聖歌
一瞬の静寂が、少しのまどろみを持つ脳に思考する時間を与えてくる。
それは酔いから返るには充分過ぎるくらいの刹那。酒に添える程度の話ではないと、受ける気にもならない話にも関わらず俺の脳は正気に戻ってしまっていた。
「儂の命はあと僅か。ましに見えるこの身はあくまでも、魔力で誤魔化し騙しているに過ぎん。そうじゃな……今の体調を鑑みるに、あと一月保つかどうかといったところじゃ」
爺さんは自分の死期を語ってるとは思えないくらい、それはそれは落ち着いて言葉を続けていく。
「心残りはあの娘一つ。儂の最後の宝、この世の何よりも大切な唯一の家族じゃ」
けれど爺さんは娘の話になった途端、自らの死よりがちっぽけな話題であるかのように、寂しさを言葉に載せて娘の将来を憂いた。
「あの娘はいずれこの村から旅立たなくてはならん。願いや欲の話ではない。あの娘の宿命が、生まれたときに女神に背負わされた祝福が、穏やかな生活を許しはしないじゃろう」
祝福。爺さんは先ほどからそれを何度も口にする。
祝福とは創世の女神たるセレーナが与えるとされる、一部の人間しか持たぬ希少な力。
それを持つ者の多くは時代に名を残し、神の見定められた寵児だと言う者もいる特別。
小さな村で虐げられていた人間が目覚めさせれば、それだけで這い蹲る人生からおさらばできると、そう言われるくらいにはわかりやすい天からの授かり物。
──だが、それはあくまでも目覚めたらって話だ。
祝福が特別視されるのは、あくまでも目覚めてからの話。中には既に寝たきりのばあさんが、死に際に目覚めたなんて例もあるくらいには気まぐれな女神の気まぐれ。仮に目覚めたからといって、祝福自身が生き方を縛ることはないことくらいは分かると思うのが。
……つまりだ。爺さんはこう言いてえってのか。
あの嬢ちゃんの祝福は、ただあるだけで運命を変えちまうってくらい強力なもんだと、そういう結論なのか。
「幸いにしてあの娘は冒険に憧れておる。じゃから其方のような冒険者と共にあれば、必然的に強くなれると思ったんじゃ」
爺さんは逸らすことなく、曇りのない目をこちらに向ける。
どういう見方をしたらそこまで俺なんかを信頼できるのか。生憎それはわからねえが、それでも煙に巻くことは許されねえと理解できるくらいには真剣な頼みだった。
「……さっきも言ったが買い被りすぎも良いとこだ。俺ぁ柱も牙も折れちまった凡骨野郎、自身のこれからすら真っ暗な半端者でしかねえ俺に、嬢ちゃんお世話はちと大役が過ぎるってもんだ」
だが、俺の返答が変わることはない。
返す言葉は拒否の一点張り。残念ながら、爺さんの頼み一つで考えを曲げる気にはなれなかった。
「……だから紹介状を書いてやる。冒険都市でも、有数の実力を持つ組織にな。何、心配はいらねえ。悪徳じゃねえのは俺が保証してやるさ」
それでも見捨てるだけなのも忍びなかったので、多少折れた形で代替案を出しておく。
伝手のあって信頼できる組織。まあつまり、俺が抜けてきた五つ星への推薦ってやつだ。
あっちからしたら辞めた人間にそんな権力はないと、文句は言ってくるかも知れねえがそれはそれ。
冒険者にしてはまともな善性を持っているあいつらなら、苦言を灯すのは俺にだけで歓迎自体はしてくれるだろう。
「……それでも充分過ぎるくらいじゃ。無理を叶えてくれて感謝する──」
「ただし条件が三つ。それが呑めねえなら、残念ながらこの話はなしにさせてもらう」
深々と頭を下げようとしてきた爺さんを途中で止めながら、指を三つ立て無料ではやらねえと告げる。
「まず一つ目。こっちから推薦を出す手前、あの嬢ちゃんに適性がなきゃ話にならねえ。だから俺が一ヶ月村に滞在し、嬢ちゃんが冒険者としてやってけるかを測らせてもらう」
指を一つ折りたたむ。
当たり前の話だが、推薦するからにはそれを納得づける素質ってもんが必要だ。
いくら力が強くたって、それに伴う勇気がなければ意味はない。逆にいくら勇気を持っていたって、力がねえのならそれは無駄極まりない蛮勇ってもんだ。
心技体、そして知と幸運。その全てを必要とされるのが冒険者。まともな道から外れ、己が欲に突き進まんとする者だ。
素質ってのは伸ばすことは出来る。だが生み出すことは限りなく難しいのは、折れちまった俺が十二分に理解している。そしてそれは、祝福どうこうで変わるもんでもねえもんだ。
だから俺にあの嬢ちゃんを測らせてもらう。
駄目だと思えば容赦なく、この話は白紙にさせてもらおうと考えるくらいには大事なことだ。
……まったく、死に目の爺さんと娘の最期の時間に割り込むなんて俺もえらい畜生になったもんだな。
「二つ目。憧れてるって言っても嬢ちゃんの意志が肝心だ。村を離れる気がねえってなら、それが筋ってもんだ」
また一つ、指を折りたたむ。
結局、決めるのも進むのも嬢ちゃん自身だ。俺や爺さんがどう話したところで、あの嬢ちゃんにその意志がねえのなら、それを尊重するのが筋ってもんだ。
……はっきり言って、俺は祝福一つで慌てふためくことはねえと思っている。
何を持っていたってどう使うは本人次第。使いたくねえんなら、それこそ世界が滅んだとしても、無理する必要はねえだろうよ。
「そして三つ目。爺さんの死を見届けさせる。それが最後の条件だ」
最後の指を折りたたむと同時に、予想していなかったのか爺さんの目が僅かに動く。
「爺さん病気について隠してるだろう? んで死ぬ前に旅に出すことで、死ぬ瞬間を見せねえようにした。そんなところか?」
俺の言葉を聞いて、爺さんは水入れを覗くだけで、否定の言葉を口にしなかった。
「……死は冒険者にとってこの上なく近えもんだ。娘を地獄に放ろうってもんが、それを遠ざけようとするのは優しさとは言えねえよ」
冒険者なんてのはいつ死ぬかも分からない、得るもんの割に合わねえ生き方。
自らのせいで仲間が命を落とすこともあれば、依頼の合間に大切な人間がいなくなっているのは珍しくもないことだ。
そんな地獄に進ませたってんなら、せめて身内の死には立ち会わせてやるのが優しさだろう。
死を見るのは辛いことだ。けれど生きている以上、目を背けることは出来ないのが死ってもんだ。
大事なのはどう向き合うかってことだ。
いつか来るお別れに。そしてこれから待つであろう別離に向き合う機会を与えるってのが、子供にしてあげられる最後の仕事だと思う。
……まあこちとら親になったこともねえし、もしかしたら的外れなこと言ってるんのかもしれねえけどな。
「……そうじゃったな。そんなことすら忘れておったとは、儂も随分老いてしまったのう」
爺さんは窓の外に目を向けながら、先ほどまでとは違う年相応の老人の姿を見せる。
「……失礼したのうジルバ殿。先の条件、心よりお受けいたしまする。どうかあの娘を宜しくお願いします」
「……ああ、了解した。それで良いならば受けさせてもらうさ」
何秒もこちらに頭を下げ続ける爺さんに、了承する。
まったく、自分でも情けないくらい流されやすい。これじゃああいつらを馬鹿には出来ねえな。
いつの間にか、部屋の外にあった気配が離れていくのを感じながら水入れを持つが、そういえばもう飲み干したんだと思い出す。
……爺さんは気づいてねえが、まあこれで良かったんだろう。どうせいつかは知らなきゃいけないことだ。後はあの嬢ちゃん次第だしな。
「……それで結局、嬢ちゃんの祝福ってのは何なんだ? そこまで言うってんならあれか? かの有名な理屈抜きとか絶魔性なんかか?」
「……それよりも遙かに恐ろしく凄まじい、未知の力じゃ」
歴史に名を残す有名どころすら対したことはないと、爺さんの言葉は暗に告げるかのよう。
そこまでの祝福ってのは、一体?
「──祝福の名は聖歌。かつて救世を為した勇者の一員。大聖女が持っていたとされる、最初の祝福の一つじゃよ」




