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第一章 ”精霊騎士と呼ばれる少年” 第一話 「騎士叙任式」 

精霊と共存する事を選んだ国と精霊を使役する事を選んだ国が引き起こした戦争により、世界は二つに割れた。

そこで少年達は選択する。

こちらは”精霊と魔法そして人間が当たり前に共存する世界”の物語です。

お楽しみ下さい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



王都レギンレイブ。

人口約50万人が住む王都はレギンレイブ王が統べる大都市だ。

城壁に囲まれた王都は12の街に区分され、大きく分けると内周部に1〜6番街、外周部に面した街が7〜12番街と呼ばれ、12の街に囲まれるように中央にはこの国の象徴である国王の住まうレギンレイブ城がある。



そしてこの国はレギンレイブの他に別名がある。


『騎士の国』


この国は騎士を育て、騎士となった者は自国と諸外国を守るために各国へと派遣される。


そして、今日は精霊降臨祭。


新たな騎士が誕生する特別な日だ。

この国で騎士見習いとして騎士の元で鍛えあげられ認められた者は、王の洗礼を受ける事で正式な騎士となれる。



外周部にある11番街

ここは自然が豊かで比較的一般階級の人が多く住む住宅街。

その民家が立ち並ぶ街道から外れた小高い丘の上の一軒家に、騎士になろうとする少年がいた。




ー起きて!


「いいかげん起きなさいよアイン!」


ガクガクと揺らされて黒髪の少年が眼を開ける。

ぼやけた視界に入るのは、茶色の瞳の少女。


「ぅん・・・起きてるよティア」


それが赤い髪が印象的な彼女の名前。

近所に住む彼女はいわゆる幼なじみで、小さい頃から寝起きが悪い俺をよく起こしに来てくれる。


「今日は早く無いか・・・?」


上半身だけをベットから起こして、寝ぼけ眼でティアを見る。


燃える様な肩口までの長さの真っ直ぐな赤い髪。

猫の様な大きな瞳は愛らしい茶色で、今は呆れ顔でアインを見つめている。

太もも辺りまで剥き出しにしているスラッと伸びた足。

白い半袖のジャケットを着て、その上から茶色い革のベルトを腰に巻いている。

首に付けている赤色の首輪は彼女のトレードマーク。

短いパンツを好んで穿く活動的なティアは今日も朝から元気だった。



「こんな日にお祈りもしないで寝てるのはアインくらいだわ。」


ティアは腰に手を当て、呆れ顔でため息を吐いた。

その顔もいつも見かける変わらない朝の顔だ。


「それと、さ・・・」


僅かに頬を染めて首輪をもじもじといじりだす。

緩めているとはいえペット用の首輪を付けれる程、ティアの首筋は細い。

そんな仕草はいつもの朝には見られない様子だ。


「誕生日おめでとうアイン。」


その一言で今日が何の日か改めて思い起こされる。

今日はアインの17回目の誕生日だった。


「なによ、ぼ~っとしてないで早く着替えて来なさいよ、バカ。」


ティアは言ったことが恥ずかしかったのか、すぐに身を翻して部屋から出て行った。

ただ、去り際に見えた顔は耳まで赤く色付いていた。


「・・・誕生日にバカはないだろう」


見えなくなった背中に遅めの突っ込みを入れても返事は返ってくることはない。

そんなことは百も承知だが言わずにはいられなかった。

言われっぱなしは負けな気がするから。

誕生日を祝ってくれたのがさりげなく嬉しかったし、きっと自分の耳も赤くなっているだろう。


アインの毎朝は幼なじみのティアに起こされる事から始まる。

着替えてからパン屋を営んでいるティアの家に行き、朝食を一緒に食べる。

これが一人暮らしをしているアインの毎朝の習慣であり、ティアの習慣だった。


「んじゃ、さっさと起きて朝食でも食いに行くか」


さして広くも無いアインの部屋には、窓が二つと小さな椅子とテーブル、ベッドと箪笥の他にはティアの趣味で集められた小物コレクション(アインにとっては良い迷惑だが怒るので何も言わない)が並べられた棚がある。

窓の近くの椅子にティアが用意してくれた服が畳まれて置いてあった。

パジャマから用意してくれた白いシャツと黒いズボンに着替えて、二階にあるアインの部屋から一階に下りていく。


アインの家は二階建てで二階にあるアインの部屋と一階の客間以外はまず使われていない。

空室と今は使われていない部屋を合わせると全部で7部屋ある。

階段を下りると玄関フロアには丁度、老女が家に入って来る所だった。


「おはよう。ばあちゃん」


「あぁ、おはようさん・・・アイン様」


彼女はテミ婆ちゃん。


婆ちゃんといっても祖母では無く、血縁関係ではない。


彼女はオレが生まれるずっと前から、今でもこの家を面倒みてくれているオレに残された数少ない大切な家族だ。


夫を随分昔に亡くし、ここから数百メートルの家に一人暮らしをしている。

何年か前に、一緒に暮らそうと言っているが亡きご主人と想い出の詰まった家を離れられないのだそうだ。


その気持ちはアインも、痛い程分かるから、それ以来口にはしていない。



「誕生日おめでとうございます。奥様が今日という日をどんなにお喜びになっていた事やら・・・」


「喜んでくれてるかな・・・母さんは」


ふと、視線を向けた方向の部屋。


今は使われていないその部屋は、母の部屋だ。


母さんにずっと仕えていたばあちゃんは、涙を流しながら微笑んでいた。


アインにとって誕生日は喜んで良いのか悲しめば良いのか分からない特別な日。


しかし、自分を祝ってくれた幼なじみと、そんな幸せそうに笑ってくれるばあちゃんの、家族の姿が心底嬉しかった。


「ありがとう。そうだよな、今日という日は良いモノなんだよな。」



そう思うと身体が軽くなり、よりお腹も空いてきた。


それじゃ、行ってくるよ。と婆ちゃんに手を振って家を出て行く。


「行ってらっしゃいアイン様・・・。」


玄関先で婆ちゃんは目元にハンカチを当てながらいつまでも深々と頭を下げたままだった。


我が家を後にして、緩やかな傾斜を下っていく。石畳になっている通りの先には朝を迎えたレギンレイブの街が広がっていた。

朝日でグラデーションに照らされた街はいつ見ても気分を爽快にさせる。

通り沿い並ぶ11番街の家々は、煙突から朝食の匂いが上り始めていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



ティアの家は、傾斜を下ってスグの11番街のメインストリートに面した所にある。

赤い屋根のレンガ造りの建物で入口は二つある。

一つが家族用の家の入口。もう一つがお客様用のパン屋の入口だ。

自宅兼店舗のパン屋はこの11番街で人気のパン屋で、別の街からもよくお客さんが買いに来る。



「おはようオバサン」

「あら、おはようアイン」


ティアの家に入るとスグに見つけたのテーブルに食器を運んでいたティアのお母さん。

俺が小さい頃から騎士として外国へ派遣されているティアの親父さんに代わり、パン屋を営みながらこの家を支える大黒柱だ。


「アイ〜ン!おはよう!」

「やっと来たぁ〜。僕もう、お腹ペコペコだよ〜」


開口一番挨拶と共に飛び込んできた金髪の女の子がマリアで、テーブルに食器を運ぶおばさんの手伝いをしている茶髪の男の子がルーだ。


「おはよう二人とも」


マリアが7才、ルーが13才で二人はティアの妹と弟。

ティアは三人いる姉弟妹で一番上の長女だ。


「やっと来たわね。ちょっとアインも手伝って今出来たところだから。」


エプロンを付けたティアが台所から顔を出していた。

朝食はいつもおばさんとティアが作っている。


「了〜解。マリアも一緒に準備しようぜ」

「うん!」


しがみ付いていたマリアの小さな手を握って台所に歩いていく。

これも、毎朝お決まりの出来事だ。


「そういえばアインお誕生日おめでとう!これで今日からティアと同じ17才ね。」

「そうよ母さん。だから私と一緒に儀式に出られるのよ」


食卓に並ぶパンやサラダ、食べ盛りの子ども達に合わせて作られた数々の料理を囲んで席に着く。

皆で揃って朝食を食べる時、四角いテーブルの席は決まってる訳じゃ無いがいつも同じだ。

オレ、ティアが並んで、マリア、そして対面側におばさん、ルーの位置。

一番下のマリアをティアとおばさんで挟む座り方だ。

まぁ食べ終る頃には、トコトコとやって来てちょこんとオレの膝の上に移動して来るのだが。


「なら、今晩は二人のお祝いとアインの誕生日のお祝いをやろうかしら!」「わあい!お祝いお祝い〜!」


席をアインの膝へ変えて喜ぶマリア。

一人っ子のアインにとって多少食べづらかったりもするが、この時間は幸せだった。


「良いのかいオバサン?」

ハッキリ言ってティアの料理も美味いが、オバサンの作る料理はパンだけでなく全部がメチャクチャ美味いのだ。


「もぅダメよ母さん。

それは嬉しいけど、私とアインは今夜式典のパーティーがあるんだから」


「そうよね。今年は姫様が17才で成人なさるから、儀式を行う事になったのだものね」


「そうよ。王様が床に伏せてから久し振りの儀式なんだもの、200人も新しい騎士になる訳だし盛大なパーティーになるらしいわ。儀式に出る私達が出ない訳にはいかないじゃない。」


「そっか、ゴメンなルー。オバサン」


膝の上で小さくなるマリアの頭を撫でながら、オバサンに謝る。

向かいに座るルーも、お兄ちゃんだからか声に出して喜ぶ事はしなかったが、嬉しそうにしていたからだ。

それなら婆ちゃんも誘おうと思ったいただけにアインも残念だった。

正直城のパーティーなんかより、こうして大切な人達に祝って貰った方が余程嬉しい。



しかし、今日行なわれる叙任式はレギンレイブ王が病に伏せてから、ここ数年間から行われていなかった久し振りの儀式。

当然、儀式が行われていない間は一部の例外を抜かせば新しい騎士は生まれていない。


久し振りに儀式が行われる事になったのは、病のレギンレイブ王の病状が快復した訳じゃ無い。

病のレギンレイブ王に代わり、今日、17才の成人となる王女が行う事になったからだ。


おかげで17才になったアインとティアも見習い騎士から正式な騎士になる為に儀式に参加出来る。



「それにしてもシェーラ姫はどんな方かしらね」


「そういやアイン兄ちゃんは城で見たこと無いの?」


オバサンとルーの疑問にアインも首を傾げる。


『アシェラ王女』


その名前を聞いておきながら見た者はまずいない。

噂と想像は広まり、綺麗だとか、大女だとか色んな話を聞くが、噂の王女を皆『シェーラ姫』と呼んでいた。

街ではどこか堅苦しい『アシェラ王女』よりコッチの呼び名の方が馴染みがあるのだろう。



「う〜ん。城の人達でもほとんど見たことも無いらしいな。

 

 ジジイは会ってるらしいけど、一部の人以外は姫様のいる塔に近付く事も禁止してるしな」


「コ〜ラッ!ジジイじゃないでしょう!

 

 もぅアインの先生じゃない!」


「良いんだよ!実際爺さんなんだから!」


ジジイは俺が見習いとして付いていた騎士で、全ての騎士達を率いる将軍でもあるが齢90才、立派な老人である。


「あらあら、ダグザさんをジジイなんて呼んじゃダメよ。

まだまだ元気なんだから。」


ダグザというのがジジイの名だ。

オバサンもティアの親父さんもジジイとは仲が良い。

実際に、ジジイはここのパンがお気に入りで部下を連れてよくパンを買いに来るのだ。

10才からジジイに見習いとして付いていた俺は、何度となくパシリをさせられていた。


ちなみに、ティアはヴァーリという騎士に見習いとして付いていた。


「まぁ、近いうちに街を凱旋するらしいから今日じゃなくても皆見れるさ」



限られた一部の人間を除き、誰も見たことの無い若き王女。

数年振りに行なわれる儀式。

それだけに、今日の叙任式は多くの参加者が集まるだろう。



「ねぇねぇアイン!今日の私どおかな?」


「んっ、今日も相変わらずカワイイよ」


城に行くまでの間、まだ時間があるアインは食後のお茶も兼ねて、いまだティアの家にいた。

ティアとオバサンは朝食の後片付けの後、店舗の商品であるパンを作るのに大忙しだ。

さっきからパンを焼く香ばしい匂いが室内に立ち込めている。

たまにオレも手伝ったりもするが、今日のオレはは食後からずっと膝に座ったままのマリアとルーの相手をしていた。

膝に座ったまま終始ニコニコ顔をマリアはお世辞抜きに可愛らしかった。


「久しぶりにこの髪型にしてみたのっ!」


金髪の少女は前髪を上げてカチューシャで留めている。

少し思考を探り、脳内のアルバムをめくっていく。


-・・・見つけた-


「えっと、確かその髪型は・・・あぁ!半年振りか!」


「エヘヘ〜当たり〜」


「相変わらず記憶力が良いのねアインは」


手伝いが終わったのかポットに紅茶のお代わりを持ってきたティア。

おつかれっと労いの言葉をかけると隣に座ったティアは


「お母さんと私の作るパンを誰かが喜んで食べてくれる。」


ポットから自分のカップに注ぐ


「そう思うと嬉しくて疲れなんて感じないわ。あちぃぅっ!ふぅ~ふう~」


基本的に猫舌なティアは、案の定淹れ立ての湯気が上がる両手で持ったカップにそろ~っと舌の先を伸ばしてはビクっと全身を震わせている。


「アハハッ相変わらず熱いのが苦手なんだな」


「こればっかりは鍛えてどうにかなるもんじゃないの」


いつも聞きなれたセリフを笑って言う幼なじみを見てて思う。

家族思いで弟妹思い、人に尽くすのが好きなティアはいくら父のように人を守りたいからだといっても剣を振るう騎士なんかより、パンを作っている姿の方が似合っている。


いつの頃か、この考えを口に出した時にえらい剣幕で怒られてしまって、今じゃその理由も聞き出せない。



「アインアイン!

じゃあ姉ちゃんの胸は先月に比べておっきくなった!?」


「ぶっ!?ア、アンタ何て事聞くのよ!」


テーブルに身を乗り出して声を出すルーの爆弾発言に口に含んだ紅茶を噴出すティア。


ティアの気持ちも分かるがオレとしても・・・聞かれたからには仕方ない!


「んん~、これは・・・」


目の前で顔を真っ赤にして震えているティアの胸元に視線を向ける。


-思考を再び巡らせる-


左手で左目を覆うと、脳内に浮かぶのは写真の様に正確に見たものと寸分違わぬ記憶たち


「ア、アア・・・」


ソコにある記憶には残念な結果しかない。


「全く変わらんっ!」

「アンタも真面目に答えるなああっ!!」


「グワハァ~っ!」


声に出した瞬間にティアの拳によって、身体は家の壁面ごと通りに吹き飛ばされていた。


「くたばれ変態っ!巨乳マニアっ!」


「ティア~そういうのは外でやって~。


 壁直すの面倒なんだから」


穴の向こうからそんな言葉を言っている二人の言葉を最後にアインの記憶は途絶えた。

いちおうティアの名誉のために言っておくがティアの胸は決して小さくなく理想的な大きさと言っておこう。


通りに転がるアインを街行く人々が笑って見ても誰も助けてはくれない。

これも、この街では見慣れた光景だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「ハイ!私からのプレゼント!」


儀式の時間も近づき、そろそろ行く準備をし始めた頃だった。

背伸びして頬に口付けするマリアは、やはり腕にしがみ付いて離れない。

父親としばらく会っていないマリアはアインが大好きで、ティアの家にいる間中はいつもくっついている。


「おませさんだな、マリアは。

 そういや、ティアからのプレゼントは?」


「ほぉ~拳だけじゃ足りないと・・・」


拳を握り締めてすごむティアの姿に慌てて首を横に振る。


「そんなこと言ってないでさっさと着替なさいよ」


そう言って、黒と赤で作られた生地に金の刺繍が入った服を手渡してくる。


「どうしたんだこれ?初めて見た服だなオヤジさんのか?」


ちょっとした豪華な服は儀礼用なのか作りがしっかりしていて今まで見たことが無い。

アインの服は小さい頃はバアチャンが用意してくれていたのだが、眼が悪くなってからはもっぱらティアが選んでいた。


「いいから早く着てみて。サイズが合わないかもしれないんだから」


言われるがままに袖を通してみる。


「ピッタリじゃん」


「ちょっともぅ、えりが立ってるよ・・・」


首に手をまわしてエリを直してくれるティア。

赤毛が揺れて茶色の愛らしい瞳が近くにある。


「うんっ、カッコイイっ」


自分の見立てに満足したのか嬉しそうに笑うティアはなんていうか・・・卑怯だ。


「勿論オレが、だろ?」


「なぁ~に言ってんのよ。

 洋服の事に決まってんでしょっ。バカなこと言ってないで行きましょう」


だから、照れてそんな事を言ってしまう。

それも分かっているのか付き合いの長い幼なじみの返しは素早い。


「まっ、でも・・・

 中々似合ってるよ!アイン!」


やっぱり、そんなティアは卑怯だ。

何も言い返せない。


「じゃあ行ってくるわね」

「行ってきます」


いってらっしゃ~い、という元気な声に押されてティアに続いて玄関を出て行く。

その時、ティアには聞こえないぐらいの小さな声が聞こえた。


-後でティアにお礼言ってあげてね。


その服あの子がアインの誕生日プレゼントにって、用意したんだから・・・-


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


石畳の緩やかな傾斜の丘の先に輝くような白い城が建っていた。

レギンレイブ城である。

白い石材を基調にして作られた城は、太陽の光を浴びて騎士の国に相応しい威光を放っている。

城内に建つ一際大きな二本の巨塔はそれぞれ、騎士達の為の鍛練所や武器庫等がある「騎士の塔」、それと主君であるレギンレイブ王やその家臣が住む居塔「王家の塔」だ。

二つの塔の天辺には翼を持った人間が剣を横に抱えた姿、レギンレイブ王国の紋章が入った旗がなびいていた。

そして、二つの塔に隣接して間にあるのが宮廷であり、礼拝堂や今日の式典が行われる玉間がある本館だ。


玉間は、異様な雰囲気に包まれていた。

荘厳な石造りの柱と壁面に囲まれた室内には、豪華な衣装に包まれた貴族や王族の他、青い外套に包まれた騎士達が立ち並んでいた。

中央には赤い絨毯が敷きつめられ、赤い絨毯の先の壇上には金と赤で彩られた玉座があった。

その対面側では、今日これから新たな騎士として生まれ変わる200人の者達がその玉座に座る者が入ってくる瞬間を今か今かと心待ちにして並んでいた。


やがて、玉間の脇にある木製の扉が開かれ、数人の騎士や神官が入って来た後


「レギンレイブ王女!


アシェラ バーネット レギンレイブ!のお目見えであるっ!」


その言葉にざざっと、全員が片膝を地に付き頭を垂れ、一斉にその空間が引き締まる。

まず出てきたのはこの国の司祭。

司祭服に身を包まれたメガネの青年が司祭様だ。


ついで、出てきたのは二人の騎士。

開かれた扉の両脇に立つ、護衛の騎士は二人共よく知った顔だ。

褐色の肌に白髪の短髪で21才長身の青年がウ゛ァーリ。

ティアの付いていた騎士であり、あの若さで騎士隊を率いる騎士隊長を務める実力者だ。

もう一人が左目に眼帯をした筋骨隆々の巨漢、通称「ジジイ」のダグザ。

あんな見た目をしているが齢90才というデタラメなジジイだ。


そして、ついにその瞬間はやってきた。


光輝く純白のドレスに身を包まれて、腰まで伸びた美しい銀の髪は光沢を放ちフワフワと風より軽く揺れていた。

陶磁器のように白い素肌に薄い桃色の可愛らしい唇。

大きな瞳は透き通った紫色をしていてどんな宝石よりも美しい。

真っ直ぐ伸びた背筋に玉座に進むゆっくりとした足取り、堂々とした立振る舞いは神々しささえ感じてくる。


息を呑む美しさだった。


玉座に座る姿は、まるで絵画を見ているような錯覚で魅とれてしまう。

様々な彫刻が施された柱や鏡の様な大理石の床も、ここにある空間は彼女という芸術を飾るための額に過ぎなかった。


ここにいるほとんどの人間は初めて見るアシェラ王女の美しさに誰もが眼を奪われていた。

本来は、王女が入って来た時に管楽器を吹くはずだった音楽隊も、その仕事を忘れて見惚れていた。


アインもその一人であり、当然、これまで姫の御身を見る機会は無かった。

しかし、それもほんの僅かな間だった。


王女の次に入って来た人物。

白髪を後ろで結わえた男。

この国の総司令官であり「聖騎士」と呼ばれる騎士最高の称号を与えられ、ダグザとレギンレイブ王に並ぶ大戦の英雄だ。


その男が視界に入った瞬間から、アインは全ての思考さえもその男に注がれていた。

嫉妬にも似た、怨嗟の感情が浮かび上がる。


-そんなに姫様が大事かよ!


母さんの命日だって帰って来なかったじゃないか!-


それは遠回しのわがまま


アインの母はアインを産んでスグに亡くなっている。

つまり、今日という日はアインの誕生日であり母が自分を生んで死んだ命日でもあった。

しかし、あの男は10年もの間帰って来る事は無かった。


その時、視界の中でピコピコと動くモノが見える。

いつの間にか集中していた視界は広がると動いていた正体に気づいた。


-何やってんだあれ?


動くモノの正体、それは王女の手だった。

儀式の始まっているというのに、王女はコッチに向かって手を振っている。

吸い込まれる瞳は自分を見ているようだった。


「姫様がオレに向かって手を振ってる?」


その言葉に後ろを振り向けば誰もが似たような言葉を口にしていた。

要は皆が自分を見ていると思っていた様だ。


-バカバカしぃ・・・


王女の前で文言を唱え続ける司祭がそれに気づいたのか、わざとらしく咳をするとその手は引っ込められた。

しかし、それでもなお視線はコッチを向いていた。

-もしかしてヒマなのか??

この場にいるほぼ全員が先ほどから彼女に視線を向け続けているのに気づいていないとは思えない。

その中で儀式の最中に手を振ったりするのは、ここに並んでいる新米の騎士をからかっているのかもしれない。


そんな事を考えている間に儀式は進み、次々と名前が呼ばれていく。

もうすぐ、自分の出番だ。

名前を呼ばれて王女の前に行く。


それは、王女の斜め後ろにいるあの男に近づくという事だ。


-もうすぐだ、もうすぐであの男に近づける-


「アイン ソル ツヴァイレヴァンテっ!前へ!」


王女が声に出す名前に周囲がざわつき出す。

大観衆の王女に向けられていた視線は一気に王女の前に行くアインへと向けられた。


『アイン ソル ツヴァイレヴァンテ』


それが王女の前で片膝を付く少年の一生に纏わり付く名前だった。



「人が人より生まれ、精霊は世界より生まれる」


凛々しく威厳に満ちた声。

しかし、アインはスグ近くにいる憎き男を前にしてなんて王女の言葉なんて聞こえちゃいなかった。


「精霊と供に存りし者、その躯に宿し理で法を世界に刻み」


無表情の白髪の男を睨みつける。


男の名は、アッシュ。


『アッシュ ソル ツヴァイレヴァンテ』


アインと同じ青い瞳をしたその男は紛れも無いアインの父親だ。


久し振りに交わす視線と親子対面は、王女の後ろから見下ろす父親と、片膝をついて見上げる息子の図だった。


「この剣で神に奉仕するすべての人々を守護すべし」


10年振りに見た父親の姿。

10年でやっと近付けたこの距離。


―アンタは息子の誕生日と自分の妻の命日ーーーーにソコで何をしてやがるっ!!


立ち込める怒りが沸点を越え、腰が浮き上がる瞬間だった



キィンッ!!



まさに爆発寸前だったアインの怨嗟の炎を断ち切るような抜刀。

肘先まで包まれた白い手袋が握る鈍く光る剣は、閃光のように首筋へと続いている。

いつの間にか首筋に当てられていた刃は氷のように冷たく、首筋から抜けていく熱いたぎりが頭を冷静にしていく。


-動けば斬られる・・


刃先から伝わる波動に、初めてアインは彼女の瞳を正面から見つめた。


「我が名は、アシェラ バーネット レギンレイブ」


あれだけ心を燃やしていた火は水のように静まっていく。


「アイン ソル ツヴァイレヴァンテ」


彼女の言葉が沁み込んでいく。


「汝、忠誠を誓いますか」


間近にあるどこまでも真っ直ぐな紫水晶の瞳。


その瞳を見ていると、心臓が激しく鼓動する。



「オレ、は・・・」



剣先から滴り落ちる赤い雫は、首筋に当てられた刃から真紅の絨毯に吸い込まれ黒い染みを作っていた。



ざわつく儀式の中、アインはその場で誓うことが出来なかった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



白く聳え立つ騎士の塔の前、城の敷地内にある屋外鍛練場は、騎士叙任式の後に行われる御前試合で盛り上がっていた。


幅50メートルの四角い石壁に囲まれた中で新たな騎士となった者同士が試合をして王女にその実力を拝見してもらうためだ。


刃引きされた武器での試合だったが、武器は好みのものを使えるし魔法に関して制限は無い。


一般人はいないものの儀式参加者はそのまま会場に流れていき、試合をしない者たちは全員が観戦者となっている。


闘技場となる鍛錬場を中心におわん型に見下ろせるように作られている席に座った観戦者達は高い位置から見下ろすように歓声を上げていた。


当然そこには王女とアッシュもいるわけで、良い所を見せ付けようと新米騎士達は張り切っている訳だ。



試合は無作為に決められた一対一の一回勝負。


つまり、今日騎士になる者は200人だから丁度100組の試合が行われている。




試合が行われている会場の裏手、数メートルはある高い石壁の日陰に男達はいた。


試合は既に半分くらい終わっていて、アインはあと数人の後に来る自分の出番を新参の騎士達と一緒に待っているところだった。



そんな中、目の前にいる男は暑苦しかった。



「よぉ坊主!さっきは面白かったな!」



ガッハッハ!と豪快に笑う男は、アインの師である騎士ダグザだ。

180センチはあるアインの長身を軽く上回る巨漢の持ち主で、左目は大戦時に負った傷らしく、装飾が入った黒い眼帯を外す事は無い。



「もぅ坊主じゃねえ!今日から17だ!」


「オレから見りゃオマエもオマエのオヤジもまたまだ坊主よ!」



『聖騎士』とまで呼ばれた親父が見習いの時に付いていた騎士というのが、目の前にいる筋肉ムキムキで争いでも自ら最前線に出て行く90歳から見れば、確かに坊主かもしれない。しかし、



「アイツと一緒にされんのは我慢できねえ!」


「相変わらずだなオマエは」



ジジイのため息が聞こえたと思ったら目の前に星が飛んだ。


「少しは姫様を見習え」


ゴンッ!と頭蓋骨に拳を当てられたときは石でぶん殴られたと思った。


ティアとは質の全く違う拳に思わず蹲る。


ティアのがキレの良いパンチなら、ダグザの拳はひたすら硬くて重いのだ。

骨まで響く痛みに頭を撫でているとガハハと頭上から聞こえる笑い声が少し苛立たしい。



-姫様は今日この日まで塔から出ることさえ許されていなかった。


そんな姫様の前でオマエのさっきの行動はなんだ。


彼女の大人の行動に感謝するんだな-


そんな言葉が聞こえてきて、痛みは引いたのに地面からしばらく立ち上がることが出来なかった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「やあっ大丈夫かいアイン」


「いや、まだ頭がクラクラするぜ」


金髪を揺らせてくくっと笑っているコイツはシン。

同い年のせいか、今は同じ11番街に住んでいて仲の良い男友達だ。



「そりゃ災難だね。しかし、シェーラ姫もアレはないよな~」


11番街の人間は王女の事を『シェーラ姫』と呼んでいる。


シンの言ってるアレとは、シェーラ姫が刃を首筋に当てた事だろう。


本来は肩口を剣の腹で叩くもので、決して首筋に寸止めとはいえ抜刀するものでは無い。

ダグザの様にその真意に気づいていない者から見れば、


-斬り付けたシェーラ姫に対してアインが返事をしなかった-


おそらくその様に見えたのだろう。


「しかし、どうするんだいソレ・・・」


手に持つ青い外套。


それはレギンレイブ王家に認められた騎士だけが身に纏うことを許されるレギンレイブ王家の紋章が入った外套だ。


結局、儀式の後で司祭から渡されはしたもののシェーラ姫から肩にかけられる事は無かった。


これを着る者は、自らの背にある王国を守るという責務と誇りをその肩に乗せる覚悟が無くてはならない。


誓いをしなかったアインは騎士になる資格はあっても、騎士になる事は認められていないのだ。


「なれないなら仕方ないさ。それに・・・」」


誓いを問われた時に言葉が出なかったのは、首筋に剣を当てられていたせいでも無けりゃシェーラ姫に腹を立てた訳でも無い。


あの紫色の瞳は、心の奥までも見透かしているようだった。


「オレは心の底から騎士に成りたかった訳じゃなかったみたいだ」


結局は他の誰でもない自分自身の問題。


-問題は、それだけじゃない-


場を考えずにいたアインを鎮めて場を治め、かつ、アインを悪役にせずに悪役を引き受けた。


あそこまでされなければあの時の自分は止まらなかっただろう。


大多数の人間はシンのようにあの場でのアインの愚行と、それを止めてくれたシェーラ姫の器量と采配に皆気づかずにいる。


アインも先ほどダグザに言われなければ気づかなかった事だ。



-彼女にはなんとかして謝らないとな・・・-



手の内にある外套を見ていると、なにやら遠くが騒がしくなってきた。


「お、丁度ティアの試合が始まったんじゃないかな?」


隣の会場から盛大な歓声が聞こえてくる。



「ああ、アイツは城の中でも人気者だしオレと同じ時間くらいだから、この歓声はティアの試合だろうな」


対戦相手が決まった時ティアが自分の対戦相手じゃないことにほっとしたが、いくらティアが強いとはいえ別な会場で試合するティアが少し心配だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


分厚い岩石の中はとにかく暑い。

足元の硬い土は所々深くえぐれ、繰り返された先の試合を物語っている。

四方を取り囲む壁の向こうには何百という視線。


それらは好奇心と期待で塗り固められたものだ

敵意でも殺意でも信頼でも無い視線。


「訓練でもない闘いでもないただ、観せる為の試合」


アインはこれだけ多くに観られながらする闘いは初めてだった。


しかし、緊張も何も無かった。


腰にぶら下げられた鞘にあるのは刃引きされた当たり所でも悪くない限り死ぬ事はまず無い剣。


ここには命のやり取りも、得るものも何も無い。


「オレはジェラールだ」


だから、目の前にいる剣を構えている相手も、大勢に観られていようとも関係は無い。


「アインだ」


「知ってるよ。良いのか後ろの名前は言わなくて?」


ただ気になるのは上で見ている二人だけだ。


「その名前をここで言う必要は無い」



~隣の会場では~ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



刃引きされた少し短めのショートソードを二刀構えたティアは少し劣勢だった。


風で前髪が持ち上がると、緑色の刃が飛んでくる。


後ろに高く跳躍して刃をかわし、風使いの騎士と距離を取る。



「やっぱ、魔法は少し不利、か・・・よしっ!」



右手に持つ剣を青い外套の下、腰のベルトの背にある鞘に挿して意識を集中する。


空になった右手を前方に突き出すとティアの意識に反応して赤く発光していく。

手の周りに絡み付いて光るモノはティアの魔力。光る色はティアの心の色であり属性だ。

そして、その言葉を心で詠み上げる。



-精霊と供に存りし者


-その躯に宿し理で、法を世界に刻む


-人が人より生まれ、精霊は世界より生まれる



「来いっ!!」


右手から解き放たれた赤色の魔力は詠唱の言葉を帯状に円を形を作り、魔法陣を前面に描いていく。

赤色の浮び上がった魔方陣は、そこに描かれた法を持ってティアの精霊を世界より呼び出す。


光より生まれたモノはなんとも可愛らしい叫び声を上げた。


ティアの首にかかる赤い首輪と同じ物を着けた猫。


それがティアの精霊だった。


「ヘタに加減してあなたに余計な怪我をさせたくは無いの」


腰から剣を抜いて再び二刀を構えるティアと赤茶の毛並みをした精霊が並ぶ。



「悪いけど、一気に終わらせて貰うわ!」




~アインの試合会場~ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



盛り上がる歓声と熱気の中、アインは既に戦っていた。



「精霊もいやしないのに良くその年で騎士になれたもんだ!さすが英雄様の御子息ともなれば違うねぇ!」



目の前に振り下ろされる剣をアインは身を僅かにずらしてかわす。


スグに真横に振られる横薙ぎは、一足飛びの元に後方へと跳躍する。



「『精霊騎士アイン』オマエの噂はオレの国でも有名だったぜ!」



騎士は走り、着地したアインに向かって縦に剣が迫る



「英雄の息子は精霊もいないくせに精霊のようだってな!」



が、剣は空を切り地面をえぐるだけだった。



「ちっ!」



舌打ちをする男は20才程の外見。


ジェラールという名前のアインが今相手をしている騎士は、この国で見たことが無かった。


おそらく、別な国に派遣されている騎士の見習いになって、今日の儀式に来たのだろう。



「あそこで見ている親父もさぞ鼻が高いだろうなっ」



ジェラールはアゴで、闘技場の石壁の上の方向を指す。


アインは、その先を見ずに答える。



「違う。アイツはオレが見習いになった時から何年も話さえしていない」


「ならお前は何ために騎士になった!息子のお前なら英雄のしてきた事は分かるだろ!」



再び剣を肩に担いで疾走してくるジェラールの言いたいことは分かる。



-アッシュは、元々騎士でさえなかった。


生まれがものを言う旧騎士の体制では貴族しか騎士に成り得なかったからだ。


しかし、かの大戦で戦った一人の男は強かった。

群を引き入る名家の騎士なんかより、個である一人の方が強かったのだ。


そして、かの大戦は次烈を極めた。

それこそ、身分に関係なく皆が戦う程に。


そして大戦は終わり、いつの間にか男は英雄になっていた。




-ただその男には欲が無かった




望めば国さえ得られただろうに、男が自ら望んだものは二つだけ。

住んでいた街の自由と、旧体制を崩して才能ある者でも騎士になれる現体制を作っただけだった。


しかし、望まない男に対して国は何かしらの恩賞を与えようとした。

男が手にしたのは、腹の足しにもならない称号と名声だった。


後に、男は国は総司令官という地位を与えられ城に住むようになった。



「かの英雄に今の体制を作ってくれた事に感謝しよう、おかげでオレもこの力で騎士になることが出来た」



ジェラールが剣を持っていない右手を前に伸ばす



「だが、オレはこの力でのし上がり富を手に入れる!」



赤い輝きとともに魔方陣が浮び上がった。



-グオオオオオオオオオオオッ!!



現れたのは大きく茶色の毛並みをした獣。


二本足で立っていた長い爪を持った獣は、軽くアインの背丈を上回っている。



-ゥオオオオオオォーッ!!



咆哮とともにドスンと両手を地面に着いたジェラールの精霊は四足を使ってアインへ突進してきた。



直進的な動きを跳躍して宙へ逃げる。


着地した所へ向かってジェラールと精霊から放たれた赤く燃える火の玉が迫っていた。



「ちいっ!」



アインは火の玉よりも早く避けて、炎は地面だけを黒くする。


精霊が向かった反対方向、ジェラールが背面に振り向くとアインは既にそこにいた。



「いつまで舐めてんだてめえ!何で戦おうとしねえっ!剣を抜け!魔法を使って見せろ!」



ジェラールが怒るのも無理はない。


試合が始まってからアインは避けるだけで、まだ一度も攻撃を仕掛けてはいない。


それどころか、腰にぶら下げた剣は鞘から抜いてさえいない。


青い外套も纏っていない白いシャツの少年は、精霊とジェラールに攻め立てられた今でさえも左目に手を添えているだけだった。



「噂の英雄の息子様は腰抜けなのかっ!?」



持っていた剣を地面に突き立てて、観衆を焚きつけるように吠えるジェラール。



「それとも、精霊もいない剣も魔法も使えないから『精霊騎士』なのかっ!?」



そこで見ている者達に聞かせるために上げた声高らかな挑発は、見ている観衆を大いに盛り上げた。


その歓声に答えるようにジェラールは『魔法』を唱え始めた。



アインはジェラールが己の魔力を用いて世界に刻み込んでいく魔方陣を見つめる。



アインは展開されていく赤い魔方陣を一瞥すると、白熱する会場とは裏腹に低い声で答える。



「魔法や精霊はオマエが思っている程簡単なもんじゃない。


 そんな事も分かっていないヤツを相手するのに剣も魔法も必要ないからだ」



左目を塞ぐように覆っていた手をゆっくりと外す。



現れたのは、真紅の左目。



青色の右目と、明らかに試合前とは違う紅く光る左目。


少年は剣を掴む事はせずに、空いている右手を使って手招きする。



「それを実力の差で教えてやる」



そのあからさまな挑発に会場は最高潮に達した。


闘技場を囲う席より更に上。


二つの会場を見下ろせるように特設に作られた高台に、その様子を楽しむ者がいた。



「ねぇオジサマ!アインは剣も魔法を使わずに何をするのかしら!?」



椅子から二人の騎士を交互に見ながらアシェラは、今、隣にいる男の息子がこれから何をするのか楽しみで仕方なかった。



「眼を反らさない方が良いアーシェ」


自分を『アーシェ』と呼ぶアッシュの言うことは、何でも言う通りにしてしまうシェーラは、見逃さないようにしなきゃ!、とスグに視線を中央の少年に向ける。



-それにああなったアイツは強い。一瞬で決まるぞ-



珍しく口数が多いから、横目でちらっと見た。


―オジサマもやっぱり息子を見れて嬉しいのね-


少年の父親の横顔は、息子の姿を眩しいものでもように穏やかに眺めていた。



アインは試合開始直後からずっと観察していた。



『魔法』


魔力を触媒に、己が持つ属性と法を世界に刻み込む事で具現化し発現するモノ。


『魔法』は、体現されるモノはあくまで本人の魔力のみで構成される。


それは、己が世界に刻む法則に僅かでも綻びがあれば、発現しようとした『火』その分の魔力は体現しようとした本人へと還っていく諸刃の剣。



目の前のジェラールが具現化している円形の魔法陣。



その魔方陣から発現されるのは「火球」の魔法。


火を発現し魔力が無散しないよう固定するだけの火の属性としては基本の魔法だ。


魔力量により発現する火の大小差は出るものの火の属性の魔法を扱える者ならば持つ者ならば誰でも扱える魔法。



しかし、そんな基本的な魔法にも拘らず、ジェラールが唱える魔方陣は端の方の帯状に描かれた文字に確かな歪みがある。


それでも唱える魔法は発動し、ジェラール本人に何も変化が見られない。


なら、魔力が返るところはただ一つだった。



-この男の精霊かっ!-


魔方陣から放たれた火球と咆哮を上げた赤い精霊が目前に迫った瞬間に、見えた。


ジェラールと繋がっている赤い精霊は苦しそうに表情を歪ませていた。



「テメエはっ!!」



左目が紅く光を放つと同時に、身体に感じる躍動する魔力の奔流。


その場に僅かに巻き上げらる砂塵と紅い残光を残して、予備動作も無しに高速移動を開始する。



『魔術』


己が持つ属性と法のみを用いて発現する『魔法』とは違い、道具といったモノに術式と魔力を組み込む、または注ぐ事で発現するのが『魔術』である。


その中でも最も多く使われるのが、



『魔術行使』



『魔術行使』は、自分の身体を道具として自身に魔力と法を注ぐ基本魔術。


そこで体現されるモノは魔力を添加剤にした身体能力の向上で、その効力はあくまで本人の魔力に比例する。



観戦していた者達とジェラールの視線を置き去りにして、一瞬のうちにジェラールの真横へとスライドしたアイン。


純粋な魔力を推進力に爆発する如くジェラールへ向かって疾走する。



「テメエにはコレで十分だっ!!」



突き出された右手の拳が、ジェラールの顔面へと突き刺さった。



ジェラールの体は地面に落ちる事も許されず、立っていた位置から15メートルもの距離を飛ばされる。


石壁に当たる事でようやくジェラールは地に落ちる事を許された。


何が起こったのかも分からずに壁に叩き付けられたジェラール。


彼が意識を失う前に僅かに認識出来たのは、爛々と怪しい紅い光だけだった。



「もう良いんだ、戦わなくて」



人は精霊を選ぶことはできない。


生まれてくる僅かな者だけが、人が人より生まれる時に、世界より精霊が供に生まれる。


しかし、精霊もまた、どの人間が自分と共に生まれ在る者なのか選ぶ事は出来ない。



背中を見せて去っていくアインに闘いの終わりに気付いた赤い精霊は、声もあげる事なく世界へと姿を消していった。



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太陽が沈み、月が彩る夜の時間。


城の二階にある大広間のホールでは、叙任式の参加者達を集めてパーティーが開かれていた。


天井から吊るされた豪華なシャンデリアに照らされて、煌びやかな衣装に包まれた人々は流れる音楽とステップに身体を躍らせる。


足を止める者は並ぶ料理とトークに舌を唸らせていた。



そんな皆が胸を躍らせているホールから離れ、パーティーの灯りから隠れるように分厚いカーテンの向こう側。


月明かりに照らされて、バルコニーの手すりに寄りかかる二人の男女がいた。


「アインも見惚れちゃったんでしょ~」


「うっ・・・少しだけな」


「やっぱりっ!でも、あんな綺麗なら仕方ないかなっ」


結局、本気を出したティアは試合に圧勝していたらしく、試合自体もアインより早く終わっていた。

二人して無事に試合に勝つ事が出来て、ティアは上機嫌だった。


「ホント姫様は綺麗だったね」


「あぁ・・・そうだな」


記念すべき今日の出来事をこうしてティアはずっとアインと振り返っていた。


「オジサマ・・・元気そうだったね」


「会話どころか10年ぶりの親子対面が壇上の上と下で、息子の誕生日に労いの一言さえ寄越しやしなかった」


手すりを握る手に力がこもっていく。


父親の姿を浮かべると心が苛立ってくる。


そんなアインの姿をティアはずっと見続けてきた。


「きっと、心の中では喜んでたよっ!」


父親と違い、ずっと傍にいる幼なじみの明るい笑顔は何よりも心を落ち着かせてくれる。


「そうかあ~?ティアには優しかったからなあのオヤジは」


「むぅっ・・・またそうやって皮肉を言うんだから。良いじゃない、久々にオジサマの姿を見れたんだから少しは喜んだって良いじゃない」


まだ、二人が一緒に暮らしていた時からティアはあんな男の事を今でも尊敬している。


たぶん、息子のオレ以上に尊敬しているし、オレなんかより余程会えた事が嬉しそうだ。


「オレは別に親父のために騎士になろうとしたんじゃないさ」


隣にいるティアから、自分の手元に視線を落とす。


手に持った青い外套は、まだ肩に掛けられていないままだった。



-それに・・・オレはまだ騎士にはなってない-



小さい頃からアインを知るティアには、アイン持つ苦悩も、騎士になろうとした理由も全て分かっていた。


だからこそ何も言えなかった。


月明かりのみが二人を照らす中、二人の空間はより明るい光によって映し出された。



「こんなところにいらしたのティアお姉さま~!」


「わわっ!?ちょっとまだ話の途中、きゃあっ!」


ジャッとカーテンを開けて光の中から現れた女達にティアは有無を言わさず連れ去られていった。



「なんなんだいったい・・・」



あっという間の出来事に止める間もなくバルコニーに一人残されたアイン。


ティアの誰にでも優しく明るい性格は、男女共に城で人気だった。


騎士達や城で働く者、貴族や王族達の中では特に淑女達に若き女性騎士の姿は憧れなのだろう。



開いたままのカーテンから漏れてくる光と音楽は相変わらず眩しく、室内にいる豪奢な騎士や貴族の姿は見ていて別世界に感じた。


だからこそ、ココは落ち着かなかった。


「レギンレイブ王国の騎士・・・か」


少年は、逃げる様にその場を立ち去っていく。




「やはり騎士にするにはまだ早かったのではないでしょうか?」


「いや、今日で良いのさ。


アイツは騎士になるために生まれてきたようなものだからな」



城から段々と離れていく背中を、先程まで少年がいたバルコニーから二人の男が見下ろしていた。



「ただ、アイツの不幸は目標にした身近にいた騎士が大き過ぎた事さ。


だからこそ、ただの騎士になる事に戸惑う」



ゴクゴクと水を飲むように大きなジョッキに入ったワインを一気に飲み干す眼帯をした男。



「ぷはぁ〜、まぁ騎士は誰かを守るもの。


だが、その守るものを選び、騎士になる事を決めるのは自分の意思だ」



ダグザは空になったジョッキから、今は見えなくなった自分の弟子の去った方を見つめる。



「まぁ、何のために、誰のために騎士になるかはアイツ自身が見つける事だ」


「・・・そうですね」



黒衣の青年ヴァーリは、同じ師を持つ少年が去っていった街並みを見つめる。


そんな二人の背後から、二つのジョッキを持った司祭が姿を現した。



「二人共、ココにいらしたんですか。さっ、ダグザさんっ!今日はめでたき日ですっ!ヴァーリもっ!」


「おぉっ!丁度切れた所だっ!」

「いぇ、私は酒はっ・・・」



二人の様子は気にしないといった風にマイペースに手に持ったジョッキを二人に握らせる司祭。


この若さで大国の司祭を務める司祭服に身を包まれたメガネをかけた笑顔の好青年は、二人が見ていた街並みを笑顔のまま見つめる。



「必ず見つけますよ。彼の運命は動き出しているんですから」


「そうだな。そのためにワシが鍛えたんだ」



三人が見つめる先は城より低い位置に広がるレギンレイブの城下町。


あの少年はここから見える景色を守る道を必ず選択する。


三人とも同じ考えで眼下に広がる夜景を眺めていた。



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手に持っていた外套をベルトにくくり付けられたサイドポケットに閉まっていると、後にした城がさっきより騒がしく感じた。


街に出るための城門をくぐり抜ける所だった少年は今一度城を振り返る。


外にまで聴こえてくる優雅な音楽は、夜にそびえるレギンレイブ城を改めて場違いに感じさせた。



「まぁ、パーティーなんてこんなもんか・・・」



だから、少年は去っていく。


自分の居場所であり、守るべき街へ帰る為に。






少年が一人自分のいるべき居場所へ帰る同時刻ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



城にあるとある一室。


豪華絢爛な部屋の壁面が一枚手前に開いていた。



「姫様を探すんだ!」



開かれたばかりの壁面の中にはどこかへ続く階段があった。


壁の遥か向こうに広がるのは、夜の喧騒を上げレギンレイブの街並み。


街は城の騒ぎとは関係無く今日もまた変わらない日々を過ごしていた。


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6番街を通り過ぎ、既に王都の南側に位置する11番街に帰っていたアインは目的も無く街を歩いていた。


街の中央にあるメインストリートは東西南北に走り、北は城と内周部の5番街、南は王都の外へと続き、東西は11番街を挟む10、12番街へと繋がっている。


11番街は内周部にある街や外周部にある他の街に比べると朝が早く、夜も遅い。


街の街道は夜でも人で溢れている。


今いる飲食店街には沢山の店が立ち並び、街道には貴族こそいないものの、客引する店員や買い物をしている馬車を引く行商や旅人、或いは遅めの夕食を食べようとする住人等が声を上げていた。


シャンデリアの灯かりとは違う生活感の感じる松明の火。


夜の11番街はさっきまでいた華麗な城のとはかけ離れた喧騒に包まれていた。


アインはこの慣れ親しんだ雰囲気を久々に吸う酸素のように懐かしく感じた。


「なんだアイツは・・・」


だから、この街の雰囲気を壊す者には舌打ちもするし、同時に溜め息も出てくる。


街道のど真ん中にいる者は明らかにこの街の人間とは異質な身なり。


金の刺繍が入った白の外套を頭からスッポリと被り、道に迷ったのかオロオロと挙動不審だった。


「おぃっ!おまえっ!」


急な背後からの呼びかけにビクッと肩を震わせるその不審者は近くで見るとやけに小さい。


目立たない為の変装のつもりだろうが、逆効果に尚更街道の人々の視線を集めていた。


「ちょっとコッチに来い!」


いきなり手を暗い路地へと無造作に引かれて驚いたのか、抵抗するがその力はひどく弱かった。


-随分細い腕だな-


小さい身体に細い腕、女か子どもか、それにしても厄介なものを見つけてしまった。


もし、誰か他の人が先に助けていたら、その方が良かった。


しかし、自分が見かけてしまった時点でそんな希望は無いということになる。


通りから外れた路地に入って辺りを見回して人がいない事を確認してから、不審者の腕を掴んでいた手を放す。



「おまえはバカかっ!!」



振り返っての怒りの咆哮は静かな路地にこだまする様に響いた。


しかし、それだけでアインの怒りは収まらない。



「どこの貴族様だか知らないが、そんな立派なマントを頭から被ってこの街をウロウロするヤツがあるか!


この11番街は他の街と違う!


この国の住人じゃない連中が自由に出入りして、そこらへんに危ないヤツらがゴロゴロいるんだ!」



『11番街』

ココはこの国で唯一自由が認められている街。

この街は身分による規制も無ければ、この王都の中にありながら統治する国への税も存在しない上に誰にでも解放された街である。

その自由は、貿易も入居も自由であり、その為に貿易も盛んであるが出入りする人物のチェックも存在しない。

従ってこの街の住民は、裕福でない者、国を追われた者や、訳ありの人間等が多く集まり、まず貴族や裕福な者はこの街には来ない。

そして街には、騎士による恩恵は無く、騎士に守られる事も無い。



「この街は誰のモノでもない、その代わりに騎士も守ってくれはしない。


 当然日常的にイザコザも起きている。

 

 だから、この街は自分の身は自分で守っているんだ。


 オマエみたいな街の住人じゃないヤツは誰も助けてくれないんだぞ!」



この街が守るのはこの街の住人だけであり、目の前いる者の行動はあまりにも軽率だった。


明らかにこの街の住人には思えない豪華な外套を身に纏って一人でフラフラしている姿は、街に出入りする盗賊や荒くれ者達に攫ってくれといっているようなもの。


そんな事も分からないコイツはどこの貴族様だ?



「知ってるわアイン。


 あなたのお父様が作った街だもの」



だから、その言葉を聞いて驚いた。


いや、それ以上に聞き覚えのある声に心底驚いた。


白いフードを脱ぐと流れる髪の毛からは微かな甘い芳香が鼻をくすぐり、銀色の髪が風に揺れた。


月光に照らされる瞳は、紫色の輝きをしていた。



「こんばんはアイン。綺麗な夜、それに素敵な街ね」



目の前にいた白い外套を纏った不審者。


それは紛れも無く城にいるはずのアシェラ王女だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




再びアインは11番街の街道を歩いていた。


先ほどと違うのは隣を歩く人物。


銀髪に紫の瞳は、相変わらず挙動不審でキョロキョロと辺りを珍しそうに見渡していた。



「ここがどこだか分かってるんですか?アナタみたいな人が従者も連れずに一人でノコノコ歩くような場所じゃない」


「分かっていますっ。この街の事はオジサマからいつも聞いていましたからっ」



そんな事を言いながらも、伊勢の良い客引きが声を荒げたりする度に、アインの影に出たり入ったりを繰り返す王女。


身なりと立場を抜かせば、彼女の姿は市街地をもの珍しく歩く只の女の子だった。



そんな彼女の姿を見ていると納得してしまう事がある。


城の人間達が慌ただしかった理由が眼の前にいるからだ。




-自国の姫君がよりによって誕生日に行方不明じゃそりゃ城中大騒ぎだろ-




彼女がここにいる理由を先程聞いて、それはもう驚いた。



「何でこんな所に一人で?城のパーティーは?」


「アナタが城から出るのが見えたから出てきたの、隠し通路で」



即答だった。


我らがレギンレイブのお姫様はそんな気軽に散歩に出かけるような軽い口調で、



-城の外に出るのは初めてだったからドキドキした-



と、大それた行動を何とも楽しそうに話していた。


だから、アインはスグに城に返すような事はせずに、初めての城の外が夜の11番街というのが優雅さに欠けるが街を案内していた。



城をそのまま抜けてきたらしく、白いドレスは外套のおかげで見える事は無い。


「なんでか知らないが街を歩くのならそんなの被っていないで堂々として下さい。その方が目立たない」


路地から出る時に言ったアインの一言で彼女は顔を隠す事なくさらけ出していた。

叙任式の参加者や、城に勤務するものならまだしも、この街にいる一般人はまず王女である彼女の顔なんて知らないからだ。


「そのドレスは分かるが、姫様の顔を街の人間はまだ知らないんだから隠す必要無かったんじゃ・・・」

「私もそう思ったのですが、街に来てみると皆が珍しそうにしているもので」


そこまで言って、それは大きな間違いに気づく。


さっきからすれ違う人のほぼ全てがその足を止めて、こちらを振り返っている。



さっき自分は王女の彼女がいたから驚いた。


街の人間は王女としての彼女を知らないから、豪華すぎるドレスさえ隠せば問題無いと思った。


隣を歩く少女。


改めてよく見ると、淡い光沢を放つ白銀の髪はソレ自体だけでどれほどの人を魅了するだろうか。

気品漂う愛らしくも整った顔立ち、そして紫色の瞳はどんな宝石も敵わないだろう美しさをしている。


確かにアインと街を歩く彼女が、よく街で噂するシェーラ姫本人だとは誰も思わないだろう。

それに、この王都は外交も盛んで近隣諸国から多種多様な人種が出入りし、約50万人が生活している。


しかし、彼女はそんな多くの人が住む世界にあまりにも馴染まない。


およそ、普通の人間がいて当たり前の場所の方が不自然に感じてしまう程、彼女だけで高貴さと芸術性を放っていた。


例え、今着ている純白のドレスと外套から、そこらを歩く人と同じ服を着たとしても彼女という存在だけが浮いてしまうだろう。


それこそ、人がいるべきじゃない場所の方が溶け込むかもしれない。


持って生まれた気品と風格、彼女の素顔自体があまりにも人目を集めていた。


「やはり、マントを被った方が良いのでしょうか?」


あまりにも多くの人が足を止めて見てくるもので、彼女は少し怯えてしまっていた。


それも無理もない。

考えてみれば王女でありながら彼女は視線を浴びるというものに慣れていなかったのかもしれない。


それこそ今日という日まで塔の中から出る事なく、信頼出来る人間としか接触を許されなかったのだろう。

ならば、自分がどれだけ人目を引く存在なのかなんて考えた事も無いのは仕方ない。


通りに出てからオレの服の袖を不安げに摘んでいる彼女は昼間見た彼女とはまるで違う姿だった。


初めて城で見た彼女は近より難く、神々しく高貴な存在だった。


例えるなら、王女の彼女は額に飾られた美術品で触れてはならない存在。


今の彼女は、街に生える一輪の花ようだ。

触れられる距離にありながら、摘む事を憚れる眺めるだけで愛らしい存在。


王女として近より難い存在の彼女はその実、気品と風格を越えて歩みよるとこんなにも身近な女の子なのだ。


もしかすると、彼女が自分に会うまで視線を集めながらも何もされなかったのはそんな理由なのかもしれない。



「これはこれは精霊騎士じゃないか!どうしたんだ今日は?」


威勢の良い声に振り向くと、この通りで出店をしているオジサンだった。

鉄板の上で焼いているソーセージの匂いが香ばしい。


「止めてくれよ、その呼び方は」


「ハハハ相変わらずだな!我等が精霊騎士様は!」


「昼間も聞いた言葉ですが、アインが精霊騎士とはどういう事でしょう?」


いつ間に隠れたのか、背後からひょこっと顔を出して会話に入ってくる王女。

その仕草はどこか可愛らしいかった。


『精霊騎士』


この言葉はいずれにしてもアインのみとめていない通り名だが、その言葉に込められた意味合いは二つある。

一つは、昼間アインと試合した騎士が言っていた意味。


「精霊もいない、騎士でもない。オレに対する皮肉ですよ」


「でも、昼間の彼は昔からって・・・」


-あまり話したくもない内容だからシェーラ姫には悪いが話す必要も無いだろう-


「それはだな嬢ちゃん!このアインって男はオレらに取っちゃ騎士様だからよ!」


「っ!?いいよオッチャン止めてくれ!」


「いいや!このままオレらの騎士が勘違いされるのは見過ごせねえな!」


-ダメだ!もう話す気満々になってる!-


アインの制止も聞かずにソーセージをひっくり返すのも止めて鉄板焼きのオジサンは語り出した。

こうなるともう話終わらないと止まらないだろう。

背中に隠れていた姫様も前に出てきていて聞く気満々だった。


「この11番街はこの国で唯一自由が認められてるのは知ってるかい?」


「えぇ」


「それは、税も無ければ入国や流通にも何の徴収が無い、その代わりに国の騎士達による庇護も無い。だから、この街の住人は自分の身は自分で守らなきゃなんねぇ」


オジサンの話にコクコクと相槌を打って話を聞いているシェーラ姫の表情は真剣そのものだった。


「しかし、それは街自身にもいえるのさ!こんな居心地が良くて出入りも自由な街だ、アチコチから色んな奴らがやってきてしょっちゅうイザコザ起きてる。


 だから、オレ達11番街の住人は協力して自分の街を守ってんのさ」


ウインナーを掴む為の鉄バサミをブンブンと振り回す。


「でもって、この精霊騎士様はそんなオレら街の住人と街を守ってくれてるこの11番街唯一人の騎士様な訳よ!」


鉄板越しにオレの肩をバシバシと叩くオジサンは、オレを自分の息子のように自慢げだった。


オレもそんなオジサンが嫌いじゃない。だから大分恥ずかしいが話を中断する気にはなれなかった。


あの男の話が出るまでは・・・。


「ガキの頃のコイツの言葉がまたアッシュ様そっくりでな!その時のセリフが・・・」

「っ!?おいっ!もう良いだろその辺で!」


「『オレにとってこの街は家族なんだ!家族を守るのは当然だろ!』だってさ!いや~子どものセリフとは言え痺れたねえ~。やっぱり血は争えないね」


さすがに限界だった。

この腕組んで楽しくなってきたオヤジは話し始めたらどこまでも止まらない。



-なんで今日初めて会った姫様にガキの頃の恥を話されなきゃなんねえんだ!-


「もう良いでしょう!そろそろ次の所へ参りましょう!」


二人の会話を遮る様に姫様の前に割り込み肩に手をかける


「どうしたんだアイン?そういや随分丁寧な話し方じゃねえか」


-しまったっ!-


気づいた時にはもう遅く、アインが庇う様にしている姫様にオジサンは首を傾げて疑問の視線を向けていた。


「このお嬢さん、そんなに偉い方なんかい?」


-そりゃ今隣にいる人がこの国の王女様なら誰だって敬語使うだろうが!-


路地裏で会った時は驚いて普通に喋ってしまったが、あれから意識して敬語を使おうとしたのが裏目に出た。


急いで思考を駆け巡らす。

へたに回答に時間がかかると余計怪しまれるだろう。


それに、このまま去ってしまうと話好きのオジサンの事だ、仕事を放ってでも町中に話を広めるだろう。

あっという間に彼女の存在は町中に知られて、彼女が噂のシェーラ姫だということもバレるかもしれない。

まだ、一般の人も知らない噂の姫様がパーティーを脱出して騎士なんかに会いに街に来てたなんて知られた日には、どうなるか分からん。


「それは・・・」


何の答えも出ないままとりあえず場を繋ごうと口を開くと、


「どうしたんですかアイン?敬語なんてらしくない!いつもみたいにアーシェって呼んで下さい!」


-えっ!?-


急に腕を組んできて、それが当たり前の様にシェーラ姫は微笑んできた。

ようするに俺の意図を読んで合わせてくれたのだ。

城での一見の時といい、彼女の判断力には驚かされる。


「ほぉ・・アーシェちゃんっていうのか!良い名だ!どうだい!食べていかないかっ?」


「まぁっ!ありがとうございます!えっと・・・」


-しかし、オッチャン・・・知らないとはいえあんたが今ちゃん付けで呼んでるのはこの国のお姫様なんだぜ・・・-



そんな悩みは読んでくれないのか、姫様はオジサンがハサミに掴んで差し出している湯気を上げる焼きたてのソーセージとオレを交互に見ていた。


なんか二人のやり取りを見てたら色々と気にするのもバカらしくなってきた。


「はぁっ・・・で、食べてみたいのか?」


コクコクッと頷く時の姫様は好奇心の塊なのかもしれないな


「オッチャンこれ一つくれるか?」


「あいよっしかしアインッ!えらい可愛い子じゃないかい!どっかの貴族のお嬢さんかい?」、


ウインナーを串に挿して姫様に差し出すオッチャンは会話しながらでも手際が良い。


-まさか王女様だなんて言えないよな・・・-


結局なんて答えようか、なんて考えてると別の疑問が沸いてきた


-あれ・・・姫様なんかに下町の料理なんか・・・-


「おいっ!」


-きっと城でしか食べたことの無い彼女はこんな下町の料理は味はおろか、ましてや串にかぶりつくなんて-


「とってもオイシイです!王宮の料理と違って、スパイスが独特な味付けですね!」


なんの心配もいらなかったようだ。

隣の彼女の手元には串だけが握られていて、既に空になった口からは評価まで出ていた。


「カハハハハ!王宮の料理ときたか!嬉しい事言ってくれるね嬢ちゃん!


 もっとどうだい!なんなら食えるだけここから食っていいぞオッチャンからのサービスだ!」


「いいんですかっ!?いただきます!」



完全に前言撤回。


パクパクと鉄板から直接串で挿してソーセージを食べる彼女は高貴というよりワイルドだ。


「・・・・・・いや、マジかよ・・・」


その小さな口の割りにあまりに見事な食いっぷりは呆れるというより唖然としてしまう。


「いやぁ~カワイイお嬢ちゃんじゃないかアイン。しかし、良いのかアイン?」


「何がだよ?」


オジサンはまた腕を組んでいた。

しかも今度はいやらしい笑み付きだった。


「ティアちゃんがいるのに、こんなカワイイ子連れちゃってよ」


「ティアというのは、ティア ブリギットの事ですか?」


口をモゴモゴさせたまま会話に混ざってくるお姫様。


「そうだよ!そのティアだよ!良いからソーセージ食ってろ!」


はい、と確認だけ取りたかったのか再び食べ始めるシェーラ姫は素直だ。


「ってか何でここでティアが出てくるんだよ!!」


「まぁ怒るなよっイッヒッヒ」


予感は的中した。

やはりこのオヤジが喋り始めるとろくな事を言わない。


「ごちそうさまでした。」


鉄板の上は信じられないことになっていた。


「えっ!?ソーセージ全部食べちまったのかっ!?」


さっきまで、軽く20~30本はあっただろうソーセージは話に夢中になっていたほんの僅かの間に忽然と鉄板の上から姿を消していた。


「ハーッハッハッハ!いや驚いたよ嬢ちゃん良い食べっぷりだ!今日は全部奢りだ!」


「良いのか?」


さすがにあれだけの量だと逆に奢って貰うのは悪い気がしてしまう。


「良いって!オレはアーシェちゃんの食いっぷりが気に入った!」


ここら辺がこのオッチャンの良い所だろう。

生活がかかった商売でありながら、粋な所がある。


「すまねぇな」


「また来なよ!お嬢ちゃんなら大歓迎だ!」


「ハイッ!またいただきます!」


「またいただきますってなんかオカシクないかっ?」


その粋さに乗ってか知らずか、遠慮を知らないお姫様。

あまりに流石過ぎて思わずツッコミをいれてしまうくらいだった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




周囲の視線にも慣れたのか、本当に楽しそうに街を眺める彼女と街を歩く時間がアインは楽しかった。


視界に入るもの全てに目を輝かせては腕を引っ張っていく、そのはしゃぎようはそれこそ子犬のようだ。



「ねえアイン!アレもコレも同じお金なんですか!?」


「ホントにお金を知らないんだな」


「見たのは初めてです」



街を歩く彼女はあまりにも世間知らずで、どんな事でも好奇心旺盛で、些細な事でもよく笑った。



-それにしてもシェーラ姫はどんな方かしらね-



それは、立場が王女というだけで彼女も年頃の普通の女の子だという事。



-そういやアイン兄ちゃんは城で見たこと無いの?-



そして、そんなタダの女の子は塔から出たことの無いという事実を裏付けていた。



-姫様は今日この日まで塔から出ることさえ許されていなかった。


そんな姫様の前でオマエのさっきの行動はなんだ-



彼女がずっと塔にいたというのは本当の事なんだろう。


彼女が何故今日まで城から出る事も許されていなかったのか理由は知らない。


それに過ぎ去った過去は変えられない。


なら、初めて外に出ることが出来た日くらいは迷惑をかけたオレが少しでも楽しませてあげたくて、彼女の行きたい所を案内した。



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自宅に向かう為のゆったりとした上り坂からは、うっすらと灯火がいくつも点いているレギンレイブ城が見えていた。


-パーティーはまだ続いているのだろうか


 もしかすると彼女がいない事で大騒ぎで、出席者も総出で探しているのかもしれない-


街をある程度見たのに彼女は城には帰りたがらず、何故か俺の家を見たがった。


「ほんとに城に戻らなくて良いのか?」


何たって彼女は王女様でおまけに今日は誕生日で、今城で行われているパーティーのメインでもあるのだから。


「あら、だったらあなたもでしょう?私と同じ誕生日でパーティーを抜け出して来たんだから」


後ろを付いて来るシェーラ姫は、あなたも私と同罪よ、と一指し指を立てていた。


「そういや誕生日同じなんだよな」


「オジサマから聞いたわ。私と同じ誕生日で同じ年のあなたの事」


「オヤジがっ!?」


あまりに想定していなかった言葉に身体が固まってしまう。


ずっと家にも帰らず、今日まで十年間顔を見ることさえなかった父親が自分の事を話していた。


明らかになる父親の存在は、喜べば良いのか、怒れば良いのか分からなかった。


ただ、一つ言えるのは、決して息子の存在を忘れた訳では無かったということ。


「今日まで塔から出れなかった私は、いつもあなたの事を聞いていたの」


「えっ?」


後ろで腕を組んでいた彼女は、懐かしむように眼を閉じて微笑みながら先を歩き出す。


「名前は『アイン』私と同じ日に生まれた黒髪の男の子」


塔から出ることも出来ず、ただ目の前に広がる世界を眺め続けた彼女。


「男の子は、11番街のお城が見える小高い丘の上にお父さんと二人で住んでいました」


昔話を語るようなその口振りは、これまで何度と無く繰り返し聞き続けたのだろう。


「やんちゃな男の子は家のお世話をしてくれてるテミおばあちゃんが大好きで、いつも心配をかけていたわ」


彼女の話を聞いていて気づいた事がある。


-7才の時から家に帰ってこない父-


見習いになって城に出入りすることがあっても父の姿を見かける事は無かった。


「たった一人の血の繋がったお父様を本当は尊敬しているのに素直になれない男の子」


そんな父が今日まで何をしていたのかがやっと理解できた。


「私はそんな男の子とお父さんのお家が見てみたかった」


17年間ずっと外に出れない彼女にとって、親父から聞かされる同い年の男の子の話は唯一つの娯楽だったのかもしれない。


-父親は17年の間城から出ることが出来なかった彼女の傍にいた-


その衝撃の事実は、これまであれだけ心の中に巣食っていたドス黒いモノを不思議と消し去っていった。


「そして・・・私はその男の子と今日会える日をずっと楽しみにしていたの」


言葉を止めてクルッと振り返った彼女の髪は夜空に新円を描く月の光を纏っている。



「あなたの事よ、アイン」



彼女は、本当に綺麗だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



今、彼女がいるのはオレの自宅一階にある客間だ。


「せっかく初めてアインから声をかけてくれた最初の言葉が『おぃ、お前』、だなんて運命も何も感じないわ!」


「いゃ、あんな全身マントで隠されたら誰でも気付かないって・・・」


「そこをアインに気付いて欲しかったのっ」


なんてムチャクチャな事をコートを脱いでドレス姿のシェーラ姫は細い腰に腕を当てて大声で怒鳴るっている。


-なんでこんな事になってんだ・・・-


それこそ家に入って直後は、


「ここがオジサマとアインのお家なのねっ!アインの部屋は二階でしょっ!」


「ちょっと待てっ!何で部屋の位置まで知ってんだ!勝手に部屋に入るな!ベットに寝るな!」


オヤジから聞いてたのか、部屋まで勝手に行くわベッドに寝たら寝たで、「固い、小さい」、「部屋は思ったよりも狭いのに片付いててつまんない」と、好き勝手し放題だった。


だから、首根っこを掴んで客間に運んだら、路地での出会い方を思い出したようで今に至っている。


「だって、ずっと会えるの楽しみにしてたのよ!それに儀式の時だって手を振ったのに無視するし!オジサマを睨んでばっかりで私を見ようともしなかったんだから!」


あまりの不満の爆発振りに手が付けられなかった。


一部は仕方ない気もするが、彼女に迷惑をかけたのも事実だし、何よりもアインは女の子が怒り出すと何故か頭が上がらないのだ。


これが男なら殴って終わりなのだが、幼なじみのティアも一番怖い時は手を出してこない時だったりする。


「せっかく城から会うために抜けてきたのに急に暗闇に連れて行って怒鳴るし!お腹空くし!」


「最後のは違うでしょっ、てかもう腹減ったのかょ・・・」


客間の入口で椅子に腰も下ろさず烈火の如く怒る暴君だった。


今の状況は二人きりだけで助け舟も出ないし、どうしていいか分からない状況だった。


次の瞬間までは、


「おや、何やら声が聞こえると思ったら・・・アイン様帰ってらしたのね」


「ばあちゃんっ!」


ドアから出てきたは、大好きなテミばあちゃんだった。


シェーラ姫の脇を潜り抜けて、救いの天使に駆け寄る。


「まだ、帰って無かったのかい?」



いつもなら、ばあちゃんは日が沈む頃には11番街の外れに帰っている。

だから、とっくに日が沈んでいるこの時間にまだ家にいるとは思っていなかった。


「ええ、奥様の部屋で絵を眺めていましてねぇ」


「母さんの?いつもと何も変わらないじゃないか」


「いいえ、今日はあの絵を見ていたい特別な日でしたから・・・」


「そっか、そうだよな」


そう、長年この家に来ているばあちゃんにとっても今日は特別な日なのだ。


「こんばんわ。テミおば様」


二人の会話を見計らって、シェーラ姫はドレスを摘んで可愛らしく挨拶する。


その仕草は先程までと同一人物とは思えない完璧な淑女の姿だった。


「ああ、紹介するよいつもオレがお世話になってるテミばあちゃんだ。んで、この人は・・・」


さてなんて言おうかな、ばあちゃんに嘘は付きたくないし、姫だと教えてもばあちゃんなら問題は無いよな。


なんて考えていた時だった。


「これは、奥様っ!ユミル様じゃありませんかっ!?」


「「えっ?」」


唐突にシェーラ姫に向かってばあちゃんは叫んだのだ。


「え、私はアシェラ、ユミルという名では・・・」

「そうだよばあちゃん!この人は母さんじゃない!アシェラ バーネット レギンレイブ 街で噂のシェーラ姫だ!」


ばあちゃんの取り乱しようは幽霊でも見たように慌てていた。

だから、落ち着いて貰うのに必死で下手なごまかしなんかしていられなかった。


「シェーラ様・・・先程はおばばが勘違いなどをして申し訳ございませんでした」


「いえ、私は気にしていませんから頭をお上げになって下さい」


「ほんとに送って行かないで良いのか?」


「良いんですよ。毎日往復してる道なんですから。それでは、おやすみなさいませアイン様、シェーラ様」


二人の説得で落ち着いたばあちゃんは、二人に紅茶を淹れて送ることも必要とせずに一人で帰っていった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



オレとシェーラ姫は、ばあちゃんが客間で帰り際に淹れていった紅茶を飲んでいた。


「ゴメンな、さっきはばあちゃんが勘違いしちゃって」


「ううん。驚いたけど別に気にしていないわ」


ただ紅茶を飲み込み呼吸するだけの思い沈黙。


-気にしていない-


確かにそう言っているがあれだけ口を動かしていた彼女は、ばあちゃんが帰ってからは自分から何も言い出していない。


シェーラ姫はさっきからずっと両手の中にあるカップから上がる湯気をただ見つめている。


まるでずっと何か考え事をしているようだった。


「何か気になることでもあるのか?」


「・・・・あのねアイン」


「ん?」


カップを置いた彼女は久しぶりに目を見て話したような気がした。


「アインの、お母様の部屋を見せて欲しいの」


そこはアインにとっても、きっとばあちゃんにしてもそうだろう。


決して家族と呼べる人意外は、他人を入れたくない領域だった。


「やっぱり他人を入れたりしたくは無いと思う。でも見てみたいの!お願いアイン!」


何が彼女をそこまで必死にさせるのか分からない。


そこに今までのような我侭な雰囲気はなく、彼女のそれは懇願だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



淡いランプの灯火は板張りの母の部屋をやけに広く感させる。


何度入っても生まれた時からここは何も変わらない。


この室内で変わるものといえば、持ち主のいないテーブルの上にばあちゃんが毎日飾る花くらいだった。


整理整頓されているというより物が無い。


衣服や身に着けていた物、ベッドや家具、持ち物のほとんどは亡くなった後スグに父が処分したそうだ。


「オレの母さんはオレが生まれたすぐ後に亡くなったんだ」


「オジサマから・・・聞いたわ」


「そう思ったよ・・オレもさすがに赤ん坊の頃の記憶なんて無い。」


触れることも出来ない、記憶に無い血の繋がった家族の存在。


「でもさ、ここに来ると確かにオレにも母親ってのがいたんだなって感じれるんだ」


ここに唯一つ残された母の持ち物。


もう使われることの無い窓際にある花瓶が置かれたテーブルと、そして壁に飾られた四枚の絵。


「ここに飾ってある絵は全て母さんが描いたんだってさ」


「素敵な絵ね・・」


「母さんの趣味だったらしいんだ」


もともと身体が弱かった母さんは家をあまり出ることが無くて、いつも絵を描いていたそうだ。


部屋に飾られた四枚の絵は、今後書き足される事も無ければ変わる事も無い。


物心付いた時から眺めてきた、母がいたという事を感じれる物。


「これは、黒髪の男の子ね」


右手の絵には、ベットで寝ている男の子が描かれている。


「こっちは少し小さいけど、さっきの絵と同じ子かしら」


その下の絵は、赤ん坊を白髪の男性が抱いている。


「これも、同じ男の子・・・」


シェーラの前にいる黒髪の少年は剣を握っている。


「これ・・・は、全部同じ男の子が描いてあるわ・・・」


身体の大きさに違いはあるものの、描いてある絵には全て黒髪の男の子が描いてあった。


「この男の子達はアイン・・・この絵は全部成長したアインを描いたものなのっ!?」


四つの絵には黒髪の男の子が成長していく姿が描かれていた。


「ああ、ここにあるのはオレの成長していく姿だ」


それが物心付いた時からずっと眺めて続けてきた、唯一母が残した確かな物。



「そんな事が・・・」


「ばあちゃんの話だと出来たらしいな。いつもオレの成長する姿を想像して楽しそうに描いてたらしいんだ」


アインと入れ違いのように亡くなった母親。


「これは全部、オレが生まれる前に母さんが描いた夢物語なんだ」


まだ生まれてきてもいないのに、亡き母は生まれてくるだろう子の姿に夢を膨らませていたのだろう。


絵の中で成長していく息子の姿を見つめながら、その顔に語りかけていたのかもしれない。


そのどれもが描いた人の心が読み取れるようで、絵の男の子は皆幸せそうだった。



ゆっくりと一つ一つ絵を眺めていたシェーラは左に飾られた絵を見る。


「では、この大きな絵のアインは・・・っ!?」


それは、四枚ある中で一番大きな絵。


絵の男の子も随分成長していて、今のアインと同じくらいだろうか。


草花が生い茂る野原、そこに立つ一本の大木の元に彼がいる。


蒼い外套を風に羽ばたかせて、絵の中で一番幸せそうな笑顔で黒髪の少年は笑っていた。


「やっと分かりました。これがあなたの理由なのですね」


「ああ、オレがこの国の騎士になろうとした理由。そして、母さんの夢だ」


そこに飾られた絵のアインは、紛れも無くレギンレイブの騎士の姿をしていた。


「そう、オレはこの11番街と家族さえ守れればいいのに騎士になろうとした理由はきっとコレなんだ」



目の前にいるこの少年はあまりにも純粋だった。


-これがアインが騎士になろうとした理由-


父親から聞いていた通り。


いえ、実際に会って、見て、話した彼はそれ以上だった。


この少年は、”この街さえ守れれば良い”と言った。


たしかに、この街は例外的に騎士は守る義務が存在しない街だ。


なら、この街を守っている彼は騎士になってもならなくても何も変わらない。


街を守るのに対しては”家族、居場所”という自分の理由がある。


それは間違いじゃないだろう。


でも、違う。


私には分かる。


でも、この事実をこの少年自身気付いていないのかもしれない。


昼間の彼の姿を思い出す。


”もう良いんだ、戦わなくて”


試合では相手の精霊を傷つけ無かった。


相手は、この国の騎士では無かったのに。


”オマエみたいな街の住人じゃないヤツは誰も助けてくれないんだぞ!”


でも、私を彼は助けた。


その時の私は、姿を隠し明らかに街の住人じゃなかったのに。


どちらも、彼の家族とは関係も無い。


彼は自身に関係も無いのに守ったのだ。


それが本来の彼の姿。



「あなたは、誰かを守る事に理由を必要としていないの」


「何を急に・・・」




そして、この少年は誓いを立てる為にその理由を求めてしまった。


だからだろう。


あの時、騎士になる誓いに戸惑いを感じてしまったのは。


誓いとは他ならぬ己自身に立てるもの。


-母の夢だった騎士-


それはなんて優しいものなのだろうか。


でも、それはあくまで母の夢を叶えたいという願望であり、自身の理由では無かった。


彼の居場所であるこの街自身の存在も理由にはならない。



「でも、騎士になる事に理由を求めている」


その誓いを立てる為の”自身の明確な理由”が見つからなかったのだ。


「あなたのお母様も私も考えはきっと同じ。あなたは騎士になるべき人なんです」


「でもオレには騎士になる理由も、その誓いも分からない・・・」


下を向いている彼の姿は、この絵にある男の子の姿とはほど遠く、とても小さく感じた。


だから、近づいていく。


昼間のように上から王女としてなく、同じ高さで彼と同じ目線で。


私自身も彼に彼に近づきたいから。



そして、彼自身に与えよう。


心優しく純粋なこの少年にふさわしい理由。


誰よりも尊く、そして明確な理由。


私自身が考えるその理想を。



「今から話す事はアシェラ王女としての言葉ではありません。


 お母様と同じ、今あなたの目の前にいる一人の女としての夢であり願いです」



落としていた視界の中に、昼間と同じ白いドレスが広がっていく。



「私が塔から眺め続けいた街は、世界はこんなにも楽しくて、そして美しい」


目を上げた光景は儀式の時と少し違う。


「私はこの街が好きです。そして、私がこうしていられるこの世界がとても愛しく思います」


城とは違う、街での彼女と同じ目線に紫水晶の瞳がある。


「あなたが騎士として理由を必要とするなら、私があなたの理由になりましょう」


今日何度見惚れただろう。


心の奥に入ってくるような真っ直ぐな瞳。


心臓の鼓動は昼間の比ではなかった。


「他の誰でもありません。あなたに私が愛するこの世界を守って欲しいのです」


「何の冗談だよ」


普通の人が言ってるならばどんな冗談だと思うだろうか。


しかし、彼女の言葉は脳へと染み渡り、その言葉はなんと甘美で思考を夢心地にさせてくれる。


「あなたなら出来るわ。私はアインを信じています」


彼女が信じると言ってくれるだけで、あらゆる感情が心を満たしていく。


自分の誓い、彼女の願いはあまりにも純粋で身を心底震わせる程綺麗なものだった。



-だから-


どうしてしまったんだろう。


その視線、言葉、まるで彼女の熱が身体に入ってくるようで、熱いモノが全身を駆け巡っていく。


彼女が胸に手を当てるだけで、胸が高鳴る。



「私の騎士になって下さいアイン」



昼間とは違う。


オレは、アーシェという一人の少女の本当の姿を見つめ続ける事しか出来なかった。








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「ちっ」


顔面を腫らした男が舌打ちをする。

本来なら今頃城で豪華な飯と酒にありつけていたはずの男は、11番街で酒をあおっていた。


「そんな飲んで大丈夫なのかい?」


「うるせえ、城の豪華な飯を諦めてこんな下町いるんだ。酒くらい好きに飲ませろ」


怪訝そうな瞳でバーの店主が見る。

既にベロベロに酔っ払っている男は、その肩に青い外套をかけている。

この11番街は街の特色状、多くの品も安く流れるし、店も遅くまでやっているから騎士が客として来るのは珍しくは無い。

しかし、今日ここに国の騎士がいるのは不自然だった。

この街の騎士も城に行ってるはずなのだから。


「アンタも騎士なら今日は城でパーティーなんじゃないのかい?この街のアインだって」


その単語は腫れた頬に痛みと屈辱を思い出させる。


「うるせぇ!その名前を呼ぶんじゃねえ!」


騎士には慣れたもののあんな屈辱を与えられてパーティーなんかに顔を出すことは出来なかったのだ。

この国の人間じゃない男は、金は儲ける前であり儀式参加者の貴族や王族が住んでいないこの11番街しかまず身の寄せ所が無い。


「アハハあんたもしかしてその顔アインにやられたのかい?」


「そりゃ運が無かったね~なんたってオレらの精霊騎士だからな!」


別な卓で飲んでいた住人はこれ見よがしに笑った。


この街の住人にとって、国の騎士は守ってくれる存在ではない。

したがって、その騎士が信頼する街の騎士にやられたとなったら笑い話の自慢話以外何ものでもないのだ。


しかし、こんな所にいる原因を昼間に付けられたジェラールにとっては禁句だった。


「オレの前でその名前呼ぶなぁああ!」


男の手から赤い魔方陣が前面に浮かび上がる。

魔方陣から現れたのは狭い室内を埋め尽くす程大きい赤い獣。


-グゥオオオオオオォォ!-


四足を地に付け内腑に響くほどの叫び声。


「うわああ精霊を呼びやがったっ!」


精霊を前にしては、店主も客も逃げ出すしかなかった。


「英雄がなんだ!精霊騎士がなんだってんだ!」


刃引きなんてされていない自前の剣でテーブルを真っ二つに叩き割り、差し出した手から出る火の玉がカウンターを燃やし上げる。

怒りを剣と魔法に乗せてジェラールは店を破壊していった。


「オレには精霊がいるんだ!魔法を唱えまくるだけの膨大な魔力がある!なあっ!?」


しかし、そこで破壊しているのは自分だけに気づく。

一緒にいるはずの己の精霊は何をしているのか。


「どうしたっ!」


精霊は動くことなく固まっていた。


「何してんだオマエもやれよ!」


ジェラールは室内の形が残っている箇所に火を放つ。


「おい!どおした!何で暴れねえ!」


ジェラールは怒りと酒に酔っていて気づいていなかった。

己の精霊が茶色の身を真っ赤に焦がす程苦しんでいる事を。


-ゥゥウウオオオオオオオオオオオオッ!!-


太陽の様に赤い輝きを発して精霊の身は弾けた。


「なっ!?うわあああぁぁ・・・!」


赤い爆流はジェラールの身と断末魔の声を建物ごと根こそぎ吹き飛ばした。

夜の11番街に轟音と火柱が立ち上がる。


燃え盛る火の中で、全身から魔力を火の粉のように撒き散らす紅い獣が慟哭の呻き声を上げていた。



文章構成、表現等、未熟な私にお付き合いして戴き有り難う御座います。


やっと本編が始まりました。

記念すべき第一話はいかがだったでしょうか?

世界観を伝える為にほぼカットせずにお伝えしました。

本来なら次話に続く激しい魔法戦も含めての一話でしたが、長過ぎたために次話に持ち越させて貰います。


御拝読下さった皆様、自身の向上の為にも御指導御鞭撻、感想の程、今後とも末永く未熟な私にお付き合い下さいます様宜しくお願い致します。


それでは!

”精霊”と”魔法”そして”人間”が共存する世界の神秘的で不思議な異世界譚!

お楽しみ下さい!


次回予告


ついに出会ったアインとアーシェ。

彼女が望む真の姿、発覚する人柄。

夜の11番街で暴走する精霊。

精霊と激しい争いを繰り広げるティア。


第二話

「きみと精霊と騎士」

燃え上がる11番街でティアは選択する。


同時進行で進めていきます、

『ヒトというナの』

”精霊と魔法が混在する隠された真実世界”の物語。

良ければ併せてお楽しみ下さい!

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