龍の炎
地を駆け炎を掻い潜りながら、空から見下してくる糞魔族の隙を伺い続ける。
実力的にはおそらくほぼ五分。技術や戦いは俺の方が上手、それ以外はあいつが有利だと推測できる。
何より厄介なのはあの羽。魔力なしで飛べるっていう種族の差が、こちらが不利である大本だということはよくわかっていた。
──あれさえなければ問題ない。だから、やることは一つだ。
「おいおい!? 惨めな虫みてえに動き回って、一体いつまで逃げれんだァ!?」
魔族は俺を嘲笑いながら、更に炎の数を増やしていく。
既に地面は焼け野原。箱で遮ってるから燃え広がりはしないが、それでも俺の足場はどんどん埋め尽くされてきた。
我慢しろ。俺には特別な力なんてない、準備もなしに飛翔なんてことは出来ねえんだから、やるべきことは明白だろうが。
──だから勝手に盛り上がってろ。その興奮が油断に変わるとき、それが俺の好機だ。
「そらそらどうしたァ!? 立派なのは言葉だけかァ!?」
拳で炎を弾き躱していると、段々と言葉にいらつきが募ったような暴言へと変わっていく。
炎もより乱雑に。いたぶるように細かく散らされた火粒が、一気に潰すかのような大きな火の玉が増えてくる。
そろそろ来るだろう、冒険者としての数年の経験則がそう予感する。
短剣に耐えられるだけの魔力をつぎ込み、その一瞬を逃さぬよう足を動かし続けた。
「ちいィ鬱陶しい!! こいつで終いにしてやるっ!!」
ついに限界が来たのか、感情を荒れ狂いさせながら魔力を空に集めてる男。
巨大な巨大な大きい炎の玉。普通の人間ならば近づくだけで骨と化すだろう業火の塊が、一気に空に形成されていく。
「死ねェ!!」
──これだ、これが好機だ。
こちらを焼き尽くそうと迫る大火球。まともに当たればそれでお陀仏、そうでなくてもその熱量だけで致命傷になりかねない一撃。
だがそれは俺にとって何よりも待ち続けていた戦局を変える、うってつけの一発でもあった。
姿勢を低くし一気に速度を上げ、一気に火球の攻撃範囲から距離を離す。
こんな大きなもん出しちまったら視界なんて当てになんねえはず、おまけに決めの一撃だってんなら、自覚はなくとも油断は出ちまうもんだ。
炎を吹き飛ばす勢いのまま飛び上がり、魔力の壁を蹴って男の背後に詰める。
男も俺に気づき、背後を向こうとするがもう遅い。短剣は振り抜かれ、砕ける音と共に片翼を切り払う。
「──ァアアアアッッ!!! ち、くしょうがァっ!!」
怒号と悲鳴を混ぜながら、男は空から引きずり落ちていき、落ちるように不時着する。
これで良い分。短剣は今ので折れちまったが、まあ安物一本でここまでの成果が得られるならもう十二分に釣りが来るってもんだ。
「てめえェ……!! なんてことしやがった!! この糞野郎がァ!!」
「ああ悪い。あんまりのんびり飛んでるから、ついばっさりやっちまったよ」
再度強化と耐熱を見直しながら、キレ散らかす男を冷静さを欠けさすように言葉を投げる。
……魔力量にそこまで変化はない。魔族は体の全てを魔力で構成する種族、どれだけ部位を損なおうとも、その力が尽きなければ再生も容易な生き物だ。
一瞬で片を付けるには魔核を打ち抜くしかない。
ったく、どうして只人以外の奴っていうのは、どうして死ににくい連中ばかりなんだろうな。
「羽は奪った。どういう気分だ? 散々罵った只人と同じ目線になるってのはよ」
「ぶっ殺してやる。ぶっ殺してやるぞゴミ屑がァ!!」
最早まともな言葉を発さなくなった男、その形相は獣同然。
暴走同然に吹き荒れる魔力。予想を大きく超えるその力の嵐は、展開された箱の軸である短剣に罅を走らせる。
……所詮は二流の魔法、これ以上はさすがに持たないな。
今針を投げてもあの嵐に阻まれて終わりだろう。幸い怒りの矛先は俺に向いたし、箱を気にせず時間を掛けて倒しても問題はない。
だが、それではいつになるかはわからない。
一刻を争うであろう爺さんに、伝えなければならないことがある。だから時間を掛けるのはなし、相手が冷静さを欠いているこの瞬間にこそ、決着を決めなくてはならない。
頬から滴る汗を感じながら息を吐き、呼吸を整える。
──覚悟を決めろ。こんな力、ここで使わなければいつ使うってんだよ。
「……あいつの門出にはこれくらい派手なのは丁度良い。なあ、そうは思わないか?」
「死ねえェェィ──!!!」
返ってくるのは耳に響く雄叫び。だが構わない、これは確認であって返答など求めてないのだから。
右腕を前に向ける。外れ掛けの蓋から零れるように、内にある黒は飛び出そうと暴れ始める。
「さあ出てこい、クソッタレな黒炎よっ!!」
──その瞬間、その黒は炎となり一気に溢れ出す。
禍々しく蠢くそれは、周囲の火を掻き消しながら一気に男に迫っていく。
回避は不可能。既に勢いを殺しきれない男は抵抗する間もなく、その黒炎に飛び込む形で呑み込まれる。
「グギャアアアア──ッ!!!」
強引に炎を断ち、腕の中で暴れ狂う黒を抑え付けながら男の砲を見る。
男は藻掻き苦しむもその炎を振り払うことは出来ず、存在の源たる魔力ごと焼き尽くされていく。
──無駄だ。逃げることなど出来やしない。
その炎は竜の吐息。地獄に行こうが勝手に付いてくる、忌々しい呪いに他ならないのだから。
「馬鹿、な……。灰龍の業火を……最上位の加護を、只人なんぞが行使するなど……」
あり得ないと、人の言葉に戻りながらそう嘆きながら朽ちていく男。
……加護、こんな力のことをお前達はそう呼ぶのか。
文化の違いに嫌気が差していると、ガラスが砕けるような音が周りに響き渡る。
箱も限界を迎えたか。まあ俺如きが張ったもんにしては良く持った方だと賞賛していると、炎の中から弾かれるように何かが空に飛び出していく。
千切れた上半身でこの場を離れようとしている男。
……無意味なことを。あれほど俺を煽るなら、負けた最期も吠えて見せろってんだ。
身勝手ながらに失望しながら、取り出した針に魔力を込める。
狙いは一点。あの死に体の中で僅かに魔力が集中している部位──奴の核の中心。
「伝えなくては。あの方に、伝えなくてはっ──」
針は男の脳天を貫き、それで力尽きたのを示すかのように墜ちていく。
奴の魔力は完全に枯渇。これで逃げられたのならそれはもう相手を賞賛するしかない、それくらいには完全に決着が付いたと確信した。
それでも警戒を緩めまいと巾着からにある鞄を取り出し、その鞄から剣を取って死体に近づいていく。
焼け爛れた皮膚で苦悶の表情のまま固まる男。魔力で構成された体はその核を失い、徐々に空に散らばり始めていた。
……核がなければ死体が残らねえのが魔族の特徴だったか。道半ばで果てりゃ弔えねえってのは、人になくて良かったと思えるもんだな。
「……ん? こりゃさっきの奴か」
ふと目に入った、地面に転がる銀色の鈴を手に取る。丁度男の手があったくらいの位置を鑑みるに、死の間際ですら握りしめていたらしい。
祈りながら死んでいくような男ではなかったと思う。であればこれはよっぽど価値のある物、或いは命をとしてなお守り抜かなければならなかった物、ってことになるのか。
軽く揺らしてみるが、僅かに耳障りの良い音が鳴るだけで何も起きない。
……ま、残念ながら俺は専門家じゃねえんだ。調べたことのある物ならまだしも、見たこともないこれにどれほどの価値があるのか、なんてのは欠片も理解できそうにねえ。
だが一つだけ確かこと、それはこの鈴が俺ではなくシアの嬢ちゃんに反応したってことだ。
何に反応したのかは定かではない。もしかしたら原初の祝福にかもしれないし、或いはそうではないのかもしれない。
けれど特別なもんを持っているって事実は、奇しくもこの魔族こそが証明しちまった。
「……そうだ、爺さんが先だ」
そこまで考えようやく大事なことを思い出し、思考を中断して村まで一気に走り出す。
ややこしいことは後回し。先ほどより明らかに小さくなっている魔力に内心下を打ちながら、更に速度を上げてこの場から離れていった。




