第20話:「揺れる統治」
市場の広場はいつも通り活気に満ち、笑顔や商談の声があふれていた。しかし、その中心に立つアルナと彼女の前に現れたオリヴィア総督の存在が、空気を一変させた。
総督の装いはその威厳を示すように洗練されており、彼女がその場にいるだけで周囲には緊張感が広がっていた。アルナが日々行ってきた討論は、この日のための舞台となったかのようだった。
「アルナ、私の民を惑わせるのはこれ以上やめてもらおうか。」
オリヴィアの言葉は静かでありながらも、その響きには力が宿っていた。周囲に集まる民衆たちも総督が現れたことでざわつき始めた。
「――静まれ!」
鋭い声が響き渡り、彼女の背後の数人の衛兵が鋭い目つきで周囲を警戒して民衆は二手に分かれるように距離を置いた。総督はゆっくりと壇上へ向かい、民衆をじっと見下ろしながら言った。
「民たちよ、私はこの場を荒らすために来たのではない。ただ、聞かねばならぬ。この国を支えているのは誰だ?」
民衆は答えない。困惑するようにお互いに顔を見比べるばかりだ。
「オリヴィア総督、どうしたというのですか?」
明らかに敵意がある総督にアルナは壇上に戻って意図を探る。
「久しいな、アルナと言ったか…初めてこの街に来たとき以来ですね。あの時とは変わり、多くの人を集めるようになったではないですか」
総督は大袈裟に手を広げながらわざとらしく手を叩いてみせる。
「私にも君の噂が届くほどに最近は注目を集めているようだが、それと同時にいくつかの問題も寄せられているのだ、若き賢人よ」
「問題…?」
「この広場に人を集めすぎている、毎日のように往来を妨げ、熱気を帯びた議論は周囲にとって喧騒となっている。
それも内容は若者を中心に今のエルダリアの国の在り方を否定するものも多くないと聞いている。」
しかし、アルナは一歩も引かずに応えた。
「惑わせる? いいえ、総督。私はただ問いを投げかけているだけです。民が考えることを恐れてはいけないのでは?」
オリヴィアは何もわかっていない、とでも言うように頭を振っている。
「あなたの言葉は民に疑念を植え付け、その疑念は不安を呼び、町の秩序を…統治を危うくするのです。
誰がそれを立て直していると思いで?
」
オリヴィアは一歩踏み出し、周囲の人々に目を向けた。
「民たちよ、この地が安定しているのは、私が守っているからだ。私たちの知恵と経験がこの地を繁栄に導いている。アルナの言葉に惑わされてはならない。」
一瞬の静寂が広場を包む。その言葉は確かに重みを持っており、民衆の多くがうなずくような雰囲気が漂う。
「それは、この街を、この国のことを民は考えるべきではなく、あなたに従えとおっしゃっているのですか?」
その言葉にオリヴィアは眉をしかめた。
以前のアルナであったなら、ここで引いていたのかもしれない。
「知恵と経験を持つのは、あなただけではないはずです。ここにいる誰もが、それぞれの人生の中で学び、考え、知恵を育んでいます。それを良くないと禁ずるのですか?」
「確かに…俺たちが毎日畑で得る知恵は、総督様のものより劣るのか?」
別の女性も続けた。
「私たちはただ命令に従うだけの存在ではないのでは?自分たちの意見を持つ権利がある。」
オリヴィアの表情に一瞬の歪みが走った。彼女の理論的な冷静さを保とうとする意志は強かったが、民衆の声に苛立ちを感じているように見えた。
「では、他に誰がこの街を統治できるというのだ!このアルナにできると本気で思ってるのか?お前たちに出来ると思っているのか!」
声色は落ち着いていたが、その発言には強い言葉が増え、民も不満をあげ始めた。
「では総督様は畑を耕し、野菜をウチほど美味しく育て、売ることができるのでしょうか?」
誰かが叫んだ。
「私たちの暮らしが良くならないのは、総督たちが私腹を肥やしているからだ!」
次第に民の熱気が増し、壇上へと近付こうとする民とそれを遮る衛兵とが押し合い始めた。
「秩序とは権力者が人々の考える力を奪うためのものではありませんよね?」
おそらくはオリヴィアはアルナのことを見下していた。少し聡明でたまたま持て囃されただけの子供であると。
だが、そう思いながらもどこか恐ろしさを感じていた。だからこそ、その子供にそのように言われることを許すことができなかったのだろう。
何かを察したルネがアルナの言葉を遮るように肩へと手を伸ばして引き止めた。
だが、オリヴィアの苛立ちを止めることはできなかった。
「私をこのような者たちと同じだと言うのであれば、子供とて容赦できるとは思わないことだ!」
それは明らかに民を見下した者の発言であった。
例え、アルナに向けて言ったとしてもその場にいる民たちは、総督がどのような考えで街を統治しているかを知ってしまった。
総督の言葉を引き金に抑えられていた不満が次々と噴き出した。民衆は怒りをあらわにし、衛兵を押しのけて壇上へと登り、オリヴィアへと迫る。
「みんな、冷静になれ!」
ルネは声を張り上げ、民たちを下がらせようと引きはがしに行った。
人がなだれ込むような感情の波にアルナは一瞬だけ呆気にとられたが
ルネの慌てている様子に察しがついた。
もしこのまま総督が怪我などしてしまえばそれこそ今後はこうした活動ができなくなってしまう。
アルナも必死に声を張り上げて民衆に呼びかける。
「みなさん、離れて!私たちは力や権力ではなく、別の方法での意思を…!」
だが、彼女の周囲に詰め寄る群衆、怒りに燃える目。その喧騒に、アルナの叫びは届かない。
そして、それは最悪の形となって起こる。
混乱の中で、鋭い叫び声が上がる。
――「総督が刺された!」
混乱と悲鳴が広場を包み、人々がしだいに離れ、ルネが群衆を掻き分ける。
その開かれた視界にあったのは地面に倒れ、その周りに血が広がっていった総督の姿だった。
アルナは茫然と立ち尽くした。目の前で起きた事態に、自分の言葉が一因となったことを痛感し、胸の奥に重い罪悪感が押し寄せてきた。
「違う…私は…何をしてしまったの…?」
その言葉は、広場の騒音の中にかき消されることなく、確かにアルナ自身の心に突き刺さったのだった。
どれだけ賢くとも、全てを理解しているわけでも、すべてを従えれるわけでもない。
それは誰よりもアルナが理解しているはずであった。どうにもできないことも、どうにもならないこともある。多くの理解と経験が少しづつ自らを成長させているのだとしても…
アルナもまた全ての人間の心情や場の流れを征することができるわけではないのだ。




