第115話
「カディス…アンタには後で話がある。先に私の用事を片付けるから大人しく待ってて頂戴」
帝国の船から跳んで乗り込んできたリンが拳を鳴らしながらベントを睨む。
「おいおい…何なんだこの女は。分かってるのか?俺を殴れば生身の身体は腐って…ぐほっ!?」
ベントの言葉を遮り近づいたリンが放った拳は正確にベントの顔面を捉えて甲板へ叩きつける。
ベントを殴った拳が煙を上げているのを見てカディスが叫ぶ。
「姉御!!やめろ!ベントは腐蝕…」
煙をあげながら少し溶けた手を一瞥したリンは倒れたベントを掴んで持ち上げる。
「さっきのはクイーンオブヴェルサスと他の奴らの分。そしてこれは…」
殴った手と反対の腕を振りかぶってベントに強烈なボディブローを放ってブラッドファルクスのマストまで吹き飛ばしたベントにリンは…
「カディスとその家族の分」
両腕が爛れたリンが構わず腰からサーベルを抜き放ち構え…
「これが……ライガットの分よ!!」
リンがサーベルを投擲し、空気を切り裂き摩擦熱で赤熱してベントへと真っ直ぐ飛翔する。
「痛てぇ……?何で痛みを感じる…?!俺はアンデッド…?!ぉぉぉ!!?」
飛来したサーベルを避けようとしたベントだが間に合わずに身体を貫かれマストに縫い付けられる。
「ぐぁ…!こ、こいつは………ライガットの…?!」
突き刺さったサーベルには見覚えがあった…何度も殺し合いをしつづけたライバル…国の犬となった後も所属する国が違っていたので何度も戦った。
何度も何度も…
『今まで散々やりあった、だが今回は休戦しないか?それ程に魔の海域は…厄介だ』
『ま、良いがよぉ。目的の物を見つけたらどうする?』
『簡単に見つかるとは思えないが…そうだな…もし見つかった場合、改めて勝負するとしよう』
『乗った!!じゃあ暫くは休戦だ』
脳裏に浮かぶのは過去の記憶。
それはかつてまだ生身の人間だった頃の記憶。
「…裏切り者の末路、ってか…」
目の前にゆっくり歩いてくる女は腐蝕スキルの影響をモロに受けていて両腕から煙をあげていた。
「へへへ…さっさと楽にしてくれよ。やっと死ねるんだろ?」
「殺す?そんなつもりは最初から無いわよ。そんなことしても意味がないもの」
リンの言葉が理解出来ずに反応を忘れたベントが呆けていると…カディスが近づいてくる。
「姉御…気がついていたんすね。もうベントと俺達には呪いの影響が無いって事に」
「…まぁね。元からそうだろうとは思ってたわ…確信したのはちょっと前だけどねぇ」
話している途中でリンに付いていたスケルトンが走ってきてリンの腕の治療を始めたのを見たカディスは少し安堵する。
「ベント、アンタを殴ったのはライガットから頼まれたから。あとね…呪いが解けてもそのまま消えずにいられてるのは多分ホスローの慈悲みたいなもんじゃない?」
一体何を言っているんだ…?呪いが解けてる?
「話せば長くなるから簡単に話すけど…私が呪いの大元である死神ホスローを解放したのよ。カディスはホスローの呪いとは別のものだって言ったけど厳密にはそうじゃない。ホスローの呪いの影響を受けたライガットからの呪い。これがアンタを縛った呪いって訳なのよね」
「ライガットから?…まぁ呪われたとしても仕方ねぇ事をしたからあり得ない話ではねぇがよ…じゃあ何故呪いが解けてる?」
ベントの疑問はもっともだがリンが口を開く前にカディスが口を開く。
「ライガット船長が…死んだからだろうな。呪いに取り込まれた時点ではホスローが健在で関係なかったが…そのホスローを姉御が解放した時にライガット船長も解放されたからお前の呪いは解けてたってこった。それを悟らせなかったのは俺が誤魔化してたって訳さ」
「そういうこと。カディス、あんた…本当はこれから先も永遠にベントの呪いが解けてないって偽装し続けるつもりだったでしょ?罪を忘れさせないように…ね」
「姉御の言う通りで。裏切りの代償は永遠に苦しみを味わわせる事で償わせるつもりでした。だが…」
「…決着をつける事を選んだ。理由は想像出来るから良いとして…どう?もう良いの?」
「……俺がやりたかった事は姉御がやっちまった。良いも何も…」
「ねぇ…私が言いたい事分かってるわよね?これ以上誤魔化すなら私が全てにケリをつけるけど?」
「…………」
カディスの沈黙にリンは不機嫌そうに眉を動かして溜め息を吐く。
「ホスローもライガットも納得してる以上私としてはさっさと終わりにしたいんだけど…カディス、アンタがわざわざ私を利用してまで辿り着いたこの状況…さっきも言ったけど私が終わらせてもいいの?」
カディスはリンが投擲して突き刺さったライガットのサーベルを引き抜いてベントへ向き直る。
「ベント、今すぐ解放されたいか?」
「…………」
「昔からお前達とは何度もやりあったがよ…ここらでハッキリ決着をつけねぇか?じゃないと俺も…いや、俺達とお前達…どっちも前に進めねえだろ?」
お互いに長いこと呪いのせいで苦しみを味わってきた。ベントも自分が助かる為にライガット達を騙した結果呪われた以上自業自得であることは分かっている。
「…そうだな。望めば解放される…だが俺にも負い目ってもんはある」
カディスがライガットのサーベルを引き抜いた事で動けるようになっていたベントが近くに転がっていた自分の剣を拾うと構える。
「だが…謝る気はさらさらねぇ!俺達は無法者!生き延びる為ならなんだってやる、そうやって生きてきた!端っから騙される奴が悪いってこった!」
「言いたいこたぁそれだけか?ベント!」
お互いに叫びを上げて斬り結ぶ。その光景を見ていたリンの目に映るのはグールとスケルトン…だがそこに二人の生前の姿が重なっている様に見えた。
「男というのは面倒なものだな」
「そう?単純でしょ。結局殴り合わないと納得出来ないのだから」
いつの間にか隣に来ていたソフィアがカディス達を眺めながら呟くがリンは首を振ってそう答えを返す。
「…アンタはこれからどうするの?私としてはもう一度戦うのは遠慮したいんだけど」
「つれない事を言うなぁ。私は何度でも相手願いたいが?…とはいえ面倒な事態になりそうだから暫くは休戦しようじゃないか」
面倒な事態?
「それは…帝国が異世界人を集めている事に関係してるのかしら?」
「それもある。だがそれよりも…余計な刺激を与えて竜の尾を踏み抜く必要もないだろうと思ってね」
ソフィアは首を傾げるリンを見て戦った時の現象を思い出す。
最初は普通に戦っていたが途中から明らかに気配が変わっていた。
人格から何から全部がまるで別人であり内包していた魔力の質まで変わっていたのだ。
「…まぁ何がきっかけとなって切り替わるのかが分からん以上下手な事は出来ないという事だ」
死者を呼び出すあの能力…今回たまたま黒騎士が呼ばれたのか、それとも本来は自由に呼び出して使役出来るのか…あの時黒騎士が勝手に呼ぶな、と言っていた事から承諾がなければ指示は受け付けないという可能性はある。
あんな伝説クラスの化物達を次々と野に放たれたら世界が滅ぶぞ。
「もう一度聞くけど帝国は…何故私達みたいなのを集めている?」
「詳しくは知らんよ。私は帝国内でも少し立ち位置が特殊でね、軍の中では幅が効くが政治に関してはサッパリ関わりがないのさ」
「どういう事よ?」
「ふむ…まぁ簡単な話だ。私の家と親友であるシュバイツァー家は帝国の中では武門で名を知られる一族だ。他の貴族連中は茶会やパーティーを開いて繋がりを強くしていたが私達の場合そうはいかない理由がある。私の家は“右の剛剣“シュバイツァー家は“左の魔剣“…帝国内で我々の家だけが唯一皇帝陛下を諌める役割を与えられている」
「なるほど、だから政治に関わるのはよろしくない訳ね。公平な判断が出来るように」
「厳密にはそこに大貴族である他の四侯爵家が入る訳だが…私のアメレール家、シュバイツァー家に関して四侯爵家には我々を裁く権限がない。だが裁かれぬからといって我々が帝国を裏切ることは出来ない。古い誓約があるからだ」
「それでよく貴族が納得したもんねぇ」
「納得するしかないのさ。元々は我々に対する抑止力として元老院と貴族院があったのだが…裏で色々と企んだ挙げ句に“修羅戦争“を引き起こした事で我々が根こそぎ掃除した。徹底的にな」
「それで貴族連中は勢力が弱い訳ね」
「あぁ、本来なら四大貴族家も滅ぼす予定だったが陛下から処刑するのは関わった当人だけにしろ、と厳命されてしまったからね。残った子息やらが当主を引き継いだお陰で断絶は免れたのさ」
「アンタらが反逆したら帝国は滅びそうだわ」
「さっきも言ったが私達の家は帝国に対して細かい誓約を結んでいるのだ。内容は秘密だがね……っと長々と喋り過ぎたな」
ソフィアはこれ以上内情を話す気は無いらしい。
話している間も戦っていたカディスとベントがお互いに弾かれ距離をとる。
「…こんのボケがぁ!いい加減くたばりやがれ!腐れグールが!」
「うるせぇなぁ!骨しか残ってねえから脳ミソで考える事も出来ねぇカスが!」
身体が腐っても生前に鍛えた技を忘れる事などない。ベントとて元は実力で帝国領を荒らして回った海賊の首領…それに対してカディスは実力はあるがベントと互角だったライガットにはついぞ勝つことは出来なかった。
二人が斬り結ぶ度にカディスの骨に罅が入っているのを見ていたリンとソフィア。
「彼も中々の使い手だが相手の方が1枚上手だな。あの構えは古い帝国式剣術だ、骨の身には堪えるだろう。…それに、だ…彼等はお互いアンデッドだろう?普通に戦っても決着はつかないと思うが?」
ベントが斜めに剣を構えたのを見てソフィアがそう言ったが…リンは口角を吊り上げて笑う。
「ふふ…カディスがベントに劣る?アンデッドだから決着はつかない?…それはどうかしらねぇ。カディス!」
リンの声にチラっと視線を移したカディスが頷くのを見たリンも頷き返す。
「何を余所見して…あぁん?」
カディスが今までのサーベルと短剣の二刀流から短剣を鞘に納めてサーベルのみを構えるのを見たベントが嗤う。
「クハハ!二刀流で勝てやしなかったのにわざわざサーベル一本にしてどうするってんだ?元々俺に勝てなかったから二刀流にしたのを忘れちまったのかよ!」
「あぁ、そうさ。昔からお前に勝てなかった俺にライガット船長が仕込んでくれたのが”カルスベイル流”だったがよ…姉御が教えてくれたこの技は…俺達みてぇなのに対しては最高の技だぜ?」
カディスが最初にリンの剣術を見た時…カディスは驚いたのだ。
リンがライガットのサーベルを握ったあの時、その周りにいた呪いの影を瞬殺したあの剣技…リンからすればただ周りにいた敵を薙ぎ払っただけだったがカディス達からすれば今まで自分達が散々犠牲を出しながら戦ってきた敵が呆気なく斬り伏せられたのだから。
その後カディスはリンにどうしたらリンの居るその境地に辿り着けるのか聞いた時、リンからの答えは…
「もう辿り着いてるでしょう?少なくとも私には相当長い時間研鑽を積んだ動きなのは分かるし…どうしたら、ねぇ…」
「教えてくれ、姉御は斬れない筈の呪いすら斬っただろ?それが掴めりゃ…」
「あぁなるほど…それならなんとかなるかもね。ただし…使えるようになるかはアンタ次第よ、カディス」
あの時姉御は俺次第だと言ったが…その意味を俺は勘違いしていた。
技量や経験、それも確かに大事だろう。だが…姉御はそんな事を考えて俺次第、と言ったんじゃねぇ…
「お前を倒したい、ライガット船長と同じ場所にいたお前を!」
ベントが力強く踏み込み、生前よりも洗練された剣…グールとなっても尚磨き続けたその剣技、全てをその一撃へ込めたのは長きに渡る因縁を断つ為に。
カディスがリンに教わったのはたった1つの技…教わると言ってもリンが繰り出したその技を見て、そして身をもって受けた…ただそれだけ。
教える為に全力で技を放ったリンがカディスに言ったのはただ1つ。
”耐えて掴め。それでアンタなら分かるから”
「…確かに分かった、そのお陰で掴んだ!」
”破魔の一閃……『斬魔閃』”
いいカディス?これは私に剣を教えてくれた祖母の言葉なんだけどさ…
倒れた俺に姉御が語ってくれた意味が今なら分かる。
『斬るではなく“断つ“その意志を込めた一太刀こそが全てを断ち斬る技と成す』
お互いの剣が交差しカディスのサーベルがベントの身体を、ベントの剣がカディスの身体を捉えて振り抜いた姿勢でお互いに静止する。
「……クハ。…あのひよっこが…なぁ。ライガット…お前の言った…通りだった…な」
「ひよっこって言うんじゃねぇ…まぁ向こうで船長に謝ってこいや“血塗れベント”」
ベントの身体が灰となり風で舞い上がると同時にベントの部下とその船…ブラッドファルクスも同じ様に灰になり消えていく。
「姉御…やっと、終わりやした…」
「そう、良かったじゃないの」
甲板に倒れこんだカディスの隣に来たリンにカディスがそう言うが…リンは一言だけそう言って黙った。
長い間縛られたものから解放される…終わった、その言葉にはどれだけの想いが込められているか…リンには分からない。
「…カディス、もうアンタ達の旅は終わった。無理して私に付き合わなくてもいい…家族も見つかった、故郷に帰って眠るのも悪くないんじゃない?」
「それは…」
「私ならどうにでもなるから気にしなくていい。なんなら丸太でも大丈夫だし」
「姉御…それは無理でしょうよ。いや、本当に大丈夫かも知れねぇのが怖いが…前にも言った筈ですぜ?俺達は姉御と契約した、姉御が進む先が俺達の進む道でさぁ…ライガット船長が倒れたあの時、救ってくれたのは姉御だ。俺達の船長はあの時から姉御しかいねぇよ」
周りに集まっていたスケルトン達も次々と頷く。
「…馬鹿ばっかりね。折角ゆっくり眠る事が出来るってのにさ…ならもう暫く付き合って貰うわよ?」
「勿論、姉御が望むままに」
「それはそれとしてアンタ達が私を置いてきぼりにした事に関して話をしましょうか?」
拳を鳴らしながら笑顔を浮かべるリンを見て一部のスケルトン以外が走ってその場から逃げていく。
あぁ…やっぱ覚えてたんですかぃ…ちくしょう。
「やっとこっちに来たかベント。待っていたぞこの裏切り者め!」
「ライガット!まさかあの世でもおめぇとやりあう事になるなんてなぁ!」
お互いに剣を抜こうとした時…
「死んでまで喧嘩するな。鬱陶しい」
派手な飾りがついた帽子を被っている男が声を放つ。
「誰だよおめぇは」
ベントの問いにライガットがあー、と何故か言いにくそうに答える。
「…死神ホスローなんだそうだ。俺もさっき聞いたがな」
「まじかよ………」




