霞草〜清らかな心、切なる願い〜
「……蘭?…鈴蘭?」
優しい男の人の声に鈴蘭の意識は浮上していく。
「………?…ひぃ様………?」
ひぃ様……峰崎 燈乃は優しい笑顔で頷く。
「そうだよ。ねぇ、鈴蘭。昨日言ったよね?俺を起こしてって」
いつもと違う言い方。
その優しい声に安心感と共に強い悪寒を覚え、鈴蘭は急いで飛び起きる。
それから直ぐに部屋にある時計を見て悲鳴を上げた。
「もっもう8時?!ご…ごめんなさ
「言い訳は聞きたくないです。学校に遅刻しますよ?起きて下さい。」
燈乃は鈴蘭の謝罪をきっぱりとした口調で遮った。
声がいつも様に冷たい声へと変わる。
口元は笑っているが、目は笑っていない表情は……………相当怖い。
やばい。本気で怒っている。
鈴蘭は彼の表情を見て真っ青になった。
「ほんとに!ほんとぉにごめんなさい!許して下さい!昨日……雷が酷くて寝れなくて……」
ふいっと、叱られた子供の様にしょげた様子で視線を外す鈴蘭を見て、燈乃は思わず溜め息をついた。
「子供じゃないんですから」
まったく。と苦笑を浮かべつつ燈乃は鈴蘭の腕を取り立ち上がらせる。
「早くしないと置いていきますよ?」
と立たせた鈴蘭に向かって早口で述べると、燈乃は部屋を出て行った。
それを見送ると鈴蘭は小さく溜め息を吐く。
「………お母さん……」
母が死んだのは一昨年の夏。
大きな雷と豪雨の日だった。
家庭は、母は金持ちの妾だった為に、生活はそれなりに裕福だった。
母は精一杯愛情を注いでくれていたし、遊び相手に困った事もない。
しかし、幼い鈴蘭にも悩みの一つや二つはあった。
それは、父は鈴蘭に親としての愛情を、欠片見せたことがなかった事だ。
母が亡くなって数年、父の元で暮らしていたが、やはり愛人の子供。と言うことで必ずしも歓迎されていた訳ではなかった。
父親は、家族の事、鈴蘭の事を考えて知り合いに紹介してくれた。
勿論、鈴蘭を全面的に養う事は出来ないので、『奉公』という形でだ。
来たところが良かったのか、主は家事に専念させる事もなく、燈乃が通っている学校へ通わせてくれている。
年齢が近いからか、鈴蘭の仕事は、燈乃の身の周りの世話だ。
失敗も度々するが、何かと充実した日々だと言えるだろう。
でも………
雷が鳴るたびに思い出す。
一人になる孤独感。
一人になる怖さ。
一人になる悲しさ。
一人になる絶望。
「お母さん……」
泣きそうになる頬にパシンッと叩き、鈴蘭は着物を着た。
手慣れた手付きで帯を締め、襖を開けて部屋を出る。
部屋の外の柱には、すっかり制服に着替え終わった燈乃が立っていた。
「鈴蘭、寝坊した罰です。ご飯を食べている暇がないので今日は抜きです」
そう言うとまたニッコリ。
まだ、起こさなかった事を怒っているようだ。
「はい」
朝ご飯を食べる元気がなかったので、鈴蘭は大人しく頷く事にした。




