるきが段ボール箱を抱えて、今にも潰れそうになっている。


「ぜんっぜん重くないよ!」


 彼は汗を流しながら言った。夏海は溜息をついて、一箱奪い返した。


「ばかみたい」


 陽樹は「ふう」と息をはいた。二人並んで階段を登る。一人のときより登るのが速くなった。


「これ、どこまで持ってくの?」


 陽樹が訊ねた。夏海は「教室まで」と答えた。


 彼はまた訊ねた。


「中身は何?」


 彼女は、答える代りに言った。


「開けたらわかるよ」


 箱を教卓に置き、夏海と別れる。


 教室では、クラス総員急ピッチで作業を進めていた。黒板には大きな文字で「榛樹祭 9月6日/7日」と書かれている。「榛樹祭はんのきさい」というは、この高校の文化祭の名前である。


「陽樹!」


 秋兎あきとが教室に入って来た。陽樹は適当に返事をした。


「にゃーん」


「ペンキと刷毛ハケ、届いたか」


「……はい?」


 首をかしげる友人に、秋兎は説明した。


「おれたち装飾担当だろ。実行委員によると、もうそろそろ届くらしいんだけど……」


 秋兎の目が、教卓の段ボール箱に留まる。陽樹はそれを開けた。


 ペンキの缶と刷毛が入っていた。


「いつまでもこのままじゃいけないんだ」


 廊下で段ボールを塗りながら、陽樹が真剣な表情で言った。隣で箱を解体していた秋兎は、彼の横顔に訊ねた。


「『このまま』って?」


「それは……いろいろだよ」


 陽樹はちょっと弱気な声を出した。


「体育祭で俺がやらかしたのは、秋兎も知ってるだろ? それから数学と、英語と、古典と、化学と、物理、日本史、地理、」


「勉強全般と言えよ」


 秋兎が突っ込んだ。


「ともかく、俺は失敗しすぎなんだ。こんなどうしようもない人間のまま、陽華はるかと別れるのはあまりにも情けないし、すごく恥かしい」


 陽樹は刷毛を握って、言葉に力を込めた。


「例えば、テストで77点とるとか……点数を目標にするのはよくないかな。夏休み明けの数学の試験で、基礎問だけはしっかり解くとか。ようするに、時間の許すかぎり、俺は成長したいんだよ」


 ブルーシートにペンキがぽたりと滴る。


 秋兎は圧倒されたように彼を見ていた。


 その時、教室から声がかかった。


「井上くん。今、時間空いてる?」


 実行委員の女子生徒だった。陽樹は立ち上がって「大丈夫だよ」と答えた。


 彼女はホッとしたように頷いて、言った。


「井上くん、絵が上手だったよね。もしよかったら、当日屋外に設置する、クラスの看板を描いてほしいんだけど……」


 陽樹は快く引き受けた。


「モチのロンだよ!」


 幅が二メートル近くある、横長のベニヤ板だった。床に寝かせた看板を前に、陽樹は腕まくりをした。刷毛にちゃぷんとペンキをつける。


 秋兎はどこかへ行ってしまった。夏の陽の射し込む廊下で、一人看板を描いてゆく。


 夏海が手をうちわにしながら歩いてきた。陽樹は汗を拭きながら絵を描いている。彼女は通り過ぎ、一度は教室に入ったが、すぐにジャージを羽織って戻ってきた。


「井上。何か手伝うことある?」


 夏海が訊ねる。陽樹は顔を上げ、チョークで引いた線をなぞった。


「看板の、この線から上を青で塗ってほしいな」


「わかった」


 刷毛を取った夏海に、陽樹は「ありがとう」と言った。


「別に」


 夏海は額にハンカチを当てた。


 クーラーの効いた教室で休憩中、秋兎が陽樹に近づいてきた。右手には何やらビニール袋を提げている。


「あっ、秋兎。どこ行ってたんだよ」


 陽樹が抗議すると、彼は「ごめんごめん」と言って持ってきた袋を差し出した。


「向かいのスーパーで買ったやつだけど、やるよ」


 確認してみると、中身はどら焼だった。


 陽樹が「わあ!」と喜びの声を漏らす。


「テスト勉強、するんだろ。それでも食べてがんばれ」


 応援する秋兎。陽樹は力強く頷いた。


 上履を脱ぎ、靴を出す。


 外に出ると、昇降口に日傘をさした少女が立っていた。


「陽華。どうしてここに!」


 驚く陽樹に、彼女はいたずらっぽく笑った。


「遊びにきちゃった」


 自転車を押し、土手を並んで歩く。二人の背後には入道雲がそびえていた。


「おまつり?」


「そう。夏祭があるの」


 土手の桜の下で陽樹は汗を拭いた。陽華は頷いた。


「もしよかったら、陽樹も来ない?」


 彼は目を輝かせた。


「うん、行く行く!」


 緑色の桜が真下に黒い影を落とす。昊天なつぞらの映った川面を白鷺がぱしゃりぱしゃりと歩いている。駅周りのビルの谷間から、車のクラクションが微かに聴こえた。


「安月夜も呼んでいいかな」


 陽樹が言った。陽華は「うん……いいけど」と、戸惑いつつ返事をした。


「やったー!」とガッツポーズをとる陽樹。


 その時、二人の背後から声がした。


 作業服を着た三人組が土手の階段を登ってくる。桜の木を何度も指差して、何やら議論をしているらしい。


 二人は顔を見合せた。三人が登ってくる前に、陽樹と陽華はその場を後にした。


 家に戻って、陽樹は電話をかけた。片手にはジュースを持っている。


「もしもし、安月夜?」


 受話器の向こうで、夏海が「何」と返事をする。


「よかったら、また窓の向こうへ行かない? お祭があるんだ」


「お祭?」


 陽樹は楽しげに頷いた。コップをテーブルに置くと、氷がカランと音を立てた。


「そう。向こうの世界でも神社で夏祭をやるんだ。一緒に行こうよ!」


 夏海はしばらく黙った後、小さな声で「行く」と答えた。


 スキップを踏むように階段を登る。二階には熱い空気が溜っていたが、陽樹の表情は清々しかった。


 回転椅子に飛び乗る。一周回って机に向かう。網戸の先でミンミンゼミが鳴いていた。


 ニコニコしながら教科書を眺めていた陽樹だったが、一分もしない内に頭を抱えてしまった。シャーペンを咥えて、腕を組み、背をもたれて天井を見上げる。


 体を起すと、レジ袋が目に留まった。高校の向かいにあるスーパーのロゴが書いてある。中を覗いてみると、どら焼が入っていた。


 深樹ミキが兄の部屋の前を通りかかった。扉が全開である。教科書は机に放り出され、兄はベッドに寄りかかってくつろいでいる。


「お兄ちゃん、何してるの」と、弟は心配そうに訊ねた。


「休憩」


 陽樹は悪びれる様子もなくどら焼を食んでいる。


「夏休み明けのテスト、大丈夫なの?」


 陽樹は目を瞑って言った。


「何とかなるでしょ」

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