第1話
――栄華を極める巨大国家・L王国。今から約10年前、その王宮を護衛する特殊親衛部隊に、『狂犬』と呼ばれた男がいた。修羅さながらに反乱分子を惨殺し、無敵の強さを誇り敵味方から恐れられたその男は、ある機を境に忽然と戦場から姿を消した。死亡説に陰謀説、様々な憶測が裏社会で飛び交ったが、正確な消息を知る者は誰一人として居ない。それも彼が伝説となった所以なのだろう――
* * *
時は流れ、現代。今回の放浪記の舞台は、L王国には及ばずとも十分に都会化の進んだP国だ。
「いえ、あの……困ります」
繁華街の大通りから外れた路地裏で、14〜5歳くらいの少女が数人の男達に絡まれていた。男達の年齢は20代ほどで、街の喧騒にかき消されて誰も気付かないのか、それともこの街ではよくあることなのか、咎める者は誰一人としていない。
「キミ、見ない顔だけどその貧相な身なりからして、この国に出稼ぎに来た子でしょ? 俺らと遊ぼうよ〜。俺ら、貴族だから金ならいくらでもあるぜ? キミ可愛いから欲しいもの何でも買ってあげるよ」
小綺麗な格好をしたリーダー格の男は薄く微笑み、少女の顎を指で摘んだ。少女は身をよじるが、男達は少女の周りを取り囲んでいて、逃げ場など無い。
「いえ……いらないです」
涙目の少女が首を横に振ると、もう一人の男が少女に顔を近付けた。酒臭い息に、少女は思わず顔を顰める。実はこの男達、酒場から出たばかりでかなり酒が回っており、酔った勢いで彼女に絡んでいるのだ。
「いいじゃん、頼むよ、一杯付き合うだけで良いからさー。昼間から飲む酒は最高だぜーっ」
「お、お酒とかはちょっと、ごめんなさい……」
謝りながら頑なに首を振る少女。何度も拒絶されプライドを傷付けられたリーダー格の男は、ダンと壁を殴る。
「テメェ……下手に出てりゃ良い気になりやがって、舐めんなよこの田舎モンが! 折角貴族の俺が金出してやるって言ってんだから、貧乏人は大人しく尻尾振ってろよ!」
「ひっ……ごめんなさい」
身を硬くして謝る彼女の腕を、男が強引に掴む。
「おい、この女連れてくぞ」
「や、やめて……」
その男の腕を、誰かが掴んだ。
「……何だ、お前?」
男が怪訝な顔で腕の先に視線を辿ると、そこにはズダ袋を担いだ背の高い男が立っていた。顔立ちからして若者ではないが、細かな年齢は判断不可能。首元にファーがついた黒のロングコートを羽織り、伸び放題の前髪からは覇気のない眼が覗く。
「おいおい……最近の若いのは正しいナンパの方法も知らないのか? 無闇に金をチラつかせても駄目だ。こんな時はこう言うと良い……」
ロングコートのオッさんは、ナンパ男の肩を掴み自分の方に向き直らせる。彼を敵か味方か判断しかねているナンパ男は戸惑いながらも従った。
「俺の拳にキスしな」
言うが早いか、オッさんの拳はナンパ男の顔面を撃ち抜いた。哀れな男はそのまま1秒ほど宙を舞い、地面に激突した瞬間気絶した。
「なっ⁉︎」
「野郎、やるかコラ!」
それを皮切りに、男の仲間達が次々とオッさんに襲いかかる。だが彼はそれらを拳の一撃で仕留めていく。
「粋がるなよ、オッさん」
最後に残った大柄な男は、大きく右腕を振り上げた。それに合わせて、地面の土が凄まじい勢いで右腕にコーティングされていく。
「相手が悪かったな……俺は『土魔導師』だ! 砕け散れオラァ!」
男は、怪物の様に肥大した右腕をオッさんに振り下ろす。
――ドガァッ!
だがオッさんはそれを難なく躱し、男の腹にカウンターの拳を沈めた。
「がは……」
「その土、少しは防御にも回したらどうだ?」
男は膝から崩れ落ちた。オッさんは足元のそれを軽く蹴飛ばし、くるりと少女の方に体を向けた。そのまま、つかつかと少女の方に歩いていく。
「あっ、あの、どなたか存じませんが、助けてくれてありがとうございます! 私、今日この街に来たばかりで――」
オッさんはお辞儀する少女の横を素通りし、その向こうに倒れている男の前に腰を下ろした。
「……うん?」
「さすが貴族、良い指輪してるねぇ。ま、センスはイマイチだけどな。へっ」
少女が視線を送ると、オッさんは貴族の持ち物を漁り、品定めを始めていた。
「ちょ、ちょっと! 何してるんですか⁉︎」
「……え、君まだ居たの? 何か用?」
「そうじゃなくて! その手に持っている財布と金の指輪は⁉︎」
「何って? 俺の当面の旅費だけど?」
「いやいやいや! 平然と自分のポケットにしまわないで下さいよ! 盗んじゃダメですって!」
「なんだよ、うるせえなぁー。こいつら、酔いに任せて嬢ちゃんを襲おうとしたロクでもない屑なんだぜ? 構うことねーよそんな奴」
「そ、それもそうですけど……」
隙を見せた少女に、オッさんはキメ顔で微笑む。
「――嬢ちゃんが可愛いから、イケないんだぜ」
思いもしない不意打ちの言葉に、少女の頰は一気に紅潮した。
「かっかか可愛いなんてそそそそんなことないですってやだなぁやめて下さいよ――――」
彼女が顔を上げると、オッさんの姿は忽然と消えていた――
***
「ハァ⁉︎ 偽物⁉︎」
質屋のカウンターで、オッさんは情けない声を上げた。指輪の鑑定を終えた片眼鏡の主人は顔を上げ、「うるさいわ」と一喝する。
「間違いないね。これは最近出回っている偽物だ。子供のオモチャ同然だから売っても二足三文にしかなりゃしないよ。どうせ貴族のボンボンから巻き上げて来たんだろ? 金にならなくて残念だったな、ワハハ」
「ワハハじゃねぇよ……アンタにとっては二足三文でも、他の誰かが見れば宝物になるかも知れないだろ! 道端の石ころも宝石に見えた、純粋だったあの頃を思い出せよ!」
「ちょっと良いこと言っても無駄だ……メチャクチャだな、アンタ。で、どうする? 売るの売らないの?」
「……参考までにおいくらで売れる?」
「出して25フローリン。それ以上は無理だ」
「勘弁してくれよ……たったそれだけじゃ、旅費どころかコーヒー1杯すら飲めないぜ……せめて、せめて20倍にしてくれない?」
「帰れ」
思わぬ誤算に、オッさんは肩を落として質屋を後にした。貴族から奪った財布があるとは言え、当面の旅費を工面するには少なすぎる。このままでは、ボロ宿に数日泊まっただけで底をつくだろう。
「ついてねーなぁ……」
オッさんはため息を吐き、力なく指輪を親指で弾いた。そのまま捨ててしまおうとも思ったが、気まぐれに空中のそれを掴みポケットにしまう。
「!」
すると、見覚えのある人間が駆け寄ってきた。
「やっぱり、ここでしたね」
それは先程の少女だった。彼女は得意げな表情でオッさんを見上げる。この少女も、オッさんの行動を予測して質屋に向かっていたのだ。
「……よぉ、久し振りだな嬢ちゃん」
ひらりと、オッさんはフランクに片手を上げた。それを見て、少女はため息を吐いた。
「久し振りだな、じゃないですよ、もう。さっきはよくも……ま、まぁ、その話はいいんです」
「じゃあ何だ? 言っとくが指輪なら換金してねぇぞ。なんでも偽物らしい」
「いや、そうでもなく……あの時、助けてくれたお礼、ちゃんと言いたいな、って」
少女のはにかみ笑顔を見て、オッさんは驚いたように片眉を上げる。そんな事の為にわざわざ追いかけてきたのか、と。
「何だよ……どういたしまして。じゃーな」
「ですから、一緒にお昼ご飯とかどうですか? あまり高いお店には行けませんけど、ご馳走させて下さい!」
「分かったぜひ行こう! 君は本当に優しい子だな! 助けた甲斐があっておじさん嬉しいよ!」
「……げ、現金な人」
奢って貰えると分かった途端に高速で手のひらを返したオッさんに、少女は驚き呆れたような声を漏らした。