第六話 「That pipe dream she saw 後編」
精霊と共存する事を選んだ国と精霊を使役する事を選んだ国が引き起こした戦争により、世界は二つに割れた。
そこで少年達は選択する。
こちらは”精霊と魔法そして人間が当たり前に共存する世界”の物語です。
お楽しみ下さい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
商業区中央広場の出口に先回りした俺は行列の先頭集団の兵士に足止めを食っていた。
「通してくれ。彼女に用があるんだ」
俺が用があるのはこの兵士の後ろ。
馬に跨がった一団の中央にいるただ一人のみ。
「彼女だと!?キサマあそこにいる方が誰だか知ってて言ってるのか!?」
「少なくともあんたよりは知ってるつもりだ。今じゃなきゃ駄目なんだよ」
隊列の進行方向に立ち塞がって隊列を割って行こうとする黒髪の少年を引き止める。
服装は上下の所々が破け穴が空き、腕なんかは完全に剥き出しになっている。
「無理だと言っている!貴様のようなボロボロの成りをした者が近付いて良い方じゃない!」
「そうだそうだ!貴様のようなそんな千切れたぼろを着た者は近付かせる訳にはいかんと言ったんだ!進行の邪魔をしおって叩き伏せて牢獄にぶち込むぞ!」
正直、ティアから貰った服を貶したコイツらをぶち飲めしたい。
だが、俺に槍を突き付けるコイツらは間違っていない、職務を全うとしているだけだ。
確かに俺だって彼女の護衛をしていたとしたら、見ず知らずのこんな薄汚れた姿をしたガキを通したりはしない。
今、後ろにいる彼女はコイツらにとって間違いなく王都の最重要人物であり、俺みたいな庶民が気軽に会える存在じゃない。
彼女を四方から囲むように陣形を組む騎士達の元へ列の真横から行かずにわざわざ正面に回り込んだのも、王女としてあそこにいる彼女の為だ。
「くっ・・・お願い、します」
だから、彼女の為にも俺が堪えないといけない。
「お願いします!通して下さい!どうしても俺は会わなきゃならないんだ!」
必死に頭を下げる。
生まれながら王女である彼女のために。
何より、自分の願いのために。
「ええい邪魔だっ!」
しかし、どんなに無様に頭を下げて懇願しても彼等が俺を通す訳がない。
それは分かっていた。
それでも、彼らの後ろにいる一人の少女に会えるまで退く訳にいかなかった。
「がっ!…くっ!」
いつまでも頭を下げたままその場から動かない少年を兵士は槍で柄で突き飛ばす。
しかし、すぐにムクリと起き上がりまた立ち塞がる。
「いい加減にしろ貴様!」
数人に囲まれ槍で何度も叩かれ弾かれる。
「ぐっ!」
魔力行使もせずに殴られるのはハッキリ言ってすげえ痛い。
鉄の柄は筋肉を越えて骨に響く。
「が、はっ!」
胸元を突かれれば息が詰まり吐きそうになる。
地に伏せても、進行方向から逸らされる事だけは気合いで耐える。
ガキーンと音が響いたと思うと目から火花が飛んだ。
―――ああ頭を殴りやがって・・・せっかく治療して貰ったのに―――
視界に血が滲んできた頃に攻撃は止んだ。ガシッと数人に両脇を抱え上げられ肩を掴まれる。
ああ、退かすのを諦めて拘束するのか。
それは、まずいかな。
まず、今日中に会えるとは思えん。
「離して、くれ」
捕まった腕を強引に振り解く。
「あ、れ?」
しかして、それは思ったよりも簡単に解けてしまった。
というより離せと言った時点で本当に離してくれた。
あっさり解かれた拘束に勢い余ってふらついてしまうとまた捕まった。
今度はさっきよりも優しい、まるで俺を支えるように。
なんで?と見ると俺の後ろには見慣れた人達がいた。
「よお!よお!あんたらのオレらの騎士様を随分と痛め付けてくれてるじゃねえかいっ!」
そこには俺の右側を支える屋台のオッチャンがいた。
「アインの着てるこの服はなあ!ティアちゃんがコイツに似合うようにって考えて俺が端正込めて仕立てたんだ!文句はオレに言えや!」
いつもティアと行く仕立屋が左側を支えていた。
「アイン兄ちゃんの服はお前らの代わりに精霊と戦ってぼろぼろになったんだ!」
どこからか角材のような棒を持ったルーが横にいた。
「大丈夫かいアイン?」
「オバサン!どうしてここに!?」
ルーがいるからもしやと思ったがやはりティアの母親ソフィアもいた。
オバサンにハンカチで額に垂れる血を拭われながら話す。
「そりゃあ私達もこの街の住人だからね。5番街に避難した人達以外は皆集まって来てるわ。
そしたら、この行列にあなたが見えたのよ」
「えっ?みんな?・・・・うおっ!?」
自分の後ろを見渡すと俺らがいる地点を境目に背後には大勢の住民がいた。
いや、背後だけじゃない。
よく見ると前面にいる兵達を取り囲むように広場を埋め尽くす程の人数。
その数はどんどん増えていく。
既に広場に入り切れない者達が四方に繋がる大通りに拡がり始めていた。
「こりゃ、兵が進めなくなる訳だな」
100名はいた兵士。
俺を無理矢理ボコボコにして道から逸らす事も、後ろにいる騎士に頼んで強引に魔法で吹き飛ばす事も出来たはずだと考えてはいたが、こうなっては俺一人をどうにかしても意味は無い。
「な、なんだこの数は?」
「お、お前達!いくら11番街の住人だからってこんな事して良いと思ってるのか!」
さすがに兵だけでどうにもならなくなったのか、進まない進行方向に疑問に思ったのか青の外套を着た騎士達が続々と前面に湧いてくる。
「あぁ?あんたらこそオレらの家族に手を出して11番街から出れると思うなよ?」
「│コイツ《アイン》はこの街の住人だ!家族の敵は俺達11番街全員の敵だ!」
そうだそうだ!と、オッチャンと仕立屋の声に賛同する声が響き渡る。
「っ・・・みんなありがとう」
この商業区の一角に11番街全住民が集まっていると言っても過言じゃなかった。
「なあに精霊騎士様にはいつも世話になってるからよ」
ぽんぽんと肩を叩いてニッ、と笑うおっちゃん。
単純に嬉しかった。
それと同時に危ういと思った。
―――騒ぎが大きくなり過ぎてるな―――
「き、貴様ら・・・騎士に刃向かうのかっ!」
帯剣した剣の柄を握る騎士達。
「生憎と俺らの認める騎士様はコイツらくらいなんでな!」
この街の住人にとって騎士とは青の外套を指さない。
住人にとって騎士と呼べる存在は家族を守る者を指す。
だからこそ騎士達が威嚇しようとも怯む事は無い。
ぺっと唾を吐いて拳を握るおっちゃん。他の住人達も皆、角材やら割れたレンガやらを持拾ったり、素手の者は握り拳を作っていた。
「母さん。僕の後ろに下がって。」
棒を構えたルーが小さい身体で母の前に立つ。
「何を言ってるのルー。王宮の給仕は雑務だけじゃ無いのよ」
それを手で後ろに押し退けたソフィアはエプロンからナイフを二本取り出しヒュンヒュン回して両手で構える。
「大戦時、王宮給仕に戦闘技術は必須よ。あなた達にそれを教えてあげるわ」
エプロンを着けた元王宮給仕が騎士団ににっこり笑いかけた。
ソフィアのその勇ましさに誰かが鳴らした口笛が聞こえた。
「そ、そんな事初めて聞いたんだけどオバサン」
「そりゃそうよアイン。女に秘密は多いもの」
普段と変わらない笑顔であっけらかんと言うオバサンにまったくその通りだと思った。
きっと後ろでルーもそう思ってるだろう。
というか、そんな事思ってる場合じゃない。
集まった住人達は完全にやる気万全だ。
騎士達も皆剣を抜き放っていた。
両雄が戦闘体制でありお互いに引く気は無い。
まさに一瞬触発状態。
ヒートアップしていく中で冷や汗が止まらなかった。
―――本格的にヤバくなってきやがった―――
もはやアイン一人の問題から11番街対一個中隊の全面対決へと拡大した構図。
この場に住民がどれくらい集まったか分からないが軽く見ても1000や2000じゃとてもきかない数がいる。
目の前の大体、兵100騎士20程度の数だけが相手なら良かった。
それなら正直、城から応援が来る前に軽く勝利出来るだろう。
だが今ここにいる、その内の3人の騎士とは戦わせる訳に絶対にいかない。
彼女に会いたいだけなのに、この戦いはそれ以前に全く意味が無い。
拮抗が僅かでも傾けば総崩れ。
どちらか手を出したら泥沼の抗争になるのは目に見えていた。
こんな事は俺も彼女も望んでいない。
「ちょ!ちょっと!待ってくれオバサン!」
「なあにアイン?」
まず一番先陣を切りそうなオバサンから止めるべきだ。
両手を広げて立ち塞がる俺にナイフを構えたまま聞き返すオバサン。
「手助けはありがたいけど、俺は戦ったりする気なんて無いんだよっ」
おっちゃんと仕立屋も止めに入る俺に、どうした?という目線を送ってくる。
そもそも、街の皆は俺が何でこの行列の前に立ち塞がっていたのかさえ知らないんだ。
そんな理由も聞かずの完全肯定的な加勢は感謝しなければならないが、今だけはまず原点に帰って騒ぎの縮小に努めなければいけない。
「俺はこの列の先にいる彼女に会いたいだけなんだよ」
「彼女?あら、どういう事かしら?」
ソフィアは、アインの言葉から出た単語に構えを解いた。
ただ、両手の武器を締まったりはまだしない。
アインに戦闘の意志が無いと判断しただけで、相手の出方次第ではスグに対応出来るように。
「おい、そういえばアインって名前の騎士に聞き覚え無いか?」
「ええ、私もコイツを城で見たことありますね」
必死に住民を止めようとする少年の顔を見て年配の騎士が若い兵士に尋ねた。
その言葉に若い兵士も頷く。
それでも、こうして少しでも熱を冷ましていけば衝突は回避出来る――
――という、俺の考えはやはり甘かった。
そのまま囲んでいた騎士と兵士が止まっていれば話は簡単だった。
しかし、人がこれだけ集まればそれだけ色んな性格がいる訳で・・・
「こんな小僧が騎士だとっ!はっ!笑わせる!こんなボロを着たヤツに騎士は似合わん!」
生憎と血の気もプライドも多い騎士がいた。
「あれ?そういやコイツ今日の式典にいなかったか?」
別な騎士が一人言のように呟いた。
「っ!?お、おいっ!待て!11番街で精霊騎士ってコイツはあの方の―」
その呟きで、年配の騎士が目の前の少年がダグザ将軍が鍛えていた英雄の血縁者だと完全に気付く。
普段、下の名前を名乗らなくても自分は思ったよりも有名なのかもしれない。
だが、それは遅過ぎた。
血の気の多い騎士が剣の切っ先で俺の服の破れて垂れ下がった生地を切り捨てる。
その騎士一人の行動によって均衡は一気に傾く。
「っ!ティア姉ちゃんがあげた服をよくもっ!」
誰よりも早くソイツに向かったのは大好きな姉のプレゼントを汚されたルー。
「のっ!ガキ!」
そして、次に動いた兵士の行動が均衡を崩壊させた。
それはあくまでも挑発と威嚇の為で本気じゃ無かったかもしれない。
だが、それでも隣の兵士は騎士に殴りかかったルーにあろうことか槍の柄ではなく鋭く鋭利な切っ先を向けた―――
「危ないルー!」
―――瞬間、俺は動いていた。
息子の危険にオバサンが叫びナイフを投げるよりも、槍がルーに届くよりも早く槍を掴む。
「なっ!なにをするっ!離さんか貴様っ!」
兵士が掴まれた槍を動かそうと両手全身の力を込めるがビクともしない。
黒髪の少年の片手に握られ槍は宙に万力で固定されたように押しても引いても動きはしなかった。
この兵士は禁忌を犯そうとした。
「俺の家族に槍を向けたな・・・」
その行為は誰が相手だろうと許せはしない。
「・・・死ぬか」
瀕死にも至らない痛みなど一瞬で消え去り、代わりに圧倒的な力が全身を占める。
「ひっ・・!」
兵士は恐怖した。
間近から覗き込んでくる紅く彩られた瞳。
そこから叩き付けられる極大の殺意に心が竦んだ。
蒼光を全身から発しながら腰から半ばで折れた剣を抜かれた時には全身が己の斬死を理解した。
僅かな時間で兵士が感じた恐怖は他の兵と騎士に伝染し、恐怖は心を通して体躯に反射を促す。
それは殺されそうな兵を助ける為では無く、目の前の恐怖を殺そうと槍と剣が動いてしまっていた。
五人の兵士が槍を突き、三人の騎士が剣を振り上げる。
その敵対行動に合わせてソフィアはアインが掴む兵士を除いた近い兵士二人にナイフを投擲。
屋台のおじさんと仕立屋は反応に遅れるも手近な兵士に殴りかかる。
アインは迫る5の槍と3の剣、それに縋る矮小な9の塊を冷めた心でその死を予見、漲る魔力を解放して惨殺にかかる―――
「っ!このっ!」」
―――それより早く2つ雷光が走った。
それは魔眼じゃなかったら何が起こったのか理解出来なかったろう。
それほど二人は速かった。
「それまでだ」
刃まで黒い漆黒刀を翻して全身黒衣のヴァーリが言う。
一瞬のうちに宙のナイフと三本の剣を切り裂いた刃の形状は湾曲していてサーベルより三日月刀シミターに近い。
「どうしても暴れたいならワシが相手をするぞ坊主」
そしておっちゃん、仕立屋と騎士の間に立つ無手で眼帯を付けた隻眼偉丈夫。
この男は例え戦場に向かう時でも武器を持って行かない。
使えない使わないのでは無く、わざわざ持って行く必要が無いからだ。
「ジジイ・・・なんで俺に殴りかかった・・・」
五本の鉄槍を素手で叩き折ったダグザの右拳が俺の顔面に伸ばされていた。
掴んでいた槍を離して全力で抑えなければ確実に夜空の星になっていた。
―――このクソジジイ本気で殴ろうとしたな―――
「ガッハッハ!暴れたら一番迷惑なのはお前だからな!」
いつもと同じ調子で豪快に笑うダグザ。
大きな握り拳を抑えた左手を離そうとしたが、その左手をすぐにそのまま握っていた拳を拡げてジジイの右手が俺の掴む。
「アホか!暴れたりするか!離しやがれ!俺は冷静だ!」
ぎりぎりと手首を締め付けてくるジジイの右手。
折れた剣を鞘に戻し右手で解こうとするがジジイの馬鹿力が一層腕を締め付けて離れない。
「いいや、お前はワシらが止めなかったら確実にこの9人を殺していたからな・・・」
「くっ!」
大戦を戦い抜いた英雄ダグザ。
歴戦の猛者たる迫力に呑まれる。
魔眼なんて不便なモノが無くても直感で感じとってしまう圧倒的強者の貫禄。
その内に秘めた力が眼に視えて分かるアインからは戦意が既に消え去っていた。
そして、瓦解した奔流は新たな三人目の出現により完全に鎮静化する。
――双方共に引きなさい――
10年振りに聞いた声。
「この争いに意味は無い」
父親としての責務より、騎士としての職務を取った男。
「アッシュ様!」
「ア、アッシュ様!」
一瞬で静まる場に声を張り上げる必要も無く、低く穏やかな声が住人の緊張を弛緩させ、姿が兵と騎士の乱れた統制を取り戻す。
ダグザのように筋骨隆々の巨漢でもなければヴァーリ程長身でもない、いたって平均的な身長の壮年の男性――なのに。
歩みと声がなくともそこにいるだけで安心してしまう。
存在だけで落ち着かせる。
それは絶対なる守護者に対する崇高というより信仰に近い程の信頼。
誰もが認める騎士が物静かな態度でアインの前に歩み立つ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
10年。
人間が変わってしまうには十分な時間だ。
体は成長して、記憶は霞がかかったようにうろ覚えになる。
しかし、それでも変わらない者も確かに存在する。
10年振りに向かい合う二人の親子。
遥か昔に感じる聞き慣れた声の持ち主はやはり頭に焼き付いた相手だった。
フルネームはアッシュソルツヴァイレヴァンテ、俺の父親。
記憶にある白亜の髪は一筋に纏められていて記録より少し伸びている。
見上げる程大きかった背丈は10年の月日がを同じ高さの目線に変えたらしい。
「何の用だ」
それが10年振りに息子に投げ掛けられた最初の言葉。
心なしか俺の腕を締め付けるダグザの力が更に増した気がした。
深く刻まれた眉間の皺、奥にある刃のように鋭い蒼の眼光を正面から同じ色の瞳が見据える。
10年という月日が立つ間、次に会ったら何を言うかどれだけ考えたか分からない。
「ジジイ・・・いい加減離してくれ。ジジイにも兵と騎士にも、勿論あんたにも俺は用が無い」
やけに落ち着いたアインの予想外の口調にダグザは、ほお〜と感嘆の息を吐いて腕を解放する。
兵と騎士は英雄に対する口調に進み出ようとしたが、アッシュが手だけで無言でそれを制した。
「ならば、何故ここにいる」
「この先にいる彼女に用があるだけだ。元々誰にも迷惑をかけるつもりは無かった」
10年振りの二人の会話は淡々としたものだった。
今、二人の会話に親子の情は無く、この場において二人は親子であって親子では無い。
アインにとっては目的の前に立ち塞がる一人の障害(騎士)。
アッシュにとっては護衛する者の進行に立ち塞がる一人の障害(少年)。
表面上だけではなくアインの心はやけに落ち着いていた。
この場で対峙してダグザの会話の答えが分かってしまったからだ。
分かったと言うより、今更ながら理解したと言うべきか、――俺は答えを本人から直接聞いていたのだから。
「お前の言動はこの先にいる人物が何者なのか知った上でのものか?」
「ああ。│今あんたが守護する王女様だろ?」
11番街の住民達が俺の言葉に騒然となる。それをソフィアだけは静かに聞いていた。
「それを知りながら何故ここにいる」
「俺は別にアシェラ王女に誓いを立てた訳じゃない。それに誓うつもりもない」
さすがにソフィアも唖然となった。
住民と兵と騎士は驚愕のあまり硬直した。
今のアインの発言は騎士に真っ向から喧嘩を売ったに等しいからだ。
ダグザは訝しい表情で見守り、ヴァーリはこの後を見極めようと静観する。
男は何も言わずに腰に手を伸ばす。
静寂のなか、鞘に納められた騎士の象徴が滑らかにすらりと引き抜かれる。
手に握るのは余分な装飾の一切無い刀身の腹が欠けた剣。
完全なる存在(騎士)と共に語り継がれ、その存在意義を追求した上に成り立つ完全なる剣。
あらゆる戦場を駆け続けた無敗の英雄と共に、最強と謳われた頂きから振り落とされ、切り裂き続けた1片を除き完全無欠の不朽の剣。
鋭利にして強靱と強固さを兼ね備えた刃は記憶が確かなら、切ろうと思って切れなかった物は無く、切れないと思った事は唯の一度だけと聞いた。
月光を磨き抜かれた鏡面のごとく反射する姿は、剣の意味の頂きにあって辿り着いたものだけが持つ究極に思える完成された鮮烈な美しさを兼ね備えていた。
そして、無表情に剣と蒼く灯る眼差しを│自分《息子》に突き付ける│英雄《父親》の姿は鮮烈だった。
幼き頃は│息子だったから見えなかった至高の剣。
目の前にいる男の存在は完璧で完全な一本の剣そのものだ。
何者にも染まらず、揺るがず、折れず、覆さず、ただ己の信を忠実に突き通す鋼の意志。
冷徹の中に宿る烈火の如く熱血の意思が剣を形創り、守る為に切り裂き叩き伏せる剣を選んだ男の姿がここに在る。
「あんたは分かっているはずだ。俺は後ろにいる女の子に用がある。だから王女を護衛するあんた達には用が無い」
大勢が固唾ん飲んで剣を突き付ける父とそれを前にして怯まず一歩も引かない息子、二人の親子を見ていた。
二人の視線が交差したまま時が止まったような沈黙が続いた。
先に動いたのは、意外にも剣を抜いたアッシュだった。
男は真正面から視線を受け止め続けた同じ色の瞳から眼を逸らすと、ただ一言、そうか、とだけ言って剣を鞘に納めた。
それは予想外のやけにあっけない幕切れ。
現れた時と変わらない足取りで少年の脇を通り過ぎる。
道を塞ぐ住民達に近付いてその先頭にいたソフィア達に、通して貰えるかな、とアッシュが言うとソフィアはええ勿論よと笑顔で頷いた。
踏み出す騎士の歩みを止める者は誰もおらず、小波が引いていくように住民達は道を開き、街から産まれた英雄を歓迎するように歓声が上がった。
使え
振り返らずに歓声を聞いていたアインは、背中に掛けられた声に振り返る。
背後には既に住民の壁に隠れて声の姿は見えなかった。
その代わりに自分に向かって弧を描いて飛んでくる剣が視界に入り込む。
思わず反射的に落とさないようにそれを掴む。
「・・・なんで」
鞘に納まった見たばかりの剣を見て、それがあの男が投げた者だと分かる。
「良いから借りとけ、そんな折れた剣じゃ格好つかんだろ」
まあさっきの回答は及第点だがお前の答えとしちゃ上出来だ、とダグザはアインの頭をもみくちゃに撫で回して城へ歩き出す。
「ガキ扱いすんな!」
「がっはっは!ヴァーリ!見届け役は任せたぞ!」
「分かりました」
そうして二人の英雄は若者達を残し、広場から去っていった。
受け取った騎士の象徴を両手に抱えて俺は改めて呆然と立ち尽くす一団に告げる。
「そこを通してくれ」
今度は二つ返事で兵士も騎士も皆頷いて道を開けてくれた。
背中に家族達の歓声を浴びながらアインは数歩だけ前に進んで止まる。
その数歩で目的地に辿り着いた。
「よお・・待ったか」
屈強な男達の開かれたすぐ先で隠れていた人物―――純白のドレスに包まれた白銀の髪の少女がいた。
あの男が現れた時点で彼女が近くに来る事は分かっていた。
たぶん、動かずに待っていろ、くらいは言われていただろう。
だが、そんな制止の言葉を彼女が聞くはずが無いのは俺にもあの男にも予想の範疇だろう。
「よお・・待ったか」
隠れ蓑が無くなって姿が急に露わになってしまった彼女は狼狽しているようだ。
ドレスの生地を握り締めて顔は羞恥で赤く染まり、表情には戸惑いと焦り、それに僅かな恐怖が窺える。
戸惑いと焦りは分かるが怖がられる覚えは、無いな。
まさか、俺に怒られると思っているのだろうか。
「え、えっと、あの……どう、したの……」
上目遣いで見上げてくるアーシェ。
紫の瞳は落ち着き無く、上下にいったりきたりを繰り返している。
それで、わかった。
彼女は俺の感情を窺っている。
別れる時にあんな態度をとってしまった上に、そんな俺がこんな現れ方をしたからだ。
全然俺とは違うと思ったけど、ちょっとだけ彼女に親近感。
「まだ全部は叶えてないだろ」
きょとんと首を傾げるアーシェ。
「それと安心してくれ・・・俺は怒ってなんかいない」
「・・・ほんと?」
「ああ、それに嫌いになったりなんかしない」
・・・自分で言っておいてなんだが、今の台詞は割と恥ずかしかった。
いや、かなり恥ずかしかった。
でも、まあ彼女の雰囲気も戻ったようだし良しとしよう。
むしろ、本番はここからだ。
「あのさ、屋敷での話覚えてるか?あれを、キミに誓わせてくれないか?」
「えっと・・・良いの?」
「ああ。今、誓うよ」
ベルトに括り付けられたサイドポケットから折畳まれた布を出す。
その取り出した青い生地と手に持つ剣で俺の意図を彼女は理解してくれたようだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「よく・・・飛び出さずに堪えたな」
夜の五番街を歩きながら、ダグザは独り言のように呟いた。
先程とは違って人気のまったくない閑静な街並みのなか、二人は夜の散歩をするようなゆったりとした足取りだった。
「必要ありませんでしたから」
「信じてたという事か」
「いえ、そこまで親バカでも無ければ、過保護のつもりもありませんよ」
「ほお〜、成長したな」
高い塀に囲まれて、それより高い建物達が並ぶこの街は昼と夜では180度別の顔を見せる。
微かに遠く聞こえた歓声がここでは嘘のように静かで、後ろ髪を引く月日と思いが背中を押してくれる。
アッシュは思い出すように眼を閉じる。
思い返す事はどれだけあれど、振り返る事は出来ない。
「私達も、いつまでも坊主じゃありませんからね」
ふっ、と目頭を緩めて笑みを見せたアッシュの顔はダグザに息子の姿を連想させた。
あまりにも似た親子の様にダグザは思わず吹き出して笑ってしまう。
城へと続く綺麗に敷き詰められた石畳を二人の英雄は進んでいく。
今だけ重荷のないアッシュの足取りは軽く、軽い歩調でダグザと並んで道を歩く。
ただそれだけの事なのに、二人は面白おかしく笑いあった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
綺麗な夜だった。
広場を埋め尽くす観衆の中心、ぽっかり空いた空間に三人がいた。
広場の中央に戻った俺の前にはアシェラ王女と司祭が並び立っている。
俺と彼女が何をしたいか分かっていたかの如く負傷者の治療を終えて爽やかな笑顔で待っていた司祭は、二つ返事で儀式を行う事を了承してくれた。
それでやっぱりあの男は分かってたんだなと実感した。
司祭曰く儀式を行うのに場所は関係無いらしく、今この場で執り行う事になった。
それに、一応俺は正式な叙任式は終えている訳で、豪奢な城なんかじゃなく、こんな場所こそが俺と彼女には丁度良いのかもしれない。
むしろ、これでも規模が大きい。
「アインソルツヴァイレヴァンテ前へ」
「はい」
荒れた広場の天井に広がる満天の光の粒と円を作る大勢が見守る中アインは跪く。
それを街の住民は勿論のこと、ティアも家族と一緒に前列でその光景を眺めていた。
司祭が畳まれた青の上にある剣を王女に差し出すと、アーシェは剣を受け取り宣言する。
―我が名は、アシェラ バーネット レギンレイブ―
空に響く声。
―人が人より生まれ、精霊は世界より生まれる―
それはまるで天使の歌声。
神の言葉を借りたかの如く神聖で美しく、遥か高みから響く音色だった。
―精霊と供に存りし者、その躯に宿し理で法を世界に刻み込み―
彼女の手にあるのはたかが金属の塊。
―この剣で神に奉仕するすべての人々を守護すべし―
鍔鳴りの音から首筋に伸びる一筋の閃光が肩に掛かる重みと布越しに触れる冷たさを感じさせる。
ここにある剣というものは、ただの金属であることを凌駕する意味を持つ。
振り下ろす事でしか意味を成さず、岩も、鋼も、人も、精霊も、等価に断つ意思を持たぬ無慈悲な死の刃。
純白のドレスに包まれた白銀の髪の美少女と細い指が握る凶器。
まるで彼女の存在と相反すると思える長さ80センチ程の刃を向ける姿に思わず見蕩れてしまう。
彫刻のように完成された造形美をいつまでも眺めていたい。
その完全な美しさではどこかあの男に似ていると思った。
考えたら、二人の持つ雰囲気は少し似ている。
騎士で最上に位置する男、昼間と今目の前にいる彼女はこの国の王女。
どちらも頂上に位置するものとして近しい存在なのかもしれない。
「アイン ソル ツウ゛ァイ レウ゛ァンテ
汝、忠誠を誓いますか」
これはアーシェにとってもこの場にいる大半の者にとっても聞くまでも無いこと。
問われる少年は、これまでもそうしてきたし、騎士になんてならなくてもきっと多くの者を救うだろう。
これからもそうだという確信がある。
だから、あくまでこれは形式的なモノに過ぎないし、本当はこの誓約自体に意味なんてない。
これは魔法による契約でもなんでもなく、ただ騎士と認められる為の儀式だ。
だが、彼女は王女であり全てを背負い込む覚悟がある。
主の敵は己の敵。
己の罪は主の罪。
即ち、騎士が殺した者は彼女が殺した者でもあり、その罪も覚悟も彼女は全て背負い包み込む。
世間知らずで小さな彼女にそれを背負せる事が怖かった。
今日、一緒に過ごしてみて少なからず彼女の人と成りを知った。
「はい。誓います」
バシッと剣の腹で首筋を叩かれて鞘にしまわれた剣。
剣を受け取るために立ち上がる。
本来ならここで剣を受け取って儀式は終わり―――
―――終わるのだが、立ち上がってもアインは剣を受け取らない。
アーシェも剣を渡さない。
ここまでがあくまで通常通りの王女としての誓いであり、目的はこの先にある。
「そして、これは今あなたの目の前にいる一人の女としての夢であり願いです」
アーシェは王女としてではなく、同じ高さでアインと同じ目線で近付いていく。
その王女としての行動を逸脱した行為に周囲が動揺する。
アーシェは剣を抱きかかえたまま触れ合う程の距離で語りかける。
「アイン・・・大好きなこの街、こうしていられる愛しい世界、
誰もが幸せに暮す世界・・・それが私の願い」
その願い。
純粋で崇高なる理想を告げた少女を誰もが見つめた。
それは、崇めるように。祈るように。
多くの人達がそれを願いながら、誰もが無理だと口にする尊すぎる理想だから。
その願いは、決して叶えられないものだと知っているから。
剣を振るう度、生きていく限り失うものがある。
救い守る限り隙間から抜けていくものがある。
彼女の願いは誰もが想い焦がれ、そして多くの者があまりの理想の高さに立ち竦む。
「この世界を救って、私に夢を見せてくださいアイン」
世界を救う。
それは誰もが心の何処かで思いつつも、心の底では否定してしまう。
叶える事など不可能だと認めない、王女じゃなければ馬鹿にされる願いかもしれない。
しかし、今、ここに目の前にそれを真摯に願う少女がいる。
でも、それをこんな俺に期待して、どこまでも真っ直ぐに信じて疑わない。
塔の中のちっぽけな世界から、今日始めて外の世界に出れたというのに世界を愛していると口にした彼女。
そんな世界で始めて出会った俺を信じるお姫様。
何の根拠もないけど───
例え、街で声をかけてきたオジサンが彼女に悪態をついても、俺があの時彼女を無視して街に置き去りにしても、あの精霊が町中を無残に殺しても。
きっと彼女は変わらない。
その願いはどんな事があっても揺るがない。
世界を愛して、願い続ける。
いいじゃないか。
一人くらい、それを本気で願っても。
今日初めて塔から出てきて、世界なんて全く知らず、幽閉されていたと言っていい境遇に関わらず世界を愛しているお姫様。
彼女の願いは余りにも綺麗過ぎる。
だから、魅せられた。
心が震えた。
あの部屋で真っ直ぐに見詰められた時に撃ちぬかれたと言っていい。
いいじゃないか。
それでも。
一人くらい、そんな事を本気で信じている彼女の願いを叶えようとして、そんな夢物語を守ろうとする馬鹿な男がいても。
キミが願うなら、俺はその願いを命を賭して守ろう。
きみの願いを守る事が俺の在り方。
騎士として誓うべき理由。
そんな願いの為に剣を振るえる事こそ、やっと見えた俺の理想。
彼女が与えてくれた俺が誓う理由。
俺が守るのは国にでもなく、誓うのは王女でもない。
守るのは彼女の願い。
叶えるのは彼女の夢物語。
だから、その名を口にする。
「アーシェ」
永劫不変の輝きと如何な酸にも溶かせない意思を瞳に宿した少女。
数多の宝石も天井の星よりも魅力する美しさの願い。
そのためだけに誓う事を待っていた俺は差し出された剣をしっかりと受け取る。
「キミの願いのために、キミの騎士になる事を誓うよ」
「はい」
アーシェは答えが分かっていたのに、安心と嬉しさで涙が出てきそうになっていた。
涙を堪えて司祭から受け取った外套を拡げる。
肩にふわりと青地に白の剣を持った精霊の紋章が入った外套がかけられる。
自分と同じ誕生日に17歳になった少年の肩に想いを乗せる。
今宵、この場にいる物達は一人の騎士の誕生の証人になった。
「ねえ騎士様…」
「ん、なんだいお姫様」
一歩下がって、ついっとスカートを摘まむアーシェ。
「私と一曲踊ってくれないかしら?」
「ええっ!?」
「これも私の願いよアインっ」
「今考えたろ!」
勝手に手をしっかりと握られて、戸惑う俺を誘導しながら彼女はステップを刻み出す。
「こ、こんな曲も無いのにっ」
「あら、曲が無くても踊れるわ。それに、肝心なのは曲じゃなくて相手よ」
そんな事まで言われたら断る訳にはいかねえじゃねえか。
ちくしょう…自慢じゃねえがダンスは苦手だ。
パーティーの為にティアの練習相手はしてたけど、アイツのリズムは独特過ぎてよく分からなかったし、おまけにそのティアくらいとしか踊った事なんて無いのに。
こんな大勢が見てる中で踊るのは顔から火が出そうな程恥ずかしかった。
こんな俺を皆はどう思うだろうか。
街の皆は応援してくれる。
でも、大多数は嫌悪感を抱くかもしれない。
彼女のような特別な1を許しても、俺のような特別扱いは許しはしないだろう。
それが大衆の意見というものだ。
だが、そんな悪意なんていくらでも耐えてやる。そんなもの彼女が耐えるものに比べたら些細なものだから。
そう思って赤面しながら、チラッと回りに視線を向ける。
アーシェが背伸びをしてアインに抱擁するよう手を首に回して外套を掛けてから急に踊り出す様を誰もが声を上げずにその光景を見届けていた。
この国の王女である少女と踊るダンスの下手くそなの若騎士の姿は良くも悪く微笑ましかった。
皆、悲しき出来事があった場で踊る二人を不謹慎だとは思わない。
この世界には悲しい事が多すぎるから、それを楽しい事で吹き飛ばすのがこの国の風習だ。
だから――
「仕方ない。私達も踊るかっ、行くよルー!マキっ明かりを頂戴っ!」
「ちょっとやだよっティア姉ちゃん!母さ〜ん!」
小さな弟の手を引いて精霊を飛ばした姉弟が口火を切ってホールに躍り出れば、
「さてヴァーリ!私の相手をして貰おうかしら」
「ソフィアさん!?俺はそういうのはっ!」
「ダグザさんもダンスは教えて無いだろうから私が教えてあげるわっ」
「それは助かりまっ、てっ!いいですよっ!」
「レディの誘いは断ってはなりませんよ♪」
「司祭っ!お前が踊ればいいだろうっ!」
「私は城に戻らなければなりませんから、あなたはダグザさんに見届けるよう言われてたのでしょう。ではごゆっくり♪」
司祭に切り捨てられ元王宮給仕に若き騎士隊長も踊らされ、
「ヤローなんざと踊りたかねえが、この街の騎士様が踊ってんだ!オレらも踊るか!」
「ああ!ダンスなんて上等なもんじゃねえが盛り上げてやらねえとな!」
楽器なんてものはなく、ただ手を叩き、物で音を出し、口笛で奏で、お互いの呼吸だけでリズムを取る。
街の皆も好き勝手に歌い、踊り出して少しずつホールは踊り手達で埋まっていった。
それは上流階級達が踊るような上等で上質とはとてもいえない夜の舞踏会が始まっていた。
そんな中、恥じらいなんて消え失せたアインはアシェラと踊る。
「なあ、聞いていいか」
「なあに?」
足を踏んだりしないように注意しながら、細い腰に手を回して密着しながらくるくると回る。
「なんで……俺なんだ?いくら俺の話を聞いていたからって、もっと有望な騎士なんかいくらでもいるだろ?」
「あなたは私が見つけた私の物語の主人公ですから」
即答の回答だった。
ちょっと意味不明な所があるがなんか恥ずかしくて、胸元で上目遣いのキラキラした綺麗な瞳を見ていられなくなる。
「・・・あまり期待すんなよ」
「大丈夫です――アインを信じてます」
「………」
これも悩む素振りも感じない即答で、おまけにその笑顔は卑怯だった。
そんな真っ直ぐに言われたら何も言い返せなくなる。
でも、この距離で逃げ場なんて当然なくて、返事を催促されるように腰に回されている手に力が入ってより引き寄せられる。
「ならっ……俺も最後まで信じてやるよっ」
そうだな。
どうせなら俺も本気で信じてやれば良い。
そんでもって彼女が描く夢を一緒に見させて貰おう。
「最後って?」
胸元できょとんとした顔でどこまでも純粋な紫の瞳を向けてくるお姫様で真っ直ぐな女の子。
―そりゃ勿論―
今日の出来事は彼女に対しての同情であり、誓いであり、そして契りである契約。
俺は広場であの言葉を言ってくれた時のように微笑んでくれるなら何もいらない。
でも、騎士になる理由、信頼をくれた彼女に見返りに与えて上げるものなんて今は何も無い。
だから、せめて笑って見せた。
―もちろん、この物語の最後まで―
もしも終わりが来るのなら、その物語の結末まで覗くために。
「よろしくなアーシェ」
もう一度、キミの名前を口にする。
今宵、ここに誓ったのだという確かな証に。
これから自分の大切な女の子となるキミの名前を。
「はいっ。アイン」
眼を合わせたり、話しただけでは出会いとは言わないと思う。
だから、この時が俺と彼女と心を通わせた最初の出会い。
街の灯りが無い広場、人の持つ松明と精霊、騎士の飛ばした魔力による照明だけの薄闇の中、ただ月明かりだけが二人の笑顔を照らしていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この国の王が床に臥せてから久方振りに行われた騎士叙任式の日の夜に11番街で起こった悲劇。
一人の騎士とその精霊が起こした惨状は多くの建物を炎上し、全焼、崩壊した建物は50棟、死者17名。重傷者18名の被害者を出した。
確認出来ていない行方不明者は8名で、それらは死亡として数えられ、その数の中には11番街に帰宅途中だった新米の正騎士と共に精霊と交戦して殉職した王女捜索の為に訪れた兵士も含まれていた。
変わり果てた広場で午前中に行われた追悼式には王都中から多くの人間が訪れて捧げられた黙祷時には広場を見渡し茫然自失になっていた者、仲間の兵士や家族を失い泣く者もいた。
式典の最後に、司祭はアシェラ王女からの言葉を伝達した。
その内容は街の復興に尽力を尽くす事を確約したもので、11番街にとっては街の出来事に国が関与する事を明言した驚愕な話題となった。
――その日の午後――
閉じられた豪奢で堅牢な扉の前にアーシェはいた。
昨日のように神々しく清潔な純白のドレスではなく丈が何メートルにも及ぶ海のように濃青のドレスに身を包み、うっすらと化粧を施して登頂部には金色に宝石が散りばめられたティアラを乗っている。
アーシェがいる場所はまだ城内。
城外には正装した正騎士一同が隊列を組み終えて準備は済んでいる。
背後を振り返る。
青の外套を纏った若き正騎士達も準備万端といった感じで今か今かと皆熱い視線を投げ掛けてくる。
扉越しに城壁の向こうから新たに生まれた騎士と王女を待ち望む人々の声が聞こえてくる。
「ふうっ」
胸に両手を当てて深呼吸する。
―心臓がトクトク鳴ってる
この扉を潜ったその瞬間からら王女として大衆に認知され私はもう普通の人間として街を歩く事は出来ないだろう。
昨夜、城から飛び出した時からただ眺めていただけの世界へと飛び込んだ。
彼に街で声をかけられたあの時から今まで見るだけだった絵本の世界へと入り込んだ。
この向こうに広がる世界には私を呼ぶ声が聞こえる。
「姫様、そろそろ時間ですよ」
昨日と変わらず爽やかな笑顔を向けてくるメガネをかけた司祭に私は頷く。
「はい。開門して下さい」
司祭の合図とともに重厚な扉が開門する。
眼前にこの国の誇りである荘厳にして勇敢な騎士達がアーシェの姿に号令をあげる。
私はこの時を待っていた。
この門を越える時に私の物語が始まるのだと。
「参りましょう皆さん」
アシェラ王女を先導して騎士が歩き出し、街へ繋がる城門が開門された。
ここから先は私が願い、夢に見る世界。
この世界は儚く甘く優しく厳しい、だからこそ夢から覚める前に駆け抜けよう。
そう自分の胸に言い聞かせてアーシェは馬車に乗車する。
正騎士が馬車を先導し、馬車の後を199人の新しい騎士達が王都の中へと歩を進めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
10年。
人間が変わってしまうには十分な時間だ。体は成長して、記憶は霞がかかったようにうろ覚えになる。
しかし、それでも変わらない物も確かに存在する。
ここは王都を見下ろすような高台にある墓地だった。
街は初めて世間に御披露目となる王女様のパレードのせいかお祭りのように騒がしい。
しかし、今日はその騒がしさがより気持ちを嬉しくさせた。
ここに来るのはツヴァイレヴァンテ家に長年仕えるテミ婆の毎日の日課だった。
愛する夫がこの地に眠ってから随分と立つ。
夫とは子宝に恵まれ無かったがけして寂しくは無かった。
仕えるべき少年は主としてくくられる存在では無く、家族であり老い先短い自分の楽しみであり、成長を見るのが幸せだった。
その生き甲斐を与えてくれた主が目の前に眠っている。
『ユミル ソル ツヴァイレヴァンテ』
墓石に刻まれたその名が、現在支えている家族の母親であり、自分の本来の主。
「あらあら、昨日は沢山の方がいらしたのですね奥様」
墓石の前には、沢山の花束が供えられていた。
愛する夫を失っても、日々の生き甲斐と楽しみを与えてくれた主への報告がテミ婆の日課。
「母さん。オレ騎士になったよ、喜んでくれるかい?」
アインが花を置いた所には真新しい同じ種類の花束が二つ添えられていた。
墓石の下に眠る者の好みの花を知っていたのは今ではその夫とテミ婆しかいない。
だから、アインはいつも自分の好きな花を供えていた。
「良かったですね奥様……あぁ、今日だけは泣く事をお許し下さい奥様。」
「あぁ。きっとユミルも笑って許すだろう」
男はぼろぼろと涙を溢して蹲る老婆の肩を優しく撫でる。
どれだけ二人がそうしていたかは分からない。
妻の墓石の前で嗚咽を繰り返す老婆を男は支えるように肩に手を添えていた。
一歩後ろから二人を眺めていたアインはそれをただ見ていた。
二人が語るのは墓石の下に眠る人物であり、今頭に浮かんでいるのは確かにその者が生きた情景で、自分は妄想が形作る者と墓石にしか語る事が出来ない。
「それでアインが連れていらしたのが何と姫様だったんですよ。奥様にもお見せしたかった・・・」
泣き止んだテミ婆はいつもより饒舌に主に語る。
その隣に立つ男にアインは背丈は追い付いた。
しかし、同じ目線になってみても、過去の記憶と目の前の背中は何も変わらない。
ティアのイメージする魔法の原形、そのモデル。
その背中は10年立っても遠くに感じる。
「それにしても親父、小さくなったな」
それは誰にも聞こえない程の小さな呟きだった。
10年前と変わらない距離にいた男はテミ婆から手を離すと振り返る事もなくまた自分の元から去っていく。
進む先には白く輝く城がある。
別に今更、返答も親子の会話なんて期待しちゃいない。
だから、あれはただの独り言だ。
10年という月日は、父親が側にいなかったからこそ俺を強くした。
今、またあの背中が振り返りもせずに去って行くことも俺は傷付いたりはしない。
俺は小さかった頃とは違う。
そう考えていたから、男が去って行く後ろ姿を追う事を止めて俺も背を向けた。
父親がいなくても家族が住むこの街の、父親との想い出が残された我が家へと足を踏み出す。
「17になったんだ」
言葉が返ってきたことに驚いた。
そんな他愛もないような一言。
たったそれだけの台詞。
今更親子の会話なんて期待しちゃいなかった上にあの男が息子に話し掛けるとは思っていなかった。
背中を向けているから、後ろは分からない。お互い振り返ったりはしない。
でも、アイツの吐いた言葉は確かに足を止めて、その言葉が信じられなくて俺も足を止めた。
「私が小さく感じるのも、お前が大きくなっただけだ」
思わず振り返ってしまった。
男はそれ以上喋る事はなく、止めていた歩みを再び歩き始める。
俺は何も話し掛ける事もなく去っていく背中を見続けた。
そして、足音は離れて行った。
「結局、10年前と同じようにいなくなるんだな」
魔眼の能力が不幸にも鮮明に焼き付けてしまった、去っていく父親の背中の記録。
今日まで自身が10年間追い続けた記録は、今、新しい記憶によって上書きされた。
自分を置いていく事も、見えなくなるまで父の背中を結局は眺めていた今も変わらない。
変わったものは、あの時と違い足を止めて話し掛けてくれた事と、自分の背丈がいつの間にか追い付いた事、それと…
「覚えてたんだな。俺が今日で17になったこと」
それも妻の命日と同じで、あの姫様と同じ誕生日だからおまけ程度のものだったかもしれない。
今日、10年振りに再開した親子。
また、離れ離れになる父と息子。
母さんの命日にずっといなかったのは今でも許せない。
でも、その時も彼女の傍にいてくれたなら。
「悪い気はしないな」
それだけは確かで。
あの時と違って、今日、今だけは去って行った男を憎しみも無く自分の父親なんだな、と感じた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
見せてもらいましたよ。あなた方の選択を。
まったく、とても興味深い。
今暫くは見守らせて頂きましょう。
―■■の理から外れたあなた方の選択を見せて貰いましたよ
―あなた達の選択は決して簡単なものではありません
―さて、どうなるか・・・見届けさせて貰います
それが誰の台詞だったのか聞こえた者は誰もいない。
誰にも知られる事も無く、誰にも気付かれる事も無く、その呟きと姿は喧騒に呑まれ、風に流され消えていった。
そして――
一人の少女が描こうしてる世界もまた、美しく優しく儚い夢物語。
その長い長い物語が今、始まった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
―次回予告―
晴れて正騎士となったアインの元に友人のシンが二人の人物を連れて訪ねてくる。
一人は見慣れた人物、若き騎士隊長ヴァーリ。
もう一人の金髪の麗人はシンの従姉弟だった。
彼女は英雄アッシュに育てられたただ一人の女騎士『百剣』使いアリア。
アリアは唐突に口にする。
「君と手合わせがしたい」
第七話
「来訪者アリア」
─それは少しの戸惑いと葛藤の選択─
同時進行で進めていきます。
『ヒトというナの』
”精霊と魔法が混在する隠された真実世界”の物語。
そちらも書き進めていきますので良ければ併せてお楽しみ下さい!