第19話:「問いを紡ぐ者」
アルナは一晩かけて考えを巡らせていた。いくつもの対話と経験、ヴァレナの不思議な振る舞い、神託の意図。そのすべてが未だに霧の中にあり、確たる答えを見出すことができない自分に苛立ちすら感じていた。
夜明けとともに心の中の迷いも薄れることを期待していたが、逆に自分の中で浮かび上がるのは、今まで以上に深い疑問だった。
ヴァレナが初めて現れた日のことを思い出す。戦場で瀕死の自分を救い、「知恵とは何か」と問いかけた黒い猫。その問いの答えを探す旅は、もしかしたら答えそのものを否定するためのものだったのかもしれない。
「これが…神託の言っていた、最も賢い者ということなの?」
アルナは小さく呟いた。すべての人が答えを持とうとする一方で、その答えが異なるために争いが生じる。答えを持つということは、もしかしたら他の答えを考えることを止める、という行為に等しいのではないか。
商人が富こそが知恵であると主張するように、靴屋の職人が、すべては経験であると語る様に。もしかしたら違うのではないか、という考えをやめてしまうことである。
エルフという種族は多種族に比べ、1世代が長く生き、知識を蓄え、歴史を重んじる種族である。新しい考えを軽視し、エルフの歴史こそが正しいという考えを持つ者も多く、ゆえにヴァレナは自分の前に現れたのかもしれない。
きっと聞いてもヴァレナは何も答えないのだろう。
だが、ヴァレナはエルフの民に、今一度自らに問うこと。正しい知恵をもつことを望んで現れたとするなら、アルナのすべきことは…。
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エルダリアの市場の広場。朝日が石畳を照らし、商人たちの元気な声が響き渡る。野菜や果物の山が彩りを添え、人々の活気に満ちた一日が始まっていた。
そんな喧騒の中、アルナは人々が集まる輪の中央に立っていた。普段の討論と同じように、柔らかな声で問いを投げかける。
「皆さんに聞いてみたいことがあります。」
注目を集めた彼女は、優しく微笑みながら問いを投げかけた。
「私たちはなぜ、物事を『正しい』と思い込むのでしょうか。その『正しさ』をどうやって知ることができるのでしょう?」
ざわざわと広場がざわめき、一人の中年の男が前に出てきた。
「そりゃあ、経験や教えからだろうよ。親や師匠、それに神様が教えてくれる。」
アルナは微笑みながら軽く頷き、再び問いかけた。
「なるほど。ですが、もし神様の教えが違うと戦争になることがあります。その場合、その『正しさ』は誰が決めるのでしょう?」
その質問に男は言葉を詰まらせた。他の人々も顔を見合わせ始める。しばらくして、輪の外からセレナが声を上げた。
「じゃあさ、『正しい』かどうかより、どうやってその答えにたどり着いたかを考えることも大事なんじゃない?」
アルナはその言葉に軽く笑いながら頷いた。
「その通りです、セレナ。どうやってそこに至ったか――それこそが、私たちが一緒に考える理由なのかもしれません。」
人々は次第にその議論に加わり始め、アルナの問いかけは輪の中心から広がる波紋のように市場全体へと広がっていった。
ルネも広場の端で、興味深そうに耳を傾け、時折メモを取っている。その姿に、アルナは自分が紡いできた問いの種が、少しずつ周囲の人々に根を下ろし始めていることを感じた。
アルナの弟子として人間の奴隷であったはずのセレナはみるみると知恵を付け、長く生きるエルフの賢者たちとも議論を交わすようになるのはそう遠くなく、それを見た人々はルネの広報により次々とアルナの元へと集まった。
やっていることは何も変わらなかったように見え、それはたしかに答えを求めるための討論から、共に考え、知恵を深めていく討論へとアルナの意識が変わっていた。
アルナは今まで以上に多くの人に声をかけ、それぞれの考えを重んじながらも別の考えも示していった。
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そうしてアルナの名はエルダリアの市場だけでなく、街全体で知られるようになっていた。彼女の討論の場には商人や職人だけでなく、学者や貴族までもが集まり始める。アルナの問いかけは、答えを求める討論ではなく、共に考え続ける場を生み出していった。
その日も議論を終えたアルナは、広場の片隅で一息つこうと腰を下ろしていた。温かな風が彼女の髪を揺らし、鐘の音が遠くから響いてくる。
ふと、背後から足音が近づく。振り返ると、そこには高貴な雰囲気を纏った女性が立っていた。鋭い瞳、整った顔立ち、そして纏う気品――それはエルダリアの総督、オリヴィアだった。
「ごきげんよう、元気そうで何よりだ、アルナ」
その声は柔らかく落ち着いていたが、その瞳には冷たい光が宿っていた。




