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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第4話 桜と共に駈け抜けて
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#22 騒ぎのあとに

 目指すはテークオーバーゾーンだ。緑のTシャツを着た生徒が駆けてくる。よかった。間に合ったのだ。


 陽華が土埃を上げて滑り込み、バトンを受け取った。


 ぎりぎりまでスタンバイしていたアンカー代理は、突然の陽華登場に呆然としていたが、駆けてゆく背中を見て、ガッツポーズをした。


「井上さん、がんばれ!」


 カーブにいた井上家が、その声に反応した。


「あれって陽樹くんかな?」


 父が言った。母がビデオカメラをズームにする。緑のTシャツを来た少女が、ポニーテールをなびかせて迫ってきた。


「……違う」


 深華が首を振った。


「お姉ちゃんだ」


 三人は声を張り上げた。


「陽華、頑張れ!」


「お姉ちゃん、がんばれ!」


「陽華!」


 母が手を振った。カメラから目を離し、じかに陽華の顔を見た。通り過ぎるのは一瞬だった。


 校舎から三人の先生が出てくる。颯爽と駈け抜ける陽華を見て、しばし呆然とする。保健の先生は、両側から睨まれてしまった。


 陽華は陽樹のように、前の選手を抜かすことはできなかった。後ろの選手に抜かされることもなかった。ただ一周、自分のノルマを走り切った。


 緑団は三位だった。


 秋卯は陽華に「頑張ったね」と言った。陽華は「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら、秋卯の胸の中で泣いた。


 その光景を、夏漣が屋上から眺めている。空は夕焼けだった。彼の背中で、陽樹がくーくーと寝息を立てている。


 夏漣は溜息をついた。そして、思いついたようにショルダーバッグからどら焼を取り出した。半分に割り、陽樹の鼻のそばで持つ。


 陽樹の小鼻がひくひくと動いた。お目目がパッチリと開き、一心不乱にどら焼にかぶりつく。


「喰ったな」


 夏漣が言った。陽樹はぎっくりとして彼の顔を見た。どら焼はもうぺろりと平らげてしまっている。


「い、いくらですか」


 陽樹はポケットを探った。しかし、「お金なんてどうだっていい」と返された。


「謝罪会見を開いてもらおう」



「しかられちゃった」


 キーホルダーを指で回しながら陽樹があづき屋から出てきた。顔は笑っているが、声は沈んでいる。


「結果オーライじゃない? 私は怒ってないよ」


 秋卯が軽い調子で言った。陽樹が「うーん」とうなる。陽華は申し訳なさそうに自転車を押していた。


 もう日は暮れていた。しかし、星は見えなかった。夜道に電燈が等間隔に浮かんでいた。


「私のわがままで、迷惑を……」


「陽華は悪くないって!」


 陽華の頭を秋卯がなでなでする。


「じゃあ、私はこっちだから」


 自転車に跨る秋卯を、陽樹が呼び止めた。


「大丈夫? 家の前まで一緒に行くよ」


 秋卯は「いいのいいの」と手を振った。


「玄関まで一分もかからないし。それより、二人も早く帰りなさいよ。はるきゅんなんてぶっ倒れたんだから、ちゃんと休まなきゃ駄目」


 陽樹は「あっ、はい。わかりました」と、なぜか敬語になった。


 秋卯が暗闇に消える。


 二人も自転車に乗り、ペダルを漕いだ。ライトが点く。


「秋卯ちゃんってあんな子だったんだね。きのうは、ちょっと変な子だと思っちゃった」


 陽樹が言った。陽華が突っ込む。


「私たちのほうが、ずっと変な子だよ」


 二人は声をひそめて笑い合った。


 陽華が言った。


「でも、そうやって毎日かわっていくんだね。いろんな人と出逢って、お互いのことを知って……私たちも」


 青信号が黄色に変わる。二人は減速した。地面に足をつけ、頷く。


「俺たちは、どうなるんだろう?」


 信号が赤に変わった。


 二人が家に戻ると、深樹が大慌てで玄関にやって来た。


「大変だよ!」


 靴を揃える暇もなく、手を引かれる。


 陽華の部屋には深華がいた。冷めた表情で陽樹を見遣る。陽樹は心当りがなく、首をかしげた。


 深樹が東の窓を指差す。陽華はベッドに飛び乗り、窓の下辺を確認した。


「一日でこんなに離れちゃうなんて、おかしいよね?」


 深樹が言った。陽樹は窓を見て、目をしばたかせた。


 黒い部分の幅が、今は二十センチ近くあった。橋が明らかに長くなっていたのだ。


「正の加速度」


 陽華が言った。三人の視線が集まった。


 陽樹の目を見て、彼女は続けた。


「『等加速度運動』って、授業で習わなかった? 時間が経つごとに、動きがどんどん速くなるの。初速度が小さすぎたから、ここまで広がるまで、私でも気付けなかった」


「俺のせいだ」


 陽樹が言った。


「昨日、ミイちゃんが気づいてたのに……ごめんなさい」


 陽樹がうつ向いた。深華がそれを見て、言った。


「一日だけしか違わないよ」


 陽樹は顔を上げた。


「昨日のうちに気づいてたとしても、たぶんどうにもならなかったよ。わたしだって、何にもできなかったし」


 深華が諦めるように言った。四人は窓を見上げた。


 窓の上辺と上辺も、同様に離れていた。陽華の部屋と陽樹の部屋のあいだに、真っ暗な空が出現していた。


 風が上へと吹き抜ける。四人の髪がなびいた。暗闇は高く高く、手が届かないところまで広がっているようだった。


「橋がちぎれかかってるんだ」


 陽樹がつぶやいた。深樹が頭をかかえる。


「どうしよう。このままだと、ぼくたち離ればなれになっちゃう」

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