少女の依頼
「いやー、本当に感謝してもし足りないくらい感謝ですよ!」
隣を歩きながらそう言葉を発するのは先ほどの少女。あんなに泣きじゃくっていたのがすっかり嘘のようだ。……ちょっと前まで命の危機だったのわかってんのかねこいつ。
「それにしても強いですねお兄さん。あんなに大きな獣をバッサリと!! もしかして、名のある冒険者とかだったり?」
「……残念ながら腕利きじゃあねえよ。ところで嬢ちゃん……名前は?」
「……あっ! そういえばまだ自己紹介してませんでしたね!! では改めまして……。私の名前はクレイシア、クレイシア・バートリーです。よろしくお願いしますね!!」
隣を歩く少女──クレイシアは思い出したかのようにこちらに自己紹介を始めてくる。
幻想的なお伽噺の登場人物──純雪華の白少女。汚れのない白を想わせ、誰よりも綺麗で尊い人間に育って欲しいという願いを込めて付けられる、さして珍しいわけでもない名。それでも、子供の将来を考えない人間のつけることのない優しい名前だ。
「クレイシア……ね。そいつぁ随分と良い名だ」
「そうですか? おじいちゃんが付けてくれたんです!! 誰よりも綺麗に育って欲しいって!!」
「……そうかい」
名前を褒められるととても照れくさそうに、それでも嬉しそうな笑顔を見せるクレイシア。
なるほど。中身については知らないが、中々見ないくらいの端麗な容姿を持つこの少女を見る限り、こいつのじいさんの願いはしっかりと届いているみたいだ。
「俺の名前はジルバ。……んで? そんなじいさんと暮らしているクレイシアは、どうしてこんな所で魔獣に追われていたんだ?」
「……実はどっかたくさんの人がいるところに、どうしても行かなくきゃならないんです」
ついさっきまで見せていた嬉しそうな表情から一変し、わかりやすいほどに焦燥と失意を顔に描くクレイシアに話を聞く。
なんでも三日ほど前、彼女の育ての親であるおじいちゃんが熱を出しのだとか。すぐに薬を飲んだのですぐに熱が引くと思っていたのだが、どうしてか熱が二日ほど続き、それでたまらず村を飛び出し街に向かおうとしたらしい。
人の少ない村で有事に対処できず外部に出ていく。成る程、単純だが良くある話。特に人の少ない村で医療に通ずる者は本当に希少だ。対応出来る人がいないのであれば、思わずといった気持ちも十二分に理解できる。
だが随分と──それこそ子供でもいけるとは思わないくらいには見通しの甘いことだ。仮にこの速度で歩いた場合ここから一番近い街まではおおよそ三日。少なくとも、あの程度の魔獣に対応出来ない小娘一人で辿り着くには準備も覚悟も全く足りていない。それこそ犬死にするのが関の山というものだろう。
「おじいちゃんが言ってました。腕利きの冒険者さんならどんなものでも手に入れることが出来るって。なら、おじいちゃんを治せる薬だってきっとあるはずだ!! って思ったんです……」
この様子を見るに、本人も無謀であることは重々承知だったのだろう。何も出来ないことが嫌でたまらなくて、少しでも抗いたくて懸命だったのだろう。
「……無茶にもほどがある。仮に一番近い街──ドウムの街まで着けたとしてだ。お願いすればただで薬がもらえるなんてことぁない。どれだけ泣き叫んだって無駄に終わる事なんてざらだ」
自分でも厳しく言い過ぎている自覚はある。親しい者でもないくせに人の行動にけちつける権利なんてないことはよくわかっている。それでも誰かが言ってやらないと、こういう奴は止まらず突っ走ってしまうことはもう骨身に染みている。故に、命を救った者として一言言ってやらなければ気が済まなかったのだ。
「……そんなことはわかってます。けど!! じゃあ一体他にどうすれば!! おじいちゃんを元気にしてあげられるっていうんですか!?」
足を止めこちらを向き、目を濡らしながら叫ぶクレイシア。それは先程とは質の違う涙──どうしようもない彼女の本音がそこにあった。
一度吐き出し始めるともう止まらない感情の吐露──この少女の等身大の姿。
止めはしない。今この少女に必要なのは溜め込んでいるものを吐くこと。本当に大事な人を救いたいのなら、一度全部吐き出してから頭を回して動くことが大事なのだから。──冷静でない人間に救える命なんて本当に僅かなのは十二分に理解出来ているつもりだ。
どれくらい経ったか。段々と嗚咽も減り目を腫らして鼻を啜るクレイシア。それでもさっきまでのどうしようもなさ全開の酷い顔よりはましにはなったはずだ。
「……ずみませんジルバざん。……ずびっ、恥ずかしい所見せちゃって」
「気にすんな。割と慣れてる」
クレイシアが申し訳なさそうに謝ってくるが別に気にすることはない。
慣れてるのは本当のことだ。幼少期や冒険者として駆け出しの頃なんかはよく悩みを相談されていて、その時に相手がむきになったり泣いてベッドを濡らしていくことが結構あった。
まあもっとも、最近はそんなことほとんどなかったのだが。……そんなことは今はどうでも良い。
「んでこれからどうすんだ? ドウムの街まで行くなら送ってってやっても良いが、俺は村に帰ることをおすすめするぜ」
とりあえずと挙げたその案に対して、クレイシアは一瞬不満気な表所を見せるがすぐに唸りながら考え込む。まあ納得いかないのは道理。そうやってすぐに割り切れるのなら、それこそ村を飛び出すなんて蛮行は起こさないはずだ。
どんな結論に辿り着いたとしても、とりあえず人のいるところまで送っていくつもりではある。折角助けたのに放り投げて死んでしまったらこの出会いは徒労に終わってしまうし、何より俺の心の後味が悪くなる。
一応、俺個人としては村に帰るという答えに行き着いて欲しいなと思っている。そうすればおじいちゃんとやらも、命尽きる前に娘の悲報を聞かされるなんて悲しいことにならないで済む。まあそもそも、熱が続いただけで重傷ではない可能性もないとは言い切れないし、一旦帰ると言う方が建設的な考えであろう。
「ちなみになんですけど、ジルバさんは診察とか出来たりしませんか?」
「……まあ簡単になら出来なくもない。が、あくまでも簡単にだ。仮に診た所で解決できるっつう可能性は少ねえがな」
小動物を想起させてくる縋るような目つきで訊ねてくるクレイシアだが、残念ながら期待しているような答えは返せない。
もしかしたら対応出来る可能性もあるにはある。少なくともその辺の素人よりは対応出来ることも多いだろう。だが、それはあくまでも素人よりでしかない。中途半端な知識で間違いのある診察をしてしまい、その結果更に死を近づけてしまうなんて自体を引き起こしかねないのだ。
……薄情だと思う。けど期待させて落とすよりは、最初からそう言ってしまう方がまだ誠実だと思うからこそそう告げたのだ。
「──お願いします。それでも診てもらえませんか? お願いします!!」
それでも俺の正面に立ち、頭を下げてくるクレイシア。
その姿勢だけでの伝わってくるおじいちゃんへの愛。これを見せられて断れる人間なんてそうはいないだろう。……しょうがない、ちょっとだけ頑張ってみるか。
「……まあ、期待はしないこった」
「──!! ありがとうございます。ありがとうございますっ!!」
俺の返事を聞いて、また涙を流しながら俺を言ってくるクレイシア。
本当に久しぶりに掛けられた他者の重み。それを裏切らないようにと、この寄り道に気を引き締めた。
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