戦の前の下準備
俺たちが住んでいるのは周りを海と山に囲まれた小さな町だ。
日本にくまなく苗字制度がいき渡った頃、ここでは山の上にある寺の坊さんがその高い視点から名前を付けていった。なので百年以上経った今でも、誰がどの辺に住んでいるのか分かったりする。
学校のある町の東側には東に関する名前が多いし、中央部では町を二分する川にちなんだものが多い。ちなみに、俺の名前は西森聡。当然、町の西側の森近くに住んでいる。
帰り道で中谷と別れてから、すっかり暗くなった夜道を歩きつつ彼女の真意について考える。…はずもなく、二人で図書館ということに動揺していた。
幸い、Xデーまで時間はある。
次の日、俺は近所のプラモデル屋敷に乗り込んだ。玄関先で敬礼しているロボットや、縁側で乙女チックに頬杖をついているロボット。庭の畑では、戦う使命をすっかり忘れた正義の味方が農作業を手伝っている風に配置されていた。色も大きさも様々だが、全部同じシリーズ物なので統一感があり、慣れれば違和感を感じない。
「…で、作戦会議か。部活の試合前にもそんなことしないのに」
プラモデル屋敷の元凶が答える。こいつの名前は森下洋平。何世代も前からのご近所さんだ。同じバスケ部の部長で、練習時間の大幅な削減から広い部室の確保まで、大変ダメな方向に権力を振るいまくっている。二人とも某有名マンガに憧れてバスケを始めたはずなのに、夢は一向に実現する気配を見せない。
「いや、一人で考えてても落ち着かないから来ただけだって」
「他人の事情にそこまで付き合えるのがよく分からん。まぁ、やらない善よりやる偽善だろう。そこそこの結果を目指して頑張れよ」
そう言って、完成したばかりのロボットを手渡してくれる。…これに相談しろということか。
「やらない善よりやる偽善か。相変わらず言うこときっついな」
「本当のことだ」
「何でこんなに嫌味なやつに育ったんだろうな」
「親友として、後日中谷との図書館デートの詳細を聞き出してやろうか?口の固さは保証する」
「いや、いいです。そもそもデートじゃねーから」
そう、断じてデートではない。洋平には詳しい話をしなかったから勘違いしたのだろう。相談相手のロボットと見つめあい、来るべき決戦の日を思う。
中谷が物語を楽しめないのは、設定の矛盾点が原因じゃない。全く現実と違和感の無いフィクションなんてそもそも不可能だ。目の前のロボットも、手からビームでも出せば、反動で自分が木っ端微塵になるだろう。突き詰めたリアルは邪魔になる方が多い気がする。
「やっぱり、読み手の視点に原因があるよなぁ」
ロボットの背景に洋平のニヤニヤした顔が見えて怖い。
「人によって正義の定義が変わるから、変な話になってるんだろうな」
「信念が違うだけだろう。勝った方が正義になるんだよ」
棚の上で盛大に戦っているプラモデル群を洋平が指さす。
「もっともらしい理由さえ付ければ殺人も正当化しそうだな」
「自分が納得できればいいだろ。現実の殺人犯の動機聞いても納得できるものの方が少ないと思うぞ」
「そうなると何でもアリだな」
中谷も正義や信念が多面性を持つことに気づいたから悩んでいるのだろうか。でも、それならば読む本には困らないはず。ファンタジーでしか楽しめない何かが失なわれそうだからこそ、あいつは悩んでいるんじゃないのか。
食い入るように見つめても、プラモデルは答えを返してはくれない。
真剣な俺の顔を見てニヤニヤしている背景に話しかける。
「お前、面白がってるだろ」
「もちろん。まぁ、中谷をからかったりはしないから安心しろ」
「俺はからかわれるのかよ」
「初デートを前に緊張している親友を」
「だからデートじゃないって!」
遮るように言って、早々に話を切り上げる。このままだと永遠にからかわれそうだ。
何だかんだとダラダラ遊んでから、帰る前にふと思い出してさっきのプラモデルを手に取った。それを神棚の前で両膝をつかせてから、頭を下げさせた。
「中谷の悩みが上手く解決するよう、俺の代わりに祈っといて」