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 スープは不思議な味だった。やさしいけれど、初めての野菜と香辛料の風味が、異国にいることを改めて実感させる。


「ありがとう……ございます」


ふいに、奥の厨房から女将のあたたかな声が響いた。


「ユーリ、どこかに行くあてがないなら、うちで働いてみるかい? 手はいつだって足りてないしね。困ってる人を見過ごすのは性分に合わないんだ」


 ユーリは思わずスプーンを止め、大きく目を見開いた。ミネットをまじまじと見つめながら、首を横に振る。


「そ、そんな……私、お金も持ってませんし、その……ご迷惑じゃないですか? お仕事だって役に立てるかどうか……」


 すると、女将は一歩ユーリのそばに来て、柔らかく微笑む。


「大丈夫だよ。最初はみんな分からないものだし、まずはお皿洗いからで十分さ。それより……」


女将は一瞬、遠くを見るようなまなざしを向けた。


「……昔、うちにも娘がいてね。まだ小さかったけど、ずっと前に病で亡くしたんだ。もし今も生きていたら、ユーリと同じくらいの年頃だった」


 ミネットはふっと苦笑する。


「そのせいかね、あんたみたいな子を見ると、つい娘みたいに思えて放っておけないんだよ」


 その言葉に、ユーリは胸がぎゅっと締めつけられる思いがした。温かいけれど、どこか切ない優しさが胸に沁みる。ユーリ自身も長く病に侵されていたからかもしれない。


「……そんなふうに、私を……。でも、いいんですか? 私なんかに……」


「もちろんだとも。笑顔で『いらっしゃいませ』って言えれば充分。仕事はゆっくり覚えればいいさ。ここはね、助け合って生きていく場所なんだよ」


 女将の慈愛に満ちた瞳がまっすぐ自分を見つめている。それを感じた途端、ユーリは泣き出しそうになりながらも、必死に堪えて、静かにうなずいた。


「……はい。私、頑張ります」


 その小さな声に、女将はどこか安心したように微笑んだ。


 こうしてユーリの、宿屋《まどろみ亭》での暮らしが始まった。毎日が新しい発見で、楽しかったけれど、同時にとまどいもあった。



 この世界の美醜感覚にもユーリはよく混乱させられた。


 この宿……というか、この世界全体で『美形』『かっこいい』とされているのは、どうも日本で見てきた基準とまるで正反対だった。誰もが憧れる、『美男』『美女』たちは、ふくよかで堂々とした体格に、しわの深い頬、低くて丸い鼻筋、糸を引くような細い目――どこか昔話の福の神や、福耳の立派な商人を思わせる外見の人ばかりだ。


 厨房のお手伝いの少女アニスが言う。


「うちにくる常連客の中で一番人気のお兄さん、マックス様ってほんと素敵なんだよ、ユーリは見た? あの目で見つめられるとドキドキしちゃう! 」


「えっと……えっと、失礼かもだけど……日本だと、うーん、お笑い芸人さんタイプかな……?」


「にほん? 芸人? 大道芸とかしてそうってこと?」


「あっ、ご、ごめん、なんでもない!」


 ユーリはむずかしい顔でふらふらと皿を洗いながらため息をついた。


(私が美しくも醜くもない、『平凡』扱いなのは納得できるけど……なんで? なんであの綺麗な青年は、不評で、ゴツいおじさまたちばっかり人気なの?  逆に、私の感覚だと『老け専』ばかりじゃ……いや、きっとそれがこの世界の美なんだよね。でもここまで違うと、感性が違いすぎて脳が追いつかない……)


 この世界では、笑い皺やふくよかさが『円満』『裕福』『リーダーらしさ』の象徴で、細い顔立ちや痩せた人、『きりっとした目元』『高い鼻』は『いかつい』『近寄りがたい』『厳つくて不吉』とまで言われてしまうらしい。人が大勢集まる宴会の席では、むしろちょっとしたシミや皺を褒めて盛り上がったりする一幕まで見たことがある。


 そんななか、ユーリだけが「なぜこの人たちがもてはやされるのか」をイマイチ理解できない。一方で――


 その、ユーリにしか『美しい』と映らない青年は、端の席でいつもひとりぼっちで静かに食事をしていた。誰とも視線を交わさず、どこか人に見られるのを避けるよう、深くフードを被っている。何度か注文を取りに近づき、声をかけたことがある。そのたび、ちらりと覗く横顔――彫りの深いきれいな鼻筋、切れ長の二重。顎のラインまで整っていて、まるで舞台俳優かモデルのような美しさだと、ひと目で感じた。


 でも、周りの反応は真逆だった。


「あんな恐ろしい顔、よく外を歩けるもんだ」

「せめて面でも被ってくれればいいのに」


 と、陰口さえ聞こえてくる。あの美しさを私以外は『呪われた男』『縁起が悪い』とすら思っているみたいだ。


 ユーリはこっそり、あの冒険者が席についているのを見つけるたび、つい目で追ってしまう。彼が黙々とスープを口に運ぶだけでも、優雅でどこか絵になる。そんなふうに感じるのは、きっとこの異世界で自分ひとりだけなのだとユーリは思った。



 ある日――昼下がりの暇な時間。表通りの喧騒が静まり、陽だまりが斜めに差し込む。ユーリが窓際のテーブルを拭いていると、ふいにカラン、と入口のドアベルが鳴った。


「いらっしゃいませ――」


 思わず声が途切れる。視線の先、いつも隅でひとり食事をしていたあの青年が、ドアに影のように静かに立っていた。フードを深くかぶって大柄な体を包み隠しているが、近くで見ると驚くほど背が高い。肩幅は広く、着込んだマントの下から覗く腕はしなやかに引き締まっている。その体格からどこか野生動物のような迫力を感じて、一瞬、言葉が出てこなかった。


 フードの陰で表情はほとんど見えない。でも、ほんのかすかに覗く額の形、中心に通ったすっと高い鼻筋、上品な曲線の唇、輪郭のはっきりした顎。首筋には淡い傷痕らしきものが走り、冒険者らしい危うさもまとっていた。そして、長い睫毛の影からは、冷たい琥珀色の瞳が一瞬だけきらり、と覗いた。


(え、ちょっと……こんな綺麗な人、本当にいるの?)


 ドキッ、と心臓が跳ねる。――まるで現実感がなかった。日本の人気俳優を目の前にしたような、非現実的な美しさ。その全てが影と光の狭間にあって、現を抜かすほど。


 青年は、低く抑えた声で短く尋ねる。


「……部屋、空いているか?」


 その声ですら、耳の奥に少し残るような響きをもっていた。ユーリは慌てて笑顔をつくる。急に手汗が滲むのがわかった。


「は、はい! もちろんです。えっと……お泊まりですか? ご休憩ですか?」


「……泊まる」


 短い返事。ちょっと俯き加減で、表情は読めない。


「えっと……お名前、ご記入いただけますか? ご職業とか……あと、何泊ご希望です?」


 ユーリは焦ってしまい、声が少し上ずる。差し出したペンを、青年はぎこちなく受け取り、それでも滑らかな手つきで、《サイラス》と記した。


「サイラス様、ですね……ご職業は冒険者でよろしいですか?」


「……ああ、しばらく滞在予定だ」


 たったそれだけ。でも低く重たいその声に、不思議な安心感を覚える。


「それと……あの、お荷物とか、お夕食のご希望は? お風呂のお時間もお選びいただけます」


 ユーリは顔が熱くなっていくのを感じながら、言葉を連ねる。サイラスは少し思案するように目線を伏せ、ぼそりと答えた。


「晩飯……適当に。風呂は、遅い時間でいい」


「かしこまりました! えっと、それでは……お部屋にご案内しますね」


 緊張しながらも微笑み、ユーリはカウンターの鍵を取りサイラスを先導する。背後からついてくるサイラスの足音は静かだが、すぐ後ろに感じる存在感に、ユーリの胸は落ち着かないほど高鳴っていた。


 階段を上る途中、勇気を振り絞ってもう一度振り向く。


「ご滞在中、なにかお困りごとやご要望があれば、なんでもお申しつけくださいね」


 サイラスはほんの少しだけ視線を上げた。フードの奥から一瞬、こちらを伺うようなまなざし――そして、たしかに唇の端が、わずかだけ動いた気がした。


「……わかった」


 その返事だけでも、なぜか特別なものをもらったように感じてしまう。すぐそばですれ違うとき、ふと微かな香りがした。土や革、乾いた旅路の香り。それが妙に落ち着く、懐かしいようなにおいだった。


 部屋の扉を開き、簡単に案内する。


「こちらがベッドと、奥に小さな机がございます。お湯や飲み物が必要なときは、お声がけください。鍵はこちらです……」


 案内が終わると、サイラスは深く会釈した。口数はやはり少ないまま、用件しか言わず、それでも礼儀正しさはありありと伝わる。


「……世話になる」


「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。また何かあればいつでも!」


 扉を閉め、廊下に戻ったその瞬間、ユーリは胸に手をあてて息を整えた。心臓がまだ早鐘のように鳴っていて、思わずほおが緩む。


(……やっぱり本当にかっこいい……私、もうダメかもしれない)


 一目惚れ、なんて大げさだと思っていた。でも、出会ったばかりの《サイラス》の姿は、心に焼き付いて離れない。この世界であの美貌を特別に思えるのは自分だけ――そう思った瞬間、ひとりだけが知る宝物を見つけたような高揚感が全身に広がっていた。



 それから数日。サイラスは食事の時間になると、人目を避けるように食堂の隅に座る。フードは絶対に脱がない。料理にもほとんど手を付けず、無表情でパンをかじるだけ。


 アニスがひそひそと耳打ちする。


「新しいお客さん、サイラス様ってちょっと怖いよね。あたし、この前挨拶したら睨まれた気がしたんだ」


 でも、ユーリだけは何故かその人を避けるような無愛想さが気になって仕方なかった。


 ある夜遅く、片付けを終わらせて廊下を歩いていると、厨房裏でひとりの長身がしゃがみこんでいた。静かに肩で息をし、フードの奥の表情は暗い。


「サイラス様……?」


 ほんの少し気配で振り返る。その瞬間、焦ったようにフードをぎゅっと被り直す。


「ご気分が悪いんですか……?」


 沈黙。やや間があって、低い声が返る。


「……大丈夫だ。人と話すのは、あまり得意じゃない」


「もし良かったら、温かいハーブティーでもお持ちします。あの……夜は冷えますから」


 サイラスは少し驚いたような表情で、ユーリを見る。そして――ぽつりと、


「……あんたは、変わってるな。他の奴らと違って、俺の顔を見ても顔色一つ変えない」


 ユーリは、サイラスのまっすぐな視線を受け止めたまま、ゆるやかに微笑んだ。


「そうですか? 私は、サイラス様の顔、好きですよ。誰かの言う『当たり前』より、私の目にきれいに見えた方が素敵だと思うので」


 少し恥ずかしそうに視線を落としながら続ける。


「それに……私、人の表情や声が一番信じられるって思ってるんです。サイラス様は、いつもちゃんと目を見て話してくれるでしょう? それが、一番うれしいです」


 サイラスは少し驚いた顔をし、目を細めた。


「……そうか。物好きだな」


 ユーリはおどけて肩を竦める。


「宿屋でいろんな人と出会いますけど、私、見た目だけで『いい人』って決めたこと、一度もないんです。それより、たとえば――ちょっと無口でも、なんとなく優しさが伝わってくる人とか。サイラス様みたいな人に出会うと、嬉しくなっちゃうんです」


 ふいに、サイラスの影が少しだけ柔らかくなった気がした。



 この夜を境に、二人の距離はほんの少しだけ近づいた。ユーリは、まだ誰も知らないサイラスの素顔を知りたいと思うようになり、 サイラスは、生まれて初めて、自分に普通の笑顔を向けてくれる誰かの存在に心のどこかがほんのわずか、あたたまるのを感じていた。


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