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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第3話 風とペン
14/41

#14 屋根の上で

「陽華!」


 陽樹は窓をくぐった。ベッドから飛び降り、華麗に着地を決めたつもりが、滑って転んでしまう。


 陽樹はロープを拾い上げた。これに足を取られたのだ。


「誰がこんなものを……」


 そこに深華がやってきた。


「あっ、陽樹お兄ちゃん」


「ミイちゃん! 久しぶり」


 陽樹はロープを放り出した。ハイタッチを交し、我に返る。


「ねえミイちゃん、陽華に頼みたいことがあるんだけど。どこにいるか知らない?」


「お姉ちゃんなら、そこに」


 深華は北側の窓を指した。屋根の上で、陽華がソロソロと歩いている。


 そして、くしゃみをした。足を滑らせる陽華。


「危ないっ」


 陽樹が身を乗り出し、助けようとした。でも、足を踏み出したときに、またロープを踏んづけてしまった。つるりと滑って一回転、外に放り出される。


「陽樹お兄ちゃん!」


 深華が叫ぶ。


 陽樹は屋根の上でデーンと尻餅を打った。「痛た」と患部をさすっているあいだに、ズルズルと斜面を滑りはじめる。陽華がその手を取った。


「陽樹! 帰ってきたの?」


 陽華が目を見開く。二人はみるみるうちに加速した。


「やばい、車道に落ちる!」


 軒先から飛び出す直前、車道の手前に塀があるのが見えた。陽華は塀の上に猫のように着地した。


 陽樹はかろうじて雨樋あまどいにつかまり、ぶらんぶらんとぶら下がっていた。でも、まもなく敷地内の植込に落下した。


「二人とも、だいじょうぶ?」


 窓から深華が呼びかける。


「私は平気!」


「陽樹お兄ちゃんのほうは?」


「な、なんとか」


 陽樹が植込から顔を出した。その姿は、みじめというか、みっともないというか。


「なんかごめんね……私も降りたほうがいい?」


 陽華が地面に降りようとする。それを「いいよ、汚れるから」と陽樹が制した。


「それにしても、屋根の上で何してたの?」


 話題を切り替え、尋ねてみる。


「あの窓をね、外そうとしてたの」


 陽華が指差したのは、二階の東側の窓だった。公道に面していないので、見えにくい。しかも、この時間は家の陰になっている。陽樹は目を凝らし、気づいた。


「あの窓……割れてる」



 部屋に二人がもどってきた。ベッドに腰掛けていた深華が「おかえりなさい」と言った。


「お兄ちゃん、大丈夫だった?」


 隣には深樹もいた。


「うん。何とかなったよ。……それで、取り外そうっていうのが」


「奥の窓だよ」


 陽華が言い、深樹と深華が道をあけた。ベッドのすぐ上。青いカーテンが垂れ下がり、窓を覆い隠している。


 深樹が首をかしげた。


「でも、ここの窓ってなくなったんじゃないの? ガラスだけじゃなくて、周りの銀のとこも消えてたし」


 深華が説明する。


「そう思ってたんだけど、ちゃんと残ってたの。家の中からは見えないけど、壁の向こう」


「外から見たら、ガラスは割れてたけど、しっかり壁にはまってたんだ。銀色の外枠もね」


 陽樹が付け足し、深樹は目を丸くした。


「ようするに、どこでもドアが窓にかぶさってるような状態なの。入口が窓より少し大きいから、窓が隠れちゃって、室内からは見えないの」


 陽華は溜息をついて、愚痴った。


「部屋の中から外せたら楽なのにね。現実は、カーテンをあけても」


 深樹が青いカーテンを開けた。


「……お兄ちゃんの部屋に行っちゃうってわけね」


「陽華のかわりに、俺が屋根に登るよ。壁沿いに歩いていけばいいんでしょ。この窓の裏まで、屋根はつづいてたわけだし」


 陽樹が指差す。深華がつっこんだ。


「でも陽樹お兄ちゃん、さっき転んでばっかりだったよね……」


 陽樹は手をそっと下ろした。


「坂道を横切るなんて、歩きにくいに決まってるじゃん」


 弟がフォローする。


「だからといって、割れたまま放って置くのもね」


 陽華がしょんぼりする。四人は考え込んでしまった。


 そのとき「ミャア」と外から鳴き声がした。北の窓だ。四人は外を覗いた。屋根の上に、見覚えのある青毛の猫がいる。


「ドラちゃん!」


 陽華が呼び、深華が窓をあけた。


 陽樹が指摘する。


「陽華、放し飼いにしていいの? ここんのニャンコでしょ」


 陽華は目をぱちくりさせた。


「あ、陽樹たちには言ってなかったっけ。ドラちゃんは、お隣さんに住んでるんだよ。よく屋根を登って、遊びにきてくれるの」


 深樹が「へー」と相槌を打つ。


 屋根をのぼってきたドラ。深華がそれを抱き上げる。


 陽樹は手のひらを拳で打った。


「じゃあ、俺たちもドラの真似をすればいいんじゃない?」


 三人と一匹の視線が、陽樹に集まった。


 陽樹は靴を穿いて外に出た。見上げると、北の窓から三人が手を振っている。陽樹は手を振り返した。


 風抜穴に足をかけ、塀をよじのぼる。笠木かさぎの上に這い出てきた陽樹は、すこし勇気を出して、その場でゆっくりと立ち上がった。風を受け、服が旗めく。ゆらゆらと体が揺れる。ふと見下ろすと、雨樋はすぐそこだった。


 三人は息をのんで見守っている。


 陽樹は「よっ」と笠木を蹴り、軒先に跳び乗った。窓際にワアッと歓声が上がった。


 陽樹は親指を立てて見せた。三人も同じポーズでウインクして見せた。陽樹が瓦に手をかけながら、登りはじめる。


 屋根を半分ほど登ったところで、ひときわ強い風が吹いた。陽樹は煽られ、両手を離してしまった。じりり、と足が滑る。どよめく観衆。


「陽樹お兄ちゃん!」


 深華が窓からロープを投げて寄越した。赤い斜面をしゅるしゅると下ってゆく。その端っこを陽樹が捕まえた。体勢を立てなおし、再度ふたたび登りはじめる。


 ロープを頼りに、陽樹は屋根をなんとか登り切ることができた。


 陽樹は「助かったよ」とロープを深華に返そうとした。でも、陽華がそれを制した。


 彼女は言った。


「外した窓をね、そのロープで庭におろすの。私もそっちに行くから、待っててね」


 外した窓は、サッシが折れ曲り、ガラスはほとんど割れ落ちていた。衝撃の強さを物語っている。二人は青ざめて顔を見合せた。


 ロープをしっかりくくりつける。二人は軒先から庭を見下ろした。陽華の父が手を振っていた。


「ロープをしっかり握って、ゆっくりゆっくり窓を下ろしてくれるかな。一階の壁にぶつけないように、気をつけてね」


 二人は同時に手を挙げた。


「はーい」


 同じことを陽樹の家でもやった。すべての作業が終ったのは、夕方だった。


 陽樹の家の屋根の上で、二人はどら焼を食べた。これは、あづき屋で買ったものである。中身はもちろん漉餡だ。


 家の東側だから、太陽は見えない。でも、夕焼色に染まった空が頭の上まで伸びていた。それもずんずん背中のほうに沈んでゆく。やがて雲が水色を帯びて、その中に星がまたたいた。


「あれ」と陽華が首をかしげた。彼女は窓を覗き込んでいた。と言っても、窓本体は外してしまったので、今は外枠しか残っていない。


「どうしたの?」


 陽樹がとなりから訊ねた。


 銀色の外枠に、陽華は白い指をそっと重ねた。つづけて顔を、脚を、窓のなかに滑り込ませてゆく。


 陽樹は口をあんぐりと開けてそれを見ていた。


「陽樹、来て来て!」


 陽華がくるりと反転して招く。陽樹は言われるがまま従った。


 窓に顔を突っ込み、陽樹は驚いた。


「ここって……陽華の家の屋根じゃないの?!」


 窓の向こうには、窓のこちら側と同じように、濃紺の夜空が広がっていた。


 黒い小さな影が庭先をのこのこと歩いてゆく。お隣さん家に帰るドラの姿だった。


 この窓は、家の外から入っても、世界の出入口として機能するのだ。


「ずっと近くで作業してたのに、気づかなかったな……」


 陽樹が感嘆するように言った。


「窓、まとめて下ろせばラクだったのに、二度手間だったね」


 陽華が言い、二人は笑い合った。


「あっ、そうだ。今日テストが返ってきたんだけど」


 陽樹が思い出したように言った。


「それは、私も」


 知ってるよ、と言わんばかりに陽華が頷く。


「俺、筆記はいっつも赤点ばっかりで……。そこのところ、陽華って頭いいんだね。入れ替わった時に知って、びっくりしちゃった」


 陽華は頼まれる前に、キッパリと断った。


「だめだよ。替玉受験なんて協力しないよ」


 陽樹は「ちがうちがう」と両手を振った。


「そんな、いくら点が取りたいからってズルはしないよ。陽華にね、勉強を教えてもらいたいんだ」


 陽樹が、真剣な表情で頼む。


「ダメ……かな?」


 陽華は「なあんだ、そんなこと」と胸をなでおろした。


「いいよ! 協力する」


 陽樹は彼女の手を取った。


「ありがとう、陽華! よろしくね」


 ふふ、と陽華は笑った。


「ふふ、ふへ、ふぇくしゅん」


 バランスを崩して落ちそうになる陽華。それを、すんでのところで陽樹が阻止する。


 空には幾多の星々がきらめいていた。彼は困ったように言った。


「くしゃみもするよ、まだ冬だもん。日が暮れて冷え込むし、もう部屋に入ろう」


「うん、そうする」


 ずず、と鼻をすする音がした。

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