#18 体育祭
東の空に太陽が昇っている。校舎が白い光を跳ね返している。
正門脇のテントの下で、陽樹と夏海が並んで席に着いていた。二人とも緑のTシャツを着ている。陽樹は臙脂色の短パンを穿いていたが、夏海は同じ色の長ズボン、上には長袖も羽織っていた。
校内に設置されたスピーカーから校長先生の話が流れている。
二人の前には長机があった。水色の画用紙が積まれている。「体育祭プログラム」と印字されていた。
行儀よく坐っていた夏海は、辺りを確認し、頰杖をついた。「受付」の腕章がきらめいた。
「なんでアンタとなんか」
彼女が今日初めて口を開いたので、陽樹はびっくりしたように顔を上げた。でもすぐにうつむいてしまった。
「仕方ないでしょ。ジャンケンで決まったんだから」
そのとき、スピーカーから声が飛び出した。
「選手宣誓!」
陽樹が時計を見て、自分の腕章を外す。
「ごめん、もう行かなくちゃ」
自転車に飛び乗る陽樹。夏海もパイプ椅子から立ち上がった。
「『行かなくちゃ』って、どこに行くの!」
公道に出て、陽樹が言った。
「窓の向こうへ!」
彼はペダルを漕ぎながら振り返った。
「次の番までには戻るから!」
歩道に立ち、夏海は一人で憤慨した。
陽樹は自転車で土手を走った。河川敷には草が青々と茂っている。風が吹き、草っ原に波を立てた。陽樹も風を受けて、鼻歌を歌った。自転車の鍵にはどら焼型のキーホルダーがついていた。これも風に揺れていた。
「陽華!」
陽樹が手を振って正門から入った。
既に着替えていた陽華が、あわてて陽樹の手を取り、校舎内に連れ込んだ。
「どうしたの? そんなに慌てて」
靴箱の陰で陽樹が訊ねる。陽華はキャスケット帽を深くかぶり直し、言った。
「……その恰好。私が二人いるって、ちょっとした騒ぎになっちゃうよ」
二人は廊下の壁を見た。一枚の姿見が掛かっている。陽樹はウィッグの髪をポニーテールにしていた。
「ごめんね、忘れてたよ。気をつける」
そこで、陽華の服装に気がついた。
「どうしてクラスTシャツなんか着てるの? 私服でいいって言ったのに」
陽華も緑のシャツを着ていた。ボトムスは、私服のスカートであるけれど。
「念のため。何が起るかわからないから」
そう言って、緑の鉢巻を手渡す。
陽樹は「ふうん」と言いながら鉢巻をつけた。視線が下がる。陽華の体に目が留まる。
「何?」
陽華が訊ねる。陽樹はためらうように言った。
「その……胸、ないなって」
陽華の表情が消える。陽樹は慌てて付け足した。
「あの、あんまり気を悪くしないでね! べ、別に気にするようなことじゃないと思う!」
「別に。元から気にしてないよ」
その言葉に、陽樹はきょとんとした。陽華はさっぱりと言った。
「だって、胸が大きかったらきっと邪魔でしょう? 細身の服も着られないし。私はこの身軽な体で十分」
陽樹は天井を見ながら言った。
「そういうもんなのかなあ」
陽華が言った。
「そういうものでしょう」
そして、すべての支度ができた。
これから競技が始まる。そわそわしながら陽華が訊ねた。
「本当に大丈夫?」
陽樹は腰に手を当てて言った。
「何とかなるって」
「もし何かがあったときに、連絡の手段とかは」
陽樹はくすくす笑った。
「陽華は心配性だなあ。携帯があるから平気だよ」
肩を叩き、「上から見ててね」と、表に出た。陽華は微妙な表情のまま、階段を登った。
校庭には全校生徒が集まっていた。二十四クラスが四つの「団」に分けられ、それぞれテーマカラーが与えられていた。陽華のクラスは緑団である。
「秋卯ちゃん」
陽樹が呼んだ。秋卯は振り向き、苦笑した。
「……これは私以外にはわからないかも」
陽樹はふふっと笑ってみせた。ほぼ完璧になりすましている。夏漣が「おお」と感嘆した。
その光景を、陽華は屋上から見ていた。
*
「お待たせ!」
陽樹が自分の学校に戻ってきた。
「陽樹、お帰り」
腕時計から目を離し、秋兎が言った。彼も緑のTシャツを着ていた。
「次の出番までまだ時間がある。緑団の観客席で応援してるから、陽樹も来いよ」
秋兎が笑顔で手招きする。陽樹は誘いに乗った。
彼を追いかけ、ふと立ち止まる。
夏海が木蔭で一人、木に寄りかかっていたのだ。
「友達いないのかな」
「ねー」
こそこそ喋りながら、白団の生徒が陽樹の前を通っていった。
陽樹は身なりを整え、おそるおそる誘った。
「い、一緒に応援しようよ」
でも、夏海がキッと睨みつける。
「誰があんたとなんか」
今朝のことを怒っているのだ。陽樹はひるんだ。
「せ、せめて観客席いこうよ」
秋兎のいる方向を指さす。夏海はきょとんとした。目を泳がせて、空を見た。
「は、肌が弱くて。日傘を忘れて」
陽樹も太陽を見ようとした。すぐに目をしばたかせて、「そうなんだ」とうつむいた。
夏海はそっぽを向いた。陽樹は立ち去った。
そのとき、何かが落ちる音がして、観客席がどよめいた。陽樹は急いで秋兎の元まで分け入った。
「どうしたの?」
人混みから顔を出す。
トラックの内側に、怪我を負った生徒が倒れていた。騎馬戦で、地面に落下したのだ。
「ええと、まずは救護テントに」
秋兎がきょろきょろ見回している。
まだ騎馬が右往左往、あちこちで取っ組み合っていた。事態に気づいた審判が笛を鳴らす。
でも、ここは校庭の端っこだ。救護係が来るまで時間がかかる。
陽樹は侵入防止用のロープを飛び越えた。怪我人に駆け寄る。
「大丈夫ですか? どこか痛みますか」
秋兎がそれを見ている。
怪我をした彼は三年生らしい。陽樹から見れば先輩に当る。青いシャツ、青い鉢巻をつけていた。
「右の足首を……捻ったらしい」
そう言って、片脚を立てて坐る。
陽樹は言った。
「俺が肩を貸します」
陽樹は、彼の腕を自分の首に巻いた。ゆっくりと立ち上がる。そこで、秋兎が反対側に廻った。
「救護テントは向かって右端らしい」
秋兎が指さす。
トラックに沿って歩く。先輩は一歩踏むたび、表情を引き攣らせた。
トラックを半々周したところで、救護係の生徒と、保健の先生が駆けつけた。
「二人とも、ありがとう」
振り返って、先輩が言った。




