一息
クレイシアをしこたま説教していた老人から家に通されたのは、説教が始まって十分後のことだった。
老人の名はバルドというらしい。バルドといやあ、確か大聖堂の先々代聖氏がそんな名前だった気がするが、何か関係があったりするんだろうか。
……ねえか。その爺さんは噂じゃあ神聖山に籠もったって話だし、名前が一緒なだけの別人だろう。
ま、爺さんの素性やその物珍しい目をいちいち詮索する気はない。大事なのはとっととこの一件の話を付けて、旅の終わりに戻ることだ。
「ほっほっほ。それでジルバ殿、本当に報酬はそれで宜しいので?」
「……ああ。助けたのだって通りがかった偶然だしなぁ。そこまで取る気はねえよ」
案内された部屋の椅子に腰掛けながら、バルド爺さんと報酬の話を進めていく。
我ながら殊勝な心意気だとは思うが、別に裏に意図なんて隠してやしない。冒険者であった頃なら他の奴が比較的無頓着だったこともあり、切羽詰まってたりよっぽど性悪な奴ならちょい口も回したりはした。
けれど今は見ての通りの根無し草。これから帰郷するつもりの放浪者にそこまでの銭は必要ないし、言葉通りそこまで求める気は無かった。
それに爺さんには話してないが、診察って第二の理由もなくなっちまったんだ。そんな中ただのお守りで大金貰うってのはちょっとなぁ。
……ま、これで嫌みな奴ならふんだくってやったんだがな。まったく、嬢ちゃんは良い環境で育ったとつくづく思うよ。
「……しかしジルバ殿。愛娘を救われたこの恩義をそれっぽちの報酬で終わることなど出来ません。せめてもう少し、ほんの少しで良いので足させていただければと」
「断る。そう言って割に合わねえもんでも出されちゃ困るのは俺だ。俺を恩人と言ってくれるなら、せめてそいつに罪悪感を持たせないでくれんかね?」
食い下がってくるバルド爺さんに直球で拒否を意を伝える。
面倒くせえ。取らないっていってんだから大人しく納得してくれれば良いんだがねえ。
叱られまくって言葉を挟む余地がなさそうなクレイシアを放置しながらも、先ほどから進まない話し合いはなおも平行線を辿り続ける。
驚く不毛なこの言い合い。気がつけば窓から見える空の色は変わり始めており、少しばかり空腹に負けそうになってきた。
「……じゃああれだ。この村に滞在してる間の面倒を見てくれ。少しばかり長旅で疲れてるから、ここらで少しばかり休息を思ってた所だしなぁ」
今閃いた感じを装いながら、先ほどから考えていた妥協案を口から零す。
出来ることなら余計なことはせずに立ち去りたかったが仕方がない。ちょっと休みてえのは事実だしな。
これでも納得してくれるかはちょっとわからねえが、まあこっちが出す提案ならこれ以上は渋れないはずだろう。
「…………ではそのように致しましょう。これから食事の準備を致します故、来客用の個室にてご寛ぎ下され」
「なら湯浴びは出来るかい? 飯前に汗を流してえ」
「かしこまりました。では十分ほどで準備いたしますのでそれまではお待ち下さい」
ありがてえ。せっかく落ち着いて飯が食えるってなら、先に洗い流しておきてえからな。
最後にちゃんと入ったのはバンデルの宿屋。簡易で湯垂らしを組み上げたり水浴びしたりはしたが、それでもゆっくり入る風呂には及ばねえ。
その辺冒険者共は雑で嫌になる。汚れ落としの魔法とたまの水浴びで充分、なんて言う連中が多くて嫌になるわ。
「この部屋です! お湯が沸きましたらまた呼びに来ますので、それまで休んで下さいね!」
「はいよ」
風呂に思いを馳せながら、クレイシアに案内された部屋に鞄を置き腰を下ろす。
へえ、中々悪くねえ部屋じゃん。急な来賓だろうに掃除が行き届いてんのが、あの爺さんの人柄を表しているようだわ。
「……はあっ」
一段落付いたことで湧いて出てきたため息。そういや、こんな風に一人で落ち着いたのは随分と久しぶりだなぁ。
思えば故郷を飛び出してから早五年とちょい。最初こそ良かったものの、冒険都市に本拠地構えてからはまともな休みなんかなかったからな。
こちとら五つ星にいた頃は仕事三昧。折角みんなの憧れ冒険都市にいても、物色や観光なんて碌に叶いやしなかった。
側にいたのはあんな多忙の中、遊んだり青臭い青春の真っ只中にいれるような化け物達。本当、つくづくいる場所の違いってもんを実感させられた気がするわ。
……嗚呼嫌だ。また後ろ向き僻みまくりの悪循環。腕のこいつがうっきうきに人の悪心を掻き立てて仕方ない。
ちょっと寝ちまおうっと。そうすりゃ嫌なもんも見なくて済む。少なくとも、その瞬間だけは自らの心に優しくなれる。
思考を放棄し瞼を閉じると、意外とすぐに意識が落ちようとする。
意外と疲れていたらしい。嗚呼全く、やっぱり実に情けない体力だなぁ…………。
夢を見た。それは遠くもなく過去の一部──俺にとっての苦難の日々の一欠片。
其処は荒れ果てた火の荒野。かつて人が生存を諦め捨て去ったとされ、今は傷多き灰色の火蜥蜴に支配された赤色の大地。
『ジルバっ!!』
倒れ込む俺の前に立ち、心配の声を上げながら紅蓮の波を捌き続ける男が一人。
そいつはかつては共に並んでいた者。志を共にし、駆け出しの頃はまだお互いに説破琢磨していけたであろう友の姿。
──そしてこのときのように。もうすっかりと背中しか見えなくなってしまった、本物の憧れになった男の姿。
放たれた紅蓮は人の及ばぬ紅き鱗の竜の咆哮。
常人と才ある者を分けることのない、人には届かぬと太古に定められた暴虐が放つ殺意の炎。
どれだけ準備しようと抗えるものではなく、自尊という名の心の柱を容易く吹き飛ばす埒外の怪物。
だがそんな火竜に欠片も怯えることなく、目の前の男は震えも見せずに、魔力を乗せた剣を握りしめながら挑み続ける。
俺はそこで折れてしまった。進み続けることに怯え、立ち止まって手を伸ばすだけの愚か者に成り果ててしまったのだ。
人はどれだけ強くなろうとも。どれほどまでに鍛え、成功を積み上げたとしても。
どれほど夢に焦がれようとも、どんなに誰かのために何かをしたいと思ったとしても。
──災厄には向かう才能が必要なのだと、その事実を理解らせられるには十二分で余りある光景だった。
『──理解しろ。お前は弱い』
そうだ、俺は弱い。俺には冒険者には向いてない。──俺は、こいつらにふさわしくない。
かつて憧れ描いていた夢を追うにはあまりに矮小な存在なのだと。その瞬間、ようやく認めることが出来たのだ。
「ジールーバーさーん! 起きてくださーい!」
俺を悪夢から呼び戻したのは、クレイシアの無駄に大きい声だった。
頭を揺らし夢の残滓を振り払う。ああ目覚めがわりい。寝ても覚めても嫌な思いしなきゃなんねえとか、ここは地獄か何かかよ。
「すっごい魘されていましたけど大丈夫です?」
「……何でもねえ。それより呼びに来たって事は」
「はい! お風呂の準備が出来ましたので、どうぞ付いてきて下さい!」
クレイシアは一瞬こちらに心配そうな顔を向けてきたが、こちらに問題がないとわかるとすぐに表情を笑顔に戻し部屋から出る。
ああまったく情けねえことだ。降りたのは自分の意志だっていうのに、こうもうじうじ悩んじまうのは悪い癖だ。
鞄に手を突っ込み、着替えを取り出してクレイシアに付いていく。
風呂でも入れば少しは気も紛れるだろう。だから隣でまだ心配を隠し切れていない嬢ちゃんに気づかないことにしながら、その後を歩いて行った。
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