第18話:「知恵」
落ち着いた声色、洗練された身のこなし。それが彼女――レイナの第一印象だった。しかし、微笑みには、どこか底知れない冷たさが蠢いているように感じ、アルナはその異様な不気味さに怖くなるほどであった。
アルナは戦場で戦うときもそうであるように、相手を見るだけで、口調、身につけているもの、仕草や癖、些細な情報からもその人間がどういう性格でどのような人生を歩んできたのかある程度予想を立てるとこに自信があった。だが彼女からは見た目も中身もそれが著しく一致しないような初めて見る歪さがアルナに警鐘を鳴らした。
「アルナ・サトクレア、汝の評判は耳にしているわ。とても興味深い方だそうね」
「評判?」とアルナが問い返すと、レイナはわざとらしく微笑みを深める。
「ええ。神託を受けながら、それを疑い、賢者たちと議論を重ねるエルフの若者だとね。汝に少し、お話を伺えればと思ったの」
初対面のはずの彼女が、何故ここまでアルナのことを知っているのか。アルナは内心で警戒しつつ、応じることにした。
「それにしても不思議ね。神託を受けたなら、それを疑う必要などあるのかしら。神の言葉は絶対ではないの?」
「神託の内容を疑っているわけではありません。ただ、私にはその意味がまだ掴めていないだけです」
アルナがそう答えると、レイナはあからさまに小さく笑った。
「そう。それで賢者たちを次々に訪ね回り、彼らの知恵を試している。まるで、自分が何者かであるかのように」
その言葉に、アルナは冷静さを保ちながらも内心で動揺していた。
「私の行いは、決して誰かを試すためのものではありません。私自身が知りたいだけです。」
そう言うと、レイナは目を細めて言い放った。
「ならば、その知りたいという欲望こそが、汝自身を惑わせているのでしょうか?」
そう言ってレイナはアルナの周囲を探るように目を向ける。
「そういえば神様が付いているともお聞きしていましたが、今日はいらっしゃらないのかしら?」 とレイナは誰からどこで聞いたのかヴァレナのことを言っているようだった。
ヴァレナのことはクレイナとエリシェとルネは知っているがアルナにしか見えない、声も聞こえないこともありそれほど知っている人間は多くないはずだった。
「それとも、あなたのやっていることはその神様に言われてやっているの?」
「ヴァレナのこと…?確かに私には神の使いを名乗る黒猫が見えるけど、彼女はほとんど何かを話すことはないから、これは私の意思でしていることだよ」
セレナが「え、初めて聞いた、そんなの!」と驚いていた。
レイナは少し考えこんだあとにゆっくりと微笑み 「あなたは神様を信じている?」と問う。戦場で助けてくれて、危機が迫ると現れて事前に教えてくれることで助けてくれいるヴァレナを見ている以上、それが人智を超えた存在であることは確かであった。
「では他者を惑わせて回ることが、世界一賢い者の成すべきことなのでしょうか?私にはそれが不思議なのです」 彼女はわざとらしく首を傾けてみせる。
「私の行動が混乱を招いているように見えるのなら、それは人々が自分自身で考えるきっかけを与えられたからです。」
「それが神に選ばれた賢人のすることだと言うなら、驚きを通り越して呆れてものも言えません。神に選ばれたと陶酔し、誰にも見えぬ幻影に従う――思春期の子供が言うような戯言を真面目に話すなど、信じがたい。」
レイナの言葉は冷たく、容赦がない。胸に突き刺さるような鋭さで、まるでアルナの存在そのものを否定しているようだ。じっと耐えようとしていたようだがとうとうセレナがそれを聞いて興奮しながらも話に割り込んできた。
「お前、さっきからなんなんだよ! アルナとちょっと会話しただけで揺らぐ信念なんてその程度だったってことじゃん?そんなお説教をするために声かけてきたのかよ」
レイナはセレナの反応に少し驚いたような表情を見せ、しかしすぐに冷静さを取り戻す。微笑みながら、落ち着いた声で言った。
「確かに、汝の言う通りかもしれませんね。しかし、私が声をかけたのは、ただ一つ。汝がどれほど深く考えているのかを、確かめたかっただけです。」
レイナはその冷静さを保ちながら、再び口を開く。
「理想を掲げるのは自由ですが、結果が伴わなければ評価は得られません。神託で選ばれた者が、そのような戯言を並べるならば、責任を取るべきです。」
その言葉には、私を厳しく試す冷徹さが滲んでいた。
「汝の下に集まった者たちを、より良い道に導く責任がある。そのために、何を目指し、どのような結果を求めるのか、それが不明瞭であれば、その探求は終わりを見ないでしょう。」
アルナが返す間もなく、レイナは軽く笑いながら踵を返した。
「まあ、汝の考えには興味があるわ。いずれまたお話ししましょう。」
セレナが険しい顔で睨めつけるのを他所にそう言い残し、去っていった彼女の背中にアルナは総督の背を不意に思い出しした。彼女がオリヴィア=アルフィス総督と同じ姓であることに気付いたがそれは今更であった。
家に帰る途中、セレナが苛立ちを隠さず言った。「あの人、嫌な感じだったな!偉そうに言いたいことだけ言ってさ。」アルナは曖昧に笑うだけだった。
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家に着いてレイナについてルネに聞くと額に手を当てて困ったような声を出した。
「レイナにお会いしましたか…彼女はオリヴィア総督の妹であり、このエルダリア国の王と王女に仕える宰相です」
「あれが宰相!?」
セレナが驚いた声を上げたが、アルナはそれを納得できるだけの底しれない恐ろしさを未だに肌で感じていた。
「宰相…とは言いますが、王も王女も政治に関しては高齢なのもあり、もはやほとんど関与をしておらず、今や政治も国の指針はレイナの助言あっての王の言葉となっています」
セレナは眉間にしわを寄せて「あんな嫌味な人が実質、この国を統べてるってこと?」
ルネは目を閉じたまま頷いた。
「アルフィスの家系は以前アルナが街で戦ったフランマード家と並ぶ、王家の血を継ぎ、大戦でエルフ国を導いた英雄の一族です。さぞ名を馳せる魔法使いになれたでしょうけれど、その明晰さと技量を買われ、宰相として王族に尽力しています」
そう話しながらアルナが不安そうにしてることに気付いたのか、ルネはにっこりと笑った。
「すごいことではありませんか、そんな彼女にもアルナは一目置かれている、ということなのですからね」
だが、アルナの心からレイナの言葉がいつまでも心に絡みついているような心地が消えることはなかった。
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部屋に戻り、静寂の中で一人考える。自分の問いかけは、本当に「知恵」を探していたのか。それとも、ただの迷いを増幅させていただけだったのか。
「……私は間違っていたのかな?」
少し疲れを感じたアルナは、ベッドに腰を下ろし、目を閉じた。
そのとき、不意に気配を感じた。目を開けるとヴァレナが静かに立っている。
「……来たのね。」
アルナはぼそりとつぶやくが、ヴァレナは答えない。ただじっと彼女を見つめるだけだった。その瞳には、アルナの心の奥底を見通すような光が宿っていた。
「何か言ってくれればいいのに……」
アルナは苦笑しながら顔を伏せる。ヴァレナはそっとアルナの横に寄りかかるが何かを話すことはなかった。アルナは目を閉じ、再び自分の内面に向き合い始める。
頭にはこれまでの出来事が浮かぶ。討論での失敗、村人たちの視線、森の賢者との会話、イザベルの思い、仲間との議論……そして、ヴァレナの沈黙。その沈黙が、まるで『自分で考えろ』と言っているように思えた。
「私は誰かに答えを求めすぎていたのかもしれない……」
アルナの心に、一つの考えが浮かんだ。誰かに受け入れられるためではなく、自分自身で真実を探すために知恵を求めていたはずだと。
やがて夜の少し冷たい風がゆっくりとカーテンを揺らし、頬を撫でる。アルナは立ち上がり、静かにヴァレナに向き直る。
「ありがとう。話さなくても、ちゃんと伝わった気がする。」
それはアルナに一つの理解をもたらしていた。迷いの中にある自分を、そのまま受け入れること。その迷い自体が探求の一部であることに気づいたのだ。
ヴァレナは静かに身を翻し、闇の中へ消えていった。
「次は……どう進めばいいのか、自分で見つけるしかないわね。」
彼女の瞳には再び力が宿り、新たな覚悟を心に灯した。




