十日目
時間が経つのは意外と早いもので、この村に滞在しだしてから約十日が経過した。
俺はましな寝具と村の清廉な空気に包まれながら疲れを癒やし、ここ一年くらいで最もと言って良いほどには調子も落ち着いていた。
「やっぱ若いもんは活きが良いねえ! 乾木の薪割りは腰に来るから助かるよ」
「これくらいお安いご用っすよ」
通りがかる女性の剛胆な褒め言葉に返事をしながら、持っていた斧を振り落とす。
勢いのままに真っ二つに割れた木。うーん実に綺麗、流石は薪割り歴十何年の俺だ。
薪割りは昔から体作りになると踏んで、自ら率先して行っていたのを思い出す。
まるで転職かと言わんばかりに吸い付く斧。他の連中が各々でそれっぽい訓練していた中、俺はこれを振って振ってふりまくっていた気がする。
……必死に地味な作業していた俺より遙かに強くなってなっちまったあいつらがいるから、それが正しかったのはよくわかんねえけどな。
ま、手に染みこんだ作業だし無心になれるから今の俺には最適な仕事って訳だ。……こんなこと考える時点でまともに振り切れてねえってことなんだけどな。
「……ふうっ」
「お疲れでーす! すっごい数の木が割れてますねー!」
残っていた最後の木をへし割った所で後ろから掛かる少女の快活な声。
たった一瞬間だってのに、すっかり耳がクレイシアに慣れちまったな。こりゃいつか夢にも出てくる勢いだわ。
「お水です! 飲んだら今日もやりましょうー!」
「わかった、わかったからちょっと待ってろよ……」
手渡された竹の水筒の端に口を付けながら、切り株の上に腰を落とす。
冷たい水が喉を滑りながら体に潤いを与えていく。うーんうまい、やっぱ軽い運動後に飲む冷水は最高だな!
「飲みました? 飲みましたね? じゃあ始めましょうほら、ほらほらほら!」
「……焦んのもわかるが、ちょっとは落ち着け」
実に鬱陶しく全身で急かしてくる嬢ちゃんにため息を吐く。
確かに時間は有限だが、焦っても仕方ねえもんでもあるのはまた事実。ま、俺の体力が少しでも戻らねえ内にやりたいって小細工かもしれねえがな。
ま、気持ちも分かるし意欲的な奴の意志をへし折りたくはねえ。そう思いながら、一息ついて水入れを置きながら、ゆっくり立ち上がって体をほぐす。
「んじゃやるか。ほら良いぞ……って活きが良いなぁ」
声を掛けたと同時に突っ込んできた嬢ちゃんを軽く避ける。
枷を付けてから一週間。体力だけの嬢ちゃんとは思えねえくらい、ましに動いてくるってもんだ。
「えいっ! このっ、逃げるなっ!」
「逃げるって言われてもなぁ」
拳や足、俺よ止めようとするあらゆる動きを紙一重で躱していく。
どっか遠くの国では、こうやって獣を躱し続ける興業があるらしいとかなんとか。実際に見たことはねえがな。
「ほらっ。早く取らねえと一月経っちまうぞー」
適当なことを考えながら、何度も何度も挑み続けてくる嬢ちゃんから逃げ続ける。
勢いは少しずつ落ちていくがそれでも諦めを見せない嬢ちゃん。だがそんな意欲も実を結ぶことはなく、目的の物に掠ることなく空を切る。
「っはあ、もうっ、もう、駄目っす……」
どれくらい経過したか。嬢ちゃんは限界に達したのか、ついには地面に倒れ伏す。
激しく息を乱しながら大の字で転がる嬢ちゃん。未だ目は死んじゃいないが、残念ながらもう体が付いてこないようだ。
「三分ほど伸びたか。今日も更新おめでとうだな」
「……はあっ、はあっ、んな余裕そうに言われても、ちっとも嬉しくないっすね……」
切り株に再度腰掛け、水入れに入っている水を飲む。
喉を通るのはすっかりとぬるくなってしまった水。最初は水入れを持ったままやっていたことを考えると、随分と良い動きをするようになったよな。
「……焦んのはわかるけどよ。そんな闇雲じゃあ、どうやったってこれは取れねえぜ」
首に掛けていた宝石を手で転がしていると、嬢ちゃんが最後の力でも振り絞ったように飛びかかってきたので、躱して諭す。
俺が嬢ちゃんに課した試験はただ一つ。この一ヶ月でこいつを俺から奪う、ただそれだけだ。
もちろんそれが簡単って訳じゃない。現に実力差を考えればほぼほぼ不可能、どう足掻こうがまあ難しいだろうと初日の俺は思っていた。
だが、今は少し違う。今のまま成長すれば、もしかしたら俺の予想を超える結果を見せてくれるかもしれないとすら思っている。
祝福だけじゃない。こいつには大成するだけの身体能力と素質が眠っている。
まるでかつてのあいつを成長を見ていたときのよう。この少女に柄にもなく期待を抱いていることを、俺は認めざるを得なかった。
──だからこそ、だからこそ俺は試さなくてはならない。
こいつが一番大事なもんを持っているか。冒険者にとって、なくてはならないものを備えているかを確かめなくてはならないのだ。
「なんでそんなに動けるんです? 体力には自信あったのに、息一つ乱れないのはちょっと落ち込むんんですけど」
「地が違えってのもある。けど、一番は魔力を雑に使いすぎだからだな」
落ち着いてきた嬢ちゃんからの問いに返していく。
「魔力の制御が子供と同じくらい雑なんだよ。確かに嬢ちゃんの魔力量は多いが、それじゃいくらあってもすぐに使い切っちまうってわけだ」
「へー」
「体力があっても魔力疲労のせいで限界が早くなる。現状だと宝の持ち腐れってわけだ」
強化とは身の魔力を制御しより効率的に体に流すこと。強化魔法ってのもあるが、基本的には前者を指す言葉だ。
人族は他の種族よりも明らかに膂力がない。だからその身体能力を補うため、他の種族よりも強化が重要視される種族だ。
強化は単純なようで奥が深い。今のこいつみたいに、ただ魔力を流せば良いってわけじゃない。
より自然で効率よくが肝。大事なのはどれだけ最適に魔力を流せるかであって、重点的な強化や魔力量なんてのはそれからの話だ。
こいつがそれを理解し熟せるようになれば、今の倍は余裕で動けるはず。少なくとも、魔力を使わずに対応している俺に、こうまで一方的になるはずはないだろうよ。
「ま、そのむちゃくちゃを通してきたおかげで魔力量が多いんだろうけどな」
「そうなんですか?」
「……知らねえでやってたのか? 魔力欠乏は場合によっちゃ死にも繋がる、運が悪けりゃお前も死んでたかもって訳だ」
俺の話を聞き、大分正直に顔を歪ませる嬢ちゃん。
無理もないか、自分の今までに死の瀬戸際があったとか普通はびびるってもんだ。
魔力も体力と何ら変わりはない。魔力の枯渇が生命の枯渇なのは常識、だから筋肉痛みたいに強引に伸ばすなんてとんちきなやり方を試す奴は少なかったりする。
実際、俺の幼馴染の一人はその無茶なやり方をやって死にかけたことがあるくらいだ。その時は俺がなんとか応急処置をして事なくを得たが、一歩間違えば容易く死を招くことであるのは十二分に刻みつけられていた。
……そんな危険なことを、あの爺さんが止めねえ訳はねえと思うんだけどな。
無意識にやっていたか、或いは誰も見ていないところでそれを行っていたか。どちらにせよ、いずれ直した良い悪癖に違いはなかった。
「ま、拘束具付けてからはましになってきてんだ。後はお前自身で感覚掴んでものにしなきゃな」
こいつに付けた訓練枷は俺の手製で、魔力抑制の他に全身負荷や重量増加の印も刻まれている。罪人用の奴みてえにきついだけのもんじゃねえ、訓練には丁度良い代物だ。
ま、こんなの付けようとましになるのがいつかは俺の知る所じゃない。俺はそいつに素質があろうといつ芽吹くかわかるほど目が冴えてるわけでもないし、とりま期待だけにしとかないとなぁ。
「……ジルバ師匠。世界ってどのくらい広いんですか?」
「師匠は辞めろ。……さあな。少なくとも、お前が思ってるよりは広がってるよ」
ふと聞かれた嬢ちゃんからの問いに、俺は酷く抽象的にしか返せなかった。
「……いきなりどうした。空でも見て物思いにでも耽ったか?」
「……いや、ちょっと聞いてみたかったんです。こちとらこんな小さな村娘ですので、冒険者さんと話すことなんてなかったもんですから」
嬢ちゃんが空に零した言葉には、果たしてどんな思いがあったのだろうか。
俺はそれはわからない。けれどそれは俺にとって、今は忘れてしまった遠き過去の残滓を思い出させるものだった。
「……師匠はなんで冒険者になったんですか? これ言っちゃ悪いですけど、あんまり良い印象ない職じゃないですし」
「……さあな。……何だったんだろうな、本当」
どうしてこんな道を歩んだのか。そんな単純な質問にすら、今の俺には答えられなかった。
忘れたわけじゃない。けれどその理由の根源を、どうしてなりたかったのかという想いを、俺はとうに失ってしまった。
だからこいつには答えられない。仰向けに成りながらも、こんな真っ直ぐで美しい瞳に負け犬の戯れ言を零すことなど、今の俺のは出来なかった。
「……逆に嬢ちゃん、お前はどうしてなりたいんだ? この前までは渋ってたじゃねーか」
「……憧れたんです。おじいちゃんが話してくれた、たくさんのお伽噺に」
嬢ちゃんは語り口調はとても弾んだもの。それはまさしく、夢を見る小さな子供の声だった。
「七色の階段の果てや世界の熱を凝縮した宝玉、──そして私の名前の由来の花畑。眠る前に聞かされた夢のような話を見てみたいと思うのは、とっても自然なことだと思うんです」
起き上がってこちらを見る宝石のような瞳。──どこか遠くに置いてきた少年と同じ、それはそれは輝きに満ちた希望の目。
まるで小さき頃の俺。自らの限界など知らずに先を見続ける、哀れな少年にそっくりだった。
……こんな子供が、こんな普通に生きたいだけの少女が、世界の行く末を担う祝福を持持たないといけないのかよ。
「だから探したいんです! 私の望む宝物を!」
『絶対に見つけるんだ! 俺たちで、五つ星を!』
脳裏を鮮烈に過去が過ぎる。すっかり火の消えた胸の内を、針が刺さるような微弱な感覚が襲う。
嗚呼、目を背けたくなる。──この少女は今の俺には、あまりにも眩しすぎる毒そのもの。冒険を夢見た在りし日を見せ俺を変えようとする、直視してはいけない劇物に他ならない。
──駄目だ、妙なことを考えるな。俺の冒険はこの依頼で終わり。こいつには俺の元よりも行くべき場所があるだろうが。
「──よしっ、休憩終わり! もっともーっと強くならないといけませんし、早く二回戦を始めましょうー……って師匠?」
「……何でもねえ。ほら、とっとと掛かってきな」
内から漏れそうになる情けない想いを誤魔化すように、嬢ちゃんを手で誘う。
妙なことを考えないよう、はち切れそうになる心に蓋をする。二度と開かないように、再び見つけることのないように。
「そうだ師匠。これ達成したら、一つお願い聞いて下さい!」
「あ? 内容による……ってあぶなっ」
意図を聞こうとした俺に返ってきたのは、猪のように飛び込んでくる嬢ちゃんの勢い。
どうせこの宝石でも欲しいんだろうし、取れたらくれてやろう。そんな程度に考えながら、訓練は続いていった。




