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窓の向こうへ行かなくちゃ  作者: 半ノ木ゆか
第3話 風とペン
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#10 はじめての入れ替わり

 どうして、いつもいつもこうなんだろう。


 平日の朝。陽華はるかは暗い顔をして学校の廊下を歩いていた。


 寒がりの陽華らしく、首にはマフラーをぐるぐる巻いている。長丈のダッフルコートの下に、陽樹はるきに借りたズボンの制服が覗く。長い髪は小さくまとめて、今はショートヘアーのウィッグの中だ。


 ここは、陽樹の在学している七姫ななひめ東高校である。


 あのあと、陽華は電車で渋谷へ連行された。あれよあれよと言う間に改札を抜け、街に繰り出す。ホームセンターの雑貨コーナーで、陽樹は二つのウィッグを手に取った。一つはショートヘアー。もう一つはスーパーロング。どちらも色は同じだ。


 自分もお金を出したのだろうか。よく憶えていないけれど、お財布の中身がそのままので、陽樹が全額をはらったらしい。気づいたとき、陽華はほの暗い自分の部屋にいた。外は夕焼色だった。ロングヘアーになった陽華そっくりの陽樹が、「あした、よろしくね」と、制服のスカートをひるがえし、カーテンの向こうに消えた。陽華の手元には、綺麗にアイロンが掛かった男子の制服と、未開封のウィッグ。そして、二箱のどら焼が残った。


 思いついたらすぐ実行するのが、陽樹のいいところであり、恐いところかもしれない。そんなことを考えながら、陽華は微妙にふくらんだ後頭部をなでた。


 もう引き返せないのだけど……陽華はこの「お遊び」に、あまり乗気ではなかった。他人の中に飛び込むのが、イヤでイヤで仕方ないからだ。


 陽華は、人間とかかわるのが苦手だ。人間はキライではない。むしろ仲よくなりたいとさえ思っている。でも、人混みに揉まれたり、知らない人と話そうとすると、とても怖くなって、いろいろ苦しいことが起きる。人前では声が出せなくなる。夏祭では過呼吸になった。小学校では体中が真っ赤になり、入学初日で保健室に運ばれた。だから、極力人混みを避け、限られた人間関係のなかで過ごしてきた。どら焼をはみ、犬猫いぬねことたわむれて暮らしてきた。


 それなのに、自分はどうしてこんなことをしているのだろう。


 それは、自分で決めたことだからだ。陽樹に押しつけられたのではなく、陽華自身がこの道を選んだのだ。


「行きたくないの?」


 けさ。リビングの姿見の前に陽華は立っていた。ウィッグをかたわらに地毛を束ねていたとき、深樹が訊ねてきたのだった。


 陽華は小さく頷いて、尋ね返した。


「どうして、そんなことを訊くの?」


 深樹はどら焼を食べながら答えた。


「だって陽華お姉ちゃん。この世の終りみたいな顔してるんだもん」


 陽華は鏡を見て、吹き出した。


「ほら、私、人間じゃないから。異種族と関わるのがニガテなの」


 そう言って、冷めた声で笑う。その声もだんだんと萎んでいった。陽樹の父がネクタイを締めながら、ばたばたとリビングを横切った。


 陽華は無言で髪を梳いている。ゴムでまとめたりもするのだが、すぐに解いて、なかなかウィッグを被らない。


「苦手だからって、逃げてちゃダメだと思う」


 深樹が言った。陽華の手が止まった。


「……私だって、わかってるよ。このままじゃいけないって」


 つい、小学生相手に言い返してしまう。


 陽華は陽華で、もう何年も前から気づいていたのだ。でも、どうすれば道が開けるのか、解決策が見つからないままでいた。


 深樹はどら焼を飲み込んで、言った。


「僕、サッカーが苦手なんだけどね」


 陽華は彼に目を向けた。深樹は続けた。


「ドリブルとか一年生のころ下手くそで、今も上手くはないんだけど……でも、シュートが決まった時はすごく嬉しいし、やってると楽しいよ。苦手でも、下手っぴでも、楽しくやれる場合だってあるんじゃない?」


 陽華は身を乗り出して、「確かにそうかも」と言った。言ってから、顎に手を添えて『考える人』のポーズをとる。


「でも、どうしたら他人ひとと楽しく関われるかな……?」


 深樹が思いついた。


「イブに初めて会ったとき、陽華お姉ちゃん、お兄ちゃんと話しててすごく楽しそうだったよ。おしゃべりができたら楽しいと思う」


 陽華はしょんぼりした。


「でも私、初対面の人と話せないから」


 深樹はマグカップを置いて、考え込んでしまった。今の返しはちょっとイジワルだったかな、と心配していると、彼はまたもや良案を出してくれた。


「陽華お姉ちゃんが今日行くのは、パラレルワールドでしょ。陽華お姉ちゃんの友だちも、きっといるよ」


 陽華が「あ、そっか!」と頷いた。


「私、友達いるよ。小学校から仲良しなの。秋卯しゅうっていうの」


「じゃあ、お兄ちゃんの学校にも、その、シューさんがいるはずじゃん……名前はちがうかもしれないけど」


 陽華はウィッグをかぶって、鞄を背負った。


「私、行ってくる。ミイくんありがとう!」


「どういたしまして。いってらっしゃい!」


 リビングのドアが閉まる。深樹はマグカップの牛乳を飲んだ。

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