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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

鷹の目は涙を流さない ――七男坊の冷徹な帳簿と、人肉を食らう官吏たち――』

作者: 新里泰久
掲載日:2026/05/02

 インクの匂いが鼻に突く。安物の羽ペンが紙を引っ掻く、耳障りな音。

 広間では、父が。猪のような首筋を真っ赤に染め、先祖伝来の錆びた剣を振り回している。その背後で、兄たちが「騎士の誇り」という、換金性のない概念を叫んでいた。

 窓の外。村を囲む「防護結界」が、腐った果実の皮のように剥がれ落ちていく。魔法省の貴族官僚どもが、魔力の分配率を計算ミスした結果だ。

「ニック! 貴様、なぜ剣を取らん! 末っ子といえどヴァルガの血を引く者だろう!」

 父の怒号。唾液がこちらまで飛びそうだ。私は鷹の目で、父の血管の浮き具合を観察する。血圧が心配だ。死なれると、相続の事務手続きが面倒になる。

「父上。剣で斬れるのは、実体のある絶望だけです」

 私は手元の書類に、淡々と「魔獣雇用申請書」と書き込んだ。

 魔法は、もはや神秘ではない。官僚機構の末端に組み込まれた、摩耗する部品だ。

 貴族が独占する魔導印。それが押されれば、火は燃え、雨は降る。だが、近年の押印は、インクの質すら疑わしい。魔法省の若手官僚は、マニュアル通りの魔力しか供給せず、残りは自らの懐へと着服する。

 その結果が、この結界の剥落だ。

 森から、影が這い出してきた。

 「獄炎の牙」と称される魔獣。家を焼き、人を食らう、歩く自然災害。

 兄たちが突撃しようとする。私はその前に立ち、一枚の紙を空へ掲げた。

「待て。これより、あの魔獣は魔法省・臨時徴収官『魔獣一号』として登録された。これは行政執行だ」

 一瞬、空気が凍りつく。

 魔獣が咆哮を上げ、一軒の民家の屋根を粉砕した。燃え上がる瓦礫。

「何を言っている、ニック! 家が壊されたのだぞ!」

「いいえ。あれは『老朽化した建築物の公的解体』です。魔法省の古い規定第104条によれば、魔力を帯びた生物による破壊活動は、事前申請があれば公共事業として認められる。私が先ほど、速達の魔導通信で魔法省に『事後承認』を強制的にねじ込みました」

 魔獣は、目の前の牛を食いちぎった。

「食われている! 民の家畜が!」

「『官吏への現物支給による給与』です。計算上、牛二頭で彼らの腹は満たされる。その後、彼らは満腹で森へ帰るでしょう。それまでの間、この村は『魔法省出張所』。手を出せば、我が家は国家反逆罪に問われる」

 私は懐中時計を見る。正確だ。

 魔獣は村を蹂躙し、腹を満たし、そして事務的に森へと消えていった。

 残ったのは、半分壊れた家々と、呆然と立ち尽くす騎士たち。そして、計算通り、煙を上げて燃える「公共事業」の跡地。

「これで、村には国から多額の『修繕補助金』が降ります。魔法省のミスによる事故なら一銭も出ませんが、公務による解体なら全額支給だ。父上、剣を納めてください。錆びた鉄よりも、この一枚の受理票の方が、領民を長く生かします」

 領民たちが、焼けた家を前に膝をつく。

 彼らの目は、救われた喜びではなく、理解不能なシステムへの恐怖に揺れていた。

 これから彼らは、毎年、この「官吏」をもてなすための供物を、帳簿に付けなければならない。

 私は羽ペンの先を舐め、次の頁を捲る。

 世界は歪んでいる。ならば、その歪みの角度を測り、自分の歩きやすい斜面に変えるだけだ。

「さあ、事務を続けましょう。次は、死んだ牛の『公務死』認定です」

 私の声は、風に吹かれた羊皮紙のように、乾いて響いた。


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