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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第3話 風とペン
15/41

#15 にゃー!

 昼下がり。陽樹の部屋。


 机にはどっさりと教科書が積み重なっている。陽樹は額に緑の鉢巻を巻いた。


「よし、今から飲まず食わず眠らずで試験範囲を網羅してやる!」


 高らかに宣言して桜色のペンを構える。


 陽華があわててやってきて、それを引き止めた。


「陽樹の行動力は、とってもすごいと思うよ。でも、ちゃんと計画を立てなきゃ」


 二人はリビングにやってきた。


「テストの日程はわかる?」


 食卓に着いた彼に、陽華はたずねた。


「二月の……今月のいつだっけ」


 カレンダーを見遣る陽樹。陽華は一月のカレンダーを破り取り、彼に差し出した。


「この裏に、試験の時間割を書いて。できたら科目名の下に出題範囲を書き込んでくの」


 陽樹はペンで線を引き、格子を組んだ。個々のマスに「数学、古文、歴史……」と書き込んでゆく。


 陽樹は教科書の目次を開いた。


「一頁目から読んでたら、読み切るまでに疲れ果てちゃう。全体を見渡してから、まずかなめのところを押さえていくの」


 陽華のアドバイスを聞きながら、意外と健気にがんばっている。


 はじめ、深華や深樹は遠目で様子をうかがっていた。でも、楽しそうにやり取りする兄姉をみて、こしょこしょと耳打し合い、二階へ消えた。数十秒後、自分たちのランドセルをもってきて、リビングで宿題を開く。


 不意に、食卓でカタンと音がした。見ると、陽樹のノートの脇にお椀が置いてある。どら焼だ。


 となりで微笑む母に、陽樹も「ありがとう」と笑い掛けた。



「おわったあ!」


 足を投げ出して、陽樹はソファーで横になった。それを見て、陽華がにっこり笑う。


「今日のノルマ達成。昨日より早く終ったね」


「気晴らしにあづき屋へ行ってこようかな」


 陽樹がつぶやくと。


「ぼくも行く!」


 ショルダーバッグをかけた深樹が階段から降りてきた。陽樹は言った。


「深樹は何度も行ってるでしょ。今日は俺ひとりで行く」


「ええ~」


 しょんぼりする深樹に、深華が言った。


「ミイくんはわたしと一緒にゲームしようよ」


 誘われて、深樹は目を輝かせた。


「うん、するする!」


 陽樹と陽華はくすくす笑った。


 靴を穿く陽樹に、陽華が訊ねた。


「私の服、着なくていいの?」


「今日はこの恰好でいいんだよ」


 自前の服装のまま、玄関を出た。



 おばさんが「いらっしゃいませー」といつものように言う。言ってから、いつもと違う姿の来客に、彼女は目を見張った。


「こんにちは。あの、夏漣くんに会いたいんですけど」


 おばさんは答えた。


「ちゅ、厨房にいますよ」


 陽樹は教わった通り、陳列コーナーの隅の暖簾をくぐった。


 廊下のような細長い場所に出た。でも、廊下ではない。通路の片脇はひらけていて、一段高くなっている。畳が敷いてあり、座卓や座布団が配置されていた。


 和風のカフェと言ったら良いだろうか。あづき屋には何度も来ているが、こんな部屋に来たのは陽樹は初めてだった。


 和風カフェを横目にさらに歩いてゆくと、また暖簾があった。


 陽樹は暖簾をくぐった。


 そこは、広い台所――おばさんの言うところの厨房だった。


 広いといっても、学校の体育館を想像してはいけない。陽樹たちの教室の半分ほど面積だ。細長い調理台が三つ、平行に並んでいる。色は銀色で、その上にさまざまな調理器具がところせましと並んでいた。料理なんてほとんど経験のない陽樹は、何がどういう使い道なのか、さっぱりわからなかった。


「おお、ナツミさん」


 夏漣が陽樹に手を振った。物陰になって、陽樹からは見えない。


「夏漣くん、どこにいるの?」


 陽樹が調理台に手をかけた時だ。


 突然、台が火を噴いた。真っ赤な火柱が上がり、天井を舐める。彼は驚いて飛び上がった。


「にゃー!」


 陽樹の悲鳴を聞いて、夏漣が消火器を持ってかけつけた。黒いエプロンに黒い調理帽という姿だった。


 ぷしゃー、とノズルから消化剤が噴き出した。あたり一面に白い粉煙が立ち込める。でも、炎は屈しない。メラメラと音を立て襲いかかってきた。


 夏漣は熱風をかいくぐり、台の側面についたツマミを回した。すると、あんなに大きかった火がどんどん縮んでゆく。しまいには跡形もなく消えてしまった。


 陽樹は腰を抜かしてわなわな震えている。夏漣は消火器を投げ捨て、小さく息をはいた。


「立てますか」


 夏漣が手を差しのべる。陽樹は助け起こされた。


「あ、ありがとう……」


「どういたしまして」


 夏漣は粉だらけの焜炉コンロを放置し、スタスタと元いたところに戻っていった。


 手を洗い、作業に取りかかる。夏漣は何かの生地を混ぜ合せていた。


「何つくってるの?」


 陽樹がおそるおそる尋ねると、夏漣はぶっきらぼうに答えた。


「どらケーキです」


「ドラけえき?」


 夏漣が説明する。


「どら焼とパンケーキのあいの子です……ほら早く、席に着いていてください」


 陽樹は和風カフェに通された。


 座布団に正坐して待っていると、お皿を持った夏漣が厨房から出てきた。


「お待たせしました。どらケーキです」


 出されたお菓子を見て、陽樹は息をのんだ。


「……きれい」


 高級そうな黒いお皿に乗って出てきたのは、色とりどりのフルーツで飾りつけられた、どら焼の二段重ねだった。


 上には小豆ソースもかかっている。


 陽樹は、ほぼ茶色一色のどら焼に見慣れている。こんなにカラフルなお菓子は、ちょっとびっくりしちゃうくらい新鮮だった。


 陽樹はおそるおそる箸をとって、どらケーキのふちを切り崩した。口に運び、ゆっくりと咀嚼する。


「……おいしい」


 箸が止まらない。


「おいしい、おいしいよ夏漣くん」


 険しい表情を浮かべていた夏漣が、口元をほころばせた。


「……そんなにおいしいか?」


 陽樹が満面の笑みで答える。


「めちゃくちゃ美味しいよ! お店で出しても、きっと売れる!」


 夏漣は目を潤ませて、陽樹の手をそっと取った。


「ありがとう。自信がついた」


 陽樹はハテ、と首をかしげた。夏漣が言った。


「実はこれ、僕の試作品なんだ。新商品の申請をするか、ずっと迷っていたのだけど、これを機に店に持ちかけてみる」


 陽樹は力強く頷いた。


「応援するよ、夏漣くん」


「ありがとう、ナツミさん」


 陽樹がちょっと気まずそうな表情になる。


「実は、そのことなんだけど……ナツミっていうのは、偽名なんだ。陽華のいとこだっていうのも作り話で……」


 夏漣は驚いて聴き入った。


 陽樹は語った。自分はこの世界の人間ではないということ。二つの世界は性別が入れ替わっているということ。自分は陽華と同一人物だということ。


「す、少し待ってくれ」


 夏漣が言った。陽樹は話を中断した。


「……どうしたの?」


 彼にしては珍しく、ゆっくりとした言葉で尋ねる。


「ナツ……君は、その、男の子なのか」


 陽樹が頷く。


「せっかく女装せずに来たのに、見えないかな」


「失礼なのは承知だけれど、見えない」


 答えられて、陽樹はコケた。


「……ともかく、二つの世界がどう違ってるのか、俺は知りたかったの。それで、陽華と入れ替わって、いろんな人に訊いて回ったんだ。今日お邪魔したのは、その延長だよ」


 二つの世界には、性別以外にもいろいろな違いがある。陽樹はそう確信していた。


「陽華は他人ひとがニガテだけど、俺は違った。俺は勉強がニガテだけど、陽華は違った。もっとわかりやすい、目に見える違いもあるんじゃないかって。一方の世界に当り前にあるものが、もう一方の世界ではとっくの昔に消え失せてる、ってこともあるんじゃないかって」


「それで、この世界と陽樹くんの世界で、いったい僕は何が違うんだ?」


 その時、おばさんがやってきた。


 夏漣が言った。


「おお、母さん」


「かあさん!?」


 陽樹は目を丸くした。


「紹介します。ナツミさん改め陽樹くん」


 夏漣が言った。陽樹はおそるおそる訊ねた。


「あ、あなた様は夏漣くんのお母さまでいらっしゃいますか」


 おばさんが首をかしげつつ答える。


「ええ。夏漣の母ですけど」


「夏漣、どうしたんだ。お客さんかい」


 大柄な男性が暖簾をくぐった。


 作り置きのどらケーキを持って、夏漣が駆け寄る。


「父さん、味見してほしい」


 陽樹は一人、ゆっくりと首を横に振った。壁に寄りかかり、頭をかかえて、魂が抜けたようにその場に坐り込んだ。



 午前授業の終りを告げるチャイムが鳴った。自分の席に着いて、夏海は購買のパンを食べていた。クラスメイトはこの教室に大勢いたが、彼女は誰ともおしゃべりをせず、一人静かに昼食をとっていた。


 秋兎も自分の席でお弁当を食べていた。隣の席の陽樹を見ている。陽樹は真剣な顔持ちで、喰い入るように一枚の紙を見ていた。返ってきたテストの答案用紙だった。


 陽樹はパッと振り向いて秋兎にそれを見せた。


「見てよ!」


 赤い油性ペンで「33」と書いてあった。


 秋兎は「おお……」と感嘆の声をもらした。


「陽樹、よくがんばったな」


 陽樹は目を輝かせ、バネのように跳び上がった。


「わーい!」


 教室を飛び出し、風を切って駆けてゆく。


「こらこら、廊下はゆっくり歩きなさい」


 先生が苦笑しつつあとを追った。


「あのくらいの点数で、大袈裟だなあ」


 クラスメイトたちも笑った。


 夏海は彼らから目を逸らし、パンの袋を畳んだ。


 家に戻った陽樹は、真先に陽華に報告した。


「陽華のおかげだよ。ありがとう」


 陽華は答案から目を離し、笑った。


「陽樹ががんばったからだよ」


「お兄ちゃん、赤点回避おめでとう!」


「おめでとう!」


 どこから持ってきたのか、深樹がクラッカーを引いた。深華もそれに続く。パーン、パーンと音が鳴り、紙テープが飛び出した。


 胸に手を当てうっとりしていた陽樹の母は、クラッカーの音に感化され、かぶりを振った。


「お祝い……! どら焼作らなくちゃ」


 腕をまくり、キッチンへ向かう。

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