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【地球が進化する日】 〜地球の夢を見る少女と、地球の声を聴く少年。ふたりが出会ったとき、世界は次のページをめくる〜  作者: 真野真名
【地球がクラスチェンジする朝に、君と出会った】

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第六話 写真の中の祖母と、ガイア知性研究所




 帰り道、学校を出て少し歩いたところで、私は折り畳み傘を開いた。


 パラパラという控えめな雨音は、数分後にはザーザーという本格的な本降りに変わった。白瀬くんが朝から黒い長傘を杖のように持っていた時点で、こうなることは確定事項だったのだ。


 私は雨粒を弾くビニール傘の柄を握りしめながら、水たまりを避けて歩いた。


『レムナント』。残響者。


 地球の記憶を夢として受け取る、特異なバグを持った人間。


 宇津木博士が楽しそうに名付けた大げさなネーミングは、自分のことなのに、どこか遠い国の神話かSF映画の設定のように思えた。


 でも――だんだんと、じわじわと。雨水がアスファルトに染み込むように、その言葉が私の中で確かな質量を持ち始めていた。


 私は狂っていたわけでも、ストレスで睡眠障害になっていたわけでもない。ただ、地球の古い記憶に、触れてしまうだけだ。



 夕飯を適当に済ませたあと、私は自室の押し入れの奥深くに頭を突っ込んだ。

 ホコリをかぶった古い段ボール箱を引っ張り出し、ガムテープを剥がす。中には、私が小学校に上がる前のアルバムや、クレヨンで描いた謎の抽象画が乱雑に詰め込まれていた。


 その底の方に、一枚の写真があった。


 五歳の私が、祖母の膝の上に乗ってピースサインをしている。祖母は、目尻に深いシワを寄せて優しく笑っていた。


『それはきっと、この星の夢だよ』


 私が「また変な夢見た。でっかい恐竜がいっぱい死んで、土にチュってする夢」と泣きそうになりながら訴えたとき、祖母は私を気味悪がらなかった。

 小児科に連れて行くこともなく、ただ私の頭を撫でて、静かにそう言ったのだ。


 あの頃は、ただの子供騙しの優しい嘘だと思っていた。

 でも、今ならわかる。おばあちゃんは、直感的に知っていたのだ。私が病気なんかじゃなくて、「本当のこと」を受信しているのだと。


「……言ってくれればよかったのに」


 私は写真の中の祖母に向かって、小さく文句を言った。

 でも、伝えてくれていたのかもしれない。「この星の夢だよ」という言葉で、ずっと私を肯定してくれていたのだ。ただ私がまだ小さくて、そのスケールの大きすぎるパスを受け取れなかっただけで。


 写真の中の祖母は、何も答えず笑ったままだった。




 数日後。

 私と白瀬くんは宇津木博士に呼ばれていた。


 宇津木博士の根城である『ガイア知性研究所』は、大学の立派なキャンパス内ではなく、駅から徒歩十分のうらぶれた雑居ビルの三階にあった。


 一階はシャッターの閉まったスナック、二階は怪しげな麻雀荘。そして三階の鉄扉には、マジックで手書きされたような薄汚れた表札がセロハンテープで無造作に貼られていた。


「……ねえ、本当にここ? なんか裏社会の事務所とかじゃないよね?」


 階段の踊り場で、私は隣を歩く白瀬くんに疑いの眼差しを向けた。


「公式には存在しない機関だからな。学術的に認められてないし、あのオヤジ自身も学会に認めてもらう気がないらしい」


 白瀬くんは躊躇なく鉄扉のノブを回した。鍵は開いていた。


 部屋の中は、予想通りの惨状だった。

 床から天井まで、本と論文のコピーと得体の知れないデータサーバーの束が、ジェンガのように積み上げられている。窓が一つあったが、大量の専門書に半分塞がれていて、光はほとんど入ってこない。

 空気は古本屋とコーヒーの出し殻が混ざったような独特の匂いがしたが、不思議と不快ではなかった。


 部屋の奥で、宇津木博士がパソコンのキーボードを親の仇のように叩いていた。


「おお、来たか若人たち」


 博士は振り返りもせず、机の上の資料の山から二つのファイルを引き抜き、背後のパイプ椅子にどさっと放り投げた。


「これ、過去のクラスチェンジにおける地殻変動と生態系の移行に関するデータだ。好きなだけ読んでいい。わからないことがあれば聞きなさい」


「あ、はい……」


 私がファイルを受け取った直後、博士はいきなり立ち上がり、皺くちゃのジャケットを羽織った。


「ただし、今夜は急遽、関東の地磁気観測所まで出張が入ったので、すぐにでも出なくちゃならん。朝までには帰るから、戸締まりは頼んだぞ」


「えっ? 呼んでおいて私たちだけに?」


「合鍵を渡す。火の元には気をつけてくれたまえ」


 そう言って、博士は本当に無造作に真鍮の鍵を私の手に押し付けると、「じゃ!」と嵐のように部屋を出て行ってしまった。バタン、と重い鉄扉が閉まる音が響く。


 残された私と白瀬くんは、静まり返った部屋でしばらく顔を見合わせた。


「……すごい人だけど、だいぶ雑だよね」


「あの人はいつもあんな感じだよ。自分の興味があること以外は、脳の処理対象から除外されてる」


 白瀬くんが呆れたように言い、埃を払ってパイプ椅子を引き寄せた。私も隣の椅子に座り、分厚いファイルを開いた。


 私たちは、しばらく無言で資料を読み進めた。

 一時間ほど読んだところで、私は活字の暴力に耐えきれず顔を上げた。


「ねえ」


「なに」


 白瀬くんは視線を資料に落としたまま答えた。


「第3次クラスチェンジって、ペルム紀末の大量絶滅のことだよね。ここに『当時の海洋生物の九六%、すべての生物種の九割以上が消滅した』って書いてあるんだけど」


「そうだな」


「それって……怖くない? 隕石のせいじゃなくて、地球が自分で、自分の上にいる生き物の九割を消去したってことだよね。サイコパスすぎない?」


 白瀬くんが、ページをめくる手をピタリと止めた。


「……子どもの頃、俺も同じことを思った」


 珍しく、彼の言葉に少しの間があった。


「地球の音を聴いてるとさ。どこかから生き物が集まってきて、わーっと増えて、そしてある時スーッと消えて、また別の形になって集まってくる。そういうサイクルを感じるんだ。そこに、悲しいとか、怖いとか、憎いとか……そういう人間っぽい感情は一切乗ってない」


「無関心、ってこと?」


「無関心とも違う。なんか……『必然』みたいな感じだ。次の形になるために、今の形を綺麗に終わらせる。そういう、とてつもなく巨大な静けさ」


 静けさ。

 その言葉が、私の夢の中の白亜紀の光景と完全に重なった。


「……校長先生の長い話が終わったあとの、卒業式みたいだね」


「そう……かもね」


 白瀬くんは短く同意した。


 窓の外から、遠くを走るパトカーのサイレンが微かに聞こえた。沈黙が降りたが、それは決して居心地の悪いものではなかった。


 私は再びページに目を落とした。


 日付が変わりそうな時間になった頃、私はもう一つ、ずっと気になっていたことを口にした。


「聞いていい?」


「なに」


「その……地球の音が聞こえるのって、いつから?」


 白瀬くんはしばらく、開いたページを無言で見つめていた。返事をするかどうか、自分の中の引き出しを漁っているような沈黙だった。


 やがて、彼はファイルをパタンと閉じた。


「物心ついたときから、だと思う」



 静かに、淡々と彼は話し始めた。




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