第72話 ハリケーン
「あらあら、今の攻撃は中々のものだったわよ?だけどまだ詰めが甘いわねぇ」
自分が持っているナイフの刃は間違いなく心臓へと刺さっているのだが…目の前の人物、リンの母親は全く堪えていない。
「うふふ…燐?私は毎回言ってるわよね…詰めが甘かったらお仕置きだって」
背中がゾワゾワして歯が無意識にガチガチと音を立てる
「ご、ごめ…」
ごめんなさいと言おうとしたが震えで声にならず、目尻にはじわりと涙が浮かぶ
「…駄目ね。残念だけど今日もお、し、お、き…ね」
母さんのあの恐ろしい笑顔…そして伸ばされる手……
あぁ、あの頃は地獄だったなぁ……
うっすらと意識が覚醒してきた中、全身に痛みが走ると同時…目の前には首を掴んで壁に叩きつけた張本人…シレーナがつい先ほど夢の中で見た母親のあの恐怖の笑顔と同じ顔をしていた
「あれだけの衝撃でも意識が飛ばないなんて…これはもう本気でやってもいいかしら?」
それはもう満面の笑顔でそう告げるシレーナにリンは口を開く
「クソッ!しっかり意識刈り取られてたわよ…悪夢のオマケ付でね!なんでわたしの周りにはこんな人ばかりしか居ないのよ!」
首を掴んでいる腕を離させるべく思いっきり腹部に蹴りを叩きこんでシレーナを弾き飛ばすが、地面を数回転がったシレーナはすぐに立ち上がると短く詠唱を行った
我が身に癒しを…『ヒール』
シレーナを淡い光が包むと傷が無くなっていく…さらに鍛練用の槍すらもう持っていなかった筈の手には美しい意匠が施されたグレイブを握っていた。
「あぁ、この感覚…久しぶりだ。久々に全開で戦える相手を見つけた」
冗談じゃない。たかが手合わせだと思っていたけれど予想外に相手は本気で殺るつもりらしい…
…だけど、上等じゃないの。そっちがそのつもりならこちらも全開でやらせてもらうわよ…!
私だって此方の世界に来てから一度足りとも全力を出したことは無かったのだ…ストレスも溜まっていたとも。
そうよ、大体なんで軽く手合わせするつもりがズタボロになって壁に埋まったりしなければいけないのか…
考え始めたら段々と苛々してきたリンは先程壁に叩きつけられた衝撃とそのせいで見た悪夢…元々そこまで温厚とは呼べない性格も相まって…キレた。
壁に埋まっていた体を強引に引き抜くと手元に村雨を呼び出して握り、口の中に溜まった血を吐き捨てる。
その場に居た人間は皆リンの左目である深紅の瞳が妖しく輝いたように見えた
「…ぶっ殺す!」
やはり同じ血を引いてるのは間違いない彼女らであった。
『つーか、あれは止めなくてもいいのか?珍しくリンの嬢ちゃんがマジギレしてんぞ…今まで見たことねぇぐれぇガチだ』
ガルも若干引き気味なのだが…あの場に割って入る事が出来るような人間がこの場にいる訳もない。
「そ、それならシュノアとガルで行ってきてよ!もしくはガイとか」
カレンの言葉に即答で
「無理だ」『ぜってぇお断りだな』
「いやいやいや!あんなんに割り込んだら一瞬で消滅させられんだろ!」
幾ら結界があるとはいえ痛みはあるのだから当然と言えば当然と言える。
「なんか凄まじい威圧感を感じて来てみれば…なにをやってんだか……」
「おい、ベアト…呆れるのは分かるが、それに反してお前の身体は今にも飛び出して行かんばかりに剣を握っているのは気のせいか?頼むからやめろよ…お前が交じればそれこそ収拾がつかん」
「…やはりこうなるか。シレーナ嬢にも困った物だが、まさか彼女まで理性を飛ばしているとはな…」
唐突に自分達の背後から聞こえて来た声に真っ先に反応したのはレンだった
「あ!ベアトリクスさん、ガストロノフさん、カリムさん…こんにちわ…」
「あら、レンじゃない…ねぇレン、あなたのお母さんはなんであんな事になってるの?」
レンが3人に事情を説明している間…
「なぁ?もしかしなくてもさ…あれって本物?全身鎧を着てる人は誰かわかんねぇけど…」
「間違いなく本人だよ。私はギルドで見かけた事あるし」
「…私も、先生の家で会ったから」
『まぁ疑うよなぁ…だが間違いなく本人だぜ?『灰塵』『天剣絶刀』『欠け月』…あそこで戦ってる『ハリケーン』にリンの嬢ちゃんを含めりゃこの街にいる使い手の中でも最強クラスがほぼここに集まってる事になんじゃねーか?』
「まさかこんな有名な人達が集まるなんて…」
かくして見物側は騒がしくなっていく
壁から無理矢理身体を引き抜いた後、ゴキッという音を立てて外れていた肩を戻したリンは取り出して咥えた煙草に火を灯す。
紫煙を吐き出しながらシレーナの出方を見ていたのだが…シレーナは手首を返してクイッと上に向ける
かかってこい…って事ね。上等!!
村雨を顔の横の位置まで上げて構える、霞の型と呼ばれる構えをとったリンはその場で豪快に村雨を振り抜く。
神速で振られた漆黒の刃は強烈に大気を切り裂いた。
「早坂流参乃型……疾空刃!」
村雨から放たれた斬撃は地面を抉りながら空を走りその後ろをリンは追いかける様に走り出した。
シレーナは斬撃が到達したと同時に防御するが…目の前に来ていたリンは容赦なく村雨の漆黒の刀身を煌めかせる。
「早坂流刀術…雷光閃」
「ライトニングランス」
リンが放った雷速の一撃に合わせて出が速い雷属性の中級魔術をぶつけて相殺するシレーナ
雷属性の魔術を当てられた事で体に痺れが来るが…そんな事は関係ないとばかりに振り抜いた状態の刀をさらに手首を返して振り下ろすリンに対してシレーナも自身の武器…ナイトメアで下からの斬り上げを繰り出してお互いの武器は凄まじい衝撃波を発生させて激突した。
「そんな細い剣でよくもまぁ…だけどそれじゃあまだ足りない!!」
「…ッ!」
鍔競り合いに持ち込まれると力で負ける…全身の骨と筋肉が軋むレベルで圧されるリンは打ち合いが不利と悟って咥えていた煙草をシレーナの顔に向けて飛ばす…と一瞬だけ力が緩む…その隙にホルスターからデザートイーグルを引き抜いて2発撃ち込んだと同時に片手では抑えきれなかったシレーナのナイトメアが村雨を弾き飛ばしてリンの脇腹を抉るが、シレーナも弾丸を受けて流石に堪らなかったのかそこまでで刃が止まった。
「…まだ、まだぁァァァァァ!!!」
動きを止めたシレーナにリンは脇腹に刺さっているナイトメアを無理矢理引き抜くと素早く追撃を放つ。
シレーナの腕を掴み、引き寄せて肩で当て身を食らわせてからトドメに全ての気力を込めて必殺の技を放つ。
「吹き飛べ…飛燕烈襲脚!」
限界まで力を込め、リンの脚部が悲鳴を上げながら横凪ぎに繰り出された必殺の技はガラ空きだったシレーナの胴にクリーンヒットして先程とは逆にシレーナが鍛練場の壁に激突して轟音と土煙に飲み込まれた。
全力で放った反動でリンは地面に片膝を着く。
「…ハァ、ハァ……やったか…?」
手応えは感じた。そもそもデザートイーグルもあの至近距離で撃ち込んでいるのだからこれで倒れてくれなければ……
吹き飛ばした方向を睨みながら考えを巡らせていると…
『ゲート』
唐突に背後から聞こえた声に驚いて振り向こうとするが、身体は全く動いてはくれなかった。
「まさか『吹き荒れる暴風鎧』まで使わされるなんてね。」
辛うじて振り向いた先には全身を渦巻く…正に暴風と呼べる風を纏って此方に手を翳すシレーナが見えた。
「私も化物って言われるけれど……シレーナ姉さんこそが本当の化物ね…」
魔術を学んでいないリンでも分かる程に練り上げられた魔力がシレーナの全身から溢れているのが分かる
「ふふ。久しぶりに吹き荒れる暴風鎧を使って防御しなければ流石に無事ではすまなかった。だから…リンには私の…当代最強と言われた魔法を見せてあげるわ」
シレーナがナイトメアを回転させながら詠唱を始める…流石に身体は言うことを聞かないし、動けたとしても避ける事も出来そうに無いと感じたリンは結界のおかげで死ぬ事も無いだろうと思って村雨を地面に突き刺して目を閉じた。
『我が契約せし風の大精霊シルフィアーネよ…我が声に応えその身を………』
詠唱の途中、突然声が途切れた事に疑問を感じて目を開くと…
「シレーナ嬢、それはやめておくべきだ…ここには子供達がいるのだぞ?少し頭を冷やせ」
欠け月の大曲剣を抜き払ってシレーナに突き付けるカリムと慌てたような怒ったような顔をしたベアトと心配そうな顔をしたガスが見えた。
「リン!またあんたは考え無しに!!いくら結界で死なないっていってもね、受けたダメージはただ単に精神…つまり魔力に肩代わりさせてるだけなんだから!あんなヤバそうな魔法なんて馬鹿正直に食らったら良くても魔力枯渇で倒れるか、悪くて何ヵ月か寝込む事になんのよ!馬鹿!」
肩をバンッ!とベアトリクスに叩かれた時、私の精神…魔力は限界を越えたようで…急激に意識が遠のいていく。
「…ン!あぁ!…しまっ…!」
「馬……!お前は馬鹿力な…だか…考えろ!」
「誰が馬鹿…ですっ…!」
「ぐぼぁ!」
最後に聞こえたのは盛大に誰かが殴られた音だった。




