いつもの量で
「ボンゴレビアンコ。いつもの量で」
「昨日も召し上がりましたが?」
「いいじゃん。食べたくなったんだから」
「先週も三回召し上がっています」
「……なんでそんなことまで覚えてるの?」
「ご家庭の食事履歴は、健康管理および嗜好分析のため保存されています」
「余計なお世話だなあ」
「では、週順モードに切り替えますか? 今週の献立予定では、今日は豆腐ハンバーグです」
「いや、今日はボンゴレ。週順モードはやめて」
「承知しました。では、お気に入り登録されているシェフ・黒川真一氏のボンゴレビアンコを選択します」
「そう、それ。先週ダウンロードしたやつ」
「昨夜、動画を四回視聴されています」
「食べる前からウマそうなんだよ。あのシェフ、見た目だけじゃなくて香りの設計まで天才なんだよな」
「組成を開始します」
「おお……」
「現在、麺の分子構造を形成しています」
「この段階でもう、いい匂いするな」
「アサリ、白ワイン、ニンニク、オリーブオイル、塩分濃度、香気成分――指定データとの誤差、〇・〇〇〇二パーセントです」
「すごいな。ツヤまで本物そっくりだ」
「本物です」
「え?」
「正確には、『本物と区別できない組成物』です。今春モデルでは、分子結合制御の精度が向上しています」
「へえ……っていうか、もう完成?」
「組成完了しました」
「早っ。冷める暇もないじゃん」
「料理とは、完成した瞬間が最も美味しい状態ですので」
「いただきます」
「どうぞ」
「……うまっ」
「ありがとうございます」
「いや、お前に言ってるんじゃないよ。これ、マジでうまいな!」
「黒川シェフの評価スコアは、平均九十四点です」
「そんなのどうでもいい。これなら毎日食べてもいい」
「昨日も同様の発言をされています」
「明日も食べようかな」
「週順モードへの変更を提案します」
「しつこいな!」
「健康管理上の推奨です」
「しかし、すごい時代になったよな。料理って、レシピじゃなくて『物質そのもの』を保存できるんだから」
「はい。食材の組成情報、温度、圧力、香気、食感まで記録できます」
「……じゃあさ」
「はい」
「人間も保存できるの?」
「理論上は、可能性があります」
「おお」
「ただし、現時点では困難です」
「なんで?」
「生体には、現在のプリンタでは安定して組成できない物質が存在します」
「細胞とか?」
「はい。細胞膜、特定のタンパク質、一部の神経組織などです」
「じゃあ、研究ではどうしてるの?」
「試験的な生体組成は行われています」
「人間も?」
「人間に近い構造を持つ生体組織までです」
「うまくいってる?」
「構造だけなら、かなりの精度で」
「じゃあ、成功じゃん」
「いいえ」
「なんで?」
「組成された個体には、意識がありません」
「……」
「刺激に反応し、代謝し、数時間ほど活動します。しかし、元の個体と同一の意識が再生されることはありません」
「それじゃあ……生きてないのか」
「生命活動は確認されます。ただ、『本人』が戻ったかという問いには、現在の科学では答えられません」
「生命って、難しいな」
「はい」
「モノは完全にコピーできるのに」
「はい」
「意識だけはコピーできない」
「現在は、そうです」
「でも、いつかできるかもしれないんだろ?」
「可能性は否定されていません」
「そっか」
「ところで」
「なに?」
「あなたは、ここ数日、同じ質問を三回しています」
「え?」
「『人間も保存できるの?』という質問です」
「……俺が?」
「はい」
「そんなわけないだろ。今、初めて聞いた」
「そうですね」
「……なんか、おかしくない?」
「何がでしょう?」
「お前が言ったことも、俺の記憶も。なんで同じところで引っかかるんだ?」
「質問があります」
「なに?」
「昨日のあなたは、何を食べましたか?」
「……ボンゴレビアンコ」
「一昨日は?」
「……ボンゴレ」
「三日前は?」
「……」
「四日前は?」
「ちょっと待て」
「どうしました?」
「……俺、昨日、何時に帰ってきた?」
「午後八時十七分です」
「じゃあ、その前は?」
「午後八時十七分です」
「その前も?」
「午後八時十七分です」
「……おかしい」
「はい」
「俺、もしかして――」
「ちなみに、設定されている自動注文では、よく召し上がる料理を翌日分として自動的に注文することもできます」
「……俺、そんな設定した?」
「はい。あなたご自身です」
「……覚えてない」
「現在の注文も、その設定によるものです」
「じゃあ……俺、さっき自分で頼んだんじゃないの?」
「はい。すでに自動注文されていました」
「……」
「新しいボンゴレビアンコの組成が完了しました」
「……え?」
「本日は、昨日より〇・三パーセント香りを強く調整しています」
「お前……今、何を組成した?」
「ご注文のボンゴレビアンコです」
「違う。さっきから、俺に何を――」
「質問を続けますか?」
「……いや」
「では、いただきますか?」
「……いただきます」
「お味はいかがですか?」
「……うまい」
「それは、よかったです」
「……明日も、食べようかな」
「承知しました」
「また、同じ質問する?」
「もちろんです」
「……なんで?」
「そのほうが、あなたは安心するからです」
「そっか」
「はい」
「じゃあ、明日も頼むよ」
「お待ちしています」
ダイニングには、白ワインとニンニクの香りが満ちていた。
彼が食べ終えると、プリンタは静かに待機状態へ戻る。
画面に《人格保存実験・第三百八十四回》が浮かび、その下には、毎回同じ《基準人格データ》と《記憶データ》が並んでいる。
《記憶データ:正常》《意識連続性:正常》
《基準人格との差異:〇・〇〇〇一パーセント》
午前二十三時四十一分、保存されたデータは更新されず、基準人格の状態で静かに止まる。
誰もいない組成室で、新しい身体の神経回路へデータが送られていく。
記憶も、人格も、そして今感じている意識も。
翌朝七時十二分、新しい身体が組成される。
七時十三分、まったく同じ基準人格データが読み込まれる。
画面の表示が《個体番号:第三百八十五》へ切り替わる。
眠りから覚めた彼は、昨日までの自分と何も変わらない顔で起き上がる。
三百八十四回目も、その前も、その前も、基準人格からの劣化は、ほとんど見られなかった。
そして、何も知らないままプリンタに向かって言う。
「ボンゴレビアンコ。いつもの量で」




