第21話:「血の代償」
暴動に喧騒が響く広場は恐ろしいほどに静寂に包まれた。
「アルナ、みんなを壇上から離しなさい!」
アルナの意識を引き戻すようにしてエリシェが駆け寄ってきた。
「クレイナに、医者を呼んでもらっています!
あなたは救護が来たときに搬送しやすいように人を離して、犯人を探して。
セレナもルネを手伝って人を引き離して」
エリシェの行動は的確だった。アルナは急いで民衆に壇上から離れるように指示を出した。
エリシェが刺した犯人を見つけろと言ったが、人が多すぎて見当などつけようはずもなく、今一度オリヴィア総督の方へと目を向けると
エリシェが宝石のついたブレスレットと指輪を身に付けようとしていた。
「アルナ、治癒魔術で刺し傷を塞ぐからナイフを抜いて」
エリシェが身につけているのは、魔法を補助する魔法具だろう。エルフの魔法使いはイサベルのように特別な者でなければ1人では大きな魔法を扱うことが出来ず、
それは治癒の魔法を扱えるエリシェも例外ではないはずだった。それを彼女が傷を塞ぐと言い切るのだからよほどのアイテムがなければ難しいだろう。
エリシェが詠唱を始めるとブレスレットと指輪の宝石が光を増したのを見て
アルナは総督に刺さったナイフを引き抜いた。
直後に傷口が青く光り、治癒が行われてるのがわかった。
おそらくはイザベルに囚われてきたときに譲り受けたものなのだろう。だが、彼女はイザベルのように特別な血筋というわけではない、その負担を受け止められきれずに指輪の宝石が音を立ててヒビが入った。
その最中に、人混みを押しのけて総督の警護をしていた者たちが集まり始めた。
「あとは我々に任せてもらう!誰も近づけるな!」
衛兵たちはアルナとエリシェを押しのけるようにして総督を担架に運ぶ。
アルナが治療中であることを伝えて、止めようとするが衛兵たちは聞き入れようとはしなかった。
そうしてあっという間に総督は運び出され、広場には困惑と、ざわめきが、広がっていた。
これ以上の騒ぎになる前にとルネの指示で家へと戻ることになった。
**
ルネの家に戻るなり、エリシェはアルナのもとへ歩み寄り、頬を叩いた。
その乾いた音に、場の空気が一瞬止まる。
アルナも、他の皆も息を呑んだまま動けずにいた。
セレナが怒りに任せて立ち上がろうとするのを、クレイナが静かに腕を伸ばして止めた。
「……周りが見えていなさすぎるわ」
短くそう言って、エリシェはアルナの肩を掴み、そのまま抱き寄せた。
「あの人はたぶん、大丈夫よ。
致命的な止血は間に合った。命は落としていないと思う」
アルナは目を見開いたまま、何も言えなかった。
その表情を見て、エリシェは少しだけ表情を緩める。
「その魔宝石……イザベルから?」
「そう。前に人質役を引き受けたとき、報酬代わりにもらったの。
私じゃ何度も使いこなせないし、回復もあの程度が限界だけど――あって良かったわね。」
エリシェの声は落ち着いていたが、ほんの一瞬だけ震えがあった。
けれど彼女はすぐに表情を引き締め、ゆっくりとアルナを離す。
「……でも、それとこれとは別の話よ。」
その声音には、優しさと同じだけの厳しさがあった。
「たまたま貴重な魔宝石があったから助かっただけ。
なかったら、あなたの軽率さで誰かを失っていた。
今後、あなたがどれほどの“知恵”を語ろうと、それを信じる人を失えば意味がない。
――それが、民を導くということじゃないかしら。」
アルナは唇を噛み、俯いた。
自分の中にあった“導く者としての驕り”が静かに崩れていく。
そんなアルナを見つめながら、エリシェはそっと手を伸ばした。
指先が、頬に残る赤みをわずかに撫でる。
「……もう責めなくていい。
その痛みが、あなたをまた前へと進ませるわ。」
それだけ言って、エリシェは背を向けた。
セレナは息をのんだ。
たった今まで怒りで震えていた手が、知らぬ間に力を失っていく。
――違う。
胸の奥で何かが音を立てた。
あれは罰などではなかった。
エリシェは、誰にもできないやり方でアルナを赦した。
自分なら、きっとあんな風にはできない。
クレイナにも、ルネにもできない。
あの人だからできたんだ。
セレナは拳を握りしめた。
その拳にそっと触れるようにしてクレイナの手が包み込む。
クレイナは何も言わなかった。ただ、すべてを分かっているように微笑んだ。
アルナは頬に残る痛みを指先でなぞる。
アルナは今までの旅と経験からやっと自分の成すべきことを理解し、
人々を自らの知恵で導く定めなのだと驕っていたのかもしれないと、行動を省みた。
どんなに賢くても、どんなに正しい行いであったとしても民がどう捉えるか、どう認識するべきなのかは別である。
全ての万人の民の考えまでもを理解できるわけではないのだ。
**
病室でオリヴィア総督は流れ出た血液と、刺された痛み、施術による薬の投与によりかすかな意識の中でアルナへの悔しさに怒りが煮えたぎる思いだった。
だが、その熱を一気に冷まし、震えるような恐怖が肌に纏わりつくようにして彼女は病室の外を見た。
この恐ろしい冷たさを彼女が忘れるはずがなく
ガラスの向こうに映ったのは他でもない妹のレイナだった。
「無様ね…オリヴィアお姉様」
酷く冷めきった目の奥にオリヴィアは言葉が出なくなりそうだった。
自分の方が姉であるにも関わらず、オリヴィアはレイナのことを恐れていた。
古の戦場では炎のフランマード、氷のアルフィスと並んで世界と渡り合ったもの今は昔の話。
もともと炎のフランマード家が戦場という場で力に長けたこともあって
アルフィス家は少しづつ前線からは離れ、戦場の指揮やサポートをするようになり代を重ね昔ほどの魔法の才覚を薄めていた、はずであった。
いや、レイナも魔法の才覚が飛び抜けて高かったわけではない。
だが、レイナはそれを鍛錬で歴代でも有数の魔法師になり、私よりも遥かに勉学に時間を費やして宰相という地位に上り詰め、この国を支配するまでに至った彼女の
恐ろしいまでの異様さを誰よりも比べられ、誰よりも見てきたオリヴィアにとってレイナはとても同じ血を分けた姉妹だとは思うことができなかった。
「レイナ…」
縋るような、か細い声で妹の名前を呼ぶ。
妹は少しその様子を見たあとに話し始めた。
「あのような子供と張り合い、市民を統べることもできずにこの有様では、同じ国を統べるアルフィス家として恥ずかしくはありませんか?」
レイナが手を上げると魔力が練り上げられるように螺旋を纏い、
病室がより一層、冷気に満たされていくようにして
肌が、血管が凍りつくようにパリパリと音を立てて霜を帯びていくのを視界の端で捉える。
「いっそ…死んでしまっていた方が、あのアルナという人間を追い立てるのに役に立つと思いませんか?」
顔は冷ややかなまま、少しだけ声色に安堵にも似た愉快さが感じ取れる。
やっと消すための口実ができた、と言わんばかりの様子にオリヴィアは涙ながらに「やめて、許して」と懇願したが
その涙すら音を立てて凍っていく。
「エルダリアのことは心配しないで姉様、ゆっくり休んでください」
その言葉を最後にオリヴィアの視界はガラスにヒビでも入るようにして砕けて、その隙間から霜が走るようにして真っ白になった。
「姉様は私を意識し過ぎている。姉様が私になれるはずないのに…」
オリヴィアは優秀な総督だった。とても優秀であったのに、いつも私との差を比べて卑下し、冷静を欠くことがあった。
それさえなければ…あのような子供にこのような醜態を晒すことはなかった、はずだ。
私が見誤ったのか、オリヴィアの総督としての能力を。
それともあのアルナという者を子供だと侮ったのか。
アルナという者には一度会っていた。
少なくともあの時は取るに足らない夢想家の子供であるというようにしか思えなかった。
レイナは自らの判断を間違えたのだと省みる。
もうそこにオリヴィアという姉への悲しみすら覚えることもなく彼女はその場を去った。
25/10/22 前半部分のやりとりをより良く修正しました




