緋色の空に恋焦がれ
真っすぐに伸びた緋色の髪をひとつ結びにした女性騎士が、涙を流しながら歩いていた。真っすぐに前を向き、空色の瞳からこぼれ落ちる透明な雫を拭おうともせず、美しい姿勢で王城の方へと進んでいく。
すれ違い、振り返り、その凛とした姿を見て、俺は恋をした――――。
見とれて放心している間に、緋色の空に吸い込まれるように消えてしまった彼女。
なぜ泣いているんだ?
痛い?
辛い?
苦しい?
悲しい?
何があった?
そう、聞きたかったけれど、どこの誰とも知らない。
俺は仕事帰りで、道の端をぼーっと歩いていただけだった。
女性騎士の格好をしていたよな? 少し歳下なのだろうか?
文官になって十八年。
現在は図書館長という役職柄、あまり女性騎士団とは関わりなく生きてきた。というか、この十年は図書館に引きこもっているから文官も利用者と身近な者しか関わりがないが。
この国に男性の騎士団が五つ、女性騎士団が三つあり、男性騎士団は五竜の名前、女性騎士団は花の名前を冠している。
『白薔薇』を構成しているのは、上位貴族がほとんどだ。王族に連なる方々の護衛などをメインとしている。
『黒百合』は魔術師が多めで、各騎士団や省庁に人員派遣をメインとしている。
『緋衣草』は下級貴族と平民が多めで、王城・王都内の警備や魔獣の討伐など仕事は多岐に渡り、一番人員も多い騎士団だ。
彼女は緋衣草の制服を着ていた。
仕事で失敗でもしたんだろうか?
今まで王城でも町中でも見かけたことがなかったが、彼女はどこから来たんだろうか? 向かったのは王城で間違いなさそうだ。
分からないことだらけだった。
今から追いかけて声を掛けるか悩んだが、あの美しい姿を汚したくないと思ってしまった。
それに、まったく知らない男から急に声をかけられたら、気持ち悪いだろうし…………いや、気持ち悪がられたら凹む、という俺の自尊心が根底にあるんだが。とにもかくにも、今じゃないと本能が囁いたので、追いかけるのはグッと我慢した。
普段より一時間早く登城した。理由は、昨日の彼女を探すため。王城内外から騎士団舎の周りも探したが見つからなかった。
「あれ? セルジュ様、また通りましたね。何かお探しですか?」
王城の門番をしていた男性騎士――ジョナスくんに話しかけられた。この一時間で何度も門の近くを通ってしまっていたから。
「ちょっと人を……あ、そうか。ジョナスくん、聞いてもいいかい?」
「はい! 私が分かることであれば!」
緋衣草の制服を着た、緋色の髪の女性を知らないかと聞くと、直ぐに眉根を寄せられてしまった。その反応から彼女を知っているのは分かったが、なぜそんな反応をされるのかが分からなかった。
「出来れば、そっとしてあげていて欲しいのですが……」
「何かあったのか?」
「先日の魔力暴走事件は知っていますよね?」
先々週……王都から三日ほど行った国境に魔力溜まりから大型魔獣が発生していると報告があった。隣国との共同作戦として、緋衣草の精鋭部隊と黒百合の部隊が討伐に向かった。そこで黒百合の魔術師の一人が魔力暴走を起こした。
仲間を巻き込む大爆発を発生させ、討伐に参加した騎士たちの半分と本人が命を落とす結果となった。
確か、暴走を起こした黒百合の魔術師は死後除名処分とされたはずだ。
隣国の騎士の隊長も、緋衣草の隊を率いていた隊長も亡くなったことで、緋衣草の副隊長が個人判断で撤退命令を出したと聞いている。いまはそのことで審議が行われていると。
「たしか、いまは部隊を再編して討伐に向かっていたよね?」
「ええ」
「あの事故の関係者なのかい?」
「ええ。渦中の副隊長です」
「…………なるほど。ありがとう」
ジョナスくんに、彼女をそっとしておいて欲しいと再度言われた。しかも、黒百合の暴走した魔術師は親友だったのだとか。
審問委員たちに心ない言葉を投げつけられ、心がズタズタになっているからと。昨日も夕方に呼び出され、夜更けにやっと解放され帰ったのだという。
審問委員たちは気になったことなどが出来ると、相手の事情や時間など全て無視して呼び出す。必ずしもそのせいというわけでもないのだろうが、調査対象者が精神を酷く病んでしまうことが多い。
「元審問委員のセルジュ様なら、よく分かるでしょう?」
その言葉に、悪意はないものの僅かな敵意は感じ取れて、すまないねと謝った。審問委員をしていたのは十年前。当時は、相手を呼び出し聞き取りをすることが当たり前だと摺り込まれていたが、一歩離れてみると異質なことがよく分かる。
まぁ、当時も違和感を拭えずそういったことに関わらない役職を望んだというか、逃げたのだが。
「っ、すみません…………セルジュ様を責めるつもりは」
「うん、分かってるよ。ありがとう」
ジョナスくんは騎士にしては優しすぎる気がするが、そのままでいてほしいという気持ちもある。彼に再度お礼を言い、図書館へと向かった。
緋色の彼女を見て以来、毎夜のごとく彼女が夢に出る。透明な雫を流しているのに、意思の強さを感じさせる表情と姿勢が、余計に胸を締め付ける。
彼女の素性はあえて調べていない。『緋色の空の人』と心の中で呼んでいた。
自分でも酷く気持ちの悪い男だなと思うが、たぶん彼女に恋をしたのだろう。想うことがやめられない。
彼女のことを知った翌週、王城内は魔獣の再討伐作戦が失敗したという噂で持ちきりになっていた。どうやら魔獣が特異なものだったらしく、騎士団たちが撤退を決めたのだという。
図書館にある魔獣の文献を全て出してくれという依頼が来たことで、それを知った。
文献を揃えている途中、討伐専門の赤竜騎士団のクレイヴ団長が「まだかよ!?」と直接言いに来た。せめて特徴を教えろそうすればもっと早く済むと口喧嘩をしていると、緋色の空の人と数人の騎士たちが現れた。
「お話中失礼いたします。文献から類似の魔獣を探してくるよう言われたのですが」
「っ、あ…………あぁ。いまここに、半分ほど、文献を出して……いますよ」
言葉に詰まりながらも、集めていた文献を置いているテーブルを指差した。
「感謝いたします」
「なんだ、サルビアは謹慎じゃなかったのか?」
「今回の件で解除になりました」
緋色の空の人は、サルビアという名らしい。彼女にとても似合っているなと思った。
「ほぉん。よかったな」
「……そうとも言えませんが、はい。復帰できた事自体は嬉しく思っています」
「かぁーっ、硬いなぁ。そんなんだから責任を押しつけられんだよ」
「判断したのは私ですので」
団長が何度も硬い硬いと呆れつつも、彼女の頭をポンポンと叩いていた。彼女が少し不服そうに「止めてくださいよ」と言っているのを見て、クレイヴ団長の手首をパシッと掴んで、ポンポンと叩くのを阻止してしまった。
「……お? え? なに? もしかして、セルジュって…………」
「女性が嫌がってるのに続けない」
「なんだ。そっちかよ」
クレイヴ団長は若かりし頃から問題児だったので、審問委員の頃からの顔見知りだ。だからなのか、元来の野生の勘が鋭いのか、すぐこちらの感情に気づく。今も納得したふりをしつつも、俺の顔をじっと見てきている。こういうときは無視するのが一番だ。
「そちらの机をお使いください。仕分け用の箱をお持ちします」
緋色の空の人と連れの騎士たちに声をかけた。もちろん、仕事の一環として。
「セルジュ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「…………ええ」
「セルジュ様、ありがとうございます」
恋焦がれた相手に名前を呼ばれた。それだけで心臓が止まるかと思った。
緋色の空の人は、礼儀正しいようだ。
そんなことを考えつつ、目礼だけして司書席に引っ込む自分の恋愛力のなさに凹む。
他の騎士たちが「愛想悪いねあの人」と言っていた。だが、彼女は注意しその話には混ざらなかった。それだけでまた心臓が締め付けられる。
今まで付き合った相手がいないわけではないし、ちゃんと好意はあった。だが、緋色の空の人に対する思いはなぜか初恋のような感覚だった。
姿を思い出すだけで、恋焦がれて、胸が苦しいのだ。
そしていまは、同じ空間にいるという奇跡を体験して、もう死ぬかもしれないというほどに、心臓が早鐘を打っていた。
緋色の空の人は、他の騎士たちが休憩に向かっても、図書館に残り文献を読み続けていた。流石に飲み物くらいは摂取してほしくて、少し大きめのコップに水と、カップに温かいココアを入れて彼女の横に置いた。ついでにナッツたっぷりのクッキーも。
「これは?」
「糖分は頭の働きをよくするから。他の人には内緒ですよ」
彼女の性格だ、文献を汚すようなことはないだろう。
「っ、ありがとうございます」
その言葉に目礼をして席に戻った。
気を抜くとずっと彼女を見詰めてしまいそうだったので、損傷した本を再製本したりと、集中が必要な作業をしていた。
誰かに話しかけられたような気がして顔を上げると、目の前にクレイヴ団長がいて「マジで、話を聞けよ!」と怒鳴っている最中だった。
「はい? 何ですか?」
「いや、ずっと話しかけてたからな!?」
「そうですか。で、何ですか?」
「やだもぉ。お前マジで昔っから人の話を聞かねぇな!」
「必要な内容は聞きます」
「チッ。確認終わった本とかどうすんの? 戻させる?」
「あぁ、新人の司書にさせるので置いておいていいですよ」
お気遣いありがとうございますとお礼を言ったところで、自身の横にコップやお皿が置いてあることに気付いた。緋色の空の人に渡したものだ。
ちらりと彼女に視線を向けると、バチリと目が合い目礼された。
見るんじゃなかった。あの澄んだ空色の瞳にもっと映りたいなんて、高望みが湧きそうになった。
視線を逸らし、手元に戻す。作業を続けよう。
再製本が一段落し、ふと顔をあげると、図書館内には何かの本を読む緋色の空の人しかいなかった。
「あ、あれ?」
「セルジュ様、クレイヴ団長たちはまた明日来るそうです」
「そ……う、ですか。緋…………えっと、君は?」
「私もそろそろお暇いたします。セルジュ様、飲み物とクッキー、ありがとうございました」
緋色の空の人が綺麗な騎士の礼をし、去っていった。
そしてその翌日、更に翌日も、緋色の空の人は図書館に来て、魔獣討伐の作戦を皆で練っていた。
彼女が休憩を取らず、一人きりのときは、飲み物を出すくらいはした。
そんな日が続いた一週間後、魔獣の正体や特殊能力などある程度解明したようで、再々討伐に向けて出発することが決まったとクライヴ団長が報告してきた。
「いってらっしゃい。いい報告待ってますよ」
「おうよ!」
座学から解放された少年のような足取りで図書館をあとにするクライヴ団長と、少し緊張した面持ちの騎士たちを入り口で見送った。
ふと図書館内に視線を戻すと、なぜかまだ緋色の空の人がいた。
「なにか、忘れもの、ですか?」
恐る恐るそう聞くと、ふるりと首を振られた。
「セルジュ様、連日飲み物やお菓子をありがとうございました」
「あぁ、いえ」
律儀な人だなと思っていると、一歩また一歩と緋色の空の人がこちらに近づいてくる。どうしたらいいのか分からず、一歩後退りをすると、苦笑いされてしまった。
「その、ずっと図書館に居座ってしまい、すみませんでした。騎士というよりは私のことが苦手ですよね?」
「はい?」
「それなのに、いつも気遣っていただけて、本当に嬉しかったんです。ありがとうございました。私も明日からの討伐に参加しますので、最後にお礼を伝えたくて」
「…………最後?」
その言葉に、全身から熱が奪われたような感覚に陥る。
「無事に戻れるとも限りませんので」
「っ……」
何を言えばいいんだろうか、何を言っていいんだろうか。図書館でぬくぬくと安全の微温湯に浸かっている自分が、戦闘に身を置く彼女に何を言えるというのか。
綺麗な人だと思った。恋焦がれていた。
それを伝える気なんて、なかった。
でも――――。
「帰って来てくれ」
「え……?」
「無事に、帰ってきてほしいんだ。君が……サルビア嬢のことが…………いや、この伝え方は最低だ。すまない、忘れてくれ」
「え、あの?」
彼女が少し戸惑ったような声を出した。変な言い方をして申し訳ないと謝って、言葉をつづけた。
「サルビア嬢、無事に帰ってきてくれると、嬉しい。そしてまた、ここに顔を出してくれないかな?」
「はい」
「ん、ありがとう」
お礼を言うと、なんとなく彼女の頬が明るい色に染まったような気がした。
「あの、いってきます」
「うん、いってらっしゃい」
図書館の前まで行き、彼女を見送った。
こちらを振り向いて小さく手を振った彼女は、あの日見た泣き顔とは違い、緋色の空に負けないくらいに明るい笑顔だった。
――――あぁ、素敵な人だな。
彼女が帰ってきたら、想いを言葉にするのもいいかもしれない。
―― fin ――
こちらのタイトルは『蛇足しろ』ちゃん(https://mypage.syosetu.com/1633990)にいただきました。1年くらい前? エモいタイトル過ぎてずっと寝かしてた!
素敵なタイトルありがとう!!!!
読んでいただきありがとうございました。
評価やブクマ等していただけますと、作者が喜び勇んで小躍りしまする!!ヽ(=´▽`=)ノひゃっほぉい☆