scineIV 願いと記憶
街へと向かう途中。
セーラとカリンは、それまで向かっていた道を迂回して公園の反対側の路地へと入っていた。
「セーラさん、今のは……?」
「ええ。亡霊──死した人の思念が、何らかの要因でカタチを得たものですね。
今はちょうどクリスマスシーズンですから、人々の信仰を受けて『サンタクロース』の殻を得て具現化したものでしょう」
「そうですか……。いえ、そうではなく」
カリンの問いかけにわざとずれた解答をしたセーラに、カリンは一呼吸をおいて問いを考える。
あれが亡霊なのは自分にだってわかる。
だが、そうなのだとしても、わざわざ道を迂回して避けねばならない理由は、あまりない。
「……セーラさん」
「何でしょうか、カリンさん」
それは、何となく聞いてはいけないことのような気が、カリンはしていた。
しかし同時に、是が非でも聞いておかねばならないことのような気も、していた。
矛盾を胸に、問いを選び、意を決して口にする。
「セーラさんの、見習い時代……最終試験のときの話を、聞かせてはもらえませんか」
驚きの表情を顔に作るセーラの面前、決意に思いを固めたカリンが口にしたのは、そんな願いであった。
ーーーーーーーー
その姿が見えたのは一瞬だった。
はっと気づいたときには、もう視界の中にはいなかった。
だから、天使が居た、などというのはただの幻覚や妄想の類であろう、と考えるのが最も手っ取り早かった。
そもそも、天使など実在するものか。
自分のような亡霊が存在する以上、居てもおかしくないのかもしれないが、少なくとも自分は知らない。
知らない──筈だった。
「ぅ……く、何だってんだ、全く」
だが、あの姿を見てからというもの、頭のノイズはよりいっそう強くなり。
──危険。
なにか、知っていたはずのことを思い出すような、
────思考停止。
なに、ナニか、大事なコトを──
────止まれ。
お、おも、重い、思い、思い出しそうに────
────止まれ。停まれ。とまれ。留まれ。
もう少し、もう少しで、────!
────不要。不要。不要。
大事な、大事だ、思い出さなくてはならない、それは何よりも、忘れられない、オレがおれで亡霊おれ天使は彼女が────ッ!!
────停まれ。不要不要不要不要今のオマエには必要ない。停止しろ。戻れ。戻れなくなる。無駄だ無駄だ。全てが無駄無駄無駄無駄停止停止停止停止────
「ぐ、ぁ……、く、そ」
思考が停まる。
いや、焼ききれて強制的に止められた、といった方が正しいのか。
ともあれ、ナニカを思い出しそうになったが、無理だったらしい。
思い出す、というからにはそれは生前の記憶であり、
無理だった、というのはサンタの役目を与えられた亡霊、という存在ゆえか。
「はぁ。ただの亡霊を殻にはめ込んだだけ、とはいえ、こう何度も人の世に触れてれば少しずつ人としての魂に火がともる、ってことなのかね」
ぼやく。
今回呼ばれてから何度ぼやいたのやらもはやわからないが、ともかくぼやく。
非常な疲れを感じていた。
今回全くもって、進展というものがない気がするが、それを考えると余計に疲れるのでひとまず考えずにおく。
とにかく今は気を収めることだ。
そう、サンタという機能に含まれた制御装置の警告に従って、しばらくの間落ち着くことに努めることにした。
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「私の……終了試験、ですか」
「はい。それはきっと、私の今後、今回の試験の参考になりますし、それに」
「それに?」
「セーラさん、ずっと辛そうです。きっと、何かを抱えてる。
それに、さっきの反応……セーラさんもここで、最終試験を受けたのですよね」
「…………」
セーラは正直、驚いていた。
先ほどの自分の行動。これは、自分でも明らかに不自然だったという自覚がある。
でも、だからこそ当然、その不自然な行動そのものについて問われるものだと思っていた。
しかし、この見習い天使は。
「……そうですね。あなたはきっと、立派な天使になれる。
わかりました。私の経験を、あなたにお話しましょう」
単に違和感を感じ取っただけではなく、自分の感情の動きや背景まで察して問いを投げてきた。
この子ならばきっと、素晴らしい天使に成長してくれるだろう。
ならば、その助けになるというならば。
自分は、そのための材料を提供しなければならない。するべきであろう。
そう、考えて。
あるいは、話すことで自らの救いもあるかもしれないと、そういった予感もあったのかもしれないが。
セーラは、口を開く。
その口から紡がれるは、これまで幾度となく思い浮かべ、しかし語られることの一切なかった、ひとつの物語である。
――――――――
「はぁ──、ようやく落ち着いたか」
思考の混乱から回復する。
亡霊の原型がどんな経験をしていたのかは知らないが、ソレを思い出そうとすると妨害が入るらしい。
「『サンタ』というシステムそのものに仕込まれた仕掛けってとこか。にしても」
おぼろげながら、イメージが浮かぶ。
灰色のロングコートに身を包んだ少女。
黒髪は短く、背中に浮かぶ羽は羽とわからないほどに小さいが、これは紛れもなく先ほどの彼女だ。
「天、使────ッ、ク……!」
頭痛とともに、ノイズが走る。
「まだ、だめか」
だが、この思考妨害は少しずつ間に合わなくなってきている。
先ほどあれだけ頭の中をかき回したにもかかわらず、問題なく天使のイメージを想起しようとできたのがその証拠だ。
「……ああ、これだけは」
だから、わかる。
これだけは、とっておかなくちゃならない記憶だと。
これだけは、忘れたままにしておくわけにはいかないと。
「だったら」
妨害は弱まりつつある。
いや、記憶や思考の奔流が、妨害を上回っているだけかもしれないが、ともあれ断片は頭の中にある。
「もう、ひとがんばり」
頭痛やノイズはひどくなる一方で、正直立っているのもやっとだが。
それでも、それが大事なものだというなら。
「思い出してやるさ。この記憶の、全容を──」
それは、何の意地か。
ネオンに照らされた街の真ん中で、誰にも見られぬサンタは、役目を置いて記憶の整理に全てを注いだ。