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【地球が進化する日】 〜地球の夢を見る少女と、地球の声を聴く少年。ふたりが出会ったとき、世界は次のページをめくる〜  作者: 真野真名
【地球がクラスチェンジする朝に、君と出会った】

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第十話 消えた蒼と、繋がれた手




 階段を駆け上がり、研究所に飛び込んだ私は、あおいと博士につかさとの会話を全部話した。


「……どう思う?」


 私が蒼に尋ねると、彼はしばらく黙考してから答えた。


「兄貴の言っていることは、人間の理屈としては間違っていない」


「そうだよね。奥さん、亡くしてるんだもんね」


「でも――」蒼は、自分の胸元を少しだけ強く掴んだ。「ずっと地球の音を聴いてきた俺には、少し違う感じがするんだ」


「何が違うの?」


「クラスチェンジの音は……『排除』の音じゃない」


 蒼は、自分の中の感覚を必死に言語化しようと、言葉を探すように間を置いた。


「恐竜が消えた時も、きっとそうだったんだと思う。地球は、彼らを『消した』んじゃなくて――『引き継いだ』んだと思う」


 引き継いだ。


 その言葉を聞いて、私の脳裏にあの白亜紀の夢が鮮明に浮かんだ。

 大地に静かに額をつける、巨大な影たち。悲鳴のない、卒業式のような静けさ。


「恐竜の魂が哺乳類に生まれ変わったとか、そういうオカルトチックな話じゃなくて」


 私は、自分の感覚を言葉に乗せた。


「地球がクラスチェンジするときに、前の時代が持っていた何か――形とか、記憶とか、生きていた証みたいなものが、ちゃんと次の新しい世界に『引き継がれていく』、みたいな感じ?」


「そう。口で言うと、新興宗教みたいで誰にも信じてもらえそうにないけどな」


「信じてもらえなくていいよ。でも、私はそう感じる。私たちは、同じ夢を見たんだから」




 その夜、私はベッドの中でずっと考えていた。


 司の言っていることは理解できる。愛する人を失うことへの恐怖も、痛いほどわかる。


 でも。

 もし、地球が人類を「切り捨てようとしている」のではなく、次の新しい形へ「連れて行こうとしている」のだとしたら?


 司の絶望から生まれた論理は、その可能性を完全に排除している。見えていないんじゃない。愛する者を失った痛みゆえに、見たくないのだ。


 その強固な悲しみが、私にはひどく恐ろしかった。



 次の日の放課後。



 蒼がいなかった。




 教室にも、中庭の桜の木の下にも、美術室の窓から見下ろせる場所にも、彼の姿はなかった。


 スマホを確認する。最後のメッセージは、昼休みに届いた一文だけ。


『少し調べたいことがある』


 何を。どこで。

 何度メッセージを送っても、既読すらつかない。


 私は震える指で、宇津木博士に連絡した。


『私も把握していない』即座に返信が来た。


『だが、アルゴスがキャンセラー装置を運び込む可能性のある施設の候補地が、市内に三カ所ある。蒼くんは単独で動いた可能性が高い。今から座標を送る。お前は来るなよ』


 来るな、と言われて素直に待っているほど、私は聞き分けのいい女子高生ではない。

 送られてきたマップの座標を見たまま、私はしばらく廊下に立ち尽くした。


 また、誰も教えてくれなかった。


 六歳のとき、「この子は睡眠障害かもしれない」と大人たちが勝手に私の病名を決めた時と同じ、あの冷たい疎外感が足元から這い上がってくる。

 誰かが私の知らないところで勝手に何かを決めて、私だけが安全な場所に置いていかれる感覚。


(違う)


 私は首を振った。蒼は一昨日、「これからは全部言うって約束する」と言ってくれた。


 でも今、彼はいない。


 気づけば、私は学校を飛び出し、駐輪場に向けて全力で駆け出していた。




 博士が送ってきた座標は、海沿いの寂れた工業地帯の外れだった。


 息を切らしてママチャリのペダルを立ち漕ぎする。日はすでに落ちかけ、街は逢魔が時の深いオレンジ色に染まり始めていた。

 走りながら、何度もスマホの音声入力で蒼の名前を呼んだが、無情なコール音が虚しく響くだけだった。


 怖かった。

 自分が「怖い」という感情をここまで明確に認識したのは、生まれて初めてだったかもしれない。


 クラスチェンジで世界が終わるのが怖いとか、秘密組織アルゴスに消されるのが怖いとか、そういうスケールの大きな話じゃない。


 ただ単純に――「蒼が、私の目の前からいなくなる」という事実が、ひたすらに、耐え難いほどに怖かった。


 なんでこんなに怖いんだろう。


 答えはもう、とっくにわかっている。わかっているけれど、それを明確な言葉にして認めてしまえば、私と彼の間の何かが決定的に変わってしまう気がして、私はひたすらペダルを踏み込むことだけに意識を集中した。


 巨大な倉庫群の中に自転車ごと突っ込む。


 夕暮れの斜めの光が、トタン屋根の隙間から埃を照らして幾筋も差し込んでいた。

 人の気配はない。波の音と、遠くで稼働する工場の重低音だけが響いている。地面の奥から、低い振動がかすかに足裏に伝わってきた。



 自転車を降りて歩き出そうとした私の足が、ピタリと止まった。

 三十メートルほど先の、錆びた倉庫の裏側。


 そこに、人影があった。


 コンクリートの壁に背中を預け、膝を抱えるようにしてしゃがみ込んでいる。


 見間違えるはずがない。少し猫背気味の、私の知っている背中だった。


「蒼くん!」


 自転車をその場に放り出し、私はコンクリートを蹴って走り寄った。


 彼の顔を覗き込んで、息を呑んだ。


 蒼は、目を開けていた。耳には、工事現場で使うような分厚いノイズキャンセリングのイヤーマフをきつく押し当てている。そして、鼻の下には、一筋の乾いた血の痕がこびりついていた。装置の出す人工的な干渉波か、あるいは地球の異常なノイズを至近距離で浴びたせいだろう。


 私を見た彼は、ひどく驚いたように目を丸くした。


「なんで……来た」


「なんで来たって――」


 私の声は、情けないほど震えていた。


 彼が勝手な行動をしたことに怒っているから震えたのか、それとも無事な姿を見て安堵して泣きそうだから震えたのか、自分でもよくわからなかった。


「なんで、一人で行くの!」


 怒鳴るような私の声に、蒼は少し顔をしかめ、何かを言い訳しようと口を開きかけた。「危ないから」か、「俺と兄貴の問題だから」か。そんな、つまらない予防線を張ろうとする顔だった。


「言わないで!」


 私は彼が言葉を発するより早く、その言葉を遮った。


「『危ないから』とか、『俺の家族の問題だから』とか、そういうの、絶対に言わないで」


 喉が詰まった。深呼吸をして、無理やり空気を肺に押し込む。


「……一昨日、全部言うって約束したじゃん。嘘つき」


「……ごめん」


「謝ってほしいんじゃない!」


 倉庫の影が、私たちの足元で長く伸びていた。


「私が、蒼くんと一緒にいたいって思ったら――それはダメなことなの?」


 蒼が、完全に言葉を失った。


「蒼くんにとって、私は何なの? 一緒にいて、隣に座って、同じ景色を見る『理由』のある存在なの? それとも、ただの都合のいい観測データ?」


 沈黙が落ちた。


 波の音だけが、やけに大きく聞こえた。


 やがて、蒼がゆっくりとイヤーマフを外し、首から下げた。


「……一緒にいる理由のある存在、というより」


 彼は、私の目を真っ直ぐに見つめ返して言った。


「俺にとって君は、『一緒にいたくない理由が、一つも見つからない存在』とも言う」


 ……なんだそれ。


 こんな切羽詰まった状況で、そんな照れ隠し全開のまわりくどい言い方をする人間が、この地球上に他にいるだろうか。


 でも今は――その不器用すぎる一言だけで、十分だった。


 立ち上がろうとした蒼が、足元のバランスを崩して少しよろけた。

 コンクリートの壁に手をついて身体を支えようとした彼の手を、私が先に、両手でギュッと掴んだ。


 ――気がついたら、そうしていた。


 蒼が、ビクッと肩を揺らして動きを止めた。


 私も、止まった。

 手を、しっかりと握りしめたまま。


 離すタイミングを脳内で計算しようとしたけれど、なんとなく、離せなかった。いや、自分から離したくなかった。


 蒼は、掴まれた自分の手を見下ろし、それからゆっくりと顔を上げて私を見た。何か言おうとして――結局、何も言わなかった。

 代わりに、彼の手が、私の手をゆっくりと、でも確かな力で握り返してきた。


 鼻血の乾いた痕があって、地球の異常なノイズに耐えて、雨の日にはいつも律儀に折り畳み傘を持っている人間の、右手。


 地球の極低周波を聴きすぎて一分間気を失うような、人間離れした体質の彼の手は――私が想像していたよりも、ずっと、ずっと温かかった。


「……帰ろう」


 私が小さく言うと、彼はこくりと頷いた。


「……うん」


 帰り道、自転車を押しながら歩く間、私たちは一度も手を離さなかった。

 蒼も、絶対に離そうとしなかった。


 ただそれだけのことが――その日の夕暮れの、世界のすべてだった。




 夜中の二時。

 ベッドの中でスマホが震え、蒼からのメッセージを告げた。


『今夜の倉庫、アルゴスの前哨基地だった。キャンセラー装置の中核部品がすでに搬入されてた。あいつらの動きは早い。稼働まで、早ければあと二週間だ』


 二週間。

 それがどういう意味かは、もう痛いほどわかっていた。


 クラスチェンジを人為的に妨害し、地球のシステムにバグを起こす巨大な装置が動き始める前に――私たちは、何かを決めなければいけない。


『宇津木博士にはもう伝えた?』


 私が返信すると、すぐに既読がついた。


『今から連絡する』


『私も行く。次はどうするか、三人で話し合おう』


 少しだけ、間があった。


『わかった。……今度は、絶対に一人で行かない』


 それが彼の返信だった。それは、一昨日よりもずっと強固な、新しい「約束」の形だと思えた。


 私は机の上のライトをつけ、スケッチブックを開いた。

 今日描くのは、太古の夢の景色ではない。今夜の、現実の出来事だ。

 錆びた倉庫の壁。斜めに差し込む夕暮れのオレンジ色の光。壁に寄りかかってしゃがんでいる、少し猫背の背中。


 それから――画用紙の右下の端っこに、小さく、不器用に繋がれた二人の手を描いた。


 人物を描くのは相変わらず苦手で、お世辞にも上手いとは言えなかったけれど。


 それでも、今の私にとっては、世界で一番いい絵だと思った。




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