#1 増えるカーテン
カーテンがぱたぱたと旗めきながら窓におおいかぶさった。階段をかけのぼってきた男の子は、部屋に踏み込んで目をまるくした。
「何があったの? お兄ちゃん!」
冬の夜の閑静な住宅街。太陽はとうに沈み、子供が寝支度をはじめるころ。とある家の二階の部屋に返事はなかった。バラエティー番組のあかるい声が、階段のおくから絶えず聞こえている。
蛍光燈があたりを青白く照らして、ところどころに黒い影をつくっている。一面にひろがるのは、教科書やプリントの海。うつぶせの本棚。突然とまったストーブのかおり。あまり広くない部屋なので、これでいっぱいいっぱいだった。
部屋中をあちこち動いているのは、小学校高学年くらいの男の子だ。「返事してよ! どこなの?」と呼びかけながら、プリントを舞いあげたり、本棚を起こしたり。
そのとき、彼の背後でうめき声がした。ふりかえって見る。ベッドの裏だ。
「まってて、いま出すから」
ベッドは横倒しで壁にもたれていた。床におろすと、布団にうもれた少年が顔をあげた。
「ありがとう、深樹」
「ああ、よかった」
「ミイくん! はるくん! さっきの大きな音、なんだったの?」
テレビの音に声がかさなった。階段からだ。不安なのだろうか、ことばの端々がふるえている。
深樹と呼ばれた弟が先に答えた。
「お兄ちゃんは平気みたい!」
はるくんと呼ばれた兄が、ベッドから飛びおりて言った。
「なんとかなるよ、ママ!」
話が咬み合っていない。
「何があったのよ!」
「あ、そうだそうだ」
「えっ、なあに?」
深樹が言い、兄が訊き返した。答える気はないらしい。
まじめな顔をして、深樹はつづける。
「この部屋、どうしちゃったのさ? パーティーの前に来たときは、こんなめちゃくちゃじゃなかったじゃん。ものすごい音で、びっくりした」
弟をベッドに坐るよううながして、話しはじめた。
「うん、それがね」
深樹の兄、はるくんが高校から帰ってきたのは、今から三時間ほど前のことだ。いつものように「ただいま」を言って、いつものようにお風呂に入って、いつものように夕飯を食べた。ただひとつ、いつも通りでなかったのは、家族でクリスマス・どら焼を分け合ったこと。今夜はクリスマスイブである。
クリスマスといえば、多くの家ではケーキを分け合うだろう。でもこの家では、兄がものごころつく前から、祝いごとのたびに山盛のどら焼が出るのだ。大好物でおなかを満たして、兄弟は御満悦だった。
「お兄ちゃんはプレゼントまでどら焼だったよね」
深樹が口をはさんだ。
「どら焼は俺の生き甲斐だからね。どら焼ナシじゃ、俺は生きられない」
「ぼくよりずっと好きなんだから」
熱っぽく語っていた兄の顔が、急に冷める。
「うん。それで、ベッドによりかかってプレゼントを食べてたんだよ。あの窓の下に、ベッドが」
部屋のむかいを指す。兄弟のちょうど正面、この部屋の奥には窓がついていた。おとなの腰ほどの高さまで真っ青なカーテンが垂れて、その下の壁は丸見えだ。
「ベッドなんてないじゃん……あっ」
深樹は自分のおしりを確認すると、兄に迫った。
「ベッドって、今ぼくたちが坐ってるやつ!?」
はるくんは、むつかしそうな顔をしていた。
満面の笑みでどら焼をパクついていた、その真っ最中の事件だった。あの大きな音が家中にひびきわたったとき、兄はベッドもろとも、部屋のむかいに弾き飛ばされたのだ。意味がわからない。意味はわからないけど、はるくんの薄い体はとにかく宙に舞った。フラッシュを焚いたように、あたりは真っ白だった。重たいベッドも軽いどら焼も、すべてのものが宙に浮いた。
爆発音をきいて深樹がかけつけると、部屋はすでにめちゃくちゃになっていた。
荒れ果てたちいさな部屋で、はるくんは血まなこになってどら焼を搔き集めている。包みをすばやく拾いあげては、キズや凹みがないか、ハラハラしながら確める。
深樹も立ち止まって、落ちていたガラスの欠片を拾った。
「本当にあったんだ……」
話がウソでないことは、この部屋を見れば明らかである。部屋が閃光に満ち、人やベッドを軽々と吹き飛ばす突風が、現実にここで巻き起ったのだ。
兄がどら焼を胸いっぱいに抱えて、部屋を見渡した。
「なにが原因かは、俺もわからないけどね」
深樹はガラスを握りしめた。
「どこが原因かは、わかるよ」
兄は目を丸くした。
「……どうしてわかるの?」
深樹は「だって」と、さっきのベッドを指さした。
「部屋を見てみて。ベッドも本棚もプリントも、おんなじほうに動いてる。みんな、ドアのほうに近づいてる。お兄ちゃんも吹き飛ばされたんでしょ?」
兄はアッと声をあげた。
「じゃあ、風上は飛ばされた方と逆……東か」
「それに、ほら。これも」
はるくんの手のひらに、深樹がガラスをのせた。
「これって……窓?」
「もし部屋のなかで爆発したなら、ガラスは家のそとに飛び散るはずじゃん。でもこれは家のなかにあった」
「つまり……答はここだ!」
はるくんがカーテンを開けた。
「あれれ?」
深樹も割り込んで、のぞき込む。
レースカーテンがなぜか二枚重ねになっている。白い薄手をもたもたと開けると、手前のとそっくりの青いカーテンが、もう一枚現れた。青、白、白、青。全部でカーテン四枚重ねだ。
「何これ……お兄ちゃんがつけたの?」
「俺、知らない。さっきは二枚だった」
深樹が四枚目のカーテンを開ける。かと思えば、すぐ閉めなおして、ずんずん後ずさり。
「なになに、どうしたんだよ」
腰をぬかして、深樹は窓を指さし、口をぱくぱく。何かを言いかける弟を横目に、はるくんはカーテンをのぞき込む。
窓の向こうに、いったい何があるんだろう?
この時間は、いつもなら夜の住宅街が見渡せるはずだ。でも、隙間からは見え隠れするのは青白い光。外はかなり明るいらしい。
最後のカーテンを、はるくんは開いた。