第二話 「きみと精霊と騎士」
精霊と共存する事を選んだ国と精霊を使役する事を選んだ国が引き起こした戦争により、世界は二つに割れた。
そこで少年達は選択する。
こちらは”精霊と魔法そして人間が当たり前に共存する世界”の物語です。
お楽しみ下さい。
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「助かったよオバサン。パーティーでは何も食べてなかったから」
「元々あなた達の為のお祝いだったから、いなくても家族の分も作るわよ」
カチャカチャと流し台で皿を磨く。
俺が洗っているのは先程食べ終えた夕飯の食器類。
その俺の隣で洗い終えた皿を受け取っては布で拭いているのはティアのお母さんだ。
毎日ティアの家でタダ飯を食べさせて貰っている俺としては、食事後の皿洗いくらいは手伝せて貰っている。
本当ならこんな事をいくら手伝っても恩は返し切れないのだが、これくらいしか手伝わせて貰えないのが実情だ。
おかげで俺の皿洗いスキルだけはそこらの主婦に負けないレベルだと自負している。
「でも、良かったのか?ティアの分もあったんだろ?」
「良いのよ。あの子は城のパーティーで食べてくるだろうから」
口を動かしながらでも二人の作業は手慣れたもので、綺麗になった食器を次々と重ねていく。
「それに、きっと断っても他の皆さんに無理やり食べさせられてるわ」
「そうだね。実際俺と話している最中に騒がしい人たちに連れてかれてたよ」
「あらあら。それは悪かったわねアイン。あの子断ることが苦手だから」
「アハハッ。俺は気にしてないし、それだけ人気があるってことさ」
柔らかい喋り方と微笑みのオバサンと話しているといつも空気が暖かい気がする。
一緒にいるだけで自然と笑顔が溢れてくる。
娘のティアも、そんなオバサンに似たのか種類が違うが人を寄せ付ける魅力があると思う。
なんといえば良いのか分からないが、ティアという人物は面白いというか一緒にいて飽きさせない。
会話でも仕草でも、ティア自身を見ているとウズウズしてきて次々と構いたくなってしまう雰囲気を持っている。
決してティアが頼りないからとか、情けないとかでも無い。
実際、女でありながら17歳という若さで正式な騎士に成るというのは実力の証であり、多くの女性の憧れにもなっている。
そんな偉業を達成しておきながら本人は一切高飛車な態度を取ることも驕る事も無い。
頼りになる上に、老若男女誰に対しても面倒見も良く、強引さに弱くてイジリ易いのだから、身近な存在に感じさせるのだ。
だからこそティアはこの街も城の人達にも人気があって、よく本人の意思に関係無く引っ張りだこになっている。
それだけに、途中でパーティーを抜け出てきた俺とは違って他の出席者が帰る事を許さないだろう。
「それでアイン・・・」
「な、何かな」
食器の片づけが終わって前掛けを外したオバサン。
そのあまりに急激な声のトーンの変化に戸惑ってしまう。
小さい頃からティアと一緒に何度も怒られていた俺は、この声を聞くだけで萎縮してしまうのも仕方ない。
「あの子はどこのお嬢さんなのかしら?」
居間からは三人の笑い声が聞こえる。
「アーシェってどこかのお姫様みたいっ」
「あら、どうして?」
「だってこんなドレス着ててとってもキレイなんだもん」
「ばっかだな~マリアは。ホントのお姫様は部下も連れずにこんな街に来たりはしないんだぞ」
「だってお肌だってスベスベだし凄い良い匂いするんだもんっ!」
「う、確かにアーシェはキレイだけど・・・それでもウチみたいな所に来たりはしないっ!」
「ふふっ二人ともありがとう。きっとね、あなた達みたいな素敵な子達がいる街なんだからお姫様が遊びに来るんじゃないかしら」
「お兄ちゃんが赤くなってる~っ!」
「うるさいなっ!別に赤くなんてなってないっ!」
床の絨毯の上に白いドレスを広げて座るアーシェとその膝の上に座るマリア。
椅子に跨る様に反対向きに座っているルー。
居間では食事を終えた三人が楽しそうに笑っていた。
その様子を見て微笑んでから、オバサンは言った。
「アインっ彼女が街で見かけた貴族のお嬢さんだなんて、オバさんにウソ付いちゃダメよっ」
「い、いや嘘じゃないよっ、たまたま一人で暇だったらしいから街を案内してたんだって。それで腹減ったって言うから連れてきたんだよ」
「違うわよ。どうしてか知らないけど、それは本当の事でしょうね」
「じゃあ、どこが嘘付いたっていうんだよ」
「彼女が貴族だって言った事よ」
「どこからどう見たって貴族のお嬢様じゃないかっ」
苦しい嘘だった。
というよりも嘘を付くしか無かった。
居間でマリアが嬉しそうに乗っかって抱きついている銀髪の少女。
彼女は貴族のお嬢さんでも、マリアの言うように何処かのお姫様なんかでも無い。
正真正銘、このレギンレイブのお姫様なのだ
そもそも、何故そのお姫様をこの家に連れて来る事になってしまったのか。
それを思い出すと頭が痛くなってしまう。
街で遭遇してしまったアーシェことアシェラ王女。
俺は彼女の希望通り街を案内した後、俺の家を見たいというから連れて行った。
自宅に来た彼女はお宅探索を楽しんでから俺の部屋で好き勝手に散々寛いだ後、急に『お腹が空いた』と言った時は驚いた。
基本的に俺は幼なじみであるティアの家で食事をするから、自宅に食べ物なんてまず置かない。
唯一つあった、ティアお手製のビスケットもあっさり平らげられてしまったのだ。
出来る事なら、一部の人間しか知らない彼女をもう一度街を連れ歩くのは避けたかった。
彼女の容姿は目立つのだ。
着ている白いドレスは外套で隠されたとしても、あの銀髪に白い肌と紫の瞳は視線を否応にも集め過ぎる。
勿論、城に帰る事も薦めたのだが、
「イヤ」
の一言であっさりと棄却されてしまった。
さてどうしようかと悩んでいた時に、今朝、オバサンがオレとティアのお祝いでご馳走を作ると言っていたのを思い出した。
姫様だという事さえ誤魔化せば大丈夫だと思って、彼女をこの家に連れて来たのだが、最初に家に入った時の三人の驚き方は予想以上に凄かった。
オバサンとルーは彼女を紹介する前に脱兎の如く俺を台所に連れ込んで犯罪者のように尋問してくるし、喜んだマリアは真っ先に彼女に飛びついてそれから食事が終わっても離れなかった。
三人はドレスを着た女性が入って来た事よりも、俺が急に珍しく客人、しかもドえらい綺麗な女の子を連れて来た事に驚いたらしい。
その時にした彼女の紹介が・・・
『彼女はアーシェという名前で、城のパーティーから抜け出た貴族のお嬢様。街で散歩していた所にパーティーから早めに切り上げた俺と出会い、街を案内していてお腹が空いたので夕飯をご馳走になりに連れてきた』
三人に嘘を付くのも彼女に嘘につき合わせるのも心苦しかったのだが、彼女が街で噂のシェーラ姫その人だ、と正体を言っっていたら真面目なオバサンは城に彼女を帰そうとする。
彼女が帰る事を望まなかったからついた嘘だったが、単純に俺自身、彼女ともう少し一緒にいたかったのもある。
三人は信じてくれたようで、俺と彼女は一緒に夕飯をご馳走になった。
少しだけ彼女が食事に対して好き嫌いの我侭を言わないか心配だったが、誰よりも先に食べ終わっておかわりまでしまうのだから彼女の食欲を心配すべきだった。
そして、食事後は三人で楽しそうに談話しているものだから、すっかり安心していた。
しかし、それは誤りだった。
「ふう、アインがいくら誤魔化そうとしても私には彼女がアシェラ王女にしか見えないわ」
心臓が飛び出るかと思った。
「彼女が着ているドレスに施された刺繍。あれはこの王都で王家御用達の店による代物よ。それを着る事が許されるのは王家の血縁だけなの」
「やれやれ、そんなの知らなかったよ」
そんな自分が知らない情報まで捕捉されてしまっては、もうどうしようも無かった。
「まだまだね。女は観るところが違うのよ、マリアとルーでも本質的には気付いてるわ、それに一番の理由はあなたよアイン」
「オレ?」
自分としては、咄嗟に出たにはなるべく嘘を混ぜずに上出来な言い訳だったと思う。
「長年あなた達を見てきたのよ。あなた嘘がヘタなんだから」
「はぁっ分かったよ。オレの負けだよ、嘘付いてた事を認めるよ。」
ジト目でにやけているオバサンに俺は完全に観念するしか無かった。
降参するように両手を挙げる。
「それにしても気付いていながら、よく黙っててくれたね」
「たしかに少しお城に帰すべきか悩んだわ。でもね・・・」
台所から見える三人の姿。
「私、アーシェのお友達になってあげるねっ」
「まあ、嬉しいわマリア」
「し、仕方ないからオレも友達になってあげるよ」
珍しく人見知りのルーもマリアと一緒になってお客さん(アーシェ)と楽しそうに今も談話している。
それにアーシェも二人の子どもに合わせるというのでは無く、本人が楽しんで接しているようだった。
「彼女自身があんな楽しそうにしてるし、息子が連れてきたお客さん(アーシェ)に失礼な真似は出来ないでしょっ」
そう言ってウィンクしたオバサンは居間へと向かう。
-やっぱりオバサンには頭が上がらないな-
出てくる溜息と笑顔をその背に向けた後、四人の笑い声の中に俺も入っていった。
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時刻は既に人々が寝静まる時間。
オバサンとルーは二階で寝床の準備をしている。
俺とシェーラ姫は居間に隣合って座っていた。
肩が触れそうで触れない。
でも、眼を瞑っても存在を実感出来る、そんな距離だった。
何か口にして話す訳では無い。
ただ近くいる、それだけで十分だった。
言葉を話すよりも、今の時間を大切に楽しみたかったのかもしれない。
静かにゆったりと時間が流れていた。
「・・・楽しかったか?」
「ええ・・・とても」
アーシェは膝の上ですぅすぅと可愛い寝息を立てているマリアの髪を撫でている。
マリアを見つめる視線は柔らかく、愛しいモノに触れるように手付きは優しい。
本当は彼女が楽しんだかなんて聞くまでも無かった。
ただ、彼女の口からどうしても聞きたかったのだ。
”アーシェとしての時間は終わりにしないとならないから”
「私が城にいる時はね、ただ塔から街を眺めてるだけだった」
「そうか」
「城の人達は皆アシェラに優しいわ。勿論信頼もしている」
アーシェは城へと帰り、アシェラ王女に戻らなければならない。
彼女もそれを分かっている。
「でも、そこでアーシェにはお友達と呼べる人さえいないの・・・ううん、家族と呼べる人以外、アーシェは存在していない。いくら私がそう接しても、人から見れば私は王女だから」
生まれながらの王女としての宿命。
しかし、その宿命は一人の少女としての存在を確実に奪い去った。
だからだろう。
アシェラ王女としての顔が知れ渡る前に、今まで眺めて来た街を楽しみたかったのは。
「ありがとうアイン・・・私は本当に楽しかった」
それは儚くて消え入りそうな笑顔だった。
彼女は、アーシェでも無い、街で噂のシェーラ姫でもない、レギンレイブ城に住むアシェラ王女に戻る。
「オレは、キミを・・・」
アーシェという一人の少女の姿。
そして、彼女の願いと夢の本当の意味をやっと理解した。
その瞬間だった・・・
ドンッッ!!!
地響きの様な轟音。
「きゃっ!」
「なんだ!?」
ドドンッ!!!!
再び連続してが鳴り響いた音は建物全体を揺らすようだ。
「外だ!」
椅子から立ち上がり、玄関のドアから外へ飛び出す。
通りに飛び出して身が震えた。
「南東の空が赤い・・・」
日はとうに沈み、西の空には星さえ見えるのに建物の向こう側、南東の空が夕方の様に赤く彩られていた。
-あの方向は商業地区・・・-
11番街はレギンレイブの外周部、南側に位置し、旅の窓口でもある街だ。
ティアの家は、民家が立ち並ぶ居住区にあり、11番街でも西側に位置する。
空が赤く染まる南には商業地区がある。
ドンッ!
ドンッ!
断続的に爆発音が続く。
次いで鳴り始めた警鐘。
一瞬だが建物の向こうにデカイ火柱が上がるのが見えた。
「おかしい・・・あの位置は商業地区といっても、宿屋が主で爆発物なんて・・・」
左目に手を添える。
「火事かしら・・・」
音を聞きつけたオバサンとルーも家から出てきた。
「ただの火事じゃないっ!」
―あれはっー
急いでウチの中に戻り、壁に立掛けてた剣を取って外へ出る。
「行くのアイン?」
その様子を玄関先から見ていたオバサンは心配そうに聞いてくる。
「あぁ行ってくる!オバサン!彼女を頼む!」
「アインっ!私も一緒に行きます!」
「ダメだ!ここにいるんだ!」
南の夜空を紅く染める街並み。
―あそこには精霊がいる―
アインはその中心に向かって走り出した。
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燃え盛る炎は原型が分からない程周囲の建物を焼き崩し、夜を昼のように明るくしている。
広場の石畳には木材やレンガ等の残骸が所狭しと散らばっていて、その隙間を縫うように悲鳴を上げて逃げる人々。
その紅く照らされた景色の中で、一人の女の子が戦っていた。
青い衣を翻し、首にトレードマークの首輪を付けた若き騎士。
燃えるような赤髪をしたティアだ。
「早く逃げて!」
剣を両手で構えているティアは後ろに向かって背中越しに叫ぶ。
その後ろでは逃げ遅れた宿屋の主人が腰を抜かして地面に尻餅を付いていた。
「あぁあああ・・・」
宿屋の主人は恐怖した。
威勢の良い少女の叫び声じゃなく、ティアの前面にいるモノにだ。
グゥオオオオオオオオオォ!!
咆哮を上げる赤い獣。
それは火の属性の精霊。
熊の様な獣から立ち塞がるティアの脳天に向かって右手が振り下ろされる。
真上から落下してくる爪をティアは剣の腹で受け止める。
ガキィッ!と金属同士がぶつかるような音と共に押し潰すような衝撃と重圧。
全身で力を込めているが、重圧に負けて片足の膝が地面に着く。
「くぅっ!アンタ根性出して逃げなさいっ!死ぬわよっ!」
「はっはいいいぃ〜っ!!」
宿屋の主人は、ティアの一喝に驚いて犬のように両手両足を使って走り去っていった。
とりあえず、周囲の人間を避難させる事が出来たが今の状況は危険だ。
「なんて力なのよっ!」
自分の数倍もある精霊に対して、両手で持っている剣に全身の力を込める。
一瞬でも弱めたら、その鋭い爪で引き裂かれるからだ。
しかし、必死に受け止めているのは片手だけ。
グゥアアッ!!
案の定、真横からもう片方の左手を振るってくる。
-っ!?-
とっさに両手剣を左手だけで支え、腰に差している剣を右手で抜き放ち左の爪をガードする。
「っああ!」
剣の上からでも、ティアの全体重は身体ごと真横に軽く5メートルは弾き飛ばされる。
素手の打撃なのに、それはウォーハンマーを大の男数人で振り回したかのような衝撃。
骨の髄まで響く攻撃に、受けた剣が折れなかったのが奇跡だった。
-何て重い魔力の篭った一撃っ!-
地面に当たる直前にそれぞれ片手で持った二刀の剣の右手の一刀を地面に突き刺し、それを軸に体制を立て直し着地。
それを見た精霊が雄叫びを上げる。
「大丈夫ですか騎士様!」
すぐには立てないティアに二人の男が駆け寄る。
彼らはレギンレイブ城と、この国を守る兵士。
城で行われていたパーティーは王女が行方不明という一大事で一時中断、即座にパーティー出席者も含めて城総出で王女の捜索となっていたのだ。
そこで、ティアもアシェラ王女を探していたのだが、まさかとは思いつつ城の兵士と一緒に11番街に捜索に来た所だった。
「騎士様!我等も加勢致します!」
「おおおおっ!」
二人の兵士は剣を構えて左右から挟むように精霊の元に走った。
「だっ!だめえぇ〜っ!!」
二人の兵士の行動は、勇士というより無謀。
先程受けた衝撃が抜けず、身体が動かないティアは咄嗟に声しか出なかった。
「がはっ」
「ぎゃああっ」
兵士の剣はどちらも精霊には届かない。
一人は剣ごと爪によって引き裂かれ、もう一人は辿り着く前に炎に身を焼かれた。
二人とも即死だった。
しかし、やられたのは二人だけではない。
ティアが火の手に気付き、広場に駆けつけた時にはこの一角は既に地獄と化していた。
燃え盛る炎で既に焼け死んだ者、吹き飛んだ建物の残骸に潰された者、引き裂かれ肉塊と化した者、建物だけじゃなく多くの者が命を奪われた後だった。
ティアは視界に映る残酷な景色に歯を噛み締めながら強く呼んだ。
「マキ!」
ブウゥゥンと音を立ててティアのすぐ斜め上の空中に赤い線が引かれていく。
赤い線は一周して円になると二重になり空間を指定、帯には文字が浮かび上がり、世界に法則を描いていく。
輪の中で呪文同士のパスと相乗効果、因果を結び付ける線が入ると魔法陣が完成する。
それはティアと供に在る精霊が現界するための魔法陣だ。
「にゃあ~」
強く明滅し発光する中空の魔法陣からティアの精霊マキが現れる。
マキは地にしゅたっと降りると、ティアを見上げ可愛らしい鳴き声を上げていた。
「突っ込むわっ!接近するから援護して!」
「にゃっ!」
主の意志に同調するように、赤い猫は一言鳴き声を上げ果敢に精霊に突っ込んでいく。
身の丈の何十倍もある精霊に向かうマキの小さな姿はあまりにも無謀に見える。
しかし、マキは敵と同じく火を司る精霊だ。
マキ自身が接近しなければ火の属性による魔法でやられる事はまずありえない。
マキは可愛らしい見た目とは裏腹に、口の中から自身の数倍はある火球を精霊に向かって吐き出した。
連続で精霊に吐き出す火球は精霊に着弾。
精霊はうめき声をあがるが、赤く燃えるような毛皮にはダメージらしいものが見られなかった。
-グアアア!-
だが、効果はそれで十分。
苛立たしげに足元をうろつくマキを睨み付け飛び掛かっていった。
獰猛に爪を振るう精霊の攻撃をマキは身軽さを活かし避ける。
マキは精霊が近づけばその分離れ火球を吐き出す。
精霊が火球を飛ばせば素早く避ける。
精霊との距離を保ちながら、直接の一撃を食らわないマキの小さな姿はさながら闘牛士のようだった。
そして、攻撃を受けながらマキは精霊からティアの意識を外していく。
吐き出される火球の車線上にもいれず、だからといってティアから引き離し過ぎない程度に。
マキの役目は精霊の目を引き付けることなのだから。
ティアはマキが精霊との戦いを見ながら自身の回復状態を待っていた。
わずか数十秒の間だが、既にティアの身体はある程度回復している。
ティアは両手に握られた2本の剣を血が出るほどに強く握りしめ、両手を水平に広げる。
片足立ちのように立ちながら、前に軽くあげた右足はとんとんっとリズムを刻むように地を軽く弾んでいく。
翼を広げた鳥のような姿勢。
双剣を使うティア独特の構えだ。
地を軽く叩くのは獲物を狩りに飛び込むタイミングを計る癖のようなもの。
―これより、魔力を行使する―
その意識は魔力を力へと変換するために、薄く青色に発光した膜のようなモノが下半身を包み込んでいく。
「絶対にっ!許さないっ!!」
獲物を狙うように赤の精霊を睨み付けていたティアは決意の声を上げ、突如一定のリズムを刻んでいた右足は大地を踏みしめる。
それにあわせてグッと前傾に身を沈め、今にも飛び掛かる猛獣のように身体を傾け、爆ぜた。
魔力を添加剤に、通常の筋力では出せない速度で弾け飛ぶように一直線に精霊に向かってティアが疾走する。
人間の速さを逸脱して走り迫る赤髪の人間に精霊は唸り声と共に赤い魔法陣を作り出し、炎を飛ばす。
精霊が生み出した火球はティアには見えていない。
今のティアに見えるのは仲間を傷付けた精霊だけだった。
しかし、直進するティアに火球は当たらない。
直撃する前に精霊が放った火球は、ティアの精霊が火球を放ち相殺したからだ。
ドォンッ!
激突する魔法は広場に二階建ての建物よりも遥かに高く爆炎を巻き起こす。
その立ち上る火柱から・・・
「ハアアッ!」
双刀を振るってティアが飛び出す。
キキィン!キキィン!
グアアァ!
肉薄する、赤い髪の少女と赤い獣の精霊。
広場にティアと獣の叫び声と剣と爪の激突音が響く。
ティアは両の手に握る二本の剣を縦に横に振り、獣は両の爪を持ってそれを防ぐ。
「よくも!街を!仲間を!皆を傷付けたな!」
次々と繰り出す双刀による剣撃。
踊るようにステップし、時にしゃがみ、飛び、回る。少しずつ後ろに後退する精霊。
「しっ!」
追撃するように右手に持つ剣で胸元に向かって突きを放つ。
ギャリリィン・・!!
剣先が胸元まであと僅かな所で毛に届く前に剣芯が左の爪で抑え込まれる。
「くっ!」
剣を引き抜こうとするが万力の様な力で挟まれた剣はビクともしない。
猛禽類の如く叫び声を上げる精霊の空いた右手が真横の死角から暴力的に振るわれる。
それを本能でパッと右手を剣の柄から放し、その場に身を屈め回避する。
ゴォッ!と、頭上を通過した暴力は髪の毛を数本切り裂いていく。
ティアは屈んだまま逆時計回りに旋回。
―狙うのは剣を掴んでいる爪!
左腕を斜め上に精一杯伸ばし、獣の右手と交差するようにもう片方の剣を掴んだ左の爪目掛けて振り向く。
ギンッ!
と、その一線は剣を挟んでいた獣の爪の根元辺りを切断する。
爪にも神経があるのか苦痛の叫び声をあげる獣。
その一瞬の隙をティアは逃しはしない。
―ここで決める!―
カッと見開いた茶色の瞳は獣の隙とその場にこぼれ落ちた剣を捉える。
剣が地に着く前に柄を再び右手に掴むと時計回りに旋回する。
しかし、今度はさっきとはまるで違う。
両の手に強く握られた双刀の剣。
左足を軸にして捻る身体。
強く踏み込む右足からは青い火花が散る。
そして全身は強く発光する。
それはティアという自分の最も身近な身体(道具)に魔力と術式を注ぎ込み、爆発的な身体能力を生み出す魔術。
更に剣さえも魔力で包み込むのは、これから起こる衝撃を倍加させ、剣自身を破壊してしまわない為だ。
ティアは円運動の遠心力と全体重を込めた両腕を振るい、
「ハアッ!!!」
気合いと大量の魔力を双刀に込めて獣に叩き突けた。
ドッゴオオォン!と砲弾のように数十メートル吹っ飛ぶ獣は、破壊音と共に三階建ての建物の壁面へと突っ込みかろうじて半壊に留まっていた建物を完全に崩壊させた。
レンガ造りの建物は瓦礫の山と化し、獣を三階分の重量の下に埋める。
「はぁっはぁっ」
崩壊が止み静寂する広場に響く荒い呼吸。
大きく肩を上下させているティアは精霊が埋った瓦礫の山から視線を逸らす事は無い。
その視線の先では崩壊が止んだ瓦礫の山が、まるで心臓の鼓動のように膨れ動いている。
吹き飛ばした精霊がまだ動いているのだ。
ティアはその様子に驚きもせず右手の剣を腰の鞘へと納める。
「マキ!大きいのかますわよ!」
ニャ~と、とても場違いな癒し系の鳴き声を上げて、マキは霞んで消えた。
ティアは消えた精霊を見る事もせずに一度深呼吸する、
そして右手を建物の上空へと向かって伸ばして、ゆっくりと瞳を閉じる。
「我が魔力で
法を刻み
その理りを唱えよう」
その言葉で外界からの意識を全て遮断する。
魔力とは内から生み出されるモノではなく、世界から与えられる僅かな力。
しかし、精霊を共に在る者は違う。
精霊は世界より生まれ、その精霊と共に在る者は、
”精霊が内に在る時に精霊を通して世界とのパスが繋がり魔力の供給を受ける”
その量は通常の人とは異なり、比べ物にならない程の量の魔力で、それによって自分の器に比例して魔力を蓄える。
”精霊が現界している時は、供給は受けられず器に蓄えた魔力を使用する”
精霊から流れる魔力は世界へ放出する時に精霊と同じ指向性(属性)が付加される。
ティアが持つのは”火”の属性。
足元から頭の先まで包み込んでいた何の属性も持っていなかった純粋な魔力。
その青い光は、ボフッと火の粉を噴くように赤色に変わり瞬く間に全身を包み込む。
上空へ拡げた手の平からは赤いオーロラみたいな帯が上空へと伸びていた。
ジ、ジジ、ジジジ・・・
セミが鳴き声のような音を立てて赤い文字が宙へ弧を描きながら環を作り出す。
「燃え上がる炎
赤熱の剣を掲げ
一筋の閃光となりて我が的を貫かん」
その声を起点に手の平が赤く輝く。
文字の環を補足するように文字から文字へお互いの呪文を相乗するために線が走り、それらを囲む輪が上掛けされ、魔法を発動するための完成する。
口から発する詠唱は文字通り呪文であり、魔力を用いて自分だけの内なる法を描く為だ。
ただ浮かべるは一つの事柄、自分だけの『魔法』。
それは”剣”
「燃えろ!
炎剣フランベルジェ(揺らめく炎)!」
更に上空にもう一つ一回り小さい赤い魔法陣が浮かぶと中から、赤い猫が現れて口から赤く燃えた刃を吐き出す。
その刃は上空に浮かんだ複数の魔法陣を貫き、閃光となって瓦礫の山へと突き刺さる。
ズ、ドンンンンッッ!!!
その瞬間、大気と地面が揺れた。
地に刺さる灼熱の火柱は一瞬の内に瓦礫の山と土を抉り上空へと撒き散らす。
「はぁっ!はぁっ!くっ」
髪を巻き上げる熱風と黒煙は広場を埋め尽くし、火の粉とその残骸がバラバラと広範囲に舞い降ちた。
ティアは掲げた右手を下ろして左手に持つ剣を地に立てると、その場にペタンと座り込んでしまう。
いくら呼吸しても、酸素が足りない。
これは単なるスタミナ切れだけでは無い。
身体に巡る魔力は精霊から輸血されてくる第二の血液のようなモノ。
精霊を現界していない時は輸血され続け、現界している最中はその供給が絶たれてしまう。
今の状態は、魔力行使と魔法によりティアという貯蔵タンクをギリギリまで使い切り、尚且つ供給も絶たれている状態。
先の魔力行使で身体を増強して動かした反動で身体は軋み、魔力不足による貧血の様な現象が起こっているのだ。
地に手をついて頭を垂れ、ひたすら苦しそうに呼吸を繰り返すティア。
赤毛の猫がトコトコと歩みより心配そうにティアの姿を見つめる。
そして何も声を上げる事無く、少しでも魔力を供給する為に世界へと消えていった。
グアアアアアアアアアアアアア!
地響きのような怒りの咆哮。
視界を前方に向ける。
薄くなっていく煙の隙間に二本足で立つ赤い獣の姿が見えた。
予想外の事では無かった。
「同じ属性なんて、やっぱり相性が悪いわね・・・」
同じ属性を持つ相手に、同じ属性は効きにくい。
これは魔力を使う上での常識。
ティア自身火の属性には耐性がある。
常に外皮に薄い膜があつようなモノで、多少火の中に突っ込んだとしても火の属性でティアがダメージを受ける事は無い。
そして、同じ属性の魔法だとしても直撃した場合は傷を負う。
自らが常に持つ魔力は同じ属性を弾き易いだけであって、それ以上の魔力を当てられれば容易く防御を突き破り負ってしまうのだ。
それは精霊も例外じゃなく、目の前の同じ属性を持つ精霊も無傷では無かった。
剣によるものか、魔法によるものか分からない。
おそらくその両方だろう。
陥没した地面から這い出て来た獣は、肩から腹部にかけて大きく切り傷を負い、そこからはダラダラと流れる血液が毛を黒く染めていた。
しかし、それだけだった。
「全力だったのにな・・・」
同じ属性で耐性があるのは分かっていた。
だからこそそれを見越しての全力の魔力を込めた攻撃だった。
それでも精霊を仕留めるには至らなかった。
グルルルルル・・・
精霊の瞳には、ティアに対する殺意が篭っている。
火の粉を放つように爛々と全身から魔力を放っている精霊。
それは、この戦闘がまだ終わらないという事を感じさせるには十分だった。
左手に力を入れて、剣を支えに立ち上がる。
しばらく、魔法は使えない。
自分の精霊から魔力の供給があるから徐々に魔力は溜まっていっている。
でも、それでも2、3日立たないと簡単な魔法程度しか使えないだろう。
先程使った魔法は、ティアという器に溜まる魔力を限界ギリギリまで篭められていた。
剣で戦うしか無い。
地面に刺さる剣を左手で抜き放ち、シャツの上から腰に巻き付けられたベルトの鞘に収まる剣を右手で引き抜く。
「つっ!?」
腕に走る激痛に抜きかけた剣は右手から滑り落ち、地面へと倒れ込む。
右手を見ると、手袋はボロボロに焼け焦げて、その下の皮膚は火傷によりボロボロだった。
しかも、その火傷は手の平だけじゃなく肘辺りにまで追っていた。
「・・・まだ早かったかな」
白い半袖のシャツを着たティアが火傷しているのは、剥き出しの右腕だけ。
精霊による攻撃による火傷なんかでは無い。
これは代償。
さっきの魔法は、不完全だったのだ。
今のティアが使うには法も、それを描く魔力も足りていない。
結果として、精霊を討ち損じた上に還った魔力は自身の手を焼いた。
右手は使い物にならない、その上魔力は空、身体はガタガタ。
「それでも負ける訳にはいかないっ!」
頭と視界に入るのは、戦いの余波で既に残骸と共に広場の端に転がってしまった無念の数々。
状況は最悪だが、戦う理由がある。
歯を食いしばり、左手に握る剣を両手で握り締めて精霊を睨みつける。
目の前の敵は既に攻撃態勢に入っていた。
ほんの一瞬自分の身を抱きしめるように縮み込ませ、溜めたものを一気に開放するように両手を広げた。
グゥオオオオオオオオオオオオオオオ!!
雄叫びと共に、精霊を包み込んでいた魔力は精霊を中心に球状の魔方陣を作り上げて魔力は弾け、全方位に炎を飛ばす。
「なんてムチャクチャなヤツっ!」
精霊の攻撃はティアを狙っただけでは無い。
瞳に写る全てに対する無差別な攻撃だった。
破裂した炎は上空で弧を描いて火の雨となって広範囲に降り注ぎ、地上のあらゆるモノを襲った。
ティアの身長を上回る火球は宙から絶え間無く落下する。
それらは建物の残骸も動かぬ遺体も焼き尽くし広場を火の海と化した。
ティアは無理やり身体を動かして交わすのが精一杯だった。
「この状況、どうすれば良いのよっ!」
その中心にいる精霊に近付く所か、火球が飛ぶ範囲は一層広っていく。
そして、まだ倒壊していない建物にも火を付けて、侵食していくように次々と建物が崩れていく時だった・・・
・・・・ぇ・・・ぇぇ・・・・
自分の耳を疑った。
・・・・ええ、ええん・・・・
確かに聞こえる子どもの泣き声。
そして、その割り込んできた存在に精霊も気付き炎が止まる。
-くっ、精霊にも気付かれたっ!どこなの!?-
一瞬訪れる静寂。
それは、ティアが子どもを見付けるのが先か、それとも赤い獣が新たな敵を見付けるのが先か。
・・・グ・・・ゥオオオオオッ!
急に方向転換をして四足で走り出す精霊。
その先を視線で追うと、積み重なるの瓦礫の隙間から泣きながら這い出てくる小さな男の子が見えた。
「くっ!」
持っていた剣を放り捨て走る。
精霊からの距離は10メートル程で、ティアはその倍近く離れた所にいた。
その上、先に気付いたのは精霊。
遅れたティアだが、ほんの僅かだけ回復した魔力が足に青い輝きと一瞬の加速を弾き出す。
「間に合ってっ!」
爪を振り被る精霊。
しかし、その爪が子どもの柔肌へと届く前に、魔術行使で精霊を追い抜き子どもを抱き抱えて距離を取る。
「ぅ、ぁあああ・・あああ」
「・・・良かった」
腕の中で、泣き始める3才程の男の子。
その重みと暖かさに笑みが溢れる。
しかし、その安堵も束の間だった。
グゥアアアアアアア!
叫び声に顔を上げると、精霊は既にティアに向かって火球を放っていた。
身体は動かそうとしても、震えるだけで動いてくれなかった。
「避けられないっ!」
せめて子どもの盾になる為に地面に座り込んで、その身体を強く胸に抱いて迫る火球に眼を瞑った。
頭に浮かぶのは死への恐怖では無い。
腕の中にある一つの命と胸の中にある一人の少年の姿。
ドオオンンッッ!!
地に渦巻く火の柱。
男の子が這い出た建物も巻き込んで紅蓮の炎は物質を燃やし尽くす。
その中でティアは瞑っていた眼を開ける。
視界を埋め尽くす紅い奔流は、自分らを避けるように左右を走っている。
やがて、炎が収まったティアの瞳にはよく見知った背中が写り込んでいた。
黒と赤の生地に金の刺繍の上着、それは自分が着せたくて用意した物。
いつも見てきたその姿は、どんな時も何よりも頼りにしている胸の内と同じ姿。
「無事で良かった、後は任せろ」
その声を聞くだけで心が安心する。
「こら、遅いぞっ」
茶色の瞳に涙が滲んでくる。
視界の中、手の届くスグ傍には剣を構えた黒髪の幼なじみが立っていた。
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次回予告
暴走する精霊に対峙したアイン。
一方で、アーシェは精霊と戦っていたティアの母親ソフィアと対峙していた。
王女であるアシェラとアーシェ、同じ人間でありながら他者から見られる姿は二面性を持っている。
心の中で葛藤しながら、アーシェは想いを胸に歩みを進める。
第三話
「アシェラとアーシェ」
騎士となるべき少年の姿を胸に秘めて少女は選択する。
同時進行で進めていきます、
『ヒトというナの』
”精霊と魔法が混在する隠された真実世界”の物語。
良ければ併せてお楽しみ下さい!