魔族
「おいおい、二度も防がれるたァ思わなかったぜ」
空に浮くヒトもどき。形のみが似通う羽の生えた異形は、俺たちを嗤いながら空から降りてくる。
攻撃してきといて敵ではない、なんてことはあり得ない。ならばわざわざ距離の利を捨ててくる理由は一つ、俺たちを舐めている──ただそれだけだ。
……むかつくが落ち着け。我慢だ我慢、常に冷静を心がけろ。
ここで何も聞かずに殺すと何も分からず終わっちまう。なんで俺たちを狙うのか、その理由を聞いてからにしないと今後に役立たない。
「し、師匠……」
「心配すんな。大丈夫だ」
後ろで不安そうに俺を呼ぶシアに、出来るだけ優しい言葉で安心させようとする。
いきなりすぎるこの状況。いかにましになってとはいえ所詮は未熟な少女、確かに命の危機に敏感になって欲しいとは思ってはいるが、それでもこの状況はあまりに急すぎるものだろう。
……それに、さっき探知できたもう一個の方が重要なことだ。
とっととこいつを村に戻らせねえとならねえ。村の方角で起きた魔力の乱れ──もし予想が正しければ、爺さんの体が急変したってことだ。
「中々やんなァ。只人如きに止められたのは初めての経験だぜ?」
足を地に着け、ゆっくりとこちらに近づいてくる魔族。
何ら構えることのない軽薄な態度。欠片も命の危機とは思わない、傲慢がそのまま歩いているかのような男はこちらを嗤いかける。
「……何者だ。何故俺たちを狙う?」
「言うわけねえだろ……って言っても良いんだがよ、仮にも凌いだお前への冥土の土産に教えてやるさ」
こちらの警戒を意に介さず、まるで酒場で飲んで意気投合したかのように、男は気軽に言葉を吐きながら懐から何かを取り出す。
小さな銀色の何かは僅かに音を鳴らしながら、目が眩みそうなほど眩い光を放つ。
……光っちゃいるが形に見覚えはある。あれは、鈴か?
「魔王様の命は一つ。この鈴が光を灯す程に共鳴する奴を殺してこい、ただそれだけだ」
「……あん?」
「意味わかんねえだろ? けれど魔王様がおっしゃることは絶対。だから渋々遠征に出てきたってわけさ」
不満を隠さない男。どうやらこいつは魔王とやらの使いっ走りらしい。
魔王。そのままの意味ならこいつらの王ってことだろうが、生憎その呼称には心当たりがあって嫌になってくる。
勇者伝承にも登場する滅びの具現。世界の役割において勇者と対を為すとされた、邪神とは異なる厄災が魔王という存在だ。
……嫌になるぜ。不幸ってのはどうして畳みかけてきやがるんだ。
「どっちに共鳴してんのか知らねえが、それにしても流石は俺。こんな面倒臭せえ命令も熟せちまうとはなァ。こりゃあ分隊長からもすぐに上がれそうで震えそうだぜ」
まるでもうやり遂げたかのように悦に浸る男。
今すぐ詰めてぶちのめしたいが、それじゃ駄目だと抑えながらシアの手を掴んで魔力を流す。
(シア、シアっ!)
「……え、えっ?」
(念話だ。声を出さずに手を握って聞いてろ)
傍受されないように直接の念話でシアと心を繋ぐ。
会話は一方通行。念話未経験者が最初にやっちまう、思っていることを口に出すミスを恐れてだ。
案の定不安通り声は出ちまってるが、こっちの指示が聞こえなきゃ別に問題ない。大事なのはこれからの動きに感づかれないってことの方が肝心だ。
(手を放したらすぐに村まで走れ。爺さんに何か起きたかもしれん)
「……えっ」
(落ち着け。かもだ、まだ確かじゃねえ)
遠くで弱っていく魔力が、かもなんてありえないことを如実に伝えてくるが、それでも希望を持たせる。
膨大な不安が流れてくる。他人の感情が一気に流れてくるのが念話の嫌なところだ。
だが気にしてはいられない。おそらくこの無駄話が終われば、あいつは間違いなく襲ってくる。その時真っ先に潰されるのは、この中で一番弱いこいつだ。
(こいつの相手は俺がする。だから気にすんな、お前は爺さんの側に行ってやれ)
「……でもっ」
(問題ねえ。爺さんからもそう頼まれてるからよ。──だから行け)
念話を解き手を放す。
一瞬こちらを見たシアはこちらを頷き、魔力を全開にして一気に駆け抜ける。
「逃がすかっ」
「──おっと」
シアを狙う右手を掴み、その勢いのまま男を空に投げ飛ばす。
どうせその立派な羽で受け身は取れるんだろうが問題ない。どうせ、次の瞬間には追えなくなるんだからな。
腰に刺した短剣を抜き、地面に刺して魔力を流す。今できる時間稼ぎはこれが最善、まともな剣の一つでも出しておくべきだった無警戒な自分に後悔しながら、術式を構築していく。
「より堅くより広く、展開しろっ!」
短剣を軸に展開される魔力の壁。シアに触れるのを阻むか境となるように、俺と男を包む大きな箱となる。
……これでとりあえずは大丈夫。少なくとも、俺を無視して追おうなんてことを出来ねえはずだ。
「……無駄な小細工を。わざわざ逃がしても死ぬ順番が変わるだけ、んなことは誰だって理解できるだろうに、一体どうして死に急ぐんだ?」
「そう思ってねえってだけだろ。頭使えよ青肌野郎」
案の定、男はぎらつく矛先を俺に変えてくる。
禍々しい血染めのような赤の瞳。魔族特有の色をした目は、こっちを鬱陶しそうに睨んできた。
懐に付いた巾着に手を入れ、中から使えそうな物はないか確認する。
……めぼしい物は銀の針が三つに予備の短剣一本か。まともなもんが少ねえのは、整備を怠った俺のミスか。
ちゃんとした装備を出すにはちと時間が掛かる。そこまで時間くれるほど馬鹿じゃねえだろうし、今はこれでやるしかねえな。
男から飛んでくる魔力炎を躱しながら、弛んだ我が身に嘆くが何も始まらない。
針に若干魔力を込め、様子見がてらに眉間目掛けて一投。一本の銀閃は炎の隙間をくぐり抜け、狙い通りに敵を刺さろうと突き進む。
──だが無意味。男の皮膚に当たった瞬間、針は弾かれ威力を失う。
魔力で強化しているようには見えない。あれは奴本来の堅さ、人にはない魔族の強さに他ならない。
「……慎めよっ! 羽もねえ只人風情に、誰が相手してやってると思ってんだよっ!!」
それでも、当たったこと自体が癪であるかのような激昂と共に、男から感じる魔力が上がっていく。
刺さるような圧が肌を本能を刺激する。実に懐かしい気配、逃げたあの日から感じることのなかった、血生臭い殺し合いの感覚。
全身に震えが走る。挑めば負けるつもりはなかろうと、気持ちに反した恐怖が俺を縛ろうと纏わり付く。
──けれど迷うな。固まりそうな弱い自分が嫌に構わない、それでも己を鼓舞し続けろ。
あいつは乗り越えて見せた。なら師匠の俺がそれに立ち止まっちゃ、これから一生顔向けできそうにねえだろうが──!!
「ぶっ殺してやる、この虫けら風情がァ──!!」
「来いよ虫野郎。自慢の羽毟って地面に縫い付けてやる」




