1.カーティス公爵夫人
初めて小説を書いたものですから、ご容赦くださいませ…
「行ってらっしゃいませ、旦那様。」
ネフィーシア・リーネ・カーティス公爵夫人の一日は、この一言から始まる。
返事が返ってこないことをわかっていながらも、彼女は健気に3週間前から毎朝挨拶をして夫を送り出していた。
「…」
ちらりとこちらへよこされた視線に、ネフィーシアの柳眉がつと寄った。
「ステフォン嬢。…今後、見送りは必要ない。」
(必要ない、ですって?)
普段、ほとんど動かないネフィーシアの表情筋がぴくりと動いた。動いたと行っても微々たるもので、彼女以外は気が付かない。
貴族夫人が働きに出る夫を見送るのは当然のことだ。当然、3週間前に目の前にいる夫と結婚したネフィーシアもそうしてきたし、今後ずっとそうするものだと思っていた。
第一騎士団に勤め、副騎士団長である夫、ローレンツ・カーティス公爵の朝は早い。ネフィーシアが起きる頃には彼の支度はすでに整っているのだ。
屋敷の主であるローレンツに断られては、妻として家を取り仕切る立場にあるネフィーシアとて引き下がるしかない。ぐっと唇を噛み締め、声を喉から絞り出す。すっと足を引き、流れるようにお辞儀をした。
「かしこまりました、旦那様。」
「…」
頭を下げたまま夫を送り出したネフィーシアにならって、侍女や執事たちが一斉にお辞儀をして屋敷の主を見送った。
執事がネフィーシアの側へより、声をかける。
「奥様、朝食の用意が整っております。いかがなさいますか。」
「…いただくわ。」
ふっとネフィーシアの潤った唇から息が漏れる。それを見た彼女の侍女、セレネーがすばやく駆け寄った。
「奥様、大丈夫ですか、お疲れになったのでは?」
「いいえ、平気よ。」
無表情で返事をしながら、ネフィーシアは再び息を吐き出した。
ネフィーシアの表情筋はめったに動かない。だからいつも彼女は無表情で、感情が無いかのように見えるのだ。だが実際そんな事はない。心のなかに感情はあっても、それが表情にでない。ただそれだけのことなのだ。
(公爵夫人としての仕事が、なくなってしまったわ)
3週間前に結婚したばかりの彼女が、悲嘆に暮れているのにもわけがあった。今、ネフィーシアに任されている仕事は殆ど無い。最初はここでの生活に慣れていないため仕事がないだけかと思ったが、流石に3週間も経てばここでの生活に慣れ、そろそろ公爵夫人としての仕事をこなすべきだと思った。しかし執事に聞いても、奥様は何もする必要はございません、お好きなようにお過ごしください、と言われてしまった。更に先程、ローレンツに唯一の仕事を奪われた。よって目下のところ、彼女は何もすることがないのだ。
(旦那様は、そんなにわたくしのことがお嫌いなのかしら。…でも、本当にお嫌いなのかも。好きあって結婚した訳ではないもの)
3週間前、ネフィーシアとローレンツは結婚式を挙げたが、二人の婚姻は国王の命によって結ばれたもので、ネフィーシアは結婚するまで数えるほどしかローレンツと話したことがない。ローレンツが半年前に武功を上げ、その褒賞としてこの王命が下ったらしい。一ヶ月前、いきなり王命が下り、ネフィーシアは結婚することになったのだ。ステフォン伯爵令嬢であった彼女に拒否権はなく、伯爵家としても大きな力があったわけでもないので、断ることなど不可能だった。
(なぜ、国王陛下はわたくしと旦那様を…)
加えて、ネフィーシアの両親はもうすでに亡くなっていた。伯爵家と血の繋がりがある者もおらず、それ以来彼女が領地経営を行っていたが、ネフィーシアがカーティス公爵家へ嫁ぐにあたり、とうとうステフォン伯爵家は爵位返還を行うことになった。爵位返還の書類、結婚に関する書類、領地についての書類が1週間のうちに片付けられ、ネフィーシアはカーティス公爵家へ嫁いだのだ。
しかし、夫がいきなり押し付けられた妻を愛せるはずもなく、歓迎されるはずもなく。ネフィーシアとローレンツの関係は非常に冷めきったものとなっていた。ローレンツは屋敷の中でネフィーシアと会えば、あからさまに眉根にしわが寄り、足早に去っていく。ネフィーシアも無表情にそれを見送る。決して仲が良い夫婦とは言えなかった。
(でも、わたくしは。わたくしは、旦那様が、好きなのに)
自分を見るたび、憎々しげな表情になる想い人を見送るのは、何よりもつらかった。