食事
久しぶりの風呂は、若干陰気な気分を引っ張っていた我が心を吹き飛ばすほどには気持ちの良いものだった。
村巡りの醍醐味である天然の湯が湧き出ていないのは少し残念だったが、それでも疲れを癒やすのには充分過ぎるほど。大竹の中に湯を沸かすのは割と珍しくもないことだが、その中の心地良さは今までも随一と言って良いほどだ。
ありゃそのまま街に持って行っても良い値で売れると思う。外の連中は耐久度ばかり気にしてるから、こんな風に入る奴の気持ちに寄り添ってくれるもんを作って欲しいね。
「……うめえな。緑草原の兎っていうのは、もっとぱさついて透らねえもんだった気がすんだけど」
「焼き方にちょいと工夫があってのう? 村で育てている玉果実で作った酒で煮込めば更に効果倍増! 舌で溶ける果実酒煮込みの完成ってわけじゃ」
旨いじゃろうと言わんばかりの誇らしげな顔を見せながら、バルドの爺さんはこちらの水入れに酒をつぎ足していく。
肉も酒も悪くねえ。基本食えれば上等な冒険者家業、旅の最中はあまり味を気に出来る料理の腕がねえってのもあるが、それにしても美味しく感じる。
「不思議な村だな。規模はちょっとましな程度なのにこうも質が良いとは、指導者が優れてる証拠かぁ?」
「滅相もない。発展とは住む者の心根次第、儂はただその意に知恵を貸しただけじゃよ」
照れくささを隠すように酒を呷った爺さんの水入れに酒を注ぐ。
この村は爺さんにとって大切なもの。ちょっと話しただけの俺にそう思わせるくらいには楽しげな笑みがあった。
「それに、なんと言ってもうちのシアが作ったんじゃ! まずいといったらいくら恩人でも叩きだしてやるわい!」
「もーやめてよおじいちゃん! さてはすっごく酔ってるでしょうー?」
「当たり前じゃ! 折角の客人、嗜む酒も悪うないが、やはり誰かと楽しむのも一興じゃよ!」
甥を知らないのかと言わんばかりに年を感じさせない呑み具合。
ちょっと大丈夫かと思ったが、隣にいたクレイシアが小声で途中からすり替えてると言ってきたので問題はないのだろう。
そんなこんなで食事も話も弾んで、あっという間に皿に盛られた料理はなくなっていった。
村についてや愛娘の自慢話など、爺さんも話し相手が欲しかったのか、止まることなく話題は広がり続ける。
クレイシアも最初は付き合ってくれていたのだが、段々面倒臭くなったらしくお皿を片付けると先に休むと下がってしまった。
というわけで俺はこの飲んだくれ爺さんが潰れるまで接待だ。まあ酒場とかで慣れっこだし、乱闘騒ぎにでもならなきゃ嫌いじゃねえから構わねえけどよ。
……酒と言ったら、酔っ払うと急に言葉が棘だらけになる幼馴染の一人を思い出す。
思い返せばあれは酒癖から人を辞めていた。何せ種族から酒豪とされる獣族や鎚族共に引けを取らなかったからな。
あれ結構うちの財政に響いてたしな。まあその分、素面の時は糞ほど有能で、俺より遙かに稼いできてたし別に良かったんだけどな、ははっ。
「──本当に好い娘に育ってくれたわい。あの娘は儂の宝じゃよ」
「そういや孫じゃねえんだな……って悪ぃ、忘れてくれ」
「っんぐ、構わんよ。血が通わずとも儂の大事な娘に変わりはない。大事なのはどこで生まれたかではなく、どのように共にあれたかだと思うんじゃよ」
少し口が滑ったのを気にせず、そう言ってくれる爺さん。
「……もう出会ったのは十五年前か。あの日は酷い雨でなぁ? 儂も旅の最中にたまたま小屋に寄らな巡り会うこともなかったんじゃ」
爺さんの口からぽつぽつと、どこか懐かしむように過去は呟かれる。
「さもしい毛布に包まれ捨てられておった一人の少女。ひもじさ故珍しくもない子捨て、儂も最初は助けはすれども育てる気概は持ち合わせてはおらんかった」
「……でも育てたんだろう?」
「……打算はあった。同情とは別に、この娘には生きなければならぬ理由があることを勝手に見てしまったのじゃ」
爺さんの言葉に少しばかり疑問が過ぎる。
生きなければいけない理由……ねぇ。普通、人は生きるに値する理由を見つけるために動くもんで、その強制が求められんのは王族貴族のお偉いさん、或いは生まれながらの英雄くらいなもんだ。
そしてそれは、人の肉眼で測るなんて真似は出来っこない。
それが捨てられた赤ん坊からわかることなんて、どう間違ってもないだろうと思うが。
「……爺さんの瞳、つまりは異眼で見たってわけだ」
「ほっほ、一応は隠蔽を施しているんじゃがのう。流石に優れた冒険者ともなれば、一目瞭然というわけじゃな」
そう言ってはくれるが、残念ながら俺が優秀ってわけではない。
爺さんの一応って言葉に謙遜はない。見た目と表面の魔力を誤魔化しているだけの張りぼて隠蔽なんて、それこそ機会があれば見抜けるようにはなる。
俺の場合は魔眼持ちに会う機会が多かっただけのこと。身内にはいなかったが、それだけ会う機会があるくらいにはいろんな冒険をしたからな。
「識別の異眼といってのう? 人の才、つまり見た者の祝福を知るだけが能でしかない、掘り起こしが出来るだけの赤眼じゃよ」
爺さんが右目に僅かに魔力を通すと、隠蔽が解かれその姿が露わになる。
鮮血を凝縮したような紅い瞳。人が本来持つことのない色を持つその目は、まさしく魔眼に他ならない代物。希少な物ならくり抜かれてでも流通されることもあるくらいには厄介なもんで、祝福とは違う、女神の関わらねえ奇跡の産物とされる物だ。
ま、この話の本題が異眼じゃねえからどうでも良い。
俺は人の目抉ってまで金を得たいなんて思わねえし、なにより持ってる側も苦労しているってのを知っちまったからな。
「……祝福を見抜く……ねぇ。風貌しか酔ってねえ癖に、随分厄介なもんを聞かせてくれるよな」
「なーにお主を信頼してのことじゃよ。その若さで二等星まで達したもんなど、そうはおるまいて」
「……残念ながら、俺ぁおこぼれ貰ってた張りぼて野郎に過ぎねえけどな」
突かれたくない話題から逃げるように、水入れに残る酒を全て喉に流し込む。
情っさけねえことだ。こんな爺さんの悪気の欠片のねえ言葉にびくつかねえといけねえなんてな。
「ジルバ殿、一つ依頼を頼みたい。お主の人柄とその力を見込んでの頼みじゃ」
そう切り出す爺さんの表情には、やはりどこにも酔いなぞ巡っていなかった。
実に真剣そうに、それこそ最初に出会ったときに見せたクレイシアを思うときのような真面目な雰囲気を漂わせていた。
「……断る。さっきも言ったが俺ぁもう降りる身だ。こんなへなちょこ一人に何かを頼んでも、碌な答えは返ってこねえぜ爺さん」
「そうはいってものう? 仇で返すようで悪いんじゃが、儂にとっても聞いてもらうしかなんじゃよ。何せ儂にはもう、時間が残されてはおらなんだ」
どういう意味だと、そう聞こうとする前に爺さんは着ていた上着を脱ぎ去る。
いきなりなんだと困惑するが、それを容易く呑み込ませるくらいには、驚愕に値するもんが俺の目に映り込む。
老人とは思えぬほどに鍛え上げられた肉体。爺さんの道の結晶に混じり込む銀の異物。
それは人にあるまじき鉱石が如き凝固。まるで皮膚が人ならざるものに置き換わるかのような症状。
「……竜晶か」
「左様。この身は既に冒された身というわけじゃ」
──竜晶。
全身が堅い鉱石へと変貌していく病。その硬度と外装が竜の皮膚を思わせることからそう名付けられたとされる、未だ対処方なき不治の魔力症の一種だ。
俺も実例を見たのは一度きり。それも完全に結晶化してしまった、成れの果てを見たとというだけだ。
……ってことは、つまり爺さんはまじで死にかけてたって事か。
やべーな。竜晶についてよく知らねえけど良く生きてられたと思うわ。
「……んで? 同情誘うために自分の身まで持ち出して、一体何させたいんだ?」
爺さんには悪いが引き受ける気は無いと。安易にそう告げるためにわざわざ棘のある言葉を含ませて、俺は爺さんに問いを投げ掛ける。
死にかけの爺さんの願いなんて厄介事。今の俺には荷が重すぎるからと、いっそ薄情すぎる自らに再三嫌になる。こんな時、あいつらなら笑顔で引き受けるんだろうな。
「あの娘を……シアをこの村から連れ出してくれやしないかのう?」
そんな俺の心境を知ってか知らずか。それでもはっきりと口に出される頼み事。
爺さんからの頼みは案の定、俺にとってこの上なく面倒事でしかないものだった。
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