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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第4話 桜と共に駈け抜けて
19/41

#19 迷子

「はあ疲れた疲れた」


 校庭の隅の木の下で、陽樹がブルーシートにどっかりと腰をおろす。緑色の鉢巻をほどこうとしたのを、陽華が抑えつけた。


「ちょ……何するの陽華。すこしくらい休んでもいいじゃないか」


 陽華はぷるぷると首を横に振り、真剣な目で囁いた。


「クラスの人に見つかったらどうするの? 陽樹の女装が知られちゃったら、問い詰められるのは私なんだよ?」


 陽華はロングヘアーを帽子の中に隠し、伊達眼鏡をかけていた。それで変装しているつもりだろうか。


「ちょっとヅラを取るだけなのに」


「だめだって」


 そのやり取りを、深華と両親が笑いをこらえて見ている。


 陽華の父が噴き出した。


「二人で何を企んでいるのかと思ったら……今日、陽華が出たのは準備体操だけ」


 陽華がすごすごと座布団の上にもどる。陽華の母が言った。


「別に、怒ってるわけじゃないの。陽華は昔から運動会がニガテだったから。ただ……自分の娘の活躍を、少しでも覗いてみたかっただけ」


 うつむく様子があまりに寂しそうだったので、二人は揃って頭を下げた。


「ごめんなさい」


 深華が、アルミホイルで包まれたおにぎりを手に取った。


「陽樹お兄ちゃんも、お姉ちゃんも、お疲れさま」


 おにぎりをもらった陽華。鉢巻を付けなおし、陽樹も遅れて受け取った。


「じゃあ、食べましょうか」


 母が言い、五人は手を合せた。


「いただきます!」


 会話が盛り上がってきたころだった。


「食後のデザートはいかがでしょうか」


 夏漣が立っていた。黒いお盆を持っている。その上に和菓子が並んでいた。


 陽華が口を閉ざす。恐れるように、彼を上目遣いに見る。


「ちょうだいちょうだいちょうだい」


 陽樹が飛びついた。


「俺なんか、どら焼も大福も栗饅頭も食べちゃうんだからね」


 お菓子をゴッソリもらう陽樹。冷ややかな視線が集まった。


 夏漣は手のひらを差し出した。陽樹が素頓狂に訊ねる。


「なあに、その手」


 夏漣が答えた。


「一万円也」


「お高い」


 深華が右手でチョキをつくった。


「どら焼、二つ下さい」


「どうぞ。お代は要りません」


 お財布を探りながら陽樹がジト目を向ける。


 陽華は、夏漣と深華のやり取りを少し離れて見ていた。妹がどら焼を受け取る。二人とも微笑をたたえている。


 張り詰めていた陽華の表情が、ほんのわずかに緩んだ。


「はい、お姉ちゃん」


 深華が手渡す。陽華はうつむきがちに言った。


「あ、ありがとう……」


 その言葉が深華に向けたものなのか、それとも夏漣に向けたものなのかは、誰にもわからない。でも、夏漣は驚いたように固まった。数秒後、無言でお辞儀をする。


 その背中を大柄な男性が叩いた。


「そんな無愛想な顔じゃ、和菓子屋はつとまらないぞ」


 夏漣の父だった。


 遠くのシートから夏漣の母が手を振っていた。ポイントカードを夏漣に渡し、陽樹が首をかしげる。


「……あづき屋って土日営業ですよね。お店、お休みしてもいいんですか?」


「店より、息子の応援のほうが大切だからな」


 そう言って豪快に笑う夏漣の父。感情が顔に出にくい夏漣も、何だか照れくさそうにスタンプを押していた。


 陽樹は手元のお菓子を見た。そして青空を見上げた。


 塀の影から、陽樹はこっそりと受付テントを覗いた。一人でお弁当を食べている夏海がいた。陽樹は身を引き締めて姿を現した。和菓子を机の上に広げる。夏海はそれを一瞥して、無言で箸をすすめた。


 となりに坐って包を解く。陽樹が言った。


「け、今朝はごめんね。仕事押しつけたりして」


 夏海は箸を止めて、言った。


「……別に。お客さんが少くて、困らなかった」


 ちょっと早口だった。


「私こそ『誰があんたとなんか』なんて言って、悪かった」


 陽樹はぶんぶんと首を振った。


「安月夜は怒って当然だよ。俺、調子に乗ってたもん。反省してる」


 二人のあいだに沈黙が流れた。


 夏海がたずねる。


「今年に入ってから、やけに調子がいいみたいだけど。何か楽しいことでもあるの?」


 陽樹は、けほけほと咳込んだ。


「別に! 何でもない何でもない!」


 キョロキョロあたりを見回し、どら焼を手に取る。


「食べる?」


「いらない」



 人が多くなってきて、二人は受付の仕事に追われた。


 波が落ち着いたのを見計らい、陽樹が腕章を外す。


「ちょっとトイレ」


「はいよ」


 校舎内は緊急時以外、生徒も来校者も立ち入ってはいけないことになっている。代りに、校庭の隅のプール附属のトイレが解放されていた。


 テントに戻る際、陽樹は人混みのなかに一人の女の子を見つけた。


 迷子だろうか。深華や深樹よりずっと幼い。腰まである長い髪を揺らし、涙目できょろきょろしている。


「どうしたの?」


 陽樹が声をかけると、女の子は怖がるようにジリリと退いた。彼はあわててしゃがみ、目の高さを合わせた。


「ごめんごめん。はぐれちゃったんでしょ? 俺が一緒に探してあげるよ」


 女の子はしゃくり上げながら尋ねた。


「ママをさがしてくれるの……?」


 陽樹は親指を立て、ウインクをしてみせた。


 女の子を肩車してあたりを見回す。夏海がそれに気づき、近づいた。


 陽樹は歩きながら尋ねた。


「受付、いいの?」


 夏海がついてゆく。


「次の人が早く来たから……それよりその子、迷子なの?」


 陽樹も見上げて、説明した。


「はぐれちゃったらしい。高いところからのほうが見つけやすいでしょ」


 女の子が、まだ涙ぐむ目で辺りを見回している。


「この人だかりで闇雲に探してもムリよ」


 人を避けながら、夏海は女の子に尋ねた。


「今日は誰の応援に来たの?」


 女の子は答えた。


「……おにいちゃん」


 夏海の顔に日があたり、彼女は木蔭に引っ込んだ。


「安月夜」


 陽樹が折畳傘を寄越した。


 受け取って、夏海が傘のがらに気づく。


「……こんな古い傘、まだ使ってたんだ」


 陽樹は自慢げに言った。


「そうだよ。可愛いでしょ」


 桜柄の傘をさして夏海が歩く。


「お兄ちゃんは何色の鉢巻だった?」


 女の子が答える。


「あお」


 陽樹が笑った。


「青団の席なら、緑のすぐ隣だ」


 女の子を地面に下ろし、三人でさがす。


「あっ! ママ!」


 女の子が駆け寄った。


 そのとなりにいた人物を見て、陽樹は目を丸くした。


「あ、あなたは……」


「また世話になったね」


 青い鉢巻に青いシャツ。椅子に腰かけ、右足首に繃帯を巻いていた。陽樹が肩を貸した先輩だった。


「捻挫、大丈夫なんですか」


 陽樹が心配そうに訊ねると、先輩は笑って答えた。


「『安静にしとけ』とは言われたけど、立てないことはないから、程度は軽いらしい。これから病院で診てもらうよ」


 実際に立ち上がり、先輩が手を差し出す。


「妹をありがとう」


 陽樹は顔を赤くして「どういたしまして」と握手した。


 去り際、女の子が陽樹に手を振った。


「ありがとう、おねえちゃん!」


「お、お姉ちゃん……?」


 自分の顔を触る陽樹。


「いいところ、あるじゃない」


「へ?」


 夏海の言葉に、きょとんとする陽樹。夏海は日傘越しに言った。


「見直した」


 陽樹は自分の服をさわって、短パンのポケットから大福餅を取り出した。


「食べる?」


 夏海は目を背けた。


「遠慮する」


 陽樹が「それならさ」と緑団の席を指さす。


「一緒に応援しようよ。傘があれば太陽だってへっちゃらでしょ」


 ぴょんぴょんしながら先をゆく。「まだ行くとは言っていないのに」と愚痴りながら、夏海が追いかけた。


 笑顔で声援を送る陽樹。夏海は無表情でその隣に立っていた。

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