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別れ、そして旅立ち

 俺が村に戻ったとき、爺さんの容態は既に限界に近かった。

 側で泣きながら手を握るシア。爺さんの体はほとんど結晶化しており、後僅かで命が尽きるであろうと尽きるのを容易に理解させる姿に成り果てていた。


「……爺さん」

「師匠助けてっ!! 爺ちゃんがっ、おじいちゃんがっ!!」


 すがるように泣き叫ぶシアに、俺は掛ける言葉を見つけることは出来なかった。

 ゆっくりと爺さんの側まで歩いて行く。近くで見る顔は苦しそうではあるものの、それでもこちらを見た瞬間僅かに顔を動かして笑いかけてきた。

 

「……来てくれたか。最期に会えて嬉しいのう、ジルバ殿」

「……約束を守りに来たぜ、爺さん」


 泣きじゃくるシアの頭を優しく撫でながら、つい昨日までと変わらないように話しかける。

 爺さんの声は、痛みなぞ欠片もないかのように錯覚させるほどに優しく穏やかな声だった。 


 言葉を吐こうとして、僅かに起こる躊躇いが喉を遮る。

 言ってしまえばもう覆すことは出来ないと、それをわかっているからこその一瞬の間。


「──依頼は受ける。必ず、あんたの娘が一人で立てるようにするよ。……だから安心しろ、爺さん」


 けれども、この言葉は自分でも驚くくらいにははっきりと口にすることが出来た。

 本当はもっと早くに言うべきだった。こんな今際の際ようやく素直になれるなんて、本当に、どうしようもないくらい情けないと思う。

 だからこそ、もう取り消すつもりはない。例えどんな高名な奴がこいつをほしがろうと、こいつが俺から離れたいと言うまでは一緒にいてやる覚悟を、ようやく持つことが出来た。


「……そうか。なればもう、気負うことはなくなったのう……」


 爺さんは安心したように安らかな顔をして、眠るように目を瞑る。

 全身は完全に結晶に置き換わり、もう二度と動くことを許さない。心臓の鼓動は止まり、もう二度とその優しい声色を聞くことはない。

 

 ──旅路の終わり、長い長い人生の果てに爺さんは辿り着いたのだ。




 葬式は慎ましくも盛大に行われた。

 村の誰もがその死に戸惑い悲しみ、涙を流しながら彼の死を弔い続けた。


 竜晶による死体は焼くことは出来ない。

 だから結晶となった爺さんの死体はそのまま棺桶に入れられ、残された遺言通りに従い、村の外れにある一つの墓に埋められた。

 シアの話によるとその墓には、かつてこの村を発展させたもう一人の賢人──話に聞いた爺さんのもう一人の旅仲間が眠っているらしい。

 

 ……仲間と共に眠る、か。

 その気持ちを俺は想像できない。貫いた先達と違い、俺はそれを自分で捨てちまったからな。

 

 皆が集まる村の中央から離れた場所。ついこの前爺さんと話した切り株に座って息を吐く。

 

 懐から一本の煙草を取り出し、火を付けて煙を体に染みこましていく。

 先ほど飲んだ果実酒の甘みを掻き消す、糞みたいな薬葉(くすりは)の渋み。久しく味わっていなかった誤魔化しの煙は、今の俺には実に心地良かった。


 ……やはり、目の前で起きる死は滅入って嫌になる。

 死の多い職だと自負してるが、それでも別に死に耐性があるわけことはない。割り切らなきゃいけないのにうじうじと引きずる、そういった面でも俺は冒険者向きじゃないなと吸いながら、ぼんやりと月を眺め続けた。


「こんな所にいたんですね」

「……シアか、もういいのか?」

「……はい。後は私がいなくても回りますので」


 馴染みのある少女の掠れた声が近づき、俺の後ろに腰を下ろす。

 しばらく続く無言の間。煙草の火を擦り消して灰皿に仕舞いながら、何かを話すわけでもなく時は過ぎる。


「……隠し事が多いのは、昔からだったんです」


 やがてシアは、ぽつりぽつりと言葉を零し始める。

 

「お酒隠したり、ちょっと干し肉のへそくりがあったり。けど隠すはへたくそで、態度ですぐにバレバレになるほど雑でした」

「……そうか」

「そのくせ私が何かを隠すとすぐに怒るんですよ。自分が都合悪いと口笛吹いて誤魔化したり、だから腹いせで夕食を全部豆にしたときの顔は今でも笑いものです」

「……そうか」


 次々と、止まることなく思い出を語り続けるシアに頷き続ける。

 初めは上擦った声で矢継ぎ早であったが次第に言葉は詰まり、抑えが効かなくなったかのように涙を流しながら、それでも止まらず続けていく。


「……なんで、なんで先に逝っちゃうんですか……」


 やがて言葉はなくなり、少女の慟哭だけがこの場に響く。

 背中に重みと水気が積る。けれどそれも仕方がないと、啜り泣くシアの感情をそのままに動くことなく受け止める。


 少女の叫びはどこまでも。

 いつまでもいつまでも、月が真上を過ぎるまで止むことなく、その悲しみは吐かれ続けた。



 

 翌日。俺は旅支度を済ませ、村の入り口で時間を確認しながら空を眺めていた。

 爺さんが死んでしまった以上、俺がこの村に残る理由はなくなった。わざわざ俺のために部屋を開けさせるのも忍びないし、ここらが立ち去り時だろう。


 銀色の懐中時計を開いては閉じ、またそれを繰り返す。

 今見た時間は九時も佳境。短針は十を示す直前で止まり、約束の時間まであと僅かだということを示している。


 ……それにしても遅いな。まさか来ないなんて事はないよな?


「お、遅くなりましたー!」


 今更ながらにちょっと不安になっていると、ようやく聞こえてくる少女の声。

 大きなバックを背負ったシアは、如何にも全力ですと言わんばかりに焦りながら走ってきた。


「遅い。来ないかと思ったぞ」

「師匠が急すぎるんですよ。皆にお別れ言ったり荷物を纏めたりで大変だったんですからー……」


 くたびれましたと遠回しに文句を言ってくるがまあ無視しておこう。

 こっちももしかしたら来ないのかなーとか思ったからな。その辺鑑みてもおあいこってことで良いだろう、うん。


「……良いんだな?」

「はい。私は進みます。爺ちゃんの言葉通りに、私の思いのままに」


 一度改めて確かめるが、返ってきたのは迷いのない返事が一つ。

 決意は固い、か。ならば俺が言うことは最早何もない。この小さな冒険者の旅立ちを祝おうじゃないか。


「ならとっとと行くぞ。付いてこい、シア」

「──はいっ、師匠!!」


 来た時と同じように、隣に歩く少女と共に村から離れていく。 

 違うのは俺の心だけ。全てを放り投げ哀れな負け犬であった俺は、これからに希望を馳せる愚かで馬鹿──少女(シア)と同じ、冒険者だ。


「それで師匠。これから何処に向かうんですか?」

「……そうだな。とりあえずはでかい街、お前に必要な物を買わなきゃな」


 柄にもなく気持ちを昂ぶらせながら、少女と共に旅を進めていく。

 

 こうして始まる二人の冒険。

 多くを背負うであろう少女と再起した冒険者。その道行きに何があるかは、女神にすらわからないであろう──。

読んでくださった方、ありがとうございました。

次はもっと読んでもらえるようなものを書きたいです。

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