第12話:「絶望と光(前編)」
セレナが奴隷商人に再び拘束され連れていかれ、街の通りにしだいに静寂が戻ってきたころ、クレイナがアルナに歩み寄ってきた。彼女はそっと立ち止まり、微かに肩を落としながら、ぽつりと口を開いた。
「アルナ様……先ほどのことで、本当に申し訳ありませんでした。」
アルナは足を止め、振り返った。「どうして謝るの、クレイナ?」
クレイナは自分の手をぎゅっと握りしめたまま、俯きながら言葉を続ける。「私が余計なことを口にしたから……あの少女に目をつけてしまって、アルナ様を危険な目に合わせてしまいました。」
「……それは違うよ。」アルナは優しく微笑んだ。「クレイナが何も言わなかったとしても、私はきっと動いていた。君が気にかけたからじゃなくて、私がそうするべきだと思ったからだよ。」
クレイナは小さく息を飲んだ。「……それでも、私は……」
アルナはクレイナの言葉を遮るように、少し柔らかい声で問いかけた。「クレイナ、私は君を奴隷として扱っていないかな?」
その言葉に、クレイナは驚いたように顔を上げた。彼女の瞳には、わずかな悲しみと怒りが混ざり合っていた。
「そんなこと、言わないでください!」クレイナは少し感情的に反論した。「アルナ様は……私はとても大事にされています。これ以上ないくらいに。でも……」
一呼吸置いて、彼女はまっすぐにアルナを見つめた。「もし私が奴隷でなかったとしても、絶対にアルナ様についてきていました。だから、そんなふうに悩まないでください。」
アルナはその言葉を聞いて、微かに頷いた。「……ありがとう、クレイナ。でも、どうしても考えてしまうんだ。君が今の立場でいることは、本当に正しいのかって。」
彼女の反論を受けても、アルナの心からはもやもやとした感情が消えなかった。セレナのことが頭を離れない。彼女はあのあと再び拘束され、奴隷商人たちに連れられていった。アルナはできる限り罰を与えないようにと商人たちに頼み込んだが、それ以上のことはできなかった。
その場面を思い返すたび、胸が苦しくなる。
「戦争で捕まった者が奴隷になる。それは普通のことだって思ってたけど……」
アルナは歩きながら心の中でつぶやいた。街では奴隷たちが当たり前のように働き、買われ、売られる。今までそれを深く考えることはなかった。けれど、クレイナの存在やセレナとの出会いを通して、自分がその問題から目を背けてきたのではないかと感じ始めていた。
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それから一週間が過ぎたころ、それは起きた。
静寂を破るような喧騒が街に響き渡った。
「…なんだ?」アルナは気配を察知し、窓から外を覗く。遠くに見える奴隷商人の館から、黒煙が立ち上っていた。
「奴隷商の館が…燃えてる?」クレイナが驚いた声を上げる。
アルナは一瞬考えたが、あの場所にセレナがいることを思い出し、短剣を腰に差して飛び出した。
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地下牢の薄暗い空間に、かすかな足音が響いた。セレナは冷たい鉄格子越しに見張りの兵士を見上げ、疲れたようにため息をついた。
「ねえ、ちょっとだけ話をしない?」
彼女は囚われの身であるにもかかわらず、どこか余裕すら感じさせる笑みを浮かべていた。その表情は彼女の歳に似つかわしくないほど妖艶だった。
「うるさい。大人しくしていろ。」
見張りは素っ気なく答えるが、セレナの視線が鋭く絡みついてくるのを感じて、思わず立ち止まる。
「私みたいなのがこんなところにいるのって、ちょっともったいなくない?」
彼女はゆっくりと立ち上がり、鎖に繋がれた手を小さく揺らしながら一歩近づいた。その動きは計算された優雅さがあり、目を離すことができない。
「…何が言いたいんだ?」
「退屈でしょ? たまにはこうして、気を紛らわせてあげてもいいわよ。」セレナはふっと笑みを浮かべながら、ゆっくりと衣服を少しずつずらしていった。その動きが、見張りの視線を釘付けにし、彼の瞳がセレナの肌に吸い寄せられる。
セレナはじっと見張りを見つめ、彼が少しでも油断した瞬間を逃さぬよう、心の中で祈るような気持ちを抱えていた。
見張りはやがて、セレナが無防備な姿をさらけ出すことに心を奪われ、思わず一歩踏み込んだ。セレナは目線だけで合図を送り、彼がさらに一歩近づくのを待つ。
彼は牢を開いてセレナに詰め寄り、冷徹な仕事の顔を失って、欲望に溺れるようにその手を伸ばしてきた。セレナは内心で冷静さを保ちつつも、心臓が速く鼓動するのを感じながら、その手が自分に近づいてくるのを待った。
その瞬間――
地下牢の奥から、衝撃的な爆音が響き渡った。地面が震え、音が大きすぎて一瞬、視界が揺れる。見張りが思わず顔を上げ、何かが起きたのかと驚きの表情を浮かべる。
その隙に、セレナは素早く動き、見張りの腕をつかみ、頭を狙って思い切り膝を突き上げた。見張りの顔がゆがみ、ふらつく。セレナの手がその隙をついて、素早く彼の腰に手を伸ばし、ベルトを引き抜いた。すぐにカギをつかみ、牢の扉に押し当てる。
扉が開く音が響き渡ると、セレナはすぐにカギを見張りの腰から奪い取って、他の牢に囚われた奴隷たちを解放する。
「急げ、みんな、裏口へ!」セレナは声を荒げて、他の奴隷たちに指示を飛ばす。みんな慌てて手枷のまま、窓から裏口へと向かって走り出す。
一瞬、セレナは自分の手のひらを見下ろす。冷静に動くことができた自分に少し満足しながらも、この先何が起こるかを心で感じていた。
セレナは一度深呼吸すると、心の中で自分を奮い立たせた。この一週間、館のあらゆる情報を盗賊たちに伝え、計画を練ってきたのだ。ドラゴンの檻の位置、警備の巡回ルート、武器庫のありか――全てを漏らすことで、奴隷たちの自由を買おうとした。
今の自分は、生き延びるために手段を選んでいない。それでも、こんな生活を続けるくらいなら、試してみる価値はあると思った。
セレナは近くの奴隷たちに声をかけ、事前に用意しておいた脱出ルートを示した。
計画は単純だ。盗賊たちが正面から攻めている間に、他の奴隷たちとともに裏口から脱出する。それだけのはずだった。
しかし、裏口にたどり着いたとき、そこに立ちはだかる影を見てセレナの心は凍り付いた。
「どこへ行くつもりだ?」
裏口の扉、そこには盗賊がいた。彼はにやりと笑いながら、片手で持った剣を地面に突き立てる。
「何のつもり?」セレナは警戒心を隠さずに問い詰める。
「お前には感謝してるよ。館の情報、そりゃ役に立った。でもな、考え直したんだ。」
盗賊は肩をすくめて言った。
「ドラゴンも館の財宝も、そしてお前ら奴隷も、全部いただく方が得だろ?」
その言葉に、セレナは唇を引き結んだ。やっぱり――この裏切りは予想していた。だが、胸の奥に小さく灯っていた希望は、音を立てて崩れ落ちた。
「やっぱりこうなるか…でも。」
自分の背後には、怯える他の奴隷たちがいる。この場で屈するわけにはいかない。
「これで終わると思うなよ。」
セレナは盗賊たちが運び出そうとしていた檻に目を向けた。中には、眠らされているドラゴンの幼体が横たわっている。そのそばに、自分が持ち込んでいた瓶詰めのチーズを投げつけた。
それは彼女が事前に用意したもの――街の市場から密かに持ち出した、香りの強いチーズを詰めた瓶だった。
奴隷商人たちは繰り返しこう注意していたのを聞いていた。「ドラゴンにだけは絶対にこのチーズを近づけるな」と。
この警告を聞いたとき、セレナはそれがどういう意味なのか疑問に思ったが、今はもう理解していた。チーズの匂いは、ドラゴンを興奮状態に陥れる。そして、興奮したドラゴンは――
「残念だよ。」セレナは静かに呟くとガラスが割れる音が館内に響き渡り、瓶の中身――強烈なチーズの香りが一瞬で広がる。
眠っていたはずのドラゴンがピクリと動き、次の瞬間、轟音とともに檻の中で暴れ始めた。
「行けっ…!」
セレナの叫びに反応するように、ドラゴンが檻を押し倒し、炎を吐き散らす。奴隷商人たちや盗賊たちは一斉にパニックに陥り、逃げ惑った。館にはあっという間に火が回り始め、煙が充満する。
「今だ!逃げるのよ!」
セレナは煙に咳き込みながらも、他の奴隷たちを誘導し、裏口へ急がせる。だが、奴隷たちの脱出を阻止しようと盗賊たちが追いかけてきた。
「邪魔だ!」
セレナはその場に残り、身近にあった鉄棒を掴んで盗賊たちに立ち向かった。何度も倒されそうになりながらも、彼女は逃げる奴隷たちのために時間を稼ぎ続けた。
セレナもその混乱に紛れて逃げようとしたが、盗賊の一人が彼女を見つけ、怒り狂ったように銃を構えた。
「お前のせいで台無しだ!」
銃声が響き、セレナの足に鋭い痛みが走る。
「くっ…!」
膝から崩れ落ちたセレナは、全身から力が抜けていくのを感じた。視界がぼやけ、頭の中に過ぎったのは、アルナの言葉だった。
「君が何をしたいのか。それが本当に大切なことだ。」
セレナは自分の拳を見つめた。やれることはやった。逃げ道も計画した。それでも、力が及ばなかった。
「やっぱり…無理だったのかな…。」
盗賊が銃口を彼女に向け、とどめを刺そうとした瞬間――。
「セレナ…無事か!」
その声が静かに響いた。煙の中から現れたのは、短剣を手にしたアルナだった。
「なんだこいつ!」盗賊が怒鳴る間もなく、アルナは素早い動きでその銃を持つ手を切り落とした。
「間に合ってよかった。」アルナが静かに言い放つ。その声には、不思議なほどの安心感があった。
セレナは地面に倒れ込んだまま、その姿を見上げ、不敵に笑った。
「…遅いよ。」
アルナはそんなセレナを見て、微笑みを浮かべた。
アルナの一人称の修正




