第14話:「燃え上がる誇り」
夕暮れの街道を歩くアルナとセレナ、クレイナ。そしてルネ。討論を終えた充実感に満ちた穏やかな時間だったが、それは一台の馬車が行く手を遮ることで唐突に終わりを告げた。
警戒するヴァレナを見てアルナもそれが何か不穏なものを感じた。
「アルナ、あれ……」セレナが低い声で指さす。
やがて、ゆっくりと馬車の扉が開く。その中から現れたのは、銀髪を揺らす高貴な女性――イザベルだった。
「見つけた……」低い声でそう呟くと、イザベルは無言で剣を抜いた。その目には恐ろしく鋭い光が宿っている。
「……アルナ」その一言に、冷たい緊張が走る。
「イザベル?」アルナが声をかけるが、彼女の表情は険しい。腰に手をやり、ゆっくりと剣を引き抜いた。
「……お前の考えが間違っているのか、それとも……」イザベルは一歩踏み出し、低い声で続けた。「私が間違っているのか?」
イザベルは剣を振り上げた。その刃先に炎の粒が集まり、やがて大きな炎槍となって空中に現れる。
「炎槍……!」クレイナが驚きの声を上げる。
「下がって!」アルナはセレナたちに叫び、身構えた。
イザベルが炎槍を振りかざすと、そのまま空に投げ上げ、槍は赤い閃光を放ちながらアルナに向かって一直線に降り注いだ。アルナは地面を蹴り、かろうじてそれを回避する。
炎槍が地面に突き刺さった瞬間、周囲に熱波が広がり、立ち昇る熱気が視界をゆがめた。
「攻撃魔法だって……!?」ルネが息を飲む。
「エルフって魔法が使えるんじゃないの? なんでアルナはやらないの?」セレナが焦った様子で尋ねた。
「エルフだからって誰もがあれほどの魔法を使えるわけじゃないわ」クレイナが冷静に話し始めた。「基本的に戦場で使われる魔法は、複数の魔法使いが協力して術式を編んで発動させるものよ。一人で発動するには大きすぎる負担がかかるし、何より詠唱や準備に時間がかかるの」
「でも、あれは……!」セレナがイザベルを指さす。
「イザベルは特別なの。彼女の…フランマードの家系は王家の血を引いていて、強大な魔力を持っている。それに、あの剣……たぶん、詠唱の遅延を省く魔法具だわ。あれがあれば、一人でもあの魔法を扱える」
アルナは熱波の中で鋭い目を光らせ、冷静にイザベルの動きを観察していた。
「炎槍だけじゃない。あの視界のゆがみも戦術の一部……!」アルナは額の汗を拭いながら、短剣を構え直す。
「私と戦え…アルナ!」イザベルが叫ぶ。その声に怒りがこもり、同時に周囲の熱がさらに激しくなった。イザベルが感情を高ぶらせるたびに、炎槍の大きさが増し、地面に突き刺さるたびに広がる熱波の範囲も広がる。
「イザベル、やめて!」アルナが声を張り上げる。
「黙れ!」イザベルが再び炎槍を生成し、アルナに向けて投げつけた。アルナはそれを間一髪でかわすが、熱波で身体が揺さぶられる。
「こんな戦い、何の意味があるの!」アルナの叫びが空気を震わせた。
イザベルは剣を握る手を震わせながら、「お前の言葉は……いつも正しい……!」と剣を下げる。
「お前に分かるものか……私の誇りのためだ」
そして、彼女は腕を上げて指を鳴らした。その合図に応えるように、馬車から二人の人影が姿を現す。一人はイザベルの使用人、そしてもう一人は――口と手を拘束されたエリシェだった。
「エリシェ!?」
アルナの声が震える。
エリシェの背中には銃が突きつけられる。使用人は冷徹な目をして引き金に指をかけていた。
「イザベル、やめろ……!」
アルナは短剣を下げ、一歩踏み出そうとするが、その瞬間に乾いた銃声が響き渡った。
赤い夕陽が地平線に沈む中、空気は熱を孕み、重く張り詰めていた。銃声の余韻が耳に残り、エリシェの倒れる姿が、アルナの心に焼き付いて離れない。
「……エリシェ……」
心の中で呟くその声は、痛みと悔恨で満ちていた。だが、その目はイザベルをまっすぐ捉えていた。
「……本気で来い、アルナ」
イザベルの声には冷たく、燃え上がる怒りが滲む。彼女の手元に、炎が揺らめき槍の形を成す。宙に浮かぶ紅蓮の槍が熱波を撒き散らし、地面を焼く音が耳を刺した。
アルナは短剣を握り直し、一歩後ずさる。だが、その瞳に迷いはない。
「イザ…ベ、ル……!」
イザベルが槍を振りかぶり、空間が一瞬、赤い光で満ちる。次の瞬間、炎槍が矢のように放たれた。
「っ!」
アルナは横に飛び込み、熱波をかいくぐる。だが、地面に突き刺さった炎槍から放たれる熱波が視界を歪め、肺を焼くような熱さを感じた。
イザベルが次々に槍を投げる。その一撃一撃が正確にアルナを追い詰め、炎が地を裂き、空気を焼く音が響き渡る。
――近づかなければ、勝機はない。
アルナは歯を食いしばり、炎の間隙を縫うように前進した。熱波に襲われるたび、体力が奪われるのを感じる。それでも、その先にあるイザベルの姿を見据えていた。
槍を投げ続けるイザベルの動きが一瞬止まり、炎が収束した。その瞬間を見逃さず、アルナは一気に距離を詰めた。
「来い……」
イザベルは剣を振り下ろし、その一撃は荒々しいが正確だった。アルナは間一髪で受け流し、反撃の機会を窺う。しかし、次々と繰り出される剣撃は、まるで熟練の戦士の反射そのものだった。
――予測が間に合わない?
アルナは感じた。イザベルの剣は感情そのものに突き動かされ、怒りと憎悪の反応だけで動いている。それは理屈を超えた速さと鋭さを持ちながら、計算がない分、読みにくい。
息を切らしながらも、アルナは剣を振るい続けた。やがて、イザベルの動きに僅かな癖が見え始める。感情に突き動かされるがゆえ、繰り返す動作に規則性が生まれている。
「イザベル……!」
「アルナァア!」
イザベルの剣が振り下ろされる瞬間、アルナは一歩横に逸れ、短剣で弾き返す。その反動でイザベルの剣が大きく揺れ、隙が生まれた。
「っ!」
アルナはその隙を突き、短剣をイザベルの手元に打ち込んだ。剣が弾き飛ばされ、地面に転がる。
静寂が訪れる中、イザベルは膝をつき、荒い息を吐いていた。その目には怒りと、抑えきれない涙が浮かんでいる。
「……これ以上、戦って何になる?」
低く告げるアルナの声に、イザベルは「殺せよ…アルナ…」そう言って拳を握りしめたまま俯いていた。
短剣を振り上げたアルナだったが…剣を持つ手が震えた。
何がイザベルをこうしてしまったのか…どうしてここまで追い詰められてしまったのか…。
アルナはそれを考え、このまま剣を振り下ろせば、イザベルが言うようにアルナもまた自分が自分ではなくなってしまうような気がした。
アルナは剣をイザベルに向けなかった。背を向けてクレイナたちのところへと戻ろうとするアルナを見てイザベルは、驚愕したようにアルナを呼び止めた。
「アルナッ……!!」
次の瞬間、とてつもない熱波がアルナ背後で凪いで、振り返ると頭上には巨大な炎槍が今にも降ってきそうだった。
この距離でこの規模の炎槍はアルナだけではないイザベルも無事では済まないはずだ。
「イザベル!!」
もう殺すことでしか止められないのかと、覚悟を決めて駆け出した先には――。
エリシェが立っていた。
「そこまで…!いい加減にしなさい、イザベル。あなたの負けよ」
イザベルにそう告げると、悔しさを露にしながら俯き、炎槍は霧散した。
「……エリシェ!」
アルナは驚きと安堵の入り混じった声を上げた。目の前に立つエリシュは、無傷のように見える。
アルナは足を止め、顔をこわばらせた。手枷も口枷も外されているエリシュが、指先で銀色に輝く小さな筒のようなものを掴んでいるのが目に入る。
「……これは空砲よ。」
エリシェは疲れた声でそう言った。
「な、なんで……」
アルナは言葉を詰まらせる。自分が目の当たりにしたエリシュの『撃たれた瞬間』がすべて作り物だったと知り、信じられない気持ちが押し寄せる。
「イザベルが本気で戦えるように……必要な芝居だった。」
エリシュの言葉にアルナは絶句した。
「ふざけないでよ!どれだけ心配したと思ってるの!」
思わず声を荒げた。胸の奥に溜まった怒りと悲しみが押し寄せ、短剣を握る手が震える。
「ごめん、アルナ。でも、あの子には……これが必要だった。」
エリシェは瞳を伏せたまま、静かに続けた。「こうでもしなければ、イザベルは自分を追い詰めるだけで……前を向くことなんて、できなかった。」
アルナはエリシェの言葉に反論したい気持ちがこみ上げたが、それ以上の言葉が出てこなかった。目を向けると、膝をついたまま動けないイザベルが見えた。周囲には街の兵士たちが集まり、彼女を囲むようにして拘束していく。
「アルナ……」
エリシェはもう一度口を開いた。「あなたなら、負けないって…絶対にイザベルを殺したりしないって、信じてた。」
アルナは口を開こうとしたが、言葉が喉に詰まる。信じていた、と言うエリシェの声には、どこか悲しみが混じっているように聞こえた。その場に立ち尽くすアルナの前で、エリシェが頭を下げようとしたその時だった。
「エリシェ様!」
突然、クレイナが駆け寄り、エリシェに飛びついた。その小柄な体でエリシェを抱きしめ、声を震わせながら言う。
「もう、心配したんですよ……!何やってるんですか!本当に!」
エリシェは驚き、軽く目を見開いた後、クレイナの背中に手をそっと置いた。
「ごめん……私は平気よ。」
アルナは二人の姿を見つめながら、ようやく胸の奥でざわついていた感情が少しずつ静まっていくのを感じた。だが、心の中にはまだ整理のつかない思いが残っている。
――どうしてこんな形でしか、イザベルを救えなかったんだろう。
目を伏せながら考え込むアルナに、エリシェが再び視線を向けた。
「アルナ、ありがとう。」
エリシェの声が静かに響く。「あなたのおかげで……あの子は少し、楽になれたと思う。」
「でも、私は……」
アルナが言いかけたその時、拘束されたイザベルがアルナの方を見上げた。その目には、怒りでも悔しさでもない、ただ何か言いたげな感情が浮かんでいるように見えた。
「イザベル……」
アルナがその言葉を続けようとした瞬間、イザベルはかすかに口を動かした。だが、声にはならず、兵士たちに連れられてその場を去っていく。
アルナは立ち尽くし、イザベルが見えなくなるまでその場から動けなかった。




