転生幼女(18さい)はおうちにかえる
かわいそうでなきむしなおんなのこが、おうちにかえるおはなし。
その日、カルメール・スピネラの"赤ん坊らしい"産声に、王族御用達の病院…そのVIPルームからは、落胆のため息があちらこちらから溢れたのだという。
スピネラ家は代々聖女と呼ばれる、宗教における最上級…ともなれば国王にも進言できる…"異能者"が産まれる家系であった。
異能者はこの国では非常に稀少で、畏敬の対象である。その異質さからなりたいと願う者は少ないが、そのように産まれたなら即王宮付きになる。将来は約束されたも同然だろう。
だからこそ、スピネラ家は繁栄してきた。
王に最も近く、王が最も信頼し、国が何よりも重宝するのはスピネラの異能者…たいていは聖女を指す…である。
雨を呼び、季節の訪れを告げ、神の声を人々に届ける…例として挙げるだけでも、それは奇跡の羅列だった。聖女なくして豊富な資源も、四季も、神への畏怖も無いのだから。
この世で唯一の聖女が確実に産まれるとなれば、もはや誰もスピネラ家を蔑ろにはできない。たとえ"ちょっとおかしいところ"があったとしても。
今年3歳になる一人娘カルメールは、期待に満ちた胎の中から一転、落伍者の無駄飯食らいとして離れに一人でぽつんと暮らしていた。
どう考えても虐待であり、この国の司法でもそう断定されるほどの扱いだが、スピネラ家には狙いがあった。狙いというより、縋るような希望かもしれない。
スピネラ家の子供…特に聖女は、必ず異世界から知識と共に"転生"してくるのだ。
スピネラ家の子供はみな産声を上げない。それは、往々にして転生の混乱によるものであり、つまり、産声を上げないのは転生者の証明だったのである。
だがそれは確実な判別方法ではない。重要なのはその後だ。
栄養を摂取する際の表情、目の動き、初めて喋った言葉、一人で暮らせるほどに自立しているか…
この虐待は、それを確かめるためのものだった。
聖女であれ!せめて転生者であれ!大穴でただの異能者でもいい!スピネラ家はそう願った。
この国は聖女の進言により発展している。隣国と比べても、その文明は二百年先を行っているだろう。
素晴らしい功績だ。奇跡でしかない。誰もが自らに誇りを持った。この国で生きていける喜びを語った。
そんな聖女が産まれるはずだったのに…
「カルメール様、本当の名前は思い出せましたか?」
本当の名前とは何だろう。であれば、自分は誰なのだろう?
「料理もできないのですか!?」
包丁は怖い物だ。力も足りない、知識もないのに、扱える物なのかしら。
「この文字はどうでしょう?…読めない?そうですか…」
ひらがなという文字も、カタカナという文字も、初めて見る物だった。初めて見るのに、読めるわけがない。
「なんてこと…ここまでだなんて」
母の嘆きと父の冷たい目。それに大泣きすればするほど、周りの声は落胆に染まるのだ。
悲しくて、苦しくて、でも悔しかった。人は向上心で出来ていると頑張って読んだ本に書いてあったし、多分きっとそうなんだろう。
カルメールは泣きすぎてまともに喋れないながらも、"わたくしがんばるよ"と告げて、一人離れに戻っていった。
それからカルメールは頑張った。誰も助けてくれないから、大いに泣いて暴れた。そうしたら構ってもらえるし、仕方がないと面倒を見てくれた。それからそれを観察して、包丁や火の使い方を覚える日々。
この国には中等部までの義務教育制度があるのだが、落伍者と知られたくないスピネラ家はカルメールの存在を隠し続けた。だが、当主夫妻がその行為を続けていると、さすがにおかしいと思った使用人達が、顔色をうかがいながらも接してくれるようになっていった。
そこでカルメールは国の成り立ち、この家の仕組み、そして三つ下の双子の姉弟の存在を知った。特に三つ目は衝撃だった。自分に弟妹がいる!よくわからないけど、ずっとずっと前からそんな存在を欲しがっていた気がするくらい、二人のことが一瞬で大好きになった。
妹は転生者で、弟の方は炎の異能者らしい。
よくわからないけどすごい!きっとすごく格好良くて、しかも可愛いに違いない!
カルメールは、二人に胸を張って会えるように努力し続けた。儀礼用とはいえ剣は幼児には重く、恐ろしい物だ。それでも素振りを毎日百回して、料理は好きなものだけでなく、苦手なものを克服できるように作った。
毎日毎日、まだ見ぬ弟妹に「お姉さま」と呼ばれる日を夢見ていた。
そして、カルメール18歳。未だ時が止まったように春の陽射しばかり差し込むその日に、カルメールはようやく弟妹と会うことが許されたのだった。
「シェルにレティ!はじめまして…というのもおかしいかしら、キョウダイですものね。
二人に会えてとっても嬉しいの。やっとお話が…」
「ごめん、私はレティじゃなくてシズカだし、シェルはヨウタっていう名前なの」
「本当に記憶がないんだね。転生でも憑依でもないって、そりゃ想定外だわ」
衝撃だった。元々泣き虫な一面が勢いよく顔を出してきて、そのまま滝のように涙を流してもおかしくない衝撃だった。
可愛い可愛い二人の弟妹は、なんだか自分を疎んでいるようだったから。それが悲しくて、泣いてしまいそうだった。
しかも、シェルに至っては様子がおかしい。前に遠くから見かけた時は、子供っぽさの抜けない感じがしたのに。
「ああ…あんたに言ってもわからないだろうけど、俺は憑依。まあ色々思うところはあるけど…シェルってやつの分まで生きていくから気にすんなよ」
「私は転生者であり、聖女。何も知らない人に話しても大変だから、事情説明は控えるわ。
さて、申し訳ないけど、あなたは許されたわけじゃない。あなたの使用人が頭を下げてきたから、お父様とお母様が許しただけ。
…同情はするけど、あなたはあなたで幸せになるべきだよ。この家から出たほうがいい。この家はあなたには居心地悪いでしょ?」
ああ本当に。
ひどく、気分が悪い。
「な、泣かないでよ!ごめんって…いや、私たち、いい友達にはなれると思うよ?スピネラ家の人なら転生とか憑依については詳しいだろうし、知識なくてもさ…」
「そうそう。これから俺たちは忙しくなるけど、あんたが会いたいって言うなら会いにきていいし…」
弟が欲しかった。
妹が欲しかった。
だって一人っ子だったから。
"パパ"と"ママ"と"ぴーちゃん"しかいなかったから。
大きなケーキ。三本のロウソク。
幸せな世界。
轟音。
暗転。
————ちらちらと、雪が降っている。
聖女が誕生しないまま、永遠に春のままだと思われたこの国に、暦上で正しい天候と気温が訪れた。
カルメールの髪は冬の風に吹かれ、シェル…ヨウタの口からは白い息が、シズカの耳は痛いほど寒さを感じ取っている。
「"目覚めなさい、聖女よ。私の声を聞く者よ…"」
カルメールの脳に美しい声が響く。
カルメールは滂沱となった涙を拭いながら、まるで幼児のように叫んだ。
「知らない!知らない!かえしてよ!おうちにかえして!」
ぐるぐると時計の針を回すように、朝と夜が回る回る。
異常事態を悟ったヨウタが放った炎は何かにかき消され、今こそ覚醒の時だと祈り始めたシズカの祈りは天から返ってこない。
屋敷から三人を見ていた当主夫妻は白目を剥かんばかりだった。
だってこれは、これは、まさか。
未だ泣き叫ぶ癇癪のような声が響き、カルメールは「おうちにかえして」と「かえりたい」を繰り返している。
その声にまず白旗を上げたのは神と呼ばれる存在だった。
「"ああ、もう!私子供苦手なのに…
仕方ないですね。元はと言えば問答無用で異世界転生させたこちらが悪いので…はい、すぐにおうちにかえしてあげましょう。さ、泣き止んで?
ここちゃん。もう大丈夫ですから、ね?"」
まるで保育士のような声色を聞きながら、カルメール…否、心恋は元の世界へと、するりと消えていった…
————ハッと目を覚ます。誕生日ケーキが目の前にあって、ロウソクは三本。
パパとママが大きなカメラを持って、にこにこと笑っている。
「パパ!ママ!」
「どうしたの、心恋ちゃん?いちご、苦手だった…?」
「ちがう!」
「じゃあ…パパが渡したクレヨンとお絵かき帳が気に食わなかった?」
「ここ、おえかきすきだよ!」
ぽろぽろと涙が溢れて、次第に嗚咽混じりになる。
こわい夢だった。パパもママもいない、寂しい夢。
ずっと一人で寝起きして、誰もおはようも、おめでとうも言ってくれない。
そんな、怖い夢。
「さ、泣き止んだらロウソクふーってしてね」
「心恋は泣き虫ちゃんだなぁ。来年はお姉ちゃんになるのにねぇ?」
「あ!パパ!だめよまだ言っちゃ…!」
「しまった…!」
夢から醒められて、よかったなぁ。
インコのぴーちゃんの「ハッピーバースデー」を聞きながら、心恋は弟か妹になる赤ちゃんの名前を考え始めて、ようやく笑顔を見せた。
カルメールだった時は誰も見たことがない、可愛くて、ふわふわしていて、幸せな笑顔だった。
「"手違いで死んでしまう者は多いけれど、適当に転生させたら三歳児だったなんて。私も疲れているのでしょうか…まあ、あの世界にはしばらく聖女無しで頑張ってもらおうかな"」
聖女の存在に依存していたあの国が、はたして聖女無しにやっていけるのか。
本当は聖女だった娘を落伍者として隠し、学校にも行かせず、敷地の外にすら出さない虐待を続けた当主夫妻に対する周りの反応は。
自らを聖女と信じ、それだけで充分だと異世界の知識を忘却した転生者に何が残るのか。
心底惚れている婚約者から、元のあの人を返してと泣かれる憑依者の人生は。
それは、この小さな女の子には関係のない話だ。