三十日目
──何度も見た夢が、再び流れ始める。
『そうだっ! この地図に浮かぶたくさんの星に、信じられないほどの財宝は眠っているのだー!』
馴染みのある情景から、少年の声が聞こえる。
無理矢理机にした岩に広げられる古ぼけた紙を囲む俺たち。それは忘れもしない、雰囲気を出すためとか言ってあえてぼろっちい紙に書いた空想の宝の地図。
大人が見れば鼻で笑い、暖かな視線を向けるであろう紙切れ。
けれどそれは、俺たちにとって始まり。旅の詩人の話を聞き、各々が勝手に記した冒険への渇望に他ならない。
『……けどこれ偽物じゃん。頑張って作ったって、宝なんてないんだよなぁ』
『カールークー!! あんたはそうやって、いっつも雰囲気壊すんだからー!』
一人の少女は夢を壊す少年を叩こうと追いかけ回すが、猿のような機敏さで躱しながら少女をおちょくる。ある少年は呆れながらそれを止めに入り、残りの少女は岩に腰掛けながら優しく微笑む。
いつも通りの光景。俺にとってそれは、当たり前のように過ごした何よりも綺麗で儚い日々。
『じゃあさ! 大人になったら俺たちで見つけようぜっ! 本物の宝物──世界に輝く五つ星を!』
二人を止めた少年が宣誓するように提案した言葉。
三人は一瞬、頬を狐にでも摘ままれたかのよう表情を見せ、そして次には楽しそうに笑って頷き合う。
詩人のお伽噺に出てきた、世界の灯火たる五つ星。誰もがその存在を否定し、長い歴史が伝説に変えてしまった大秘宝。
俺たちにとって始まりの冒険。絵空事に全力を注ぐ子供達が思い描いた、遠い将来の目標地点。
少年少女は偽物の地図の上で手を合わせ、遙か先にある本物の夢を誓い合う。
俺たちにとって始まりの冒険。絵空事に全力を注ぐ子供達が思い描いた、遠い将来の目標地点。
それは始まりであり呪い。身の丈の生き方をわきまえなかった少年と、資格のある才人達を繋ぎ合う見えない鎖。
『──師匠はなんで、冒険者になったんですか?』
聞こえないはずの問いが聞こえる。この夢にないはずの言葉が響く。
心を揺らす少女の声。嗚呼、返す言葉を持たないはずの心は、どうしてか疼いて仕方がない。
わからない。分からなくても良い、わからなくていいはず──きっとそれで良いはずなんだから。
だというのに。鎖は自ら切ってしまったというのに、どうして俺はこんな夢を見てしまうのだろうか。
「えやあぁっ!!」
彼方まで広がる緑草原の上、俺は向かってくる少女の連撃をいなし続ける。
以前のような、ただ荒々しいだけの素人の喧嘩拳ではない。洗練されているとは言いがたいが、それでも比にならないほど、攻撃は鋭く軽やかに俺を狙ってきた。
間合いの詰め方も絶妙だ。手足の届く範囲を正確に把握した距離を保ち、俺が大きく退こうとしても、それを許すことはない。
魔力の方も、もう無鉄砲に吹き荒らすだけの猪じゃない。コツを掴んでからは瞬く間に制御を上達させ、教えてもいない重点強化なんかもこなしちまっているくらいだ。
天性の一端か、あるいは俺の指導が上手いのか。まあ前者だと思うが、それでもちょっと嫉妬しちまうくらいには嬢ちゃんの力は伸びており、魔力を使わない俺には大分厳しい相手になってきていた。
実力だけならもう充分だ。少なくとも、そこいらの新人冒険者よりは遙かにましだ。
必要なことはあっちで学べば問題ない。俺とは違って彼奴等の中に混じっても、置いていかれることはないだろう。
だからこそ、試さなくてはならない。
身体能力などではない、冒険者が一番持ってなきゃならねえ芯の部分が備わっているのか。俺はそれを見なきゃ送り出すことは出来ない。
「──っ!!」
何かを感じ取ったのか、嬢ちゃんはすぐに後ろに跳んで間合いから抜ける。
だが遅い。魔力を流した俺にとって、その距離は余りに近すぎた。
一歩。地を弾いて踏み出し、一気に嬢ちゃんの懐に潜り込む。
振るわれる拳。この訓練で最初で最後の攻撃、そして殺意を乗せた敵による明確な殺しの一撃だ。
拳は嬢ちゃんの胸を貫かんとばかりに迫っていく。
速度は嬢ちゃんが見せた動きのどれよりも速い。このまま行けば待つのは死。少なくとも、嬢ちゃんにはそう感じているはずだ。
──さあ見せてみろ。俺を踏んで越えていけよ、嬢ちゃん。
「──っあああ!」
嬢ちゃんは吠える。瞬間、彼女の内で魔力が吹き荒れ、嵐のように力が零れ出す。
身を捩りながらも向けられる拳。心は折れていない。出会いの死の間際のようにへたり込むことなく、彼女は俺に向き合ってきた。
空を切る俺の一撃。代わりに彼女の拳が俺の頬を抉り、俺の体は吹き飛ばされていく。
勢いのまま一瞬空を舞い、そしてそのまま地面を転がり、やがて仰向けに倒れて止まる。
──嗚呼負けた。ははっ、すげーな嬢ちゃん。
じわりじわりと広がる痛み。けれど不思議と、気持ちは現前の青空の様にすっきりしていた。
「やっ……た? やった、やったやったー!!」
戸惑うような困惑から、やがて歓喜に移り変わる嬢ちゃんの声。
ったく、俺を殴り飛ばしといてようやく理解したのか。それだけ必死だったって事かよ。
「師匠師匠しーしょう-! ちゃんと取りましたよー!」
起き上がった俺に一目散に駆け寄り、手に持った宝石のネックレスを見せつけてくる。
ちらりと胸を確認すると、そこにあったはずの宝石は何処にもない。……ちゃっかりしてんなこいつ。
「これで合格ですか? 合格ですよね!?」
「落ち着け、落ち着けよ。ほら、深呼吸」
興奮冷めやらない嬢ちゃんに落ち着くように言うと、三回くらい大きく深呼吸をし、少しだけ落ち着いてくれる。
素直な奴で助かったと思いながら立ち上がり、土煙を払いながら嬢ちゃんに目を合わせる。
「……合格だよ。よくやった」
「──ぅやったぁ!!!」
俺の言葉を聞いて、嬢ちゃんは火が再点火して燃え上がったみたいに喜びを見せる。
「まさか最後に殴り返されるなんて思いもしなかった。動ければそれで十分、そう思ってたんだがなぁ」
「そうですよ! 最後攻撃してきましたよね!? 死ぬかと思いましたよ!!」
嬢ちゃんは今になってようやく、俺が攻撃したことに不満げな態度を示してくる。
まあ破ったのは俺の方だし其処については言われても仕方がない。実際、防御と回避しかしないと最初に言ったしな。
「そりゃまあ、最初からそういう試験だしな。言わなかったけど」
「はあぁー!? 何すかそれ!!」
暴れた獣に接するように嬢ちゃんを宥めるが、不満げに膨れた頬が納得していないことを伝えてくる。……ったく、言ったら意味ねえんだから隠して当たり前だっつうーの。
今回の試験で見たかったこと。それはとっさに訪れる命の危機に動けるか、一言で言えばそれだけだ。
冒険者はいつ死に導かれるかわからない職だ。恐怖を感じる頃には命が尽きていた、なんてことの方が多いのは俺がなにより身に染みている。
だからこそ、こんなわかりやすい殺気に動けないなら、俺と同じでやっていく素質はないと見切りを付ける気だった。
逃げても良い、立ち向かっても良い。後者は場合によってはただの蛮勇だが、それでも自らが選んで決めたことに変わりはない。けど、固まることだけは許されない。
そうなれば困るのは自分が締めるのは大切な者達の首、共に笑い合い苦楽を共にした仲間が、よりにもよって自分の情けなさで死ぬかもしれないのだ。
……ああそうだ。繰り返してはならない。そうなってしまえば誰もが不幸になる。性根が真っ直ぐで人思いなこいつだからこそ、俺よりも悲しい結末なんて迎えて欲しくないっていう我が儘だ。
ま、杞憂だったけどな。目の前にいる少女は俺よりも遙かに冒険者、最初に見た死に怯える少女ではなく、夢を追う馬鹿野郎に相応しい女に変わっていた。
「けれどお前は乗り越えた。……凄いよ、嬢ちゃんは」
「そ、そうです……? えっへへー」
立派になった、そう思いながらちょっと褒めるとすぐに上機嫌になる嬢ちゃん。……冒険者やるんなら、このちょろい部分は直してもらわんとなぁ。
「……さて約束だ。頼みってやつを聞いてやるよ」
ともあれ合格だったことには変わりはないし、嬢ちゃんが前に言っていた願いを尋ねる。
どうせその宝石は欲しいとかそんな程度だろ。結構な美人の依頼で貰った中々に価値ある物だが、まあ弟子への餞別になるならそっちの方が宝石も嬉しいだろう。
……これが婚約の証とかなら大切に持っておくんだがな。生憎そういうのは人気者の領分で、俺にはとんと縁がなかったんだよなぁ。
「そうですそうです! じゃあ聞いてもらいますよ! 二つっ!!」
「お、おう」
何か一人で悲しくなっていると、嬢ちゃんは撤回を許さないと言わんばかりの喰い気味な姿勢で応じてくる。
さて、どんな願いが飛び出してくるか。……爺さんのことじゃねえのは確かだろうがな。
「まず一つ目は呼び方です! これからは嬢ちゃんじゃなくてちゃんと名前で! 全部は長いのでシアって呼んで下さい!」
「……わかったよ、シア」
言われたままの愛称で呼ぶと、満足げに頷く嬢ちゃ……シア。
そこまで嫌なら言ってくれりゃ変えたのに……って、そういうことじゃないのはわかるから、口に出すのは辞めておくことにしておこう。
「……で、もう一つは? それが欲しいならやるぜ?」
「え、まじです……っていや、そんなことじゃないです! これも欲しいですけど!」
嬢ちゃんは否定しながらも、宝石のペンダントを懐に潜らせる。
さてどんなことを言われるのか。それじゃねえなら何だろう、格好良い得物とかだろうか。
「二つ目が本命です。私と……私と一緒に、旅に出て下さい!」
「……はっ?」
出された願いはあまりに予想外で、思わず目に力を見開いてしまう。
「こんな一月では足りませんっ! 師匠が広いって言う世界で最初に宝を見つけるとき、私は師匠と一緒が良いです!」
「……何を」
「だからお願いします! 私と旅をして下さい! 私を冒険に連れてって下さい!!」
俺が言葉を挟む間もなく、シアは真っ直ぐに俺を見てそう言ってくる。
あの日と同じでどこまでも曇りのない瞳。──決して逸らしてはいけない、純粋な想いがそこにはあった。
「……駄目、ですか?」
ったく、爺さんの嫌な部分を受け継ぎやがって。……本当、叶わねえな。
けれどどうしてだろうな。こんな真っ直ぐに誘われると、絆されるのも悪くないと……冒険しても良いかも、なんて考えになっちまう。
だからそれに頷こうと頭を掻いたそのとき、彼女の後ろの空から飛来してくる何かに気づく。
紛れもなくシアを狙う殺意の一撃。すぐにシアの後ろに回り、魔力を帯びた腕でそれを弾く。
……これは魔力か?
「──えっ?」
「誰だっ!! 姿を見せろっ!!」
戸惑うシアを背にかばいながら、怒号を空に響かせる。
すぐに索敵を開始し、元凶の居場所を探す。全方位魔力探索……いた、空だ──!!
察知した瞬間、再び放たれた魔力槍を拳で弾きながら、その正体に目を向ける。
そこにいたのは二対の羽を広げる人の姿──青空を汚すような魔力を見せる、魔族が空で嗤っていた。




