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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第4話 桜と共に駈け抜けて
16/41

#16 お花見

「ありがとうございましたー」


 ショーウインドウの前でモデルのように立っていた陽樹はるきが、店員の声を聞いて振り返った。顔を赤らめた陽華はるかが逃げるように店から出てくる。彼女は陽樹に「お待たせ」と言った。


 綿をちぎったような雲が漂っている。青空の下の七姫ななひめ市。二人は並んで甲州街道を歩いていた。


 歩きながら、陽樹が器用にダッフルコートを脱ぐ。上着を片腕にかけ、紙袋を両手で持ち直した。


 陽華は胸に紙袋を当てていた。手のひらサイズの小さなものだ。淡いピンク色をしている。


 彼女は言った。


「人、多いね」


 陽樹が頷く。


 商店街は賑っていた。


 人通りが増すにつれ、陽華は陽樹の背後に回った。遅れず速まらずぴったりと体をつけて、きょろきょろと左右を見ている。


 陽樹は目視で確認して、たずねた。


「大丈夫?」


 陽華がビクッと跳ね、陽樹から離れた。憂わしげな表情でもう一度訊く。


「首まで真赤だよ。暑いの?」


 その時、陽華の肩に通行人のおばさんがぶつかった。飛び上がってピンクの紙袋を落とす。


「陽華! 待ってよ!」


 袋を拾い、呼び止めようとする。しかし返事はなかった。陽樹の声はむなしく雑沓にのまれてしまった。


 陽華は脇道に逸れて、ひっそりとした住宅街をうろついていた。ローファーの底がアスファルトを叩く。


 気づいたときにはもう遅い。


 もう人通りはなかったが、陽華は引き返せずにいた。ただただ人混みを避けることに集中していたので、振り返っても、どの道を通ってきたのか憶えていないのだ。


 太陽の位置から方位は割り出せていたが、街道に出たところで、なすすべもない。陽樹を探し出すなんて無茶にもほどがあった。


 あてもなく小迷さまよっていると、空地があった。住宅地のまんなかに、家一軒ほどのスペースがぽっかりと空いていた。


 駐車場にするでもなく、土管が置いてあるわけでもない。平らな地面に草が茂っているだけだった。こんな場所、陽華の世界では見たことがない。


 ふと足を止める。靴音もやんだ。


 緑のなかに赤紫色の花が咲いていた。烏野豌豆カラスノエンドウだ。その上を黄揚羽キアゲハが舞っている。蝶は花弁に降り立った。翅を小刻みに動かしている。


 ひゅうと音を立て、風が草むらを分けた。陽華の黒髪もなびく。黄揚羽は青空に舞い立った。


 陽華は一人ぼっちになった。


 そのとき、ポケットから着信音が鳴った。陽華は無言で携帯を取った。


「もしもし、陽華?」


 陽樹からの電話だった。胸をなでおろす。


「今、自分がどこにいるかわかる?」


 陽華はうつむき勝ちに答えた。


「……わかんない」


 陽樹は考え込むように「うーん」とうなって、言った。


「浅川まで出てきて。桜の見えるところで待ってる」


 言われた通り、陽華は浅川に向かった。


 堤防が城壁のようにそびえ立っている。川は向こう側だ。陽華は、土手の上に一本桜を見つけた。


「この辺だと思うんだけど……」


 きょろきょろ見回しながら階段をのぼる。視界に青空が広がる。声がかかった。


「陽華!」


 土手の先で陽樹が手を振っている。


 陽華は駆け寄った。胸に飛び込み、涙ぐむ。


「……怖かった」


「よしよし」


 陽樹が頭を撫でた。


「急に逃げ出したりして、ごめんなさい」


「陽華は悪くないよ。……あっ! これ、落としてたよ」


 ポケットから袋を取り出し、陽華に返す。


 陽華は「ありがとう」も言わずに受け取り、開封した。そして、小指ほどの長さの小物を差し出した。


 陽樹が眉をひそめて受け取る。すぐに「あっ」と声をもらした。


 ヘアピンだった。端っこに桜の花を摸したかざりが附いている。


「ほら、ここをこうしてこのアメピンでとめれば」


 陽華がふたたび奪って、手際よく髪を編み込む。鏡に映った自分の髪型に、陽樹ははしゃいだ。


「おお、すごい! 可愛い……」


「見て。お揃いで買ったの」と、陽華が自分のこめかみを指差す。小さな桜の花がキラリと光った。


「拾ってくれてありがとう。陽樹」


 陽樹は鏡を胸に当て、「こちらこそ」と微笑んだ。


 桜の木の下で、二人はどら焼を食べた。


 包紙を脇に置き、陽樹がほほを緩めている。陽華はおやつを中断し、語り出した。


「家族で買い物に行って、はぐれちゃったことがあるの。小さいころの話だよ」


 陽樹は語り手を見た。


「誰の顔を覗き込んでも、知らない人ばかりで、怖くなって泣き出しちゃった。周りには大勢の人がいたけど、だあれも助けてくれなかった。誰ひとり、声をかけてくれなかった。……それで、人混みとか知らない人がニガテになっちゃった」


 花びらが舞い、包紙も風に転がる。陽華が瞬時に追いかけ、拾ってきてやる。


 陽樹は同情するようにその顔を見た。でも、陽華はあっけらかんと話した。


「私はここみたいに静かな場所が好き。矛盾するようだけど、一人でいるのはさびしい。青空の下で、友達みんなでおやつを食べられたらなあ」


 二人は同時に見上げた。


 風で花弁が舞う。こぼれ桜だ。桜越しに光が射した。おひさまは峠を越している。花びらが透けて見えた。


「花の咲く木っていいね。俺たちみたい」


 首をかしげる陽華。陽樹が説明した。


「名前だよ。陽華と陽樹」


「そっか! はなだ!」


 二人は笑い合った。


「この木、陽華の世界にもあるの?」


 陽樹が訊ねる。彼女は頷いた。


「前からここにいたって、お母さんが言ってた。私が赤ちゃんだったころは、まだこんな苗木だったって」


 陽華が手で高さを示す。陽樹はのけ反った。


「そんなに若かったの!? 大きいから、もう百歳くらいかと」


「当り前だよ。生き物の種類が違うもん」と、陽華が笑う。


「すごいなあ。俺たちとほぼ同い年で、もうこんなに立派で」


 陽樹は感心したように言った。


「私はまだ子供。ニガテなこともいっぱいある」


 陽華の顔に桜の影がかかっていた。


 陽樹が励ますように言う。


「嫌なら逃げちゃえ。人混みがニガテなんでしょ。俺がいつでも入れ替ってあげるよ」


 陽華が驚いた顔をする。


「いつでもいいの? 来月の体育祭とか」


「タイイクサイ?」


 陽樹は一度尋ねて、思い当った。


 体育祭では校庭に大勢の人が集まる。人混みのニガテな陽華は競技に出たくないのだ。


 勉強に付き合ってくれたお礼にもなるだろう。陽樹は「まかせなさい」と言うように拳で胸を打った。


「モチのロンだよ」

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