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サイラスの心に影が差してから――ユーリは何度も自分に問うた。「本当に彼を好きなのか」と。
答えははっきりしていた。
宿の壁の時計を睨みつける夜、思い浮かぶのはサイラスの横顔ばかり。噂なんて気にしない。自分が信じる彼だけを見つめていたい。
世界中が敵でも、この想いは絶対に曲げない――そう決意した朝。
ユーリは、厨房でエプロンの紐をきつく結び直した。
「よし。今日こそ、サイラス様にちゃんと気持ちを伝える!」
*
サイラスは、いつものように食堂の隅。 フードの深さはいつにも増していた。ユーリは、他のお客さんの目も、周りの従業員の目も気にせず、彼のテーブルへまっすぐ向かった。
「サイラス様! おはようございます!」
張りのある声。いつもより大きめ。
「……お、おはよう」
やたら目立つので、サイラスはあたりを気にしてひそめ声。
「今日の朝食、パンケーキにしたんですっ。サイラス様って甘いの好きでしょ?」
にっこり笑顔。パンケーキにはベリーとミントが添えてある。
「そんな……無理しなくていい」
「無理なんかしてません。私、サイラス様が“美味い”って言ってくれるだけで幸せですもん」
「ゆ、ユーリ……」
サイラスは露骨に耳まで赤くなり、目線をあちこちさまよわせる。
「それに……」
ユーリは、テーブルの下で彼の指先にそっと自分の指先を重ねた。
「私は、サイラス様の隣にいると、毎日が楽しい。一緒に今日のお祭りも見たいし、新しい街の話も聞きたいです」
溢れる気持ちが止まらず、どんどん言葉が強くなる。
「ほ、本気……なのか? そんなこと、言われたことないから……正直、どうしたら……」
サイラスはたじろぐ。食堂の端っこでひと騒動起こしてるのに、ユーリは全く気にする様子がない。
「もちろん本気です! サイラス様の全部が私の宝物。……大げさじゃなくて!」
背筋を伸ばし、一気に畳みかける。
「え、えっと……でも……」
「大体っ!」
急に語気を強めて、彼の腕をつかむ。
「私を金目当てとか噂する人達、ぜんっぜん信用してませんから! 私、この宿で生きてるだけで十分幸せだし、サイラス様でなきゃイヤなんです!」
「……いや、それは、その……」
サイラスは顔を真っ赤に染め、反論の仕方すら見失っている。
「今日はお昼まで働いたら、そのあとはお休み頂いたので……誘います」
*
昼下がり。
「サイラス様! 街角のお祭り行きませんか!? 夜店がいっぱい出てるんですって!」
「え、俺が行っても目立つだけだろう……」
「そんなの気にしません。むしろ私が“自慢”したいくらいです!」
食い気味に、彼の袖を引っ張るユーリ。 サイラスはおろおろと腕を握られ、居心地悪そうにぐるぐる目を泳がせる。
「だ、だが……」
「私の国じゃ、サイラス様みたいな人、行列できるほど人気なんです! みんなきっと驚きますよ!」
「それは、お前の国の話で……」
「私には世界一です!」
きっぱり言い切る。
何も言い返せなくなったサイラスは、しぶしぶ立ち上がる。でも本当は少しうれしそうに見えるのを、ユーリは見逃さなかった。
*
異世界の街角を、七色にきらめくランタンが照らし出す。通りには動く木馬や、空中に浮かぶ小さな光の球を追いかける遊び、香草と果実で彩られた串焼きや不思議な形のパン菓子、透明な氷花のジュースを売る屋台が軒を連ねていた。
空にふわふわ舞いながら光る小動物のバルーンに、子どもたちの歓声が響く。
もちろんサイラスは、人混みの中で始終そわそわと居心地が悪そうにしていたけれど、ユーリの楽しそうな声と笑顔に、徐々に表情が和らいでいく。
「見てください! このお菓子、食べると口の中で小さな花火が弾けるらしいですよ!」
ユーリが紫色の結晶糖の菓子をふたつ買うと、サイラスにひとつ差し出す。
戸惑いながらも口に入れた彼は、ほんの一瞬、目を丸くし、そのあと不思議な笑みを浮かべた。
「本当に……ぱちぱちするな」
「面白いですね! サイラス様、射的みたいな的当てもありますよ。賞品に一角ウサギの細工が……」
*
夜。祭りの帰り道。提灯の明かりに照らされながら、ユーリは満足げに隣を歩く。
「楽しかったですねー、サイラス様!」
「……人混みは、正直苦手だが……意外と悪くなかった」
フード越しでも分かる、やわらかな微笑。
「そういえば、さっき水笛買ってくれましたよね? 音が出て周りから視線を集めるの苦手じゃないですか?」
優しく問いかける。サイラスは、ぽつりと本音をこぼす。
「……いや。お前がうれしそうだったから、つい買ってしまった」
「ふふふ、優しいですね」
「……優しいんじゃない、お前に頼まれると、断れないだけだ。……嫌われたくない。できたら俺に好意を……持って欲しいと」
背中合わせのような遠回しな告白。ユーリはそっと彼の腕に寄り添う。
「私だって、サイラス様のお願いならどんなことだってちゃんと聞きますから……サイラス様も私に頼ってください。……嬉しい時も、苦しい時も」
その声は驚くほどまっすぐだった。
サイラスはふと立ち止まる。夜風がやさしく二人を包む。
「なあ……本当に、俺でいいのか」
切なげな声。
「サイラス様がいいんです! ……ほかの誰かじゃダメなんです」
中途半端なことは言わない。この想いは譲らない。そう、はっきり目で訴えかける。
「最初は確かに見た目に惹かれました。でも今は、サイラス様の優しさとか気遣いとか、そういう全てが好きなんです」
サイラスは、言葉を失う。でも、もう一度はっきり絞りだすように――
「……それなら、もう逃げずに、お前のそばにいてもいいか?」
ユーリはぱっと花が咲いたみたいに微笑む。
「もちろん! 毎日毎日、好きって言っても足りないくらいですから!」
彼女は照れもせず、サイラスの手をぎゅっと握る。サイラスはタジタジだ。
「そ……そんなにも、か……?」
「もっと言いましょうか? 好き、大好き、愛してる! ……あと、あと――」
「や、やめろ……誰かに聞かれたら、恥ずかしすぎる……!」
「えへへ、サイラス様が赤くなってるとこも好きです!」
とうとうサイラスは観念して、フードの下で小さく微笑んだ。
「……なんて、手強い女だよ、お前は」
「はい! このまま手をつなぎたいです」
「……しょうがないな。もう、離してやらないからな」
月明かりの下で、二人の影が一つに重なった。どれだけ世界中の噂や偏見があろうとも、このときの想いは、誰にも揺らすことができなかった。
*
翌朝、陽だまりの庭先で、アニスがこっそりユーリに近づいた。
「ねぇ、ユーリ。サイラス様と、昨日一緒にいた? ……やっぱり付き合ってるの?」
アニスは胸の内の好奇心を隠しきれず、そっと小声で問いかける。彼女の大きな瞳が、期待と驚きで揺れていた。
ユーリは一瞬だけ照れたように微笑み、それからとびきり明るい声で答えた。
「はいっ、そうなんです! 昨日、好きって十何回も言いましたから!」
そのあまりにも真っ直ぐで、はちきれそうな返事に、アニスは目を丸くし、頬を染めて言葉を詰まらせた。
「な……なんてストレート……」
遠くの廊下の陰では、サイラスが二人のやり取りを偶然耳にしてしまい、不意に立ち止まる。
真っ赤に染まった頬を手で隠しながら、どうにも隠しきれないほど嬉しそうな、照れくさい笑みを零していた。
まるでユーリの名前に反応するかのように、心がどこか浮ついて落ち着かない。ふと視線を上げると、庭先のユーリはこちらに気づき、いたずらっぽく手を振っている。サイラスは思わずぎこちない手つきで、小さく手を振り返した。
近づきたい――けれど、今すぐ駆け寄ったら、きっと顔どころか耳まで真っ赤になってしまいそうで。恥ずかしさに身を引かれながらも、心の中ではユーリへの想いがあふれて止まらない。
そして今、自分がこんなにも誰かを大切に思い、愛しさに胸を揺らしていることに、驚きを感じずにはいられなかった。
周囲のひそひそ話や視線も、今のふたりにはもはや届かない。まっすぐで、あたたかくて、少し不器用な、二人だけの時間が、これからまた始まろうとしていた――。
唯一無二の『好き』が溢れる、幸せな日々の幕開けだった。