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ー2ー

「何だ、こりゃ?」


 デジカメの画像を、剛志のノートパソコンに繋いでディスプレイに表示する。

 上手い具合に血溜まりに重ならず、床に描かれていたのは、少し歪んだ赤い丸だった。中をぐるぐると乱暴に塗りかけた、丸の途中。


「赤い丸、ですかね」


「ルージュで描いてるんだから、単に丸ってだけじゃないの」


 気付けのつもりなのか、赤ワインに頬を染めた芙美子が、馬鹿にしたように剛志の言葉を否定した。


「だけど、何でルージュなんかで描いたんだ?」


「知らないわよ」


 ルージュからの連想が、美容というアイコンに結び付くことを恐れたのか、芙美子は短く吐き捨てた。


「依子さんは、床に倒れる直前まで机に向かっていたようです。椅子がひっくり返っていましたから」


 鏡台は、机と反対の壁際にある。わざわざルージュを取りに立ったようで、確かに鏡台近くの床にも血痕は見られた。


「……ええ、依子様は、お紅茶を所望された時、机で何かお書きになられていました」


 メイ子が、ダイニングから持ってきた椅子で小さくなっている。不安気な様子は、変わり果てる前後、どちらの姿も彼女が目撃したからだろうか。


「机の上には、何もありませんでしたね。書き終えて片付けた後、襲われたのか……」


「或いは、犯人が持ち去ったのか」


 僕の言葉を継いで、剛志は叔父に視線を向けた。


「剛志。何で俺を見るんだ」


 音を立ててコーヒーカップを置くと、則雄は不愉快を露にした。


「そりゃ、みんな知ってるわよ? 叔父さんが、あの子の身体を弄んでいたってね」


「……フン。そういうお前だって、あいつをペットにしてたそうじゃないか」


「なっ」


 グラスの中のワインが揺れる。則雄は悪びれず、むしろニヤついた眼差しを向けた。


「女同士なのに、って泣いてたぞ」


「汚らわしい行為と一緒にしないで頂戴! あたしのは、美容のためだわ。マッサージして女性ホルモンを潤わすことで、美しさが保てるのよ!」


 顔を赤くした芙美子は、猛然と食ってかかった。

 「美の伝道師」とマスコミに持ち上げられている彼女が同性愛者(レズビアン)だという事実は、公には秘密なのだ。


「先生、依子は……殺されたのか?」


 迷うように、剛志の声が萎える。もし彼が犯人ならば、迫真の演技と言えよう。


「検視を待たねば断言できませんが、外傷が見当たりませんでした。あれは毒物による吐血かと」


「毒物? じゃ、自殺かもしれないじゃない」


 ツンと澄まし顔になり、芙美子はコポコポとボトルから手酌する。


「どうでしょうか。死ぬつもりなら、メイ子さんに紅茶を頼みますかね?」


「早く見つけて欲しかったんじゃないのか」


 顎に右手を当て、考え込む仕草を取る、剛志。


「いや、そもそも、あいつは紅茶を飲む前に倒れたのかな」


 コーヒーカップの中をジッと見詰める、則雄。


「――え?」


 皆の視線が、一斉にメイ子に向けられた。


「あんた、紅茶に何か入れたんじゃ……」


「と、とんでもないですっ! お部屋に伺ったら、依子様は、もう……!」


 ただでさえ身を竦めていたメイ子は、全身蒼白になりながらブンブンと首を振った。


「メイ子には、動機がないだろ」


「何だと?」


「何よ?」


 冷静にフォローした剛志を、2人が同時に睨み付けた。


「剛志、あたしが知らないと思ってるの? あんた、あの子のデザインを盗ってるでしょ」


「言い掛かりだ……!」


「良く言うわ。『無くしたデッサン帳が、社長の本棚にあった』って悩んでたのよ」


 依子は、剛志の会社でインテリアデザイナーとして働いている。北欧デザインに関心が高く、現地で本格的に学び、いずれは独立したいと常々口にしていた。

 彼女がデザインした「スオミシリーズ」は、若い女性を中心に人気があり、「SAIJYO」の売上増に貢献している。もし彼女に独立されたら、改めてデザイン使用契約が必要となり、莫大な契約金が発生する。


「そういえば」


 沈黙を利用して、僕は気になっていたことに触れてみる。


「剛志君と階段を上っていた時、2階で扉の音がしましたね」


「あ、俺も聞いた」


「あの時、あたしはここにいたわよ――」


 全員の視線が、則雄を捕らえる。


「何だ! また俺を犯人にしたいのか!」


 頬を紅潮させ、椅子から立ち上がって抗議する。


「分かった! 依子のメッセージ、あれは則雄の『の』って書いたのよ! 叔父さんは気付いて、ぐるぐるに消したんだわ」


「違う! 俺は、叫び声がしたから、廊下に出ようとしたんだ。だが裸だったから、ガウンを取りに戻っただけだ!」


 確かに、僕達が駆けつけるまでの短時間で、メッセージを細工するのは難しい。


「あの赤い丸……もしかして、描きかけの薔薇じゃないのか?」


 デザイン盗用疑惑の仇とばかりに、剛志はキツい眼差しを姉に向ける。


「はあっ?!」


 薔薇は、彼女のサロン「ブリランテ」のシンボルマークだ。


「それを言うなら、あんたの店のロゴだって!」


 「SAIJYO」のロゴは、赤い丸の中に白抜きで文字が入る。


 互いの秘密を暴露し合い、疑惑と憎しみさえぶつけながら――結論が出ない夜が更けていった。



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